ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2007年09月02日(日) 水を忘れたムツゴロウ

朝のつかのまの涼しさ。いつもよりすこしだけの朝寝坊。

洗濯をしながらちらりちらりと女子マラソンを観る。
ああ走ってるなってそれくらいの興味だったけれど。
そのうちだんだん目が離せなくなった。苦しそうだ。
すごい苦しそうなのに。ずっと走り続けているのだ。
すごい、いま追い抜いた!三番になった。がんばれ。

もっているちからを振り絞るって。これなんだなって思った。



午後。また夏らしくとても暑くなる。

昨日遊んでしまったので。今日は川仕事に行く日。
冬の海苔漁の準備をもうしなければいけなくなって。

ちょっと駄々をこねた。来週からにしようよとか言ったけど。
ほんの2時間だ。がんばれとか励まされて。しぶしぶと行った。

海の水と川の水がちょっとしょっぱいかなのくらいのところで。
漁場に竹の杭を打つ。機械で打つので私はひたすら杭を手渡す。
ほいほいっとやっていればいいのだけど。思うようにはいかない。

水が完全に干しあがらないので。じゃぼじゃぼして足をとられる。
おまけに船に水筒を積み忘れたので。もう咽喉がカラカラになる。

ほれほれ。あと30分だ。もうちょいだがんばれとまた励まされ。
みず〜水をくれ〜と叫びながらがんばる。もうへとへとやんかよ。



帰宅してシャワーを浴びて。冷たいのをぐびぐび飲んだ。
そのまま意識不明状態になり。畳で大の字になって昼寝。

しんどい仕事やったけど。なんかこんな達成感が好きだから。

また次回もがんばろう!って思う。

今度はちゃんと水筒持っていくから。だいじょぶ!





2007年09月01日(土) 迷子のコブタには卵焼きをどうぞ

9月の声をきくなり急に涼しくなったように思う。
ずっとずっと降らなかった雨が。ついさっきからどしゃ降りの雨になった。

なにかのふたがあいた。そのなにかがそこから顔をのぞかせているみたいに。





今日は久々の映画。片道2時間半かけて高知市へ行った。
ほんとはひとりでしんみりと観たい映画やったのだけど。

ご存知のとうりかどうか。私はすごい方向音痴なもので。
いまだに単独で高知市内を走行出来ないという弱点があり。
今日も彼のお世話になる。とても機嫌よく連れて行ってもらう。

彼は元職業的にドライバーな人なので。運転はとても上手。
私と大違いで。一度走った道は何年経ってもよく憶えているから。
そういうところはすごい尊敬している。道に迷うこともまずない。
ただ欲を言えば。走るのは好きだけど寄り道をとても嫌うひとで。
何処へ行っても走り抜ける。外食も嫌い。温泉も好まないひとだ。

まあ・・そのことは今日はいい。今日は映画の日だからそれでいい。

それで。今日もイオン高知の駐車場で。クルマのなかで昼食だった。
まさか手作りではない。そこらへんで買った『かに玉風のお弁当』

その後。映画の上映まで少し時間があったので。私はお買い物に。
彼は例の如く。クルマのなかでお昼寝をすることになった。
その時ちゃんと時間を決めて。そこらへんで待つようにと言われた。

けれど。買い物していたら。自分がどっちから来たのか解らなくなった。
そういう時はすごいパニックになる。ぐるぐるひたすら歩くほど迷う。

携帯が鳴る。「もう時間だぞ!早く来い!」と言われても焦るだけ。

何処にいるんだ?と問われたら。こうこうこんなお店の前です。
「じゃあ今から先導するから言われた通りの方向へ歩け!」と言う。

すごい!私の姿が見えないはずなのに。私の居場所がわかるのだ!
ほんと尊敬する。天才や!って思う。会えた時すごい嬉しかった。


映画は『天国で君にあえたら』実話だけあって感動もひとしお。
あちらこちらですすり泣いているひとがいた。私もかなり泣いた。

エンディングに流れる桑田さんの曲がまた涙を誘って。大いなる感動。

彼は決して泣かない。彼もきっと感動したはずなんだけどな・・。


帰り道。思いがけず寄り道をしてくれた。
須崎という町の『卵焼き』を食べたくてならなかったから。

「買って来いよ!」ってクルマ停めてくれたからすごい嬉しかった。

「やっぱ美味いなあ!これはうまいなあ!」って。ふたりで食べた。





2007年08月29日(水) それが私と風の『かんけい』

夕暮が少しずつ急ぎはじめている。そのことを待っていたかのように。
川風が起きだす。風も知っているのかな。その風を待っているひとを。

そうして窓辺の夜がはじまる。そこには孤独好きのおんながひとりいて。
そのおんなのことを。ほんとうは持て余しているのだけれど風は優しく。

微笑んだりしてみせるのだ。おんなはそういうことに疎くて。そのうえ。
疑うということに慣れていないから。しんそこそれを頼りにしてしまう。

そんなふうになっている。それがわたしと風の『かんけい』



今夜もせみがナキヤマズ。今夜も鈴虫がウタイハジメテ。

それいがいはみんな押し黙るようにじっと静かにしている。

風だってなにもいわない。なにかひとこと言ってくれてもいいのに。



けれどあまり望んではいない。望んではいけないように思ってしまう。
ときどきふっとこわくなる。望めば望むほどそれは壊れてしまいそうだ。


だからわたしも何もいわない。待っていたそぶりも見せずに待っている。

すると不思議なことがある。風がいつもいじょうに優しく寄り添ってくる。


そんなふうになっている。それが私と風の『かんけい』






2007年08月27日(月) けれどうまくせつめいができない

あたりはもうすっかり暗くなってしまったのだけど。
あぶら蝉が。とてもとても必死になって鳴いている。

その声を宥めようとするかのように秋の虫たちが歌い始めた。

逝かなくてはいけないもの。生きなければいけないもの。
その声の真っ只中にいま居る。なんだかひどくもの哀しく在る。

けれどうまくせつめいができない。なにがかなしいのかわからない。


たとえば蝉のように。二週間しか生きられないのだとしても。
いったいわたしに何が出来るのだろう。とても漠然としている。

途惑うよりも何よりも。私だって鳴くことを選ぶだろうと思うのだ。

いや。そうじゃない。選ぶのではない。与えられるのだ。鳴くことを。


そんなふうに生きたい。たとえば書きながら・・・最期まで書きながら。

こと切れるまで書くことを与えられて。

そんなふうに終れたらどんなにいいだろうか・・と思う。


あなたも鳴きますか?

あしたあなたも飛びますか?



2007年08月25日(土) 自転車に乗って

花火をみに行く。ふうふうしながら夜道を走る。

川風の心地良い遊歩道のところで欄干にもたれて花火をみた。

花火はすこし遠い空にみえたけれど。どどんどどんとその音が。

なんだか心臓にずしんずしんと。痛いのじゃないなんというか。

それはほんとうに快い響きだった。和太鼓の音みたいに打って。

打ち止まぬ。これでもかこれでもかとなにかを伝えたがっている。


うけとめるってことは。もしかしたらこんなことかもしれない。

まっすぐなのだ。うたがうべくもなく。それはまっすぐなのだ。


夏はもうすぐいくのだなって。すこしせつなくも思った・・・。


けれど潔くあれ。もっと。あっけないほどに振り向かずにいけ。



2007年08月23日(木) わたしはゆっくりといま。しりぞいている。

二十四節気のひとつ『処暑』夏の暑さが峠を越えて退いていくのだという。

退く。その言葉のもつ意味をふと思う。退く。なんだか身を引くのに似ている。



きょうも夕暮。窓の外はせつなすぎるほどに茜色に染まっている。
いちにちを思う。昨夜からずっとこだわり続けていたことがあって。
どうしてそんなにこだわらなくてはいけないのだろうって。哀しい。

たとえば。嬉しいことが三つあっても。ひとつの悲しみが育っていく。
育てたくなどないのにそれが成長していく。つかみどころがないくらい。
ほんとうにそれは些細なことなのに違いない。けれど重い。けれど悲しい。

きっとまたなにかを求めている。いったい何を求めているのかわからない。

もうじゅうぶんなのに。いったいどうしてしまったのだろう。すこし悔しい。

だけどだいじょうぶ。きっとわたしはだいじょうぶ。

どんなときもある。さらりさらりとながれていこう。


しりぞく。わたしはゆっくりといま。しりぞいている。





2007年08月21日(火) わたしにはなにも惜しむものがない

連日の猛暑。ひとの体温と変らぬ温度のなかにいて。
それぞれのひとのそれぞれの夏がほっと息をつく夕暮。

それはとてもほっとする。一日を惜しむように蝉が声を嗄らしているけれど。
わたしにはなにも惜しむものがない。そのことがふっとしあわせにおもえる。


暑かったろう。しんどかったろう。荷物を背負った夏遍路さんが見える。
ちょうど私の部屋の窓から。薄ぼんやりと暮れていく夕闇に映るように。

堤防の道で夕涼みをしているおじさんと何か話している。
おじさんがうなずきながら指をさしているその道の行き止まりに。
お大師堂があるのだ。どうやらお遍路さんの一夜の宿になるらしい。

夜はとても寂しい場所だ。すぐ真下の川の深い所には古い墓石が沈んでいる。
そしてそこは赤い目をしたおっきな魚が棲息している。「アカメ」という魚。

けれどもお遍路さんは。夢もみずにぐっすりと眠るだろう。せせらぎの音がする。
鈴虫の声がする。半月の月明かりに遠いひとのことを少しだけ想って眠るだろう。

そしてあしたがくる。あしたがきたらまた歩く。あしたはどこまで行くのだろう。



わたしは寂しくもない場所にいて。またいつものように酒をあおっている。
わたしというひとにはそれが似合っているように思う。抑制がほとんどない。
意思も弱い。とにかく何かに押し流されているように。どこかへ行こうとする。

けれども。わたしにもあしたがくる。わたしなりに歩くことだってできる。

わたしはどこまで行くのだろうって。時々ふっと不安になる時もあるけれど。









 < 過去  INDEX  未来 >


anzu10 [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加