| 2009年03月21日(土) |
ちょうど好い加減にします。 |
春霞の空をぼんやりと仰いていると。飛行機雲が尾をひいて。 飛んでいますよいまここですよと。その機体がきらりと光る。
てるてる坊主さん明日は雨ですね。語りかけても揺れもせず。 お隣の瓦屋根には雀たちが戯れて。ちゅちゅんと応えてくれる。
なんてのどかな昼下がりなのだろう。このうえなく平和なのだろう。
些細なことなんてもうどうでも良くなった。掻き混ぜていたのは。 他の誰でもない自分だということに。とっくに気づいていたけれど。 その渦ばかりを見ようとしていたから。疲れてしまったのだと思う。
そんな場合ではありませんよ。いまはこんな場合なんですからねと。 この穏やかさを確かめるように。ぽつねんとひとりたたずんでいる。
ちょうど好い加減にします。だからわたしの罪をどうか赦して下さい。
昨日もお散歩に行けたから。きょうも行ってみようと思っている。 ついこの前まで冷たかった川風が。すごく爽やかで心地よくなった。
お大師堂の管理をしている91歳のおばあちゃんにも会う事が出来て。 南海大地震の時のこと。高知空襲の時の酷い有様を聴かせてもらう。 それはもう地獄のような光景だったよと。今はこんなに平和だねと。
とても91歳には見えない元気なおばあちゃんは。自転車をぐんぐん。 またね!っと手を振って路地を帰って行った。すごいパワーだなあ。 その後姿を見送りながら。ありがたいほどの元気をたくさん貰った。
じぶんは明日死ぬかもっていつもくよくよ思ってばかりだったけれど。 最近は少しずつそんな不安が薄れてきたように思う。なんとかなるし。 ちょっとくらいは辛い事もあるけれど。人生まんざらではないなあと。
日々をたのしむ余裕が出来たのかもしれない。どんなに忙しい時でも。 ふっと季節を感じられるひと時。さりげなく出会ってくれる草花たち。
わたしを。こんなにじゅうぶんに生かせてくれてありがとうございます。
| 2009年03月19日(木) |
それがこたえとはかぎらなくて |
静かに雨がいまも降りやまずにいて。夜気に水が薫っている。 窓をすこしだけあけてぼんやりとしながら。空っぽの心を想う。
雲ひとつなかったのだ。たしかにあの日まで清々しく澄んで。 なんて真っ青なのだろうと風に吹かれているのが心地よかった。
この雲はいったいなんだろう。どうして流れていかないのだろう。
あれこれ考えていても見つからないこたえに堪えてしまいそうになる。
ふう・・ためいきがひとつ。それを知りもせずにあんずが吠えまくる。 路地を見知らぬ人が通り抜けているらしい。見えなくなるまでずっと。 彼女は怒ったように吠え続けている。私も怒りたいとことん叱りたい。
けれどもじっとしている。億劫でもあり面倒くさくて動きたくないし。 吠えやむのを耐えるように待っていると。やっと静けさが戻ってきた。
そういえば今週はお散歩にも行けずにいる。可哀相だなあと思いつつ。 無理も出来ずにほったらかしにしている。毎晩ご飯時になり謝っている。
明日は行けるかもしれない。約束は出来ないけれど私もすこし歩きたい。 お大師堂にも行きたい。蒲公英の綿毛にあいたい。野苺も見つかりそうだ。
高台の神社にも行ってみようか。桜の木がたくさんあるからもしかしたら。 少しずつ咲き始めているかもしれない。ああ・・なんだかわくわくしてきた。
いってみないとなにもみつけられない。それがこたえとはがぎらなくて。
こたえのないことはそのままに。そっと風にまかせてみるのもよいかな。
| 2009年03月18日(水) |
ひとつのかなしみとおおきなこうふく |
お彼岸に入り春らしさもいっそうにましてきたようにおもう。 うぐいすの歌声に耳を澄ましながら。新鮮な朝の空を仰いだ。
いまは潮待ちをしている。あと二時間ぐらいのんびりと出来る。 そうして早目にお昼ご飯を食べてから。川仕事に出掛けるのだ。
今日は小潮で潮があまり引かない。小潮は三日続き次は長潮。 そうして若潮。中潮と続き。ちょうど一週間後には大潮になる。
大潮になると新月になる。そんなことを考えていると地球なのだ。 じぶんは宇宙のなかのひとつの星にいるちっぽけな生命だと思う。
くよくよと些細な事にこだわって。どんなにそれを宥めてみても。 またおなじルツボにとび込んでしまう。なんと愚かな生物だろう。 もがきたくもないのにもがき。苦しみたくもないのに苦しんでいる。
まあいいさと気楽にそれをうまく受け止められる時もあるけれど。 思うようにいかない時もあって。ちいさな渦にまた捉われてしまう。
ちょっと疲れた。それが本音。そうしてそんな今がありのままの自分。
けれどもこうして春に恵まれ。ひとに恵まれ縁に恵まれていることを。 決して忘れてはいけない。それはとてもとてもありがたいことなのだ。
きのうは例のお遍路さんから二度目の手紙が届いて。とても嬉しかった。 姑さんの名を刻んでくれた金剛杖が1200kmの遍路道を完歩した報せだった。 足の不自由な姑がどんなにか喜んだ事だろう。涙ぐみながらそれを読んだ。
初詣の日に出会ったお遍路さんも。時々メールで近況を知らせてくださる。 春休みがとれてまた遍路旅を始められるようになったとの事。良かったね。 嬉しい気持ちで言葉を交し合える。ささやかな繋がりがありがたくてならない。
ひとはひとにであえる。かなしいであいも少なからずもあるだろう。 けれどもそんなかなしみにも意味があるのだと。心してその縁を思う。
そんなひとつのかなしみに。ありがとうってこころからいえるように。
きっとなってみせる。このかなしみをけっしてむだにはしないときめた。
| 2009年03月16日(月) |
おやまの桜も咲いたかな |
春らしく穏やかな晴天。高知城の桜が今日開花したそうだ。 そんなニュースの映像を見ていると。一日の疲れも忘れる。
蒲公英のこと。土筆のこと。しろ詰め草のこと。鶯の歌声。 ささやかな春に日々恵まれていながら。桜がとても嬉しい。
そうして毎年のように思い出すのは。息子君がまだ幼い頃。 「おやまに行きたいよぅ」と。どうしようもなく泣いた事だった。
おやまは桜の公園で。ちいさな動物園があった。熊さんや。 お猿さんや。孔雀がいて。桜の頃には家族連れで賑わった。
けれども我が家には日曜日がなくって。毎日が川仕事だった。 その日もサチコをおんぶして息子君は独りで遊んでくれては。 やっと作業を終えて家に帰る途中だった。近所のおじさんが。
「しん君、おやまに連れていってもらいなよ」って言ったのだ。 ほんの冗談。忙しい事を知っているおじさんが笑いながらのこと。 親の私達もそんな余裕はなく。おじさんと一緒に笑ってしまった。
でも。しん君はそうではなかった。それはとても真面目で真剣なこと。 おやまに行きたかったのだ。行けないのだという事など解るはずもなく。
家に帰り着くなり大泣きになった。「おやま〜おやま〜」と泣き叫ぶ。
生まれてこのかた夜泣きもせずに。すくすくと育ってくれたしん君。 その子がこんなに駄々をこねるのは初めてのことだった。さすがに。 その願いを叶えてあげたくなるのが親心であろう。おやまいこうね。
大急ぎでおにぎりを作り。家族四人でおやまにお花見に出掛けた。 その時に撮った写真が今もちゃんとあり。しん君の嬉しそうな顔。
あれからもう27年目の春が。またこうして巡って来てくれたのだ。
| 2009年03月13日(金) |
ありがたき声。ありがたき存在。 |
川仕事のかたわら。ふっと遠い町に住む伯母の事を考えていた。
元気にしているだろうか。父の葬儀の日に駆けつけて来てくれて。 その顔を見るなり抱きついて泣きじゃくってしまった事を思い出す。 25年ぶりの再会だった。大好きだった静おばちゃん。あの日から。 もう6年も会えないでいる。歳月はどうしてこうも急ぎたがるのだろう。
午後帰宅して家の電話の着信ランプに気づいた。この市外局番は! 静おばちゃんだ。きっとそうにちがいないと信じてすぐに電話してみる。
従姉妹の美和姉ちゃんの声。独り暮す伯母を気遣って帰郷していたらしく。 私に電話してみようかとふたりして私のことを思っていてくれた事を知る。
涙声の静おばちゃん。元気にしているか?とそれは優しくありがたい声だった。 たくさんの不義理を詫びながら。私も涙せずにはいられず懐かしさが込み上げる。
母だったのだ・・少女時代の私にとって。静おばちゃんが母だった事を思い出す。
修学旅行の前の晩から泊りがけで来てくれて。お弁当を作ってくれたこと。 転校ばかりだった私に付き添ってくれて。新しい学校へ連れて行ってくれたこと。
忘れてはいけないことがたくさんある。静おばちゃんのおかげで大きくなれた。 わがままを言った事もあったような気がする。当たり前ではなかったことを。 当たり前のように思って。どれほど甘えてどれほど世話になったことだろう。
静おばちゃんがそうして私や弟の面倒を見てくれていた時。いとこのお姉ちゃん。 お兄ちゃん達に寂しい思いをさせていたことだろうと。この年になって初めて。 そんな大切なことに気づいた。どんなにか迷惑をかけ続けていたことだろうと。
それなのに何ひとつ恩返しも出来ずに。この年まで生きながらえてきたのか。 そう思うとほんとうに心苦しく。悔やまれる事があまりにも多すぎるのだった。
「会いたいね」って言ってくれる。「あいたいよ」すぐにでもとんでいきたいよ。
いつかきっとではいけないこと。私はなんとしても会いにいこうと決めたのだった。
父の生まれ故郷。とても遠い町だけれどそんな距離が何だというのだろう・・。
「誰ひとりミカのこと忘れてなんかいないよ」最後に従姉妹が言ってくれた。
| 2009年03月11日(水) |
ありがとうございました。 |
天気予報は晴れだったけれど。ずっと曇ってばかり。 なんだかてるてる坊主さんが可哀相になってしまう。
お願いされるというのは。時にはとてもしんどくって。 いちにちじゃいけなくてずっとだなんてあんまりだもの。
にんげんは欲ばりだな。もっともっとが多過ぎるなと思う。
雨が降らないでいてくれたおかげで。今日は散歩に行けた。 自転車の中学生が列になって。土手の道を帰るのに会った。 お別れ遠足だったのだろう。お揃いの青いジャージが続く。
あんずが立ち止まってきょとんと見上げる。私は遠慮がちに。 どうしてだか気恥ずかしいような。照れくさいような気分だ。 そのくせ微笑ましくて嬉しいような。少年少女って素敵だな。
そうしてお大師堂につかの間こもる。きょうは懺悔のきもち。 どうしようもない渦にまた捉われているのがわかっていたし。 しっかりとそんな自分に向き合い。救ってあげたいと思った。
ひとはみな誰かに迷惑をかけながら生きていくしかないのだと。 ある本で学んだ。自分がただ存在しているだけでそうなり得る。 だからひとを責めてはいけない。自分自身も責めてはいけない。
ありがとうございました。手を合わせ心穏やかにそこから帰る。
川辺の道を歩きながら。野いちごの白い花を見つけたうれしさ。 そうしてまた歩いて行けば。しろつめ草が緑の葉の中で微笑む。
四葉のクローバーを見つけたよって。みんなに見せてあげたいな。
| 2009年03月09日(月) |
とりとめもなく酔ってそうろう |
曇り時々雨。菜種梅雨にもそろそろお暇をあげたくなるこの頃。 てるてる坊主に赤いリボンなど結び。朝の窓辺から空を仰いだ。
少しも苦しゅうはないけれどちと疲れが溜まってきたのであろう。 お子様時間にはもう床に就く夜が続いている。爆睡もまた良しで。 体調も不安がる事もなく。日に日に逞しくなって来たように思う。
これも平穏なのだろう。思うように出来ない事が沢山あるけれど。 たとえばお散歩。雨でない限りはと決めていても行かない日もある。 あんずがせつなそうな声で呼んでいるのを。宥めるようにしながら。
日が暮れていく。晩御飯を持って行く頃にはすっかり忘れてくれて。 ガツガツと美味しそうにフードを食べてくれる。ほっと救われる思い。
土手のつくしん坊もすっかり伸びて。にょきにょき野原になっている。 川仕事に向かいながらそんな土手を仰ぐ。のんびりと歩きたいものだ。
あと二ヶ月程だろうか。桜の季節が終わり新緑の季節が巡ってくる頃。 今期の家業を無事に終え。やっとくつろげる日々が待ち遠しくもある。
毎年の事だけれど。夢のようにあこがれのように旅に出たいなあと思う。 いつも思うだけ思って叶わずにいる旅。北海道だったり奈良京都だったり。 今年は群馬の高崎に行きたくなった。『慈眼院』というお寺に行きたいのだ。
インターネットはとても便利で。このところ検索しまくって旅をしている。 高崎に行くには東京駅で上越新幹線に乗る。ああ東京駅で迷子になりそう。 人もいっぱい居るだろうな。そこで発作が起きたらどうしようかなあと思う。 優しい駅員さんとか居てくれて。きっと助けてくれるにちがいないとかと。 信じたりしてにんまり微笑む。そうして無事に高崎に着いたらバスに乗る。
いっぱいいっぱいかんがえている。いっぱいいっぱいそうぞうしている。
ひとり旅ひとり勝手に夢をみるひとり上手と呼んでください。おやすみぃ。
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