ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2008年12月06日(土) はじめての雪がふった日

昨夜からまたぐんと寒くなり北風が夜通し口笛を吹き続けていた。
真夜中にあんずの吠える声。『しらすうなぎ漁』が始まっているせいか。
路地を抜けて川辺に向かう人がいるのだろう。冬の風物詩でもあるけれど。
あんずにとっては眠れない夜になってしまう。ご近所に迷惑をかけ申し訳ない。

ここに嫁いできたばかりの頃。私も何度か行ったことがある。風が強くて。
寒い夜ほど漁があるらしくて。防寒着で達磨さんみたいな格好をしながら。
バッテリーと電球。掬い網とバケツを提げて川辺でじっとそれを待つのだ。

うなぎの稚魚は白っぽく透明で。電気の灯りに誘われてちょろちょろっと
それは可愛げに近寄って来る。その時にすばやく掬うのだけど慣れないと
あっという間に逃げられてしまう。また辛抱強くひたすらじっと待つばかり。

真夜中ではあっても少しも心細くはなかった。そうして寒さを感じることもなかった。
今では年々不漁になっているらしく。ふと昔を懐かしむ年頃に私もなってしまった。
好奇心旺盛だったあの頃。いろんなことに挑戦するのが新鮮でならなかった頃のこと。



日中も変わらず風が冷たく。洗濯物が飛ばされそうなほどの北風が強く吹く。
山沿いでは時雨れているのだろう。川向の山の上には重たそうな雲が広がっていた。

例のごとく買物にも出掛けず。家事もろくにしないまま自室にこもってばかりいた。
目を閉じてひたすら気だるさを相手に。好きな音楽に浸り続ける。それが至福であり。
『答えなどどこにもない』という平井堅の歌声には。涙まで出てしまうほどだった。

午後少しお昼寝。炬燵というものはほんとうにありがたいものだとつくづく思う。
ぐっすりと眠ってしまわないように彼の世話になる。茶の間でテレビの音だけを聴く。


そうして日課のお散歩。出掛けようかなと思い外に出たその時。雪が降り始める。
今年初めての雪だった。寒さなどすっかり忘れて子供のように歓声をあげてしまった。

あんずも嬉しそう。つかの間の雪だったけれど。あんずの背中に雪が少し積る。
そうすると雨に濡れた時のようにぶるぶるっと身体を振ってその雪をとばす。
その姿がなんだか愉快でならなくて。ついつい「雪やこんこん」と歌ってしまう。


お大師堂には歩き遍路さんがひとり。もう灯りがともっていて扉の向こうに影が見える。
古いお堂だから隙間風が冷たいことだろう。せめてお風呂に浸からせてあげたいものだ。

家に帰り着くなり彼にそのことを話すと。「寝袋はあったかいもんだぞ」と言う。
「雪山のテントでだって眠れるんだ」って言うので。なんかすごいほっと安心した。

あしたは足摺岬までかな。どうか元気な足取りで無事に歩きとうせますように。




※向かって右に見えるのがお大師堂。昨日撮ってみた写真です。




2008年12月04日(木) もういいかい。まあだだよ。

朝の青空がいつのまにか雲におおわれ。月のことも星のことも。
忘れてしまいそうな夜になる。真っ暗な夜空を見あげるのはとても。
心細いものだけれど。おそるおそる窓をあけてそれを確かめてみた。

そうしたらほんの一瞬。月の笑顔が見えた。ふっくらと優しい光り。
思いがけないことが嬉しくてならない夜もある。「もういいかい」って。
かくれんぼしているみたいな夜。「もういいよ」って私もちんまりとなる。

ちんまりはぽつねんと似ていて。寂しがり屋は独りぼっちが好きだった。
そうして時々は中から鍵をかける。「みいつけた」って声が聴こえないように。



ゆうがた。雨の匂いがする風と。ひたひた漂うばかりの水辺の道を歩きながら。
わらべ歌もうたうことなくひたすらお大師堂へ辿り着く。あんずも黙々と。
きょうはいつもよりずっと素直な足取り。何かを察しているような雰囲気。

とくべつな日だった。小菊の花を供えてお祈りをする。願いごとではなくて。
ただただ感謝するばかり。いただいた命が愛しく。生き永らえて在ることは。
もしかしたら奇跡なのかもしれない。生かせてもらえることはこのうえなく。
ありがたいことなのだとつくづく思っている。若き日の罪深さを背負いつつ。
どのような罰も受け入れようと覚悟しているというのに。どうしてだろう。
どうしてゆるそうとしてくれるのだろう。わからない。答えなどないに等しい。


それは毎年めぐってきてくれる。さあもうひとつ。大丈夫だから生きなさい。
そんな声がどこからともなく聴こえてくるような気がしてならなかった。


平穏無事な日。笑顔がいっぱいになる日。時々は落ち込んで弱音を吐きたい日。

もうじゅうぶんだと思う心もあれば。ついつい求め過ぎてしまう心だってある。

けれども受け入れてあげなければ。生かされている意味がなくなるような気もする。


またひとつをありがとうございました。心から感謝せずにはいられない特別な日です。






2008年12月03日(水) おてんとうさまがぬくぬく。

穏やかさを抱くようにしながら。今夜も三日月の空を仰いでいる。
月の光は十字架のように見えて。雫の星は紅色を帯び輝いている。


師も走る頃というけれど。とりたてて急くこともなく時が流れた。
そんないちにちをそっと織るように。とりとめもなくこれを記す。


昼間。仕事中ではあったけれど近所に住む老女と少しだけ語り合った。
山里の所々には役場が備え置いたベンチがあり。そのひとつがきのう。
うちの職場の側にお引越しをしてきたのだった。木製の古い物だけれど。
工場の壁際のいちばん陽当たりの良い場所にそれを据えることになった。

いちばん喜んだのはそのおばあちゃんで。今日もにこにこ笑顔で日向ぼっこ。
いつも独りぼっち。少し認知症でもあり毎晩とっくの昔に亡くなった夫の
帰りを待っているのだそうだ。ご飯をたくさん炊いて「遅いね・・」と呟きながら。

どうしようもなく呆けていると皆言うけれど。私にはそれがせつなくてならない。
夕暮れは孤独だ。夜更ければもっと孤独だ。待ってはいけないなどとどうしていえよう。

そんなおばあちゃんと語り合う。つかの間ではあったけれど私も一緒に日向ぼっこ。

「おてんとうさまがぬくぬくよ」と彼女が微笑む。お遍路さんも会釈をしてくれる。
その道を通り過ぎて行く人が皆。にっこりと笑顔になり話し掛けてもくれるそうだ。

「ここは天国じゃね」と「ありがたいところやね」とほんとに嬉しそうに話してくれた。

一緒にいるだけでぬくもりを感じる。まるで猫を膝に抱きうつろうつろしているよう。

老いることはたしかにせつない。けれどもこんなふうに老いられたらどんなにいいだろう。
私だって呆けるかもしれない。そうしてずっとずっと誰かを待っているかもしれない。

けっして叶いはしないこと。受け止めなくてはいけないことがあるのだとしても。
最後の最期まで待ちわびるような人生でありたい。それは欲望でも願いでもなく。

縁を織りいちまいの布にするくらいの心意気で。その布を纏って旅立てるようになりたい。





PS:きのうの老犬あんずのひとこま。臆病なくせに崖っぷちが好きなのです。
そういうところが飼い主によく似ています(笑)
















2008年12月02日(火) あっけらかんと笑うのがよい

日中の小春日和がありがたく。夜になってもさほど冷えずにいてくれる。
こんな夜はそっと窓をあけて。夜空を見上げてみたくなるものだった。

三日月が檸檬の姿でくっきりと。手を伸ばせば触れられそうなほどに近い。
そうしてその雫が星になってしまったかのように。きらきら星がふたつ佇む。

冬の夜空がとても好きだ。夜更けてひとりオリオンにあいにいきたくなる。



きょうは朝いちでとても愉快なことがあり。涙が出るくらい笑い転げてしまった。
このところ朝の時計を見ないようになってしまって。無意識のうちに遅刻ばかり。
たまには出掛けに連絡をしておこうかなと。今朝は母にメールをしてみたのだった。
「いまから洗濯物を干すので遅くなります」そうしてゆっくりとそれを済ます。

今まではずっといちばんのりだった。事務所の鍵を開け掃除を済ませ準備おっけい。
20年間。それが自分の任務だと思っていたし。当たり前のことだと思っていたけれど。

それが出来なくなった。しようと思えば出来るのだろうけれど随分と怠け者になった。

そのぶん母に無理をさせてしまう。毎朝どんなにか気忙しいことだろうと気遣う。
けれども母という人はなんとも大らかな性格らしく。あっけらかんとしていて。
そんなことは少しも苦にならず。自らも平気で遅刻してくる日も多いようだった。

そんな朝の事務所で「おはよう」の挨拶をかわしているちょうどその時に。
母からのメールが届く。山道では携帯の電波が届かなくて遅れてしまったのだろう。

件名。『御礼申し上げます』本文『先日はありがとうございました。楽しかったです』

なんじゃこりゃ!って思っちゃいましたよ。どうやら返信の仕方が解らなかったらしい。
それで適当な定型文を入れてとにかく返事を出したのだそうだ。笑っちゃうよね。

「こちらこそどうも!今朝も楽しいですよ。ありがとう」とか言いながら笑い転げる。

笑う角には福来ると言うけれど。それはほんとうのことなのだなとつくづく思う。
今日も商売繁盛。忙しさに嬉しい悲鳴をあげながら一日を終えることが出来た。

また気まぐれな閑古鳥が戻ってくる日もあるだろう。その時は笑顔で迎えてあげたい。


こんなふうに日に日に私の心が楽になる。それがありがたくてならないこの頃だった。
体調の悪い日もあるけれど重荷に思わず。あっけらかんと乗り越えていきたいなと思う。








2008年12月01日(月) 決して削除なんかするものか。

もう12月の声。朝の峠道を越えると山里はすっぽりと霜に覆われていた。
熟し落ちきれずにいる柿の実がひとつ。氷菓子のような姿で佇んでいる。

春夏秋冬。もうなんどもくりかえし通った道。この冬はなぜかひとしおと。
愛おしくてならない。見慣れたはずの風景がとても新鮮に思えてならない。

もしかしたらいつも何かを吹っ切るために。それに目を止めていたのだろうか。
そうしながら心を和ませようと。宥めようと心がけ過ぎていたのかもしれない。

いまは違う。ほんとうにすんなりと素直にそれを受け止めているような気がする。

こころはこのうえなく穏やかだ。もうかき混ぜられはしない。自分以外の誰にも。



仕事は。今日も忙しくありがたいことだと思う。お昼休みがなかったおかげで。
いつもより早目に終わらせてもらえた。ゆっくりぶらぶらお買い物が出来て嬉しい。
そのくせメニューは野菜炒め。だってキャベツが一個99円だったんだもん。
ニラは一束38円だよ。豚肉だって半額シール貼ってあるしめっちゃラッキーだった。

っと書いてる今は相当酔っ払っているので。この先が書けるやらどうやらわからん。

たかが日記に今夜は2時間も費やしている。途中で電話があるし電話をかけもした。
なんかもうわけがわからないくらい。ああいつもの日記文学的日常は無理であるぞ。


おまけにあんずが夜更けてけたたましく吠えている。サチコの親友が来てくれた。

サチコより先に玄関に出迎え熱く抱擁する。「ちっちゃくなったね」って。
「どうしたの?おばちゃん痩せたよ」「よしよし」と頭を撫でてくれたのだった。

いつだったか三人でセーラー服を着てふざけあった夜があったね。
楽しかったなあ。あの夜はほんとうに楽しかったなあ・・・。


こんな夜もある。まあこれがありのままだからよしとしよう。

かんたんに削除なんかしない。だってそれじゃあ今の自分が消えちゃう。





2008年11月30日(日) おはようあたらしい朝

風がひゅるひゅると冷たいけれど心地良さそうに音を奏でている。
むかしであったひとが。仙人になりたいと言っていたのだけれど。

もしかしたらあの雲のうえか。それともむこうにみえる雲なのかと。
空を仰いでいる。はやく見つけてあげないと遠くへいってしまいそう。

朝陽は知っているのだろうか。無言の光がいまあたりを輝かせて。
わたしのなかをつらぬこうとしながら。それが出来ずに散っていく。
それは川向の山に落ちた。色づけずにいる深い緑のふところに落ちた。



きのうの午後のこと。わたしは思いがけずに「ちゃがまってしまう」
どんな漢字で書けばいいのかわからない。ちゃがまるというのは。
故障するとか駄目になるとかという意味の土佐の方言なのだけれど。

悔しかったとても。悲しいのでも辛いのでもなくとても悔しかった。
あくまでも気丈夫である。なんのこれしきと気力だけはとても強い。
それなのに起き上がれない。歩けない動けない。気をつけ休めやすめ。
とにかくやすめなのだと家族に言ってもらい。ひたすら横になるばかり。

ずっと待っていた息子君の声。台所でサチコと一緒に晩御飯を作っている。
朝のうちに下ごしらえをしておいた炊き込みご飯の炊き上がる香ばしい匂い。
ポテトサラダを作り味見をしてみてと寝床に運んでくる。あさりのお味噌汁も。
息子君はウインナーをボイルしているもよう。父親は晩酌だと大騒ぎしている。

三人でわいわいおしゃべりしながら食べているようす。サチコがふざけている。
「なんか・・お母さんが死んじゃったみたいだよね」笑うなサチコと寝床で母も笑う。


夜更けてやっと起き上がれるようになりほっとする。炊き込みご飯が美味しい。
ネットで注文していた日本酒も届いていたけれど。男達は封を切らずにいたらしい。

大晦日に一本と元旦に一本やろうぜと男達だけでそう決めたのだそうだ。
母はすぐにでも飲みたくてならない。いつものようにまったりとそうしたい。


そう。いつものように。平穏無事に暮れていくいちにちのありがたさを。
身をもって感じた夜だった。そんな夜もこうして明けてまた新鮮な朝がきてくれる。

のんびりと元気でいよう。夕陽の頃になればまたあんずと川辺の道を歩こう。

おはようあたらしい朝。きょうの風よありがとう。きょうの空よありがとう。





2008年11月27日(木) 山茶花梅雨の頃に

いまにも泣き出してしまいそうな空を仰ぎつつ。今日も山道を行く。
ひとりふたりとお遍路さんに出会うたびに。清々しい気持ちになり。
洗い流されていく自分の灰汁を。その雫のことをすっかり忘れていく。


午後になり霧のように細やかな雨が降り始めた。山茶花梅雨という季語を。
つい最近まで知らずにいたけれど。冬を告げる雨だけあってとても冷たい。
けれども純白の山茶花や。桃色の山茶花に降り注ぐ雨は優しくてあたたかい。

やがてその花びらも銀杏の葉のように地に敷かれて積もっていくのだろう。
あれは何の物語だったろうか。その花びらの道の向こうに愛しきひとがいて。
歩み寄って来てくれるのだけれど。その時けっして花びらを踏まずにいてくれた。

いにしえのひとは。そうしてこころをふるわせながらひとを想い貫くことが出来た。




雨はささやかなままに日暮れていく。今日のお散歩は無理かもしれないと思った。
けれども無性に歩きたくてならないのは私で。犬小屋を覗き込み声をかけてみた。

うたた寝をしていたらしくあんずの身体がいつもより温かく感じられた。
そのぬくもりを冷たい雨にさらすのがひどく可哀相にも思えたのだけれど。
行ってもいいよの顔をして。よっこらしょと屈伸運動をして見せてくれた。

よかった。大き目の傘をさし相合傘でふたり歩く。ぴったりと寄り添って歩く。
行きも帰りも歌をうたう。「雨あめふれふれ母さんが」で始まるあの歌だった。

お大師堂の和菓子は。思った通りすっかりなくなっていて今日は栗饅頭を供えた。
お大師さんでも野ねずみさんでもなく。その包み紙はちゃんとゴミ箱に入っている。
誰かが食べてくれている。それは嬉しくもありありがたいことだなと思うのだった。


家に帰り着くと。あんずが犬小屋ではなく玄関のほうへ先になって行くのは。
タオルで拭きなさいの仕草だった。あんず用のバスタオルでふきふきすると。
目を細めて赤ちゃんみたいに気持ち良さそうな顔をする。その顔がとても好きだ。


おだやかな一日と。いまこうしてまったりと更けていく夜のことが愛しい。

あいかわらず酒びたりだけれど。静かな雨音にさえ酔うようにこれを記しておく。











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