| 2007年04月14日(土) |
オトコノクセニナクナヨ |
ぐんぐんと暖かくなりすっかり初夏の陽気となる。 もう鯉のぼりの季節らしい。気持ち良さそうに空を泳いでいるのを見ると。
ふっと息子が幼かった頃を思い出す。まだ言葉にもならない声でいる頃。 「あっ、あっ、あっ!」っと空の鯉を指差しては瞳を輝かせていたっけ。
ずいぶんと遠い日の事でありながら。とても鮮やかに思い出せるのが嬉しい。
この歳でいまだ諦めもせずいろいろとこころみているおかげだろうか。 若い人たちに助けられることが最近とても多くなったように思う。 ほんとうに思いがけく嬉しいことがたて続けに訪れるものだから。 先日なども明日死ぬのではとふっと不安にもなったりしたくらい。
その後もずっと感極まることが多く。なんだか夢を見ているようにも思う。 少々おせっかいで厚かましくもあり。老婆心丸出しであるこの私だというのに。 彼らの彼女らのなんと優しいことだろう。ついほろほろと嬉し涙が出てしまう。
それなのに私はいつも優しいわけではなかった。時にとても厳しく変貌もする。 つい先日も。ひとりの若者とひどく言い合いになってしまって。とうとう・・。 彼を泣かせてしまった。「男の癖に泣くな!」とまたそこで叱りつけてしまう。
それからがとても辛くてたまらなかった。ぶつかったんだ。痛かったろうに・・。 どうしてもっと優しく宥めてあげなかったのだろう。受止めてあげたかったのに。
そして昨夜。いつものバドクラブで彼に会う。 とてもシュンとした顔で。なんだかすっかり萎れていたのだけれど。 何事もなかったように笑顔で話し掛けると。もうすっかりの笑顔で応えてくれる。
つよく何事にも強く立ち向かって欲しいといつも願う。
彼は右手右足が不自由だけれど。誰よりも素晴らしい向上心を持っている。
だから。いけない時には厳しく叱る。
午後。また久しぶりに山里の職場へと向かう。
このところずっと思ってしまうのはとてもいけない事に違いなく。 もうこのまま辞めてしまえたらどんなにか楽だろうなと思うこと。
それなのに山里はいつも懐かしい。ひとつひとつの風景が心に沁みる。
峠道を行くお遍路さんはもちろんのこと。農機具を操るお百姓さんや。 民家の庭先からこぼれるように咲く山吹の花や。若い柳の揺れる枝や。
もう田植えも始まっていた。そして畦道にはまだ散り急がずに咲く桜木。 すべてが春ののどけさであることが。まるで貴重な映像のように目に映る。
机のうえに山積みになっている仕事を片付ける。 JAに行ったり。郵便局へも行ったり。窓口の笑顔がとても嬉しい。
とても忙しいのだけれど。不思議と穏やかな海へと漕ぎ出したような気分。 同じ空の下にあっても。この山里はたぶんきっと空に近いのだろうと思う。
わたしの葛藤など。ここではそよ吹く風になる。
今日は四万十の日。上流の沈下橋のたもとでは。 川舟に揺られながら結婚式を挙げたカップルがいたそうな。
ニュースの映像で。ふたりが「すごく心に残りました」と言ってくれたのが。 とても嬉しかった。なんとしてもこの清流を守り続けたいものだと強く思う。
ときどきは悲しくなるような光景も見る。汚さないで欲しいのに汚れてしまう。 誰に向かって嘆けばいいのかわからなくて。自分だけはといつも思うばかりだった。
堤防に。毎年見つける黄色の花が咲き始めた。名もない雑草だって花が咲く。 それが年々咲く場所を広げていって。堤防が花の丘のようになるのが嬉しい。
踏みしめるのは。鎖から解き放された犬たち。ひとはどうしてそれを踏めよう。
眩しいほどに目を細めて仰ぎ見る日も近い。それはとても空に似合う花だった。
ぬくぬくと風が吹く。
ともすれば霞みそうなこころにも。ちいさな黄色の花を咲かせてあげたい。
川向の国道沿いにパン屋さんがあって。 そこのお庭にもう藤の花が咲いていた。
桜と藤と。なんだかこの春はとても豪華だなあって思う。 桜もいまだ散らずにいてくれてずいぶんと満たされている。
うぐいすも元気。川端の笹が生い茂る所にいつもいてくれて。 もうすっかり懐いたかのように。そこへ行く度に鳴いてくれるのだ。
今朝はちょっと面白かった。私の代わりに彼が口笛を吹いたのだけど。 私よりもずっと音痴で怪しいうぐいすの声に聞える。ぷーぷけきょと。 これにはさすがのうぐいすもびっくりしたのか。一瞬あたりがしんとした。
駄目だこりゃ。きみには無理やねと私が笑ってからかうとちょっとムキになり。 何度も何度も彼は鳴く。ぷーぷけきょ。ぷぷぷけきょ。ぴきょぴきょと鳴いた。
そしたらやっと美しい声で応えてくれて。その時の彼の嬉しそうな顔ったら。
ほのぼのとこころ和む。そうしてもはや日課となった川仕事への出陣であった。
あともうひと息。もう少しで今年の川仕事も終えられそう。 ふんばってふんばって辿り着くのは。ほんとうに快いことだと思う。
今年こそは旅行に行くぞって。
ずっといつかの約束を叶えようと彼が言う。
掘りたての筍をもらった。 初物だ旬だと大喜びして。
おっきなお鍋で湯掻いた。 柔らかくてそれは美味しい。
ぐつぐつと味付けをして。 姑さんにもおすそ分けと。 小鍋に入れて路地を急ぐ。
そしたらおやまあって言って。 台所をのぞくとおっきなお鍋。
お互いがおすそ分けし損ない。 思わず笑いが込みあげてくる。
お竹さん返品やって路地を帰る。 明日も明後日もお竹さん食べよ。
サチコがちょっと遅く帰宅する。 「お竹はんが待ってはるで〜」と。 最近ちょっとはまってる京訛り。
「お竹はんぎょうさんどすな〜」 サチコも一緒にノルから楽しい。
お竹はん。明日は天麩羅の予定。 よう味のしみたのを揚げたら美味しいどすえ。
うちお竹はん好きどす。嬉しいおすなあお母はん。
台所のかたすみでしかと抱き合う母娘であった。
十代の頃。桜餅がすごく好きだった。 高校のすぐ近くに和菓子屋さんがあって。 友達と寄り道しては食べながらバスを待った。
そういえば弟も桜餅が好きだったな。 いつだったかそれはおとなになってからのこと。 彼もきっと懐かしいに違いないと思って。 たくさん買って彼のアパートを訪ねて行った。
あの店のだよ。あんた好きだったでしょって。 ちょっと誇らしげに目の前に広げて見せたけれど。
思いのほか彼は喜ばず。好きだったっけなって言って。 たったひとつだけ食べると。後はおまえにやるよなんて。
だから姉ちゃんはちょっとさびしくなって涙出そうだけど。 やけ食いみたいにして残り全部を平らげてしまったのだった。
胸がすごく苦しかった。ちっとも美味しくなくてしょっぱくて。 もう桜餅はいいやって思った。それ以来ずっと避けていたのかも。
あれからいったいいくつの春を越えたのだろう。
この春ふっと込みあげてくる懐かしさを感じて。 ほんとうに久しぶりに桜餅を買って食べてみた。
とてもおいしかった。葉っぱの塩加減と餡子の甘さと。 どうしてこんなに忘れていたのだろうと悔まれるほど。
あの町で潮風に吹かれていた青き春が。遠くはるかにある。 ひとを想って。我を嘆きもし。いつだって死ねるとさえ。 思いつめた頃。命の尊さなどこれっぽっちも知らずにいた。
そのくせ。あどけなく笑いあってバスを待つひと時。 指に残った桜餅の移り香を愉しむことも出来たのだ。
あといくつと。まだ来ぬ春を数えるのはもうよそう。
それよりも春には。毎年ひとつの桜餅を食べることにしよう。
二十四節気のひとつ『清明』である今日。 ほんに清々しく明るい空気が満ちあふれていたように思う。
春の陽を浴びつつ空を仰げば。その光が全身をくまなく貫いていくかのよう。 些細なわだかまり募る不安など。そのなかにあればほんの微粒に過ぎない。
昼下がりすこし余裕の心地で、近くの小高い丘へと足を運んでみた。 地元では『古学校』と呼んでいる所で、その昔そこに小学校があったらしい。 たぶんその当時からあったと思われる古い桜の木。新しく植えられた木もあり。 今ではちょっとした桜の名所になっている場所だった。坂道をよっこらしょと。 登ればなんだか天に昇る気持ち。昨日の荒天に散りもせず花は今が盛りであった。
しかし残念なことに。いちばん空高くあった古い桜の木が見当たらない。 いつのまに折れてしまったのだろう。哀しく無惨に草むらに横たわっていた。 でもだいじょうぶ。折れたところから新しい枝がちゃんと伸びて精一杯の姿。
さびしさはつかの間。すぐに心がすくすくっと。そしてほのぼのと嬉しくもなる。
桜とともに。そこからしばらく大河をながめていた。きらきらと眩しい流れが。 空を映してこんなにも青く。じぶんがそこにいること。ああ生きてるなって思う。
至福の時とはきっとこんなひと時をそう呼ぶのだろう。
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