きらきらと眩しい。なにもかもが光のなかで息をしているように思う。 ちっぽけなことも。どうしようもないことも。お陽さまに溶けていく。
今日はスミちゃんの誕生日だったから。いちねんぶりにメールをした。 もう何年も会えないでいるけれど。いちねんはいつも大急ぎでやってくる。
スミちゃんはずっと昔。転校生だった私にとても優しく声をかけてくれた。 休み時間に廊下の窓からぼんやりと外を眺めていたら。すたすたすたっと。 真っ直ぐに歩いて来たのだ。同じクラスではなく隣りのクラスから出て来て。 にこにこっと微笑んだ。「ねえ、一緒にソフトボールしない?」て言ったのだ。
私は咄嗟に断ってしまったというのに。スミちゃんはちっとも不機嫌ではなく。 休み時間のたびに私に会いに来てくれた。そうしてすぐに私達は仲良しになった。
放課後。ソフトボールをしているスミちゃんを窓からずっと見ていた。 運動神経がとても良さそうで。逞しくてかっこいいなあって思いながら。 私はどうしても入部する気にはならなくて。見ているだけが楽しみとなった。
そして間もなく。わずか一学期のみの在学で。また転校していくことになったのだ。
家庭の事情というのは。結局は親の都合に他ならず。子供は何処へだって行くべきで。 せっかく仲良くしてくれた友達とも。やっと慣れ始めた土地ともさよならとなる。
親というものはほんとうに身勝手だと思った。そしてとうとう大切な家族が壊れた。
だけど。今思えばそのおかげだろう。私はまたスミちゃんのいる町に帰る事が出来た。 そして前よりもいっそう仲良しになることが出来たのだ。ふたりとも恋をしては。 あの逞しいスミちゃんさえも時々は涙を流すこともある。赤ちゃんはどうしたら。 出来るかを教えてあげた時のスミちゃんは。すごいショックでおろおろと泣いた。
先輩に浜辺に呼び出されたていきなりキスをされた時だ。子供みたいに泣いては。 どうしよう、赤ちゃん出来たらどうしようって。真っ先に私の家までやって来た。
だいじょうぶだよスミちゃん。キスくらいでニンシンはしないから。 だけどちっとも安心はしなかった。もっとすごいことを私が教えてしまったから。 そんなことはぜったいに嫌だと言った。どうしてそんなことするのかと泣き続けた。
そんなスミちゃんも。今は三人の子供の母親になり、もうお孫さんもふたりいる。 私達はお互いに。まるで運命のような『おとなの階段』を上り詰めてしまったらしい。
だけど少女だった頃のスミちゃんは。いつまでも私の記憶から消える事がなかった。
だからね。いつまでも忘れないでって。毎年の今日という日を大切にしている。
スミちゃんの泣き顔を知っているのは。私だけかもしれないなって思う。
初夏のようであったり。まだ春のようでもあったり。 まいにちが風まかせで。雲のように流れていくばかり。
ちちちちちっと一斉に鳴き声をあげているのは我が家の子つばめたち。 なんと今年は七羽も育っていて。小さな巣のなかで重なりあうようにしている。 親つばめはそれは忙しそうで。とにかく餌をとせっせと子育てに励んでいる様子。
やはり。だからなのだ。先日の哀れだった一羽のひなは本当に致し方なかったと。 あらためて思う。このうえ八羽となればとうてい巣には入りきれなかっただろう。
家主である私達はいちにちに何度か、こうして巣を見上げるのが日課となった。 サチコは落ちてしまったひなが死んでしまったことを知らされていなくて。 「あの子もちゃんとここにいるよね」ってとてもほっとしているのだった。
あの日、父親である彼がサチコにちいさな嘘をついた。 「お父さんがちゃんと巣に戻したから大丈夫だぞ」って。
いまはだから。その七つの子たちが無事に空へと飛立つ日を心待ちにしている。 きっときっと嬉しくてならないだろう。ちいさなのが精一杯に羽ばたくのって。
勇気みたいな希望みたいなのがいっぱいあふれてくるのだから。
| 2007年05月10日(木) |
そんな風にあおられて |
夜明け前まで降っていた雨がやみ。陽が昇ると突風のような風が吹き荒れる。
そんな風にあおられて。折れもせずしなやかに踊り続けるのは土手の茅花。 『つばな』と呼ぶらしい。ねこじゃらしに似ているがもっと柔かで白い穂である。
むかし子供だった頃。それを食べたことがある。 誰ともなく「これ甘いよ」ってことで。みんなそれを「甘いガム」だと言った。
線路で遊んではいけないといつも言われていたけれど、ついつい行ってしまう。 その当時はまだSLの時代で、私達はその勇ましい姿をすぐ間近で見る事が出来た。
終着駅だったその山村のちいさな駅のことを。今でもふっと懐かしく思い出す。
甘いガムは線路沿いにそれはたくさん群生していた。 ちろちろとかわいらしくいつもそこで揺れていたのだった。
かっぱえびせんもポテトチップスなかった頃。それがおやつ代りだったのか。 そうでもなかったはずで。たぶんそれは初夏恒例の楽しみのひとつだったようだ。
子供の頃にはほんとうにそんな楽しみがいくつもあったのだなあって思う。 春のレンゲの首飾りや。白詰草のお姫さま風の花冠や。蒲公英の綿毛の飛ばしっこ。
季節ごとに恵まれて。季節と戯れつつ。季節をどれほど愛しく思ったことだろう。
おとなになるとずいぶんと忘れてしまうことが多くなる。
季節はただ流れているとさえ思ってしまうこともある。
茅花は。ほんとうに甘いガムだったのか。ふと確かめてみたくなった。
今日はとても暑かった。真夏日で最高気温が31℃もあったそうだ。 もう夏なのかな。なんだか季節ばかりがどんどん先を急いでいるように思う。
おけげで川仕事のあとちょっとくたばってしまった。 畳にそのままごろんとなって夕方まで寝入ってしまっていた。
むしょうに冷やし中華が食べたくてならない。 三食それで3日続いてもだいじょうぶなくらい冷やし中華が好きだ。
いろんなものを載せて食べる。シーチキンのも美味しい。 今日は定番の胡瓜と卵とハムにトマトのスライスをたっぷり載せた。
野並君ちのトマトが美味しい。他のでは駄目なのだ。野並君のでないと。 甘くない。野菜だけどフルーツみたいなトマトでとても美味しいのだから。
いつも野並君のトマトを買う。生産者がちゃんと袋に印字されている。 だから買う時はいつも「のなみくん、のなみくん」って探しながら買うのだ。
野並君ちのビニールハウスも今日はすごく暑かっただろうな。
のなみくん。いっつもおいしいトマトをありがとう!
NHKの朝ドラ『どんど晴れ』をこのところ毎朝みている。 BSだと7時半からなのでその時間帯だとわりと見やすくてよいのだ。
朝ドラなんてほんとに久しぶり。『ちゅらさん』以来のように思う。 その初回の朝、ん?これは!とはっとしたのは小田和正の歌声だった。 思わず台所から茶の間に走ってしまった。そしてそこで見たものが。 岩手山を背景に凛として立つ『一本桜』のえもいえぬ美しさであった。
テレビの前に正座してしばしぽかんとしていた。 「これどこ?ねえどこなの?」見ている彼に問うたのだけど。 「うるさい!今から始まるから見てりゃわかるだろ!」と叱られる。
そうして。その朝からすっかりとりこになってしまったというわけだ。 小田和正の歌声は『ダイジョウブ』という歌だともわかる。 詞がとてもよい。よいと一言でいい尽くせないほど心にぐっとくる歌だ。
優しくてあたたかい。そこにひとがいてそのひとの笑顔が真っ直ぐに届く。 もし辛い時があったなら。もしどうしようもなく落ち込んだ時があったなら。 この歌でどんなにか救われることだろうと思う。すくっとなれる。きっとそう。
欲を言えばこんな詩を書きたいものだとも思う。 私はすごくちっぽけだけど。ひとつきりでいい。こんな詩を残してみたい。 書けばいいのにって思う。でも書けないのだ。どうしてだろうなぜだろう。
私はいったなんなのだろう?詩人なのかな?詩人になれないひとなのかな? いままでながいことなにを伝えたくて。言葉を綴っていたのだろうか? どんどん歳月ばかり積み重ねていくよ。このまま何も伝えられずに終るのかな。
早くしないと死んでしまうじゃないか・・・・。
いけない。いけない。また悪いくせ。 だから書けないんだ。焦ってばかりいるからすぐに雨が来る。ずぶ濡れになる。
ほんとうはすごく光にあいたい。
その光を抱いてこそ。誰かに伝えてあげられるのではないかな。
その光はどうやって見つければいいのかな。
生むのかな?もしかしたら自分で生めるものかもしれない。
生むにはどうすればいいのだろう。ねえどうすれば生まれるの?
わたしはだから卵を産むんだ。このさきがいつまでか知らない。
だけど。生まれるまでずっと卵をあたためていようとおもうんだ。
「どんど晴れ」そのドラマの最後には必ずこの言葉がきこえる。
よっこらしょっと私は立ち上がると。彼にいつも言う。
「今日もどんど晴れだよ」って雨の日でも言う。
「はいはい、わかりましたよ」っていつも彼が笑うのが嬉しくてならない。
サチコが彼と魚釣りに行ってキスを5匹釣って帰る。 まあまあなのが2匹とあとは赤ちゃんみたいにちっちゃいの。
「おかあたん、おちゃかなちゅった」と言って得意げな顔で。
ほんにほんに我が子ながら。この娘はお陽さまのように明るい子であった。 おかげでおかあたんの顔もほころぶ。おかあたんは幸せだなって思うのだ。
さっそくふたり台所でキスの天麩羅をすることにした。 ちっちゃいのもちゃんと食べてあげないとねと言って。
からりっと揚がったのに伯方の塩をつけながら食べる。 「おとうたん、ビール一緒に飲むでしゅね」と言って。 サチコが父親のコップに注ぐのを微笑ましく眺めながら。 おかあたんはバドの練習日であるためぐっと我慢している。
息子くんが突然に結婚するからと家を出てからもう一年が経った。 母親とはなんて身勝手なものだろう。サチコだけはと執着しつつ。 嫁ぐ日を心待ちになんかしてはいない。ずっとそばにいて欲しいと。 狂おしいほどに思う。サチコのいない我が家なんて考えたくもない。
けれどもそんな親の身勝手がいつまでもまかり通るわけもないから。 覚悟はしている。だけどそれはほんとうに淋しくてならない事だった。
親は子供に育ててもらうと言うけれど。まさにその通りだとすごく思う。 子育てに疲れて苛立つ事も多かった日々に。どれほど救ってもらったことか。 手をあげることもあった。泣き喚くのを叩き続けたこともあったというのに。
泣くだけ泣いた我が子の涙ほど愛しいものはなかったのだ。
おかあたんはおかげで母になれました。
しんちゃん。サチコ。ほんとうにありがとうね。
キスというさかなは。魚偏に喜ぶと書くのだそうです。
いまあふれているのは川辺の野ばら。 それは雑木さえも身一つにしてしまうほど咲誇っていたりする。
手折られる事を凛として拒むその姿は。野あざみのそれとよく似ていて。 やはりどうしても憬れずにはいられない。そうなりたいとふと思うばかり。
きのう。ある方に『まわたのようなひと』だと言われたことで。 それはとても思いがけず嬉しいことであったけれど。心が少し。 きりきりと痛んだ。その時わたしの心の棘を見つけたのかもしれない。
身に余ることだと受止めつつも。素直に喜べないのが。わたしの棘だとも思う。
わたしはたぶんその方に『まわた』を頂いたのだろう。 ふわふわとやわらかく純に白いそれを大切にしなければならない。
そうしてこの身をひとつ残らず千切って。ひとに与え続けたいとつよく思う。

空は清々しく爽やかに晴れ。今日もまるで初夏のようだった。
もう少しあと数日で。今年の川仕事を終えられそうになった。 ぷしゅっと今にも気が抜けてしまいそうなのを一所懸命になって。 まいにち息を吹き込んでいるような日々にある。疲れてはいない。
むしろ満たされているのだけれど。どこかがすこし壊れてもいる。 その箇所を見つけようとすればするほど。心が苛立ってしまうから。
見て見ぬふりをしていようと思う。忘れてあげなければと思う。
やがてまたゆるやかに時が流れていく。
大河のほとりに根をおろし。夏の夕陽にあえる日も近い。
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