| 2008年11月20日(木) |
ど〜んとかまえていきましょうかね |
今朝も真冬並みの寒さになったけれど。日中は陽射しに恵まれてほっとする。
冬用の掛け布団をやっと干すことが出来て。ひまわり模様のシーツを被せる。 今日はお休みをいただいていたので。そんな家事が出来ることがありがたかった。
午前中に買物に行く。いつも土曜日に行くお店がとても空いていてなんだか。 のんびりゆったりと店内を散歩するように歩いた。見ているだけの衣料品や。 ずっと居座ってしまいたくなる花屋さんや。ぐっと我慢を強いられるケーキ屋さん。
ああいいなこんな毎日ならいいなあと。あこがれるように思いを馳せてしまった。 午後は音楽を聴いたり好きな本をとことん読むのだ。まいにちまいにちそうしたい。
けれども思い直す。苦笑いしながら首を横にふる。それが当たり前になったら。 今日みたいにありがたい日のことを。ずっと知らずに過ごすのだろうなって思う。
貧乏性だし苦労性だし心配性だし。荒れた海も好きだし。どしゃぶりの雨も好きだ。
午後。冬の恒例でもあるクルマで読書。家の中よりずっと暖かな陽だまりのなかで。 相変わらず再読ばかりだけれど。どうしても他の作家に向かえない。いきたくない。 おまけに蛍光ペンで塗りたくっている。好きな言葉があまりにもあって忘れたくない。
わたしが死んだら羊女にだってなるだろう。さら、さらと歩いて聴かせてあげよう。
ああでも生きて在るうちになんとしても『ブラッディ・マリー』を飲みたいものだ。
いかれてるね。わたしってそうとういかれてるね。いけてるんじゃなくってさ。
午後三時半。予約してあった病院へ行く。なんだかやっと辿り着けたような安堵感。 ずっと他の病院でお世話になっていたけれど。やはりここに来るべきだったんだと。 思わずにいられなかった。「ど〜んとかまえていきましょうかね」と言ってもらう。
だから言ったでしょ。矢でも鉄砲でも持って来いって。わたしいつも言ってるでしょ。
ながくながく生きよう。思い残すことがなくなったとしても。種を撒き続けよう。
そうしてきっと土そのものになろう。見守りながら支えてあげられる大地のように。
| 2008年11月19日(水) |
寒くても春のようにあたたかく |
すっかり真冬のように寒い朝になる。心構えはしていたけれど。 一気に秋が押しやられてしまったような。すこしのせつなさと。 もうそこにある季節を受け止めてしまったこころで頷きながら。
いちにちがはじまる。冷たさも心地よいものだなと息をしながら。 雪雲のように重い雲の隙間から。しっかりとした朝の陽を仰いだ。
「行ってきます」と玄関を出る時には。メダカの水槽を表に出す。 これは毎朝の日課であり。この先もたとえ雪の日もそうするだろう。 メダカは日向ぼっこが好きらしい。とにかく明るい場所が好きらしい。
玄関先には。先日植えたばかりのウィンタークローバーがもう咲き始め。 その名の通り寒さに強いことを知り。ほっとしながら心が和むのだった。 桜草の花に似ているけれど。花びらは丸みを帯びてなんとも可愛らしい。
寒くても春のようにあたたかく。こんなふうに生きられたらいいなと思う。
山里はもっと冬らしくて。雪の赤ちゃんが泣きだしたように時雨れていた。 それでも時々はささやかに微笑む。そんな空とともに一日を過ごしていた。 あれこれを思い煩わず。何も焦ることもない平穏な時間をありがたく思う。
帰宅してすぐ。またあんずと向かい風を突っ切って歩く。ゆっくりではなく。 急いでいるのを許してほしい。だって母さんは晩御飯の支度をしなくちゃね。 お休みの日が雨でなければ嬉しいね。そうしたらもっとゆっくりお散歩しようね。
日暮れて宅配便が来る。予約注文していた『いちむじん』のアルバムが届いた。
好きなのだとても。むしょうにギターの音色が愛しくてならない夜がある。
今夜はそれを心ゆくまで聴きながら。これを書き記すことが出来てほっとしている。
| 2008年11月18日(火) |
ふっふっふっ。笑っちゃうね。 |
もう木枯らしなのかもしれない。風がだんだん強く冷たくなってきて。 ひゅひゅると口笛をいっしょうけんめいに吹き始めてしまった夕暮れ。
明日の朝はとても冷え込むのだという。軒下のシャコバサボテンを。 屋内に取り入れて。その葉先のちいさな蕾を確かめるように愛でた。
きゅいんとあんずが呼んでいる。花に気をとられて散歩を忘れそうだった。
ふたり駆け足でいつもの道を行く。向かい風はもうすっかり冬になって。 昨日までの小春日和がうそのように冷たい。どんどん走っちゃえとふたり。 とても元気にそうあれるのがありがたくてならない。今日は体調が良くて。 これもうそのように昨日までとは違う。心身ともに元気なのが一番と嬉しく思う。
明日のことはわからないけれど。不安がらず何も怖れず平穏でありたいものだ。
わからないことばかり。それで良いのかもしれない。来ればわかるのだし。 来たらその時で。ひとやまひとやま乗り越えて行かなければ前へ進めない。
晩御飯の肉じゃがを煮込みながら。かたわらでお魚のすり身を油で揚げる。 揚げたての雑魚天はとても美味しい。手づかみでつまみ食いするのがよい。
大相撲を観ながら早目の夕食。自分の口数の多さが少しも不自然ではなく。 やたらはしゃいでいるような自分を面白く感じた。もともと明るいのだろう。
これでいいのだと思っちゃう。素直で正直なじぶんがけっこう好きなのである。
ふっふっふっ。笑っちゃうね。今夜はやけに楽しいじゃないですか。
| 2008年11月17日(月) |
そっと息を吹き込んであげればいい |
雀がちゅんでいちにちがはじまる。朝の青空は気持ちよくて。 いつだってそれが一歩のように踏み出せたらいいなあと思う。
ふたつのカタチがあって。お互いが問いかけあっているのがわかる。 ひとつは紙風船みたいにまるくて。ひとつはとんがり帽子のようだった。
紙風船を手のひらにのせてぽぽんと。上手くは宙に浮かせてあげられない。 とんがり帽子は似合わなくて。鏡の前でいくら澄ましてみても歪んで見える。
だからどちらも置いていく。たぶんそれは今ひつようではないものなのだ。
いつもの山道。峠道に差し掛かる前の集落に。毎朝仰ぎ見る銀杏の木がある。 金曜の朝に見た時にはまだ淡く黄緑が残っていたのが。今朝は驚くほどに。 黄金色になっていた。すっかり心を奪われてしまい思わずブレーキを踏む。
日に日に散ってしまうのだ。雨が降って風が吹けば一気にそれは散ってしまう。 そうして地面を一面に染めるその色に埋もれるように。裸の木がぽつねんと在る。
そんな光景をくりかえしなんどもみながら。季節がまた巡りきたことを知った。
もう何年も写真に撮ってあげられずにいたから。今年こそはと道に降り立つ。 するとその少し狭くなった道を。一台の乗用車が山道を上って来たものだから。 自分のクルマが邪魔をしやしないかと。謝るつもりで頭をさげていたところ。
「だいじょうぶですか?クルマ故障したのですか?」と声をかけてくれたのだった。
名古屋ナンバーのその乗用車には。なんと白装束を着たお遍路さんが乗っていた。 普通ならこんなところにクルマを停めて。人様に迷惑をかけてしまうところを。 もちろん故障ではないけれど。気にかけてくれて優しく訊ねてくれたのが嬉しかった。
ひとってあたたかいな。気恥ずかしさもあったけれど一気に胸が熱くなった。
そんな朝のつかのまのふれあいがあり。ふと気づけば置いてきぼりにしたはずの。 紙風船がそこにある。こころのなかでぽぽんとぽぽんと跳ねているのがわかる。
手のひらがつかれたらおやすみすればいい。そうして胸に抱いていればいい。
抱きしめすぎてしぼんだら。そっと息を吹き込んであげればいい。
夕陽の散歩道ではこんな木の実にあいました。
| 2008年11月16日(日) |
揺れながら織り。そして流れる。 |
雨はいつのまにやんだのだろうか。今朝は思いがけないほどの青空。 暖かさもそのままでいてくれて。窓を開け放し朝の新鮮な空気を浴びる。
雀があまりにも楽しそうにはしゃぐので。もっとそばに来て欲しくなり。 瓦屋根にお米を少し置いてみて様子を伺う。おいでおいでと待ちわびる。
ああいま目の前を横切っていった。一羽二羽と歌いながら空に向かった。 そのまま待つのを諦めてしまったけれど。夕方にはお米がなくなっていて。 とても嬉しい気持ちになった。毎朝そうしてみようかなと楽しみになった。
買物にも出掛けず。家事を少ししただけで夕方までひとり気ままに過ごす。 朝のうちは好きな音楽を聴きながら。ぽけっと自室にこもってばかりだった。 ほんとうは手紙を書くつもりでいたのだけれど。書けなくてごめんなさい。 気長に待っていてくれそうな気がして。笑顔ばかりを思い出していました。
早目に昼食を済ませ。いつもは彼の部屋と化している茶の間で寛ごうと。 文庫本を手に忍び込んでみたけれど。なんとなく落ち着けなくていけない。 居ても気になり居ないとその不自然さに馴染めない。彼は不思議な存在だ。
仕方なくめったに見ないテレビをつけると。スカパーで『八墓村』をやっていた。 金田一が古谷一行で。ずいぶんと古いシリーズだったけれど見始めたら面白く。 とうとう最終回まで見てしまった。こんなにテレビを見たのは何年ぶりだろうか。
そうしてやっと動き出す気になり。例のごとくであんずと夕陽の道を歩く。 日曜日のせいか観光船が行ったり来たり。川面からにぎやかな声がひびく。 その船がたてる波がいくつも重なり。そこに映る夕陽が水を織るように揺れる。
立ち尽くしているとその一部になったように。自分さえも織りこまれていく。 その瞬間がその心身のありかがたまらなく好きだと思う。水になりたいと。
ふっと。自分がもう自分でなくてもいいようなどうしようもない想いに浸る。
濁る日もある。澱む日もあるけれど。この水辺を揺れながら流れていきたいものだ・・。


| 2008年11月15日(土) |
命日という名の夜に優しい雨がふる |
晴れのち曇り。日暮れとともに静かに雨が降り始める。 昼間の暖かさをそのままに。まるで春の雨のように優しい。
父の命日。5年前の今日のこと。誰にも看取られることなく。 このうえない孤独のうちに。そっと静かに眠るように逝ったのだろうか。
私はその瞬間の時間のことを一生忘れられない。確かに時計を見たのだ。 午後6時半頃だった。ふっと父のことを想って電話してみようとしながら。
それをしなかった。どうしてそうしなかったのか自分でもよくわからない。 呼んでいたのだろうと思う。最後の声をふりしぼって私の名を呼んでくれた。
そばにいてあげられなかったこと。父と会わずにいた歳月があまりにもながく。 ほんとうに親不孝な娘だったと悔やんでも悔やみきれずに今も生き長らえている。
父の死を知ったのはまる一日経った夕暮れ時だった。そのいちにちのあいだ。 誰も父の死を知らずに。それぞれの日々を送っていたのかと思うと・・。 あまりにも不憫でならず。心が抉られるように後悔と悲痛に苛まれたことだった。
もうすっかり冷たくなってしまった父に添い寝をして一夜を過ごした。 父とふたりきりで過ごすのは最初で。もう最後になってしまったけれど。 父の寝息が聞こえる気がして。とてもあたたかくてならない夜になった。
子供の頃よく怖い夢を見ては。枕をさげて泣きながら父の布団に潜り込んだ。 あの頃とおなじ安らぎ。あの時と変わらない父の優しさを感じずにいられなかった。
そうして5年の歳月が流れたけれど。父はずっと私のそばにいてくれるのを感じる。 偶然であるような思いがけない喜びがあり。自然界に恵まれ人との縁に恵まれ。
朝に晩に父の遺影に手を合わす。お父ちゃん今日も見守ってくれてありがとう。
今日ねすごい良い日だったよって報告しながら。感極まり胸が熱くなる夜もある。
今夜もサチコが言うの。おじいちゃんってすごいね。坂本龍馬の誕生日だし。 命日も一緒なんだよね。おじいちゃんってかっこいいね。さすがやねって。
生前一度も会わせてあげられなかった孫の声を。 どんなにか嬉しく微笑みながら聞いていることだろう。
| 2008年11月14日(金) |
一期一会のありがたさ |
夕陽が川面を染める頃。あんずとお散歩に行く。
今日は早目に帰って来れてよかった。なんだか。 どっと疲れを感じていたけれど。とにかく歩こう。 行かなくちゃ行かなくちゃって。自分がじぶんの。 背中を押しているような。けれども歩き出したら。 不思議と足取りが軽くなる。あんずも駆け足で歩く。
母さんがんばれ。ほらほらもう少しって声が聞こえる。
お大師堂が近づくと。誰か人の気配がしてその扉の前に行けない。 あんずもそれを感じたのか。急に尻込みをして立ち竦んでしまう。
どうしよう・・って迷った。引き返そうかなと思ったその時だった。 その扉が開いて。中から白装束を羽織ったお遍路さんがにっこりと。 微笑みながら声をかけてくれたのだった。ワンちゃんいらっしゃい。
ちょうど私の母親くらいの年齢だろうか。白髪交じりの髪とまるで。 観音様のような優しい顔をしていた。私がほっとするとあんずもほっと。 ふたりしてそばに居させてもらう。そうしてしばし語らう時をいただく。
二年前にご主人を亡くされたのだそうだ。その後ご自分も病がちになり。 やっとそれを乗り越えてこうして遍路旅に出ることが叶ったのだそうだ。
今夜はお大師堂に泊まるのだという。女身独りで心細くはないだろうか。 そんな心配をよそにそのひとは「だいじょうぶ。何も怖いことはないの」
そう言って安心させてくれた。その言葉がとてもとても心に強く響いた。 それは同時に。今のわたしにとっての勇気にだって思えてならなかった。
わたしも生きられる。不安がることは何ひとつないのかもしれないと思う。
夕食後。わなわなしながらいつも服用する薬を飲まずにいられた。 そうして来るなら来いって思っている発作も。嘘のように遠ざかってくれる。
だいじょうぶ行っちゃえ。そんな心意気でいつものバドにも行くことが出来た。 以前のように動けなくても。軽く身体を動かしているだけでじゅうぶんだと思える。
逃げないこと諦めないこと。とにかく立ち向かうこと。それが大切だと思った。
いつもならもう眠りについている頃。どうしても書き残しておきたくてここに記す。
ささやかな縁だって。かけがえのない縁になり得る。
一期一会にこころから感謝して今日という日を終わろう。
おやすみない。ありがとうございました。
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