風が心地よくさわやかな夏日。けれどもやがて梅雨の頃。 それを知っているのか紫陽花がところどころに咲き始める。
山里の田んぼのあぜ道に。風になびく稲の緑によく映える。 日に日に色とりどりの花を咲かせてくれることがうれしい。
気がつけば栴檀の薄紫の花も。散り急いでしまっていたり。 ふっと忘れてしまった時にそれが終わっている時がよくある。 毎日のこと。もっとしっかりと見届けなくてはと思うのだった。
月曜日。相変わらずの葛藤に途惑いつつもそれなりに仕事。 母とメールを交わしながらいた数ヶ月の事が懐かしく思う。 少しでいい『距離』がほしい。私の身勝手な言い分だろうか。
うまく割り切れない難題のように。ついつい拘ってしまうのだ。 小数点以下は切り捨てれば良いのに。無い事にしてしまえない。 だからいつまでたっても正解にならない。ほんに困ったものだ。
せめて早目に帰宅をと願い。逃げるように職場をあとにした。 来た道を帰りたかった。山道を峠道を一気に下りたいと思う。
「緑が目に沁みるよ」思いがけずに母がそっと声をかけてくれる。
とてもとても心に堪えた。母はわたしの葛藤にキヅイテイルのか。
まだ日の高い山道は木陰の風がいちだんと爽やかで。ほっと息をつく。
たしかに緑が目に沁みる。この大好きな道を明日も通うことだろう・・。
晴れのちくもり。夕陽を仰ぎ見ることもなく日が暮れる。 あたりが薄暗くなってもツバメが帰らず。少しさびしい。
もうここは駄目だと去らないでいてほしいものだ。 けれども伝える術がない。とにかく待っていよう。
窓の外を気にしながらも朝のうちはゆったりと過ごす。 午後。彼が川船の手入れをすると言い手伝いに行った。 お仲間さんたちの手も借り船を陸に上げひっくり返す。 あとはヘラや束子を使いながら船底の汚れを落とした。 小さな牡蠣や水苔がすごくて汗を流しながら頑張った。
晩御飯は本場物の讃岐うどん。丸亀の友人から届いたもの。 生卵を入れてぶっかけうどんにして食べる。なんとも美味。
一度も会った事のない友人。先日は初めて声を聴く事が出来た。 ずっと昔からの友のように感じて。親近感でいっぱいになった。 ネットのありがたさを思う。出会えてほんとうに良かったと思う。
すこし蒸し暑く夜が更けていく。夜風はもう眠ったように静かだ。 聴こえるのは虫の声ばかり。夏の虫もそうして存在を知らせてくれる。
穏やかな夜のこと。これが何になるのかもわからないまま。 これを記す。ただ存在だ・・・と思えば気も楽になるだろう。
ここにいます。わたしがいます。ただそれだけの理由かもしれない。
いまかすかに雨が降り始めた。暮れ始めた空に雨雲。 影絵のように鷺だろうか群れをなして横切っていく。
ツバメがしきりに鳴いているのが嘆くように聴こえる。 ちいさなヒナ達が忽然と姿を消してしまったのだ・・。
今朝からずっと巣の様子を伺っていたのだけれど。 にぎやかにさえずっていたヒナ達の声が聴こえず。 親鳥は鳴くばかりで。餌ではなくて藁を運んでいる。
我が家の玄関先でそんなことがあってなるものかと。 心を痛めているが自然界の厳しさを思い知るほかない。
いつかの初夏にもそうだった。けれども親鳥はめげずに。 すぐに二番子達が生まれてくれたことを思い出してみた。 今度こそ無事にと願いつつ。また見守る日々が待っている。
もうすっかり暮れてしまった。雨音が心地よいほど響きわたる。 このままどしゃ降りになりそうな気配に胸が震えそうになった。
潤いたいと思う。この澱みを流しきるような雨に私はアイタイ。
| 2009年05月20日(水) |
いっそどしゃぶりの雨になればいい |
晴れのち曇り。雨が近いのだろう蒸し暑い夜になった。 夕陽を仰げないまま暗くなるとほんの少し心細くなる。
行かないつもりだったお散歩もあんずの甘え声に負け。 とぼとぼといつもの道を歩いた。風が静止している道。 チガヤの白い穂が千切れた綿のように土手にただよう。
ふっと横たわってみたくなった。あんずから手を離して。 倒れこむようにその綿に包まってみたい衝動に駆られる。
やわらかな息。何も思い煩う事などないはずなのだけれど。 求めないふりをしながらささやかな欲望のようにそれを思う。
仕事は山里だった。今日も穏やかな波ばかり見ていた気がする。 息苦しさは気のせいだろうか。どうしてそうなのかよく解らない。 この葛藤は何だろう。明日はどうすれば良いのだろうと気に病む。 あまりに遠ざかっていたせいかもしれない。キットチカスギルノダ。
明日はあしたの風が吹くだろう。いっそどしゃ降りの雨になればいい。
夜は酒をのむ。どうしたわけかあまり酔わない。のでひたすらのむ。
| 2009年05月19日(火) |
思えば遠くに来たものだ |
曇りのち晴れ。初夏らしく南風の吹くいちにち。 海が近いせいだろうかふっと潮の香が匂ってくる。
そんな南風のことを『沖の風』と呼ぶ。 ここに嫁いできて初めて知った言葉だった。
少女時代を過ごした海辺の町では何と呼んでいたのだろう。 あまりにも近くにあった海は。海としか呼べず風としか呼べない。 多感だったあの頃。恋しい人のように思って潮風に吹かれていた。
思えば遠くに来たものだ。そんな言葉がいまはとてもふさわしい。
仕事。今日は山里の職場に行かなかった。 行くべきだったのだろうけれどそれをせずにいて。 夫である彼の手伝いをすることに決めていた。 ちょっとした力仕事。身体がとても喜ぶのを感じ。 やはり私には肉体労働がいちばんなのだと思った。 どんなに疲れてもそのほうがいい。我侭だろうか。 身勝手だろうか。明日もそんな仕事があればと願う。
姑さんが畑仕事をしてみないかと言う。考えている。 鍬ひとつ使えない私にそれが出来るのだろうか不安。 彼は反対している。お前に出来るはずがないと言う。 私は迷っている。ああどうすればいいのだろうか・・。
夕暮れ散歩。とても立派なカメラを持った人に出会う。 夕陽の写真ばかりを撮っているそうで少し語り合った。 真っ赤な夕陽の話をした。今日は無理。紅くはならない。 雨の匂いがする日でないとそんな夕陽には会えないのだ。
ああまた知ったかぶりな話をしてしまった。反省しつつも。 ちょっと鼻高になっている自分に酔った。ばかみたいな私。
わぁコスモス。とぼとぼと帰り道に早過ぎるコスモスを見つける。 もうそれは世界中に叫びたいほどびっくりとして嬉しくてならず。
川岸に続く石段の隙間からそれはまるで雑草のように咲いている。
たった独りで。この夏の初めにぽつねんと存在する一輪の花だった。
五月晴れというのだろうか清々しい青空。 山道を行けばいちだんと緑濃く迫り来る。
ゆっくりと進みたくてならずそうしていると。 緑の糸を繰っているような辿っているような。 そんな気がした。真っ只中にいることを感じ。
それが喜びなのかよくわからないまま息をする。 風が匂う。山全体が芳香を放っているかのよう。
歩くひと。ひとりふたりそうして七人のお遍路さんに出会う。 声をかけることも出来ず追い越すばかりで心苦しくもあるが。 ともに歩くことは叶わず。ただただ頭が下がる思いで溢れる。
紫陽花の花が。毎年いち早く咲く場所があり今年も。 もしかしたらと思っていたら。やはり咲いていてくれた。 純白の紫陽花は民家からも遠く山肌から零れるように咲く。
ほっと嬉しかった。歩くひともきっと足を休めてくれるだろう。
職場は平穏。いつも身構えているのは自分。緊張するのも自分。 まるで海に飛び込むような気持ちになるのは気のせいだろうか。 泳げないからといってもがこうとする。そんなじぶんのせいか。
海はこんなに凪いでいる。波は静かに足元を濡らすばかりだった。
精一杯スイッチを切り替えるつもりだったけれど。どうしても。 『毎日』という日常がインプット出来ない。反抗ではないけれど。 先日ある方から頂いた言葉を思った。「無報酬だからこその自由」
しばらくはそんな自由を見つめなおしてみようかなと思っている。
曇り日のいちにちだったけれどほんのりと夕焼け。 暮れていく空をぼんやりと眺めながら窓辺にいる。
こんなひと時がとても好きだ。ゆったりと心が和む。
今期の川仕事も今日で終了。日々駆け抜けたような。 なんともいえない達成感で満たされた一日になった。 打ち上げと称して鰹で握り寿司を作り日本酒を少し。 とても美味しかった。好物の鶏の唐揚げもまた旨し。
明日は日曜日らしく過ごし。自分なりにスイッチを。 切り替えてみようと思う。壊れかけてはいるけれど。 山里の風景に助けられながらまた日々を送りたいものだ。
田んぼの稲を思う。道端の紫陽花を思う。皆の笑顔を思う。 動いてこそ気づくもの。出会えることがきっとあるのだもの。
今日もお散歩の帰り道。いつかの木に薄紫の花を見つけた。 あのオリーブ色の実のなる木は。栴檀の木だった事を知る。 秋の日にはまだ小さな木だったのが見上げるほどになった。
そんな発見が嬉しい。歩いてきて良かったなと思える一瞬。
ついつい負に向かいがちだったこの頃のこと。なにもかも。 行き詰ってしまったように思えたのは。気のせいだろうか。
こころが一箇所に留まっては澱み。さらさらと流れなかった。
きもちよく流れよう。そう思えばきっとこころも澄みわたるだろう。
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