ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2009年04月11日(土) ぽつんとここが好き

暖かさを通り越して暑さを感じる。半袖の似合う日。
桜はすっかり散ってしまったけれど。藤の花が咲く。

その白いのと薄紫の花が。陽射しに映えてまぶしい。
そよ吹く風が匂う。甘くささやくような太陽の吐息。



川仕事も残り少なくなり。もう一息だと今日も頑張る。
体調の不安を抱えながらここまでこれた。やれば出来る。
自信とまではいかないけれど。乗り越える日々が嬉しい。
しんどい日もいっぱい。でもその疲れが心地よく思える。



燕さんが卵をあたため始めた。ただただそっと見守るばかり。
可愛らしい雛達の頭が巣から見え始める日も近いことだろう。
ちいさな命を想う。なんだか自分が卵を抱いているように想う。




一昨日のこと。東京の友より『独活』が届いてとても嬉しかった。
初めて見るウド。長くて大きくてびっくり。そしてその食感がまた。
なんともいえない香と爽やかな味。生でシャキシャキとご馳走になる。
昨夜はその皮をキンピラに。今夜はバター炒め。黒胡椒とよく合った。

ささやかな縁をいつもありがたく思いつつ。心遣いに感謝するばかり。

私はこんなにちっぽけだけれど。ひとがたまらなく好きでならなくて。
ときどきふっとそんな自分の存在を。コレデイイノカと不安におもう。
でもじぶんはおおきくはなれない。じぶんはこれで精一杯だとおもう。

ありのままでここにいよう。ずっとここにいよう。ぽつんとここが好き。



2009年04月08日(水) どんな日もあってよし

夕方の散歩から帰ると薄っすらと汗をかいていた。
歩いている間はとても心地よかったのだけれど・・。
一瞬のぼせたようになりふうふうと息切れがする。

勝手なもので。寒いほうが良いなあと思ってみたり。
その後足元にじゃれついて来たあんずを叱ってしまう。
いったい何を苛立っているのだろう。不可解なわたし。

時々ゆったりさを失う。おだやかさを見失う時がある。



散歩中に見つけた野苺を思い出す。食べてみたかった。
子供の頃に食べたきり。あの頃はそんな楽しみもあった。
そういえば弟は畑の唐辛子を食べてしまったことがある。
泣いて苦しみ大騒ぎをしたっけ。可哀想で私も泣いたのだ。

家族で山菜採りに行ったり。野山には自然の恵みがいっぱいだった。

いまではちゃんとアク抜きをした蕨や蕗を買う事が多い。
でも今日は従姉妹が筍を持って来てくれて嬉しかった。
去年の暮に買った圧力鍋がとても便利で。すぐに柔らか。
ほんの10分もあれば味も滲み食べられるようになる。

大好きな筍。食べ過ぎていつも胃腸を壊すけれど明日も食べたい。


とりとめもなく今日を記しているうちに。すっかり穏やかになった。
書くことはいつも私を救ってくれるような気がする。まんまるくなり。

あとはぐっすりおやすみなさいと。自分自身を労われるようにおもう。


どんな日もあってよし。思い煩うことのない今を仕合わせとよぼう。





2009年04月07日(火) 沈むんだな・・暮れるんだな・・

まるで初夏の陽気。ご近所にはもう鯉のぼりがお目見えする。
そよ風にそれは上手く空を泳げずにいたけれど。もうそんな頃。
やっと春本番を迎えたと思っていた季節が。とても急ぎ足で。

進み始めている。私も上手くは泳げない空の鯉の気持ちになった。
ここはそっと風を待ちつつ。その時がくれば心地よく泳いでみよう。



今朝のこと。めったにしない口喧嘩のようなものを彼としてみる。
なんだかとても悲しくなってしまった。もう顔もみたくないって。
思っていたのに。10分もしないうちにそれどころではなくなり。
ふたり川仕事に精を出す。鶯の歌声が救ってくれたのかもしれない。

悪いのは自分なのだと思う。忙しさに苛立っていたのだろうと思う。
それを指摘しない彼。いつまでも尾を引こうとしない彼を尊敬する。

おにいちゃん。彼はいつまでたっても私の兄のような存在だ・・。




午後。庭でつかのま花いじり。紫陽花の新芽が艶やかな緑だったり。
大好きなキャットテールも萌えてきた。そうして紫のツル日日草や。
何よりも諦めていた『わすれな草』一昨年種を蒔き育てていたのが。
やっと今年初めて咲いてくれたのだ。ちいさな青い花が嬉しかった。

つばめが何度も頭上を行き交う。猫のひたいほどのちいさな庭でも。
うずくまって語りかけるように草花を愛でる。至福のひと時である。



夕陽の頃。染まる川面をみたくなり。またとぼとぼと散歩に出掛ける。
太陽がはっとするほど紅くて。こころのどこかにせつなさが込み上げる。

沈むんだな・・暮れるんだな・・って何度も振り向きながら家に帰った。






2009年04月06日(月) 苦しゅうはないぞ申してみよ。

青空と東風。気温も一気に上昇し汗ばむほどの陽気になる。


っと書き始めていた日記を消す。なんとあっけなく消える。
ふぅ・・・っとため息をつきながら。いつもの寝酒を飲んでいる。

むしょうに甘い物が食べたくてならず狂ってしまいそうで。
お菓子のひとかけらもなく。はっと思いついたのが食パン。
マーガリンを厚めに塗りグラニュー糖をかけて食べてみた。

これがとても美味しい。なんだか昔なつかしい味がするのだ。


いまはとにかく眠い。この気だるさを愉しみながらこれを記す。



苦しゅうはないぞ申してみよ。そんな言葉が似合いそうな夜だ。

きっとひとが恋しいのにちがいない。煩悩のひとつであろうか・・。



2009年04月05日(日) 耳を澄まして頷くばかり

昨日の雨の匂いが漂ったままの曇り日だったけれど。
しきりに鶯の歌声が聴こえ。この春に心をなごます。

寒さもやっと峠を越えたようだ。陽射しを待ちつつ。
四日ぶりの散歩に出掛ける。土手はもう緑にあふれ。
あちらこちらに野あざみが咲き。その棘ある花さえ。
そっとふれてみたくなる。なんとも鮮やかな可愛さ。

お大師堂のすぐそばにワゴン車が停まっていて人が。
たくさんいるのに少し気後れしつつ、そっと近づく。
お遍路さんではなさそうだ。8人くらいの若者達が。
土手に寝そべって。どうやらお昼寝をしているふう。
鼾をかいているひともいて。起こしてはいけないと。
忍び足で通り過ぎようとした。「こんにちわぁ」と。
ひとりの青年が挨拶をしてくれたので皆が起き出す。

なんと照れくさいことだろう。でも微笑ましい光景。
挨拶をしただけで何も訊けずに。お大師堂に向かう。
帰りにもういちど話しかけてみようと思っていたら。
すぐさま帰り支度を始めたようで。そのままになる。

そのかわりその場所にぽつんと小さなテントが残る。
ワゴン車の人達とは違うようだ。お遍路さんの杖が。
テントに立て掛けてあった。今日はここまでと決め。
もう野宿の準備が完了したのだろう。中に人の気配。
お大師堂に泊まれる事を知らないのかもしれないと。
声をかけてみようと思うが。それも出来ず立ち去る。

帰宅して彼にその話をすると。ひとそれぞれなんだ。
テントで寝るのが好きなのかもしれないじゃないか。
そっとしておいてやるのが良い時もあるんだよと言う。

私は時々どうしようもなくお節介なひとになるから。
良かれと思ってしたことや言った事がいけなくって。
ひとに迷惑をかけたり。不愉快な思いをさせてしまう。

うん・・きっとそうだね。ぐっすりと眠れるといいな。
ああこの川辺好きだなって。また来てくれたらいいな。


帰り道に高台の桜を確かめに行った。花びらの絨毯と。
わずかに残ってくれている桜を。この目で見届けると。
なんともいえないせつなさと。清々しい気持ちになる。

潔いことが好きだ。散る時を知り。なんの未練もなく。

かなしまないでおくれ。せいいっぱいの時が終わったよ。

そんな声がきこえてくるようで。耳を澄まして頷くばかり。



2009年04月02日(木) おかげで自分も笑顔になれる

きもちよく青空。風はやはりまだ冷たいまま冬の名残り。
そんな寒さも今日が峠だという。春本番の陽射しを思う。


急遽川仕事が中止になったため。山里の職場へと向かう。
ほんとうは気が進まない。どうしたことか気が重くなり。
ぐずぐずと迷っていたけれど。怠け者もいい加減にして。
行こうと決めてしまうと行きたくなり。気も楽になった。


おどろいたのは。もう田植えの準備をしている事だった。
すでに植えられている田んぼもあり。思わず声をあげる。
早いものだ。もうそんな頃になったのかと感動さえ覚えた。

動いてこそ見つけられる風景がある。来て良かったなと思う。

そうして何よりも母が喜んでくれた。同僚も大歓迎をしてくれ。
あれやこれや仕事をやっつけながら。自分も嬉しくてならない。

じぶんは出来るだけの事をやはりやってみるべきなのだろうと。
やれば出来ることがある限り。尽くしたいものだとつくづく思う。


お昼になり急いで帰宅。春遍路さんに出会いながら山道を下った。
姑さんが待っている。足の具合が思わしくなく病院へ行ったけれど。
午後から休診との事。明日の予約をしてそのままとんぼ帰りだった。

帰り道で。例の美味しい鯛焼きを買ってあげるとそれは大喜びして。
助手席でうはうは言いながら平らげていた。美味しい顔って嬉しい。

ばたばたの一日だったけれど。なんだかとても充実感を覚えた一日。

ひとの笑顔にあえる。おかげで自分も笑顔になれる。ありがたいことだ。



2009年04月01日(水) この目こころに花よとどめん

四月。思いのほか風が冷たく強く吹き荒れた一日。
その風に桜吹雪。ひとひらも受け止めも出来ずに。

ただただ風に吹かれているばかり。どうしようも。
できないことがある。もっと思い知らねばいけない。

淋しさでも悲しみでもないことを。受け止めながら。
桜のように潔く去って行くひとを。そっとみおくる。

なんて清々しい別れなのだろう。さようならよりも。
大切な言葉がありがとう。心からそう伝えたかった。




散り際が愛しくてならず。今日も高台の神社へ行く。
急な坂道を先になって登ってくれるあんずに助かる。
人間だともう80歳くらいだと思う。彼女はえらいな。

今日こそ見納めだねなどど呟きながら桜をあおいだ。
桜吹雪の真っ只中にぽつねんと佇んでいるとまるで。
冥土の道のりに立っているような気になってしまう。

ははは。母さんも年だねって。すぐに気を取り直し。
また来年らいねんと歌うように呟きながら坂を下る。

なんとしても見届けなければと。いったいどうして。
こんなにこだわっているのだろう。よくわからない。

わからないけれど。またすぐにこの坂を登るだろう。
葉桜を確かめ。花びらの絨毯を踏みしめる事だろう。


いま満ちてあすは散るのか桜花この目こころに花よとどめん









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