ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2008年06月25日(水) ショボリンヌという名の雨

ショボリンヌという名の雨が。よく聴き取れない声で何かを言って。

もしかしたらとても大切なことなのかもしれない。けれど聞き流す。

そのほうがいいことがこの空にはあって。もう暮れるしかない時が。

ひしひしと忍び足で寄って来る。後ろの正面はあした。だからもう。

そろそろ目隠しをはずしてしまいなさい。そうすれば見つけられる。

もっともっと必要なことが。あってよしなくてよしの理由のように。





さあ。すっきりしよう。焼酎ロックの氷を口に含んでころころさせて。
はあなにやってるんだろうって。ちょっとだけ自分を叱咤してみたり。
ここらへんで受け止めてあげないと。どこまでも落ちていってしまう。

気分転換にさっきテレビで好きなひとを見た。笑顔とか仕草だとかが。
たまらなく胸にぐっとくる。もう恋なんてしないつもりだったけれど。
そもそもそういうのは「する」とか「やめる」とかいう事ではなくって。

それはほんとうにどうしようも出来ない心の問題だと思ったりするのだ。

その問題は難しくって。答えなんか解らなくって。涙がでそうなくらい。

まあいいか・・どんな時もある。ばかだな・・ほんとうに私ってバカだ。


こんなことぐだぐだ書いて。朝になったら「これ誰?」って焦る時がある。

でも消さない。だってありのままの自分ってそれほど嫌いではないから。

そう言ってしまうと。なんだかすっきりと気分良く眠れそうな夜になる。


じゃあね。酔っ払いさん。ショボリンヌからの伝言は私が聴いておくわ。



2008年06月23日(月) だいじょうぶ。ここにいるよ。

やはり青空は嬉しいものだ。とくに朝のそれは清々しくてすいっと。

窓を開けるとお隣の屋根に雀が。ちょちょんとしているのも楽しい。

すこしばかり風と戯れていると。月曜日だということを忘れそうで。

ああ行かなくちゃって思うと。じゃあねっと風が遠くに行ってしまいそう。

そんな誤解。そんな一人合点。ほんとうはそうやって風を見失うのだった。

だから行かなくちゃじゃなくて行く。いつだってそう思える自分になりたい。



国道沿いの歩道の脇に。アガパンサスの花を見つける。とても好きな花だ。
紫君子蘭とも言うその花は。薄紫の小さな花がそれぞれに咲きひとつの花になる。

そういうところはちょっと紫陽花に似ているけれど。茎がすらっと長くて。
葉はその花を下から見守るように地面近くにある。鳥が艶やかな緑の羽根を。
そっとやすませているようにも見える。だいじょうぶここにいるよって。

そうして伸びた茎の先に。ありがとうって微笑むようにその花が咲くのだ。



そんな朝の出会いのおかげかもしれない。波風も立てず穏やかにいられた。
タイムカードを押す時。「ありがとう」って言ってくれた。それが何より。
嬉しくてならない。また明日ねって笑顔で手を振ることだって出来るのだ。


帰宅して。ほんの少し窓辺でくつろいでいる時。ふっとカレンダーを見た。
そしたら今日がとても大切な日だったのを思い出す。

母の友人であり。私の友人でもあったひとの9年目の命日だった。
毎年ふたりで思い出話をするのに。天国でどんなに寂しがっているだろう。

「おかーさん大変!」と大急ぎで電話する。母もすっかり忘れていたらしく。

そうだったねえ。梅雨の頃だったねえ。ほんとうにあっけなく逝った人だった。

今夜はいっぱい思い出そうね。愉快な人だった。いつも大きな声で笑って。


私は手のひらに形見の貝殻をのせてみる。水中写真家だったそのひとが。
おしえてくれた海のこと。広いひろい海から見上げた空がもっとひろく。

果てしなく続いていたこの世界のことを。どうして見失うことが出来よう。

   だいじょぶ ここにいるよ  ずっとずっと ここにいるよ 




2008年06月21日(土) どうでもいいことなんだ。きっとこれって。

もわりんが異常繁殖してしまったようないちにち。

こんな日はもわりん物語や。もわりんの歌とかで。

抱っこしたり手をつないだりして過ごすのが良い。

たとえば。もわりんジョシツキーと決戦の巻とか。

もわチチもわララもわるラアと歌いながら踊ったり。


そうすると。もわりんの今にも泣き出しそうな顔が。

ちょっとはにかんだ照れくさそうな笑顔に変わるのだ。






お昼寝ならぬ午前寝をしてしまう。
部屋の中に洗濯物を吊るして。そこらへんをまるく掃除をして。
それから茶の間のソファに横になったまま二時間くらい寝ていた。

とてもリアルな夢も見た。ふとした拍子にぽとんと落ちてしまったのだ。
両方の手が。痛みもなく血も流れず。それはまるで部品か何かのように。

「あっ落ちた」と急いで拾った。なんだか財布に入れそこなった小銭みたい。
うっかりしていたなのだなあと思う。あわてん坊だからなあって苦笑い。

(いま思うに。いったいどうやって拾ったのだろう?)

そうしていとも簡単にその片方をくっ付けた。上手いもんだなと得意顔。
でももう片方をくっ付けようとした時。とんでもない間違いに気づいた。

左手に右手がくっ付いている。親指が外側になっていてなんとも滑稽。
しばし笑い転げていたけれど。早く元通りにしないと腐っちゃうかもと。
その不恰好な左手を外そうとした。でも右手がないから引っ張れなくて。

ぶらぶらしたり口にくわえたりしてみたけど。なかなか外れてくれない。
あーあって声が出る。いつもの私ならどんなにか慌てて泣き叫んだことか。

でも夢のなかの私は素晴らしく平然としていた。まあいいかなって思って。
かつては左手だったそれを持ち上げてみる。それはやたら重かったりした。

こんなに重いのもう要らない。そこで私はあっさりとそれを放り捨ててしまう。

眠い。もっともっと眠りたい。どうでもいいことなんだきっとこれって。


目が覚めたら。胸の上にちゃんと右手があった。左手と合わせてみると。
親指と親指がちょちょんと触れ合う。両方の手の小指も立ててみたりして。

ああ良かったって。すごいすごいほっとして。よっこらしょって起き上がった。








2008年06月19日(木) こぼさないように。なくさないように。

梅雨らしくぽつりぽつり降っていた雨が。つかの間どしゃ降りの雨になる。
ちょうど仕事を終えての帰り道。牧場のそばの道を通過している時だった。

透明の雨合羽を着たお遍路さんが。歩道をぐんぐんと走っているのを見た。
それは駆け足というのではなく。なんというかまるでマラソン選手のように。

歩道の脇にはちゃんと屋根のある休憩所がある。なのに雨宿りするでもなく。
とにかく俺は行くんだとばかりに急いでいる。それはとても勇ましくも見え。
なんだかはらはらと気遣わずにはいられない姿でもあった。どうして?
そんな声などかけられるはずもないほど。雨が地面を叩きつけていた。

複雑な心苦しさを抱えたまま。仕方なくその姿をゆっくり追い越して行く。

そうして垣間見たのは。顔かたちではなく。日焼けした逞しい足だった。
私はそれを一度も見たことがないが。カモシカのような足に違いなかった。

その足を見ただけで。ああ青年なのだなとほっとする。もしかしたら。
このひとは日頃からずっと走り込んでいるのかもしれない。雨の日も。
向かい風の強い日も。走り続けることで成し遂げている何かがあるのかも。

しれない。いやわからないけれど。勝手にそう決め付けてしまいたかった。

どしゃ降りの雨さえも清々しく感じたひと時。何かが満ち溢れてくるのを。
こぼさないようになくさないようにと思いながら。私も雨の道を帰って行った。


彼は明日も走るのかもしれない。だけど何ひとつ急ぐことはないのだろう。





2008年06月17日(火) わたし待つわいつまでも待つわ

午後から薄日が射し始め。ほんの少し青空が見えた。

日暮れ近くなり窓辺にいると。土手をいろんな人が歩いて行くのが見える。
颯爽と足早に過ぎるひと。おしゃべりしながらの二人連れ。ゆっくりの老人。

行ったのだから帰るはず。そう決めつけて。なんとなく待ち侘びてみたり。
そのうちあたりがだんだんと薄暗くなると。いったい何処まで行ったのかと。

他人事ながら気になったりする。私も余程暇を持て余しているらしかった。
そうして今日が暮れていく。自分なりにその幕を下ろして。ふうっと息して。

次はサチコの帰りを待つ。今日は早く帰るって言ったのにまだ帰らない。
帰ったらまた漫才をしよう。そう決めただけで心が浮き立つように弾む。


だけどいまはひとり。彼が飲み会で晩御飯も要らなくて出掛けて行った。
でもちっとも寂しくはない。むしろ嬉しくなってカルボナーラを食べた。
彼は苦手だけど私が好きなもの。だから時々は留守がありがたいものだ。




「たらいま〜」階下でサチコの声がする。

「おカエルんこ〜」と階段を駆け下りる母は。無邪気な酔っ払いであった。







2008年06月16日(月) 少し背伸びをしているのかもしれない

つかの間の青空を押しやるように。昨日からまた梅雨空がかえってきた。

けれども決して憂鬱ではなく。まあこんなもんだろう。これでいいのだと。
なにかを。雨ではない何かを受け止めているような。そんな気持ちだった。


きのう。そんな雨の朝。道端の民家のそばに向日葵が咲いているのを見た。
そういえば去年の今頃。同じ場所に咲いていたのを思い出す。また会えた。
また季節が巡って来てくれたのだなあと。懐かしさと嬉しさが込み上げる。

紫陽花の季節にともに咲く向日葵。少し背伸びをしているのかもしれない。
片方には雨が似合い。片方には太陽が似合う。だけど競いあうのではなく。
それぞれの個性のまま。与えられた土にしっかりと根をおろしているのだ。


わたしはもちろんどちらの花でもない。けれども根のようなものがあれば。
枯れることに臆病にならないで済むのではとふと思った。さああるのかな。

よくわからない。たとえあったとしてもどんな災難が降りかかるや知れず。
その時が来れば。やはり潔くありたいものだ。まあこんなもんだろうって。

だけど少しは悔しいかもしれない。まだこれからだったのにって思うかも。
欲張りだなあわたし。いつだってもっともっとって思っている気がするし。

種を。やはり私は種を蒔くべきだろう。育つかどうかわからないけれど。
毎日少しずつでいい。蒔けない日があってもいいから。そう心がけたい。

    そうしてその種を守る土になりたいなあって思う。




2008年06月12日(木) それもこれも。わたしらしさ。

雨と雨のあいだの青空が嬉しかった。そうして風にのり匂うのは。

くちなしの花。純白の絹のような花びらを。雨から守るのだと言って。

母がその鉢を抱きかかえるようにして運んだ。事務所の軒下にあり。

それが吐息のように匂ってくる。ふっと気が遠くなるような息だった。



そうして平穏に時が過ぎる。つい先日までの緊迫感が嘘のように思える。
これが母の言う「成るようになること」らしい。まだ続くあしたも成るだろう。

仕事を終え帰宅するなりツバメの姿をさがす。どこかなあって見上げる。
先日無事に子ツバメが巣立ったのだ。ひとりっ子と両親が電線に並んで
いたのを見つけたけれど。その日からこっち見分けがつかなくなった。

あっちにもこっちにも3羽いたりする。5羽になったり7羽になったり。
ご近所にはたくさんの仲間がいる。そうしてみんなで旅をするのだなあ。



クルマからおろした買物の荷物を。よっこらしょっと声を出し家に運ぶ。
今日こそは忘れずにドックフードを買って来た。昨日は買い忘れてしまい
ワンコの晩御飯はお豆腐だった。でも気に入ったらしくふがふがと食べた。
ほんとうはサバ缶が好きなのだけど。それさえも買い置きがなかったのだ。


そうして少しひと休みしてから。そろそろお風呂のスイッチを入れようと
思うだけ思って。洗濯物をたたむ。久しぶりのお日様の匂いがする嬉しさ。
テレビのCMみたいに頬ずりをする。わあ柔らかいい香りとか言いながら。


でも。お風呂のスイッチが入ってなくて。「何やってんだ」と𠮟られる。
その顔が笑っていたのでほっとした。彼もやっと私に慣れてくれたらしい。



早く忘れてしまえばいいことを忘れられない。

忘れてはいけないことをすぐに忘れる。     

それもこれも。わたしらしさ。




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