| 2009年06月16日(火) |
夕陽がとても眩しかった。 |
梅雨もいずこへやら今日も晴天の夏日となった。 紫陽花が心なしか弱々しく見えて可哀想だけれど。 夏の陽を喜ぶように様々な花が咲き始めたのだった。
のうぜんかずら。紫君子蘭。松葉ぼたん。日日草など。
やはり雨をと願う気持ちもありながらそんな花を愛でる。 水不足。干害。困っている人達がたくさんいることだろう。
天まかせとはいえ何が恵みになり得るのか言葉には出来ない。
夕陽がとても眩しかった。いつもの道を歩きながらいて。 その光が身体を突き抜けていくように感じたほどだった。
私には灰汁のようなものがある。澱のようなものがあり。 ほら見てごらんなさいとそれを照らされたように思った。 けれども途惑ってなどいられない。しっかりと確かめる。
そんな光がそこにあることに。心が揺さぶられるのを感じる。 どんなにあがいても浄化されない。あるべきものであるのだ。
そのあるものと日々を暮らす。そっと静かにそれを宥めながら。
あんずは今日も駄々をこねた。暴れまわって私に逆らうばかり。 もう手を離したいと本気で思う。好きなように走っていけばと。
無理強いをしているのではないかと。帰宅して彼に言われた。 どうすれば良いのかよくわからない。あんずが嫌いになった。
もう嫌いだからねと思っているというのに。ぺろりと頬を舐める。 足元にじゃれつきながら晩御飯を早く。早くと私に甘える素振り。
ふぅ・・負けたと思う。折れなければいけないのは私だと思った。
雨の日にはお散歩に行かない。私はひそかに雨を待っている。
| 2009年06月15日(月) |
ありがとうかみさま。 |
以前より深くなった巣の中で身動きもせずにツバメが。 ひたすら卵を温めている。そこには希望が生きていて。 必死にそれを叶えようとしている母の姿に心打たれる。
あるひとからのメール。生と死は隣りあわせなのだと。 喜びと悲しみも隣りあわせなのだと書いて返信をした。
そのとなりの死。そのとなりの悲しみから逃げもせず。 いつだってそうなり得ることをもっと学びたいものだ。
生は決して当然の事ではなく。喜びもまた当然ではない。
だからこそ感謝しなければいけないことであふれている。
とてもえらそうなことを言った。何様のつもりだろうと思った。 けれどもそんな言葉をいちばん必要としているのが自分だと思う。
ひとにそうして語ることは。すべて自分に向けられているように思う。
今日の平穏も然り。何事もなく無事に終えられる一日が。 当然のことであるはずがない。奇蹟かもしれないことだ。
矢にあたらない事。棘に刺されない事。こんなに無傷でいる。
ぬくぬくとそれに甘えてはいけないのではないだろうか・・・。
ありがとうかみさま。それいがいの言葉がみつからない夜になった。
| 2009年06月13日(土) |
そうして今日が暮れていく |
空は薄い雲におおわれてやわらかな夏の陽が射す。 太陽の輪郭がはっきりと見え夕暮れには紅くなる。
なんだか月のようにも思えそんな空を仰ぎながら。 歩いた。薄っすらと汗ばむ。微かな川風が心地よい。
あんずがまた駄々をこねる。お大師堂に着くなり。 悲鳴のような声をあげてずっとわめき続けていた。
いったい何を怖がっているのだろう不思議でならない。 そんな悲鳴を耳にしながら。心を平静に保つという事。 むつかしい。苛立ちそうになりながら私は手を合わす。
それがまるで試練のように思う。耐えなければと思う。
なにもかもすべてまるくおさまるとはかぎらないのだ。
そんな散歩から戻って来ると。サチコが早目に帰宅していた。 今日は『魚めし』を炊いたのだ。そう書いて『いよめし』と言う。 そのいよめしを美味しいと頬張ってくれていた。母はほっとする。
いつも手抜き料理が多いけれど。せめて週末には頑張ってみたい。 夫婦ふたりきりだとそれもついつい怠けてしまいそうだけれど。 サチコが居てくれるおかげでやる気も出てくる。サチコの好きな物。 せめて一品はといつも考えている。さあて明日は何にしようかしら。
そうして今日が暮れていく。焼酎ロックの氷を弄びながらこれを記す。
昨日の雨が嘘のようにあがり青空がひろがる。 梅雨特有の蒸し暑さもなく心地よい風が吹く。
仕事から帰宅して洗濯物を取り入れるのが。 喜びのように嬉しくてお陽様の匂いを嗅いだ。
昨夜。息子君が脱ぎ捨てていった靴下が一足。 色は同じなのだけれど柄が違っていて可笑しく。 くすくすと笑いが込み上げてくる。男の子って。 そんなものなのかもしれない。母は愉快に思う。
自炊。掃除。洗濯と彼なりに頑張っていることだろう。 今夜は何を食べていることか。ほんの少し気にもなる。
けれども心配はしない。そうして時々会えるだけでいい。
もう明日は金曜日。駆け足で過ぎていく日々だったけれど。 仕事が少しも苦にならず。むしろ楽しくて遣り甲斐があった。 ほんの少しお駄賃も貰った。欲しがらずにいようと思いつつ。 やはりそれは申し訳なく。家計の足しに遣うのも気がひけた。
結局遣ってしまう。それはお米になったりお酒になったりして。 ずいぶんと助けてくれるものだ。ほんにありがたい事だと思う。
復帰したばかりの頃の鬱々とした気持ち。それも今はもうない。 「おお、やっと帰ってきたか」とお客さんが微笑んでくれる。 その微笑に心から笑顔を返せる自分が不思議だった。明日も。
そんな笑顔を大切にしよう。
| 2009年06月10日(水) |
大切な時をかみしめながら |
雨が絶え間なく降り続く。これが梅雨らしさだろう。
雨にけむるというけれど。山の緑もぼんやりと見え。 近づいてはその潤いを確かめるように山道を進んだ。
雨合羽に身を包んだお遍路さんを何人か追い越して行く。 足元は雨靴ではない。どんなにか濡れてしまう事だろう。
心苦しさはつのるばかりで。何ひとつ労う事も出来ない。 ただただ会釈を繰り返しては。我が身の在り様を思った。
自分にはとうてい出来そうにもないこと。歩き続けるひとは。 一筋の光のようにまぶしいものだ。とても尊いひとに思える。
時の記念日だという。雨の朝の一瞬の出会いも大切な時だった。
我が家では息子君の誕生日。何もしなくても良いのだと言って。 仕事を終えたら独りでメシ食って寝るからそれで良いと言った。
それではあまりにもわびしい。可哀想じゃないかと父親が嘆く。 母もそう思った。マイマイするとかそんなこと言ってごめんね。 離れていても家族ではないか。今日こそはちゃんとしてあげたい。
お昼休みにメールをしたら。ちらっと帰るからと返事が届いた。 大好きなハンバーグを作ろう。ケーキも買って帰ろうと決める。
ゆっくりとはいかなかったけれど。久しぶりに夕食を共にする。 そうして慌しく帰って行く。いつもいつも風のようなコドモだ。
そんなコドモが30歳になった。なんだかとても信じられなくて。 自立はしていても未だに母は育ててもらっているような気がする。 すっかり大人なのだけれど。幾つになろうとコドモは子供だった。
父も母もそうして老いていく。そのかたわらを追うように歳月が。 子供たちにも重なっていく。その果てまでコドモは子供のままで。
父を母を見送ってくれるのだろう。
ありがたきは家族なのだとつくづく思ったことだった。
やっと梅雨入りの報せ。その声を待っていたように。 うす曇の空が少し重くなる。明日は雨なのだろうか。
平穏に何事もなく今日が暮れていく。 ぼんやりとするばかりであとはただ。 眠くなるのを待ちながらこれを記す。
これはいったいなんだろうとふと思う。 つまらないこと。とりとめもないこと。
けれどもそうしなければ気が済まなくて。 どうしようもない拘りのようにそれをする。
決して毎日ではない。記さない日もある事が。 不可解にも思える。ここから離れるという事。
『オン書き』というのだとある方が教えてくれた。 ノートでは駄目なのだ。そこに私は存在できない。
きっと存在したいのだろう。ある日ある時に限り。 叫ぶのでもなく。ただ息を記しておきたいのだろう。
ため息をゆるやかな息に。おだやかな空気に放つ。
その空気につつまれて。自分自身を穏やかにする。
なにを伝えたいのかよくわからない。もしかしたら。 何ひとつ伝えられないのかもしれない。この息のこと。
ただ。ほっと。この向こう側で誰かがほっとしてくれたら。
その瞬間に私は救われているのだろう。今夜もありがとう。
朝には風にそよいでいた夏草たちが。 午後にはもうすっかり刈られていた。
そこはいちめんの雀色。さっぱりと。 心地よいほどに緑をさらっていった。
鳥たちが集い盛んに餌を啄ばんでいる。 椋鳥だろうか小さな鳩のように見える。
恵みというものはそうして訪れるもの。
草の根はしっかりと残りやがてススキ。 また若々しい緑であふれることだろう。
午前中は山里の職場。午後は動物病院だった。 あんずはクルマに乗るのをとても嫌がるので。 彼とふたりがかりで軽トラックの荷台に乗せ。 やっとの思いで病院へ着く。ぶるぶると震え。 そこが病院であることを知っているのだろう。 押さえ込まれてちくりと痛い注射をされる事。
その顔といったらすっかり怯えた子供のよう。 よしよしと親の気持ちになる。愛しいものだ。
すっかり白髪になりましたねと先生は言って。 犬も歳月には勝てないですねと声を落とした。
この夏を越せるだろうか。今はとても元気だ。 けれどもその日は突然にやってくる気がする。
夕暮れ時のいつもの道をふたりで歩きながら。 しみじみとかみしめるようにこの縁を想った。
寿命とは天からあたえられた精一杯のいのち。 ともに生かされている歳月があることに感謝。
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