| 2007年03月07日(水) |
涙が出るほど笑った日 |
きょうも少し冷たい風。だけども陽射しに恵まれていると。 不思議と寒さを感じなかった。もうすぐ桜も咲くのだそうだ。
今年の開花予想日はちょっと遅め。冬の寒さが足らなかったらしい。 『休眠打破』というのだそうだ。桜の花芽は寒さで目覚めるのだという。
なんだかふっとそれを『ひと』にも当てはめてみたくもなる。 ぬくぬくしていたら咲けないのかもしれないし。寒さ冷たさ。 それは悲哀にも似て。怖れずに身を晒すことできっと花咲く時が来る。
だからどんな時も。逃げてはならない。

川仕事に愛犬あんずを連れて行く。 今日も昨日の続きとやらで、また電気工事だったから。 作業員の人達に吠えまくるし、ひどく近所迷惑でもあった。
仕事中。ずっとおりこうさんにしていてくれて助かった。 ながいロープの届く範囲でそれなりに遊び。ウンコもしていた。
お昼は作業場でお弁当を食べる。久しぶりにお隣りのお店で買った。 ご飯が固くてイマイチだったけれど。空きっ腹には何でも良いなと思う。
あんずも鶏の唐揚げを食べた。ひじきの煮たのはどうやら嫌いらしい。 じゃあレタスは?それも見向きもしなかった。ゴマ塩のご飯はよく食べる。 ほれ次は椎茸だと彼が一切れ差し出すと。一瞬なんだこりゃの顔をした。
ひたすら匂いを嗅いでいる。食べたいけどやはり迷っているのが可笑しい。 その傍で飼い主ふたりは。最後のエビフライをすばやく口にほうりこんだ。
とうとう彼女は椎茸を食べた。生まれて初めての食感はいかがなものだろう? そうして次の期待をカラダ中で示したけれど。もうエビフライの尻尾しかない。
ほれ尻尾だ。彼が笑いながらそれを差し出すと。意外にもかなり満足な様子。 カリカリ感が気に入ったようだ。今まででこれがいちばん美味しいという顔。
家族団欒ではないけれど。なんだかそのように和やかなひと時をいただく。 こんなふうに一緒に食事をしたのは初めてだったから。ちょっと感動もした。
あんずもよほど嬉しかったのか。それからはずっとはしゃぎまわっていた。 まるで幼子が。親のたもとにしがみつくようにして。ねえねえって言いながら。 お父さん遊ぼうよ。お母さんも遊ぼうよって。ねだってばかりいるようだった。
これこれ。ほらほら。そりゃそりゃと。ふたり声ばかりあげつつ作業を続ける。
なんだか楽しくてならなかった。あんずがお父さんの足にしがみついた時など。
可笑しくてたまらなくて。涙が出るほど笑ってしまった。
| 2007年03月06日(火) |
それでもなんとかなるものだ |
きょうは北風。ひゅるひゅると風の口笛がきこえる。 小粒な時雨が。雪の子供みたいに風に舞うのを見た。
きりりっとする。春風に甘えすぎていたのだろうか。 なんだか俄かに勇ましくなって。突き進みたくなる。
叱咤のように吹く風のことを私は決して嫌いではなかった。
そう。そうなんだ。強がりもたまにはいい。 強がってるなって。きづくところがまたいいものだ。
だから午後は怠け者。この怠け者っていうのもなかなかによい。 なにもかもほったらかしにするのは。少し気が咎めるけれども。 たまには手を抜くことも肝心ではないかと。自分の都合で思ってみる。
庭の陽だまりで個室といえば。それはクルマのなかと決まっているのだ。 こんな平日の昼下がりになんと贅沢なことだろうと思いつつも。これが至福。 枕まで持ち込んでシートを倒せば。あとは好きな本を読みつつ昼寝だって出来る。
しかし。ああなんて幸せなんだろうって思ったのもつかの間。 いきなり路地を突き進んで来たのはバキュームカーであった。 ぐりぐりと汲み出している音が耳に響く。おまけにつき物の香りも立ち込め。 しばし我慢を強いられる。これは仕方ない。これは当然の事と観念してみる。
そしてその芳香がやっと遠のいたかと思えば。今度は電気工事の車が二台も。 なんという事だろう。うちの庭の出口をしっかりと塞ぐほど迫って来たのだ。 しばらく通行止めにさせて欲しいと言われて。はいご苦労さまですと頭を下げる。
不機嫌になどなってはいけない。悪いのはこの怠け者に他なりませぬゆえ。
しょんぼりと肩を落としつつクルマを抜け出し。しばらく自室でぼんやり過ごす。 窓を少し開けるとお陽さまの匂いと北風の声が。交差している傍で電柱には人が。 今日のお仕事を頑張っている姿が見えた。高い所で今日の風は冷たいことだろう。
通行止めを良い事に。とうとう買物にも行かず夕方になる。 それでもなんとかなるものだ。キムチチャーハンとマカロニサラダが出来た。
お休みだったサチコは眉毛のないすっぴん顔で。
「母さん、やればできるじゃん!」ってほめてくれた。
春の嵐もつかの間のことで。午後は洗われた心のように心地良く晴れる。
すっきりと。わたしも自分なりにどこかが澄んできたのを感じる。 揺らぎすぎて折れてはいないかと確かめることもせず。ただただ。 風が吹き抜けたあとの爽快さは。まるで憑き物が落ちたような感。
どんな日もある。もっともっとそう思えるようになりたいものだ。
桃の花が。そう今日は桃の花を見つけた日。 桃色というくらいだもの。とても愛らしい色だ。 枝に添ってひとつふたつとまるでかんざしのように咲く。
花ならばみな今日よりも明日と胸ふくらますのが常だけれど。 桃の花はなぜか不思議とあどけない。いつまでも少女のように見える。
だからなのか。落ちるのか散るのかとはふかく詮索もせずにいて。 咲けば心を和ませて。咲けば微笑んでは。ふと夢見心地にもなれる。
ちょうどその時。カーラジオから流れてきたのが『君の好きなとこ』 大好きな平井堅の歌だけれど。しっかりと聴いたのは久しぶりのことだった。
むしょうに照れた。なんだかこれって私のことみたいって思ってしまったから。 「いやまあそんなこと言って」とか「そりゃそうでしょうあたりまえじゃん」って。
顔も心もほころぶばかり。そうしているうちに感極まって涙までこぼれて来た。
ありがたい歌だなって。ありがたい声だなって。つくづく思った。
わたしもこんなふうに自分のことを好きって思えるように。きっとなるからね。
| 2007年03月03日(土) |
いまこそ抱きしめてあげよう |
つくしんぼうの土手をゆっくりと歩いてみたいなって。 思うだけたくさん思っては。どこか何かが足らなくて。
風に吹かれることもせず。ただただぼんやりと過ごす。
「弱音を吐くことがそんなにいけないことかしら」と。 言ってくださるかたがいて。なんだかとても嬉しかった。
疲れているのはたぶんカラダ。カラダが泣きたがるから。 こころが同情してしまうのかもしれない。弱虫なのかな。 すぐにくじけちゃう。おまけにひがみっぽいし嫌いな私。
許してあげたらいいのにな。そしたらすごく楽になるのにちがいない。

いちめんの菜の花畑が。とうとう掘り起こされてしまっていた。 それは少しは哀しいけれど。そうして農家の春が始まるのだった。
菜の花の精たちは土にかえり。そこでまた新しい精になり生きる。 ひたひたと溢れるほどの水を頂き。やがて植えられる稲の力となる。
ひとつが終ればひとつが始まる。そんな季節の真っ只中にこうしてぽつんと。 たとえ弱音を吐こうとも。くじけ心を持て余そうと。生きているのが嬉しかった。
ゆるしてあげようではないか。もっとだきしめてあげようではないか。
じぶんをいちばんに愛してあげよう。じぶんをもっと信じてあげよう。
| 2007年03月02日(金) |
この気持ちが花になるなら |
毎年。あれは寒桜となづけていた桜がほぼ満開となったのを。 彼は。あれは『さくらんぼ』の桜だとおしえてくれたのだった。
もう何年もずっとそのことを知らずにいた。 だとすると。今日初めてその桜をふたりしてながめた日となる。
ずっと離れすぎていたのだろうか。ふたり。 どうして離れていたのだろう。そのわからなさに少しはっとしたりした。
思い出すには痛みをともない。それでも精一杯繋ぎ合わせてみる日々が。 走馬灯のようにくるくるとしながら。フラッシュしていくのを見ていた。
私の閉じこもろうとしていた器は。ちいちゃくて狭くて。そして脆くも。 そのありかでどんなにか息苦しくもがいてばかりいたことだろうか・・。
粉々に砕く勇気を持たねばならない。そうして丹念にその欠片を拾っては。 捨てていくことを選ばなければいけない。もうないと確信を持てる日まで。

むしょうに人恋しい日でもあった。
ときどき不安がるのは。誰も私を恋しくはないだろうと思い込むこと。 私が欠けても誰も探さないだろう。私ひとりくらいどうってことないだろう。
それでも。私は人が恋しい。どうしようもなく恋しくてたまらない。
10日ぶりにバド仲間に会いに行く。とっておきの笑顔を携えて行く。 笑顔には確実のように笑顔が返って来ることを。知っているのだけれど。 一度の不安は百にもなって。負へと負へと向かいそうになるのがはがゆい。
だからありのままにしている。無理なんかしてない。だって楽しいから。 自然に笑みがこぼれて来るのだ。それは心に花が咲いたような気持ちで。
ひとりふたり。さんにんも。擦り寄るようにそばへ来てちょこんと座っては。 私の名を呼んでくれる。話し掛けてくれる。なんだか夢を見ているようだった。
私はみんなのことがほんとうに大好き。いつだってみんなに会いたい。
その気持ちが花になるなら。その花をみんなに見せてあげたいと思った。
今日。ずいぶんと私は救われたのだ。こんなにありがたい日を。「ありがとう」
| 2007年02月28日(水) |
こぼれ落ちてしまいそうな夢 |
きのうも通った道にきづかなかったのか。白木蓮の花がほくほくと咲いていた。 たぶんきのうは急いでいた。どうしてそんなに急いでしまっていたのだろうか。
つぼみは手のひらをそっと合わせたかのよう。なにか大切なものを包み込んでは。 ほうらねっとその手を開いて見せてくれるのが花。こぼれ落ちてしまいそうな夢。 たとえ朽ちてしまっても。どうしてそれがせつないと哀しいなどと言えようか。
とんとんとんっとこれが順調なのだろう。日常の歯車が軋みもせず滑り出す。 とにかく廻るほうに向いている。逆らえばきっと何もかも壊れてしまいそうだ。
ああじゃないこうじゃないと時々は思うけれど。これでいいともっと思いたい。
夢はもっかのところ生きることだ。それだけが欲のように充満している。 心細く不安なのはいつだって『ひとはいつか死ぬ』という事実だけだった。
思い残すことがなにひとつないほど満たされて。命尽きればどんなにか。 幸せだろうと思う。いまはだからいけない。あまりにも心残りが多すぎる。
これはたぶん弱音だ。弱音吐かないっていつか言ったのに。いけないいけない。
ぐっすり眠ったら。また明日がきっと来るよね。
あしたも順調に歯車くるくる滑るといいな。
どこまで行くのかな。わからないから人生は愉しい。
| 2007年02月26日(月) |
ひとりぼっちの微笑み |
きょうも曇り日。すこし肌寒くあったけれど。どこか一部分があたたかい。 そのぬくもりを。冷まさないようにと思って。ぎゅっとカイロみたいに抱く。
ときどき良からぬことを考えては。ああいやだいやだと自分を否定するけれど。 それは隣りの庭の花のようなこと。隣りの芝生はなぜに青いかなどということ。
ああだけど。隣りの庭を踏み荒らしてはいけない。そんな暇があるのだったら。 自分の庭の手入れをしよう。誰かに見せるためではなくて。自分のための庭を。
愛しく愛しく大切にしよう。そうしてその愛しさを誇りに思えるようになりたい。

午後。久しぶりに山里の職場へと行く。春遍路さんがずいぶんと多くなった。 くねくねと峠道の谷から水が流れている道の端で。お昼ご飯を美味しそうに。 そのひとりぼっちの微笑がなんだか嬉しくなって。ついつい私も微笑んでしまう。
てくてくは長かろう。なんぼかしんどいことだろう。そして心細いことだろう。 だけどそのひとりぼっちの微笑みが。ここまで歩いたここから歩く希望に見える。
仕事はそれはそれはたくさん溜まっていて。そんな忙しさがやはり私は好きだった。 ひとに生まれたからには。必要とされたいといつも願っているものだから。 そこに自分の仕事というのが。あればあるほど遣り甲斐があるというものだ。
そして思いがけなく「ありがとう、助かった」って言葉をかけていただく。 張り詰めていたものがふにゃふにゃにとろけるくらい。それがとても嬉しかった。
わたしはなにひとつ見捨てられない。ふとそんなふうに思った・・。
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