ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2008年09月29日(月) 雨だれの音に鼓動を重ねる

いちにち雨降り。そんな雨に少し濡れては秋を感じる。
一雨ごとに深く。どうしようもなく移りいくものがあり。

身をまかせつつ。それでいて逆らいたくもありこころが。
そのしじまのそのいちぶぶんにしがみつこうとするのを。

まるで他人事のように見て見ぬふりをしているのを感じた。

どこまでがじぶんなのか。どこまでが真実なのかときには。
見失いそうにもなる。けれども確かに存在するらしいいのち。

雨だれの音に鼓動を重ねていると。ふしぎと心が安らいでくる。




月曜日。例の憂鬱をよそにたんたんと仕事をこなす。
忙しいのが嬉しい。もっと目まぐるしいほどだって良いと思う。

午後は接客というべきだろうか。話し好きの老女が訪ねてきてくれ。
二時間あまり世間話をしていた。苦痛ではなくむしろ楽しくもあって。

同時にせつなくてならない。老いるということは諦めに似た哀しみであり。
かといってそれを嘆くことなどなく。まるで最期までの道しるべを見つけ。
ほっと寛いでいるようにさえ感じた。いくのよそこに。そこしかないから。

80歳を越えたのだというその老女の姿に。ふと自分を重ねてみるのだった。

いきたくないよ。ぜったいにいやだよ。いくら背中を押されてもいけない。
それが今の自分だとつくづく思うのだった。足りないのだ何かが足らない。

それを見つけるまで歩かせてもらえるだろうか。いや歩くのだきっと。
そんなことを思いつめるくらい思って。またすくっと前を向きすすむ。



ひとにあうたびにひとをすきになる。

そのひとにあえたからあえるひとだっていてくれる。

なにひとつそまつになどできないとこころからおもう。


ささやかであってもふれあえるひとときがあることは。

もしかしたらそれがいく道のしるべかもしれないのだ。









2008年09月28日(日) 鈴虫の声を聴きながらこれを書いている。

うす曇のいちにち。日中も気温が上がらずぐんと涼しさを感じる。

空模様を気にしながら洗濯物を干していると。お隣の庭の秋桜が。
ブロック塀越しにそれは可愛らしくたくさん咲いているのが見えた。

去年は一面の秋桜を見に出掛けたけれど。今年はもう充分だなと思う。
お隣が秋桜畑のよう。朝に夕にそっと見せてもらえるだけでありがたい。

いちばん好きな花だった。薄桃色の花達のなかに真っ白の花を見つけたい。



昨日に引き続き。今日もいちにち押入れの整理整頓に精を出す。
そうして懐かしいものなどを見つけては。子供みたいに喜んでいた。
がらくた同然の物や未練のない古着の類は思い切って捨てることにした。
廊下にゴミ袋を並べると五つも。そうして少し得意顔になったりもした。

片付けるってなかなか良い気分だなと思う。また次の土日も頑張ろう。
どうしても捨てられない物と。潔く捨てる物と。見極めるのも楽しい。


晩御飯は。炊き込みご飯をしてみたのだけれど。出来上がったら大失敗。
水加減を間違えてしまって『おじや』みたいに炊けてしまったのだった。
でも味はとても良くて美味しかった。珍しくお代わりをして二杯食べる。


あれこれしていても。今日も平穏。それが何よりの幸せだと思える。
こころのなかはふくふくっとしていて。その感じがたまらなく好きだ。


いまは鈴虫の声を聴きながらこれを書いている。りりんりりんと響く音。


鈴の音はなぜか懐かしい。こんなに近くで耳を澄ましているというのに。

それは。はるかかなたからとどく。いにしえびとの子守唄のようだ・・。






2008年09月27日(土) 秋風が連れて来た旅人

彼岸明けから一気に涼しくなり朝晩は肌寒さを感じる。


なにかと何かが切り離されていくような切迫感さえもあって。
こころのなかの空洞には。秋風が連れてきた旅人が宿っている。

彼なのか彼女なのか。どこか遠いところから突然やってきては。
口を閉ざしたまま何ひとつ語ろうとはしない。かすかに息をして。
そのまわりのほんの一所だけが。やわらかな温もりになって漂う。

とにかくそっとしておいてあげようと思う。いま起こしてはいけない。

その時がくればまた旅立っていくのだろう。笑顔で見送ってあげよう。




朝のうち。またふと思い立ち押し入れの整理整頓に励んだ。
納戸というものか。我が家には納屋というものがないので。
そこにはストーブやら。サチコの雛人形などを押し込んである。

ベビーダンスだってまだ捨てずにあり。その引き出しの中には。
子供達が書いた絵日記や。母の日にもらった色紙や古い人形や。
とにかくいつまでも残しておきたいものがたくさんあるのだった。

そのことを知らずにいたサチコがびっくりして懐かしんでくれた。
これはずっとここにあるから。いつか自分の子供に見せてあげようね。
なんてことを言いながら。母も懐かしくてならず目頭を熱くしたのだ。

「母さん、もしかして死ぬんじゃないの?」って笑いながらそう言う。
「うん・・母さんもなんかそんな気がする」って母はけっこう不安顔。

それをそばで聞いていた彼が可笑しそうに言うことには。
「普通の主婦はいつも綺麗に整理整頓するのに、おまえは10年に一回!」

かもね・・と妻は思う。やっとその時が巡ってきたのだなと納得をする。



儚いのだ。だれだってそんな儚さと隣り合わせで日々を生きている。
命の蝋燭なるものがあるのなら。この目で確かめてみたいといつも思う。

だとすると『ふと思い立つ』それはとても大切なことのように思える。


暑くもなく寒くもなくちょうどよいこの季節。
明日は茶の間の押入れを整理しようかなともう決めている。

わたしはお宝発見に目覚めたさすらいの探検隊員ということにしよう。









2008年09月25日(木) 言葉に出来ないこと

9月も残り少なくなったけれど。日中は蝉の声。
残暑と言っていいのだろうか蒸し暑い一日だった。

見渡せば確実に秋らしく。山々の色も変わりつつある。
山道にいが栗が転がっていたり。おっとっとと避けて。
感じる秋もあった。雑草もずいぶんとたくましくなり。
穂の咲くものは花らしく風に身を任せているのだった。


昼休み。洗車場の屋根の下でクルマのドアを開け広げ。
好きな作家の短編小説などを。いちにち一編読んでいる。
時には声を出して音読する日もあって。そうしていると。
声が震えるくらいによけいにぐっと感動することもあった。

『こんなことを言ってもだれも理解できないだろうけれど』

読み終わって心地よい風に吹かれている時。そんな言葉が。
どこからともなくあたまに浮かんできては。物語が始まる。

つらつらと書いている。後からあとから文章が浮かんでくる。
捕まえなくちゃと思う。そうしてノートとペンを急ぎ取るが。

いざノートを開くと。それが逃げるように風に散っていくのだった。
所詮それは妄想だったかのように。忽然といなくなってしまうもの。

あーあとつぶやく。かたちにできないものがそうして潔く去っていく。


かたち。かたちって。いつだって掴みどころのないものかもしれない。

これまでどれほどのかたちに拘りつづけてきたのだろうと。ふっと思う。

それは目に見えるものでなくてはいけなくて。触れられるものであって。

しっかりと確かめられるものでなくてはいけないのだろうか?


ことば。ひと。しんじつ。まごころ。ゆうき。こころ。いのち。じぶん。


言葉に出来ないことで。いっぱいになりながら私は満たされていたかった。


















2008年09月24日(水) 我が家の末っ子。甘えん坊。

今朝も飼い犬の声で目覚める。
とても辛そうな声で呼ぶのだった。

彼女はずいぶんと老いてしまったのだろう。
人間だともう80歳くらいの年頃だと思われる。

けれどもまるで小さな子供が足をすぼめて震えつつ。
漏れちゃうようって泣きながら訴えているような声。

「またかよ・・」と彼がしぶしぶ起き出して行く。

そんなふうに私たちの朝が始まる。ごく自然な朝。


お味噌汁を作り。卵焼きを作る。魚肉ソーセジを切る。
朝のニュースを見ながら。それを話題にしながら食べる。
私だけ納豆をかき混ぜ。牛乳に黄粉を入れて飲むのだった。

食後。いつもなら洗濯物を干すのだけれど。今日はお休み。
あまりに少ない日はなるべくサボるようにしているだけだ。
そのぶん明くる日にどさっとある。そのほうが洗いがいがある。


けれども彼女は庭で待っていた。そのことを出掛ける時に知った。
空はこんなに晴れているのに。どうして姿が見えないのだろうと。
彼女なりに不安がっていたのかもしれない。いつもならこんな朝。

少しだけ遊んであげるのが日課だった。「来て、来てよう」と。
犬小屋から呼ぶ声が聴こえる。「はいはい今行くよ」と応える。

そのことを今朝は思い出しもせずにいた。さあ仕事に行こうと。
クルマにとび乗って庭からバックしながら出て行こうとしていて。

彼女と目が合う。ああそうだったごめんよってそんな声も届かず。
もう完全にいじけている顔がそこにある。とても寂しそうな顔だ。

「行けば・・」ってその目が訴えていて。うなだれているのが解る。

家族だった。どんなに老いてしまっても我が家の末っ子甘えん坊だった。



帰宅していちばんに会う末っ子は。もう今朝のことなど忘れたのか。
尻尾を振って嬉しそうに出迎えてくれる。「おかえり」って顔をする。

そうして晩御飯時。その甘えん坊度は頂点に達しているらしかった。
とにかくどこもかしこも舐めたくてたまらない。まずは足次は顔と。
やわらかくて温かい舌は。我慢が出来ないくらいくすぐったいもの。

ついつい「やめて」と声を荒げそうになる。けれども本心は嬉しい。

夏の間すっかり落ちていた食欲が戻ってきたようでほっとする。
がつがつと一気に平らげてくれるので。「足りた?」と訊くほど。

今年も夏を乗り切ってくれたのだと思うと。よけいに愛しくなる。


明日も。しっかり起こしてくれるよね。

だいじょうぶ。どんなに真っ暗でも。父さんも母さんもちゃんといるよ。




2008年09月23日(火) 母さんのこれがすべて

ふと思いついて自室の押入れを整理する。
いつかそのうちにと思いながら歳月とは。

いつだって急ぎ足で先へと進みたがるのだろう。
押入れはまるでタイムカプセルそのものだった。

「どういう風の吹き回し?」とサチコがおどろく。
「ちょっと身辺整理よ」と笑って告げる母だった。

笑顔のままで不安がる。どうしてそれが今なのか。
今でなくてはいけない理由があるのかもしれない。

そんなことを考え出したらいつもきりがなくて。
けれども確かに身辺整理は必要だと思うのだった。


小箱のふたをそっとあける。30年前の手紙が見つかる。
旧姓の私にと。高校時代の友人から送られた手紙だった。
若気の至りでずいぶんと迷惑をかけてしまった友人のこと。
何ひとつ恩返しも出来ずに。こんなにも歳月が流れてしまった。

会えるものならあいたいな・・と思う。どうか元気でいて欲しい。

大好きだったおばあちゃんからの手紙も見つかる。記憶になくて。
それが何通もあったのに感極まる。お茶目なおばあちゃんだった。
「ガンバラナクチャア」って片仮名で書いている一言が嬉しくて。
読み返しながらひっくひっくと涙がとまらなくなってしまった・・。

もしや父の手紙も。そう思って探してみたけれど。それはなかった。
そうそう父はいつも電話だったっけ。「変わりないか?」と優しく。
会うことは叶わなくても。子供達のこともずっと気遣ってくれたのだ。

どんなにか孫に会いたかったことだろう。許してよねお父ちゃん・・。

秋分の日・・・亡くなったひとたちが愛しくてならない日だった。



わたしの身辺整理は何ひとつ捨てるものがない。
宝物のように残しておきたいもので溢れていた。

それを見つけやすいように奥から手前へと整理する。
きっとサチコが気づいてくれるだろうそんな場所だった。

手紙。写真。ながねん書き綴ったもの。なんだか母さんのこれがすべて。







2008年09月22日(月) 真っ直ぐに繋がるものへ

朝の空気がいちだんと涼しくなり。
感じずにはいられない秋がそこにある。

まだ目覚まし時計が鳴らないうちから。
飼い犬に起こされてしまい今朝も早起き。
暗闇にひたひたと彼と老犬の足音を聞く。


朝食を食べながら昨日のことを語り合う。
お墓参りに行ったことを黙っているようにと。
念を押される。私もその方が良いと思っていた。

母の生家の墓地。大好きだったおばあちゃんや。
若くして亡くなった母の姉と弟が眠っている墓。

そのあまりにも荒れ果てたさまに愕然としてしまい。
これほどまでに打ち捨てられていたことが悲しかった。

けれどもそれは母のせいではないのだと思い知る。
道々に目を見張るほど群生する彼岸花。その道は。
かつて何度も通っているはずなのに。初めて見る。
秋のお彼岸にこの道を通ったことがない証だった。

近くの谷川から彼が何度も水を運んできてくれる。
墓石を撫でるように洗った。ごめんよごめんよって。
ひざまずき涙ぐみながら朽ちた落ち葉を拾い集める。

折りしも雷雨。「もう大丈夫、許してくれるさ」と。
彼の一言に救われたけれど。後ろ髪を引かれる思いで去る。


本当はおじいちゃんも一緒に来たがっていたのだった。
でもとても無理だとわかっていて「頼むよ」って言った。
そうしてすっかり弱った足で。エレベーターまで歩いて。
笑顔で手を振ってくれたのだった。いつだってそれが覚悟。
最後かもしれないと会うたびに思い。心が締め付けられる。



母に会わなければいけない朝。少し気重なまま仕事に行く。
報告すれば。母を責めてしまうことになるのだろうと思う。
それは恩着せがましく。いくら身内でもそれは出来なかった。

それなのに思いがけないことが待っていた。母も行ったのだ。
「誰かがお墓に花を供えてくれていてね。誰だろうね?」と。
開口一番にそう訊かれ。思わずどきっと心が焦り出してしまう。

そうしてその答えがわかるなり「ありがとうね」って微笑む。
照れくさくてならなかった。喜んでもらえるなんて思いもしない。


これが血というものかとはっとする。どんなに隔てようとしても。
それは真っ直ぐに繋がってくる。たくさんのわだかまりに苦悩し。
母を母として認めたくない時があまりにもあり過ぎたように思う。


けれども母なのだ。大好きだったおばあちゃんから生まれたこと。
その母が生んでくれたのが私なのだ。それは決して偽りではない。


つぎの秋。彼岸花の道を一緒に行けるのかもしれない。行こうと。
私が真っ直ぐにそう言えば。母はきっと満面の笑顔で微笑むことだろう。







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