日常がまたゆるやかに。かと思えばぎくしゃくと。それでいて平穏に。 流されているのだろう。たぶん少しずつ向こうへ。進んでいるのだろう。
ちょこっと穴があって。跳び込んでみたいような。今日この頃だけれども。 その穴がすごく不自然。でこぼこでゆがんでいる。それなのにぽっかりと。 目の前にあるのが嫌だ。なんとしても避けたいと。空ばかり見つめている。
その空には。紅い実をつけたおっきな木が降るように咲いている。 それはそれは誇らしい姿で。きりりっと空に立ち向かうような木。 好きだなって思って。好きだとどうしても名前が知りたいなって。 いろいろ調べてみたけどわからなかった。残念なのと少し哀しい。
『哀しい』と書くと。どんどんその穴が「おいでおいで」って呼ぶので。 すごい嫌だ。なら書かなければいいのに。なんで書くのだと無性に嫌だ。
わたしは嬉しいのが好きだ。今日はあんまし嬉しいことなかったかもしれない。 でも昨日は嬉しいことがあったからよかった。ずっと抱いていたいなと思う。
ぽっかりなのでぽかんとしていると。
ぽかんがいろいろちょっかいだして。
あれこれいっぱいつめこもうとする。
穴を塞ぐのはなんだかやたらしんどい。
だから見てる。ずっと見ていてあげる。
ぽかんよぽかん。はやくねむくなあれ。
| 2007年01月15日(月) |
この猫。冬が嫌いにあらず。(完) |
自然の恵みというものはつくづくとありがたいもので。 大漁の日があれば心から笑みつつ。疲れも吹き飛ぶ思いがするもの。
しかしそれを当たり前だと思っていると。とうとう手のひらを返すようにして。 川底を悉く削られてしまった挙句に。もう育たなくなった青海苔は老いていく。
それはやはりひとの髪のよう。その緑の筋は老人のそれのように白くなるのだ。 「もうおしまい」とみなが言う。「おつかれさん」ってそれぞれを労いながら。
そして季節は冬のさなかからゆっくりと春に向かい始めるのだけれど。 ほんのひと息ついたばかりで。今度は別の種類の海苔の収獲にかかる。 『青さ海苔』といって。この海苔は天然は殆ど採れず主に養殖とするもの。 河口から港口にかけての浅瀬に幾本もの杭を打ち。長い網を張って育てる。
これも緑が美しい海苔で。青海苔が筋なら。これは緑の葉っぱのようなもの。 引き潮にかけて漁をするのだが。胴長靴に防寒着。毛糸の帽子など被っては。 その上に頬被りもしてみたりで。小柄な私などはとても滑稽な姿になってしまう。
初めてそれをした時などは。胸近くまである水がちょっと怖いなと思ったけれど。 これも収獲の喜びというものだろうか。やってみるとなかなかに面白い作業だった。
左手で網をちょいと持ち上げると。右手でせっせと。かつ丁寧に毟り採っていく。 そうして腰に繋いだタライにホイホイッと入れていくと。気がつけば山盛りになって。 そしたら今度はタライを沈めないようにおそるおそる。船まで水中歩行をしていく。
一回二回とそれを繰り返しているうちに。もうすっかり潮が引いた川は陸のようで。 水が無くなってしまうと。今度はそのタライの重いこと。えんやこらどっこいしょ。 まるでひとり綱引きをしているふうになり。薄っすらと汗をかくほどあたたまる。
船からトラックに荷を移し終えると。ぜえぜえしながらも頬被りをはずしてみる。 その時の冬の風の心地良いこと。空など仰ぐ余裕も少しはあってとても清々しい。
そしてそれから。もう一仕事。今度は作業場まで帰り海苔を洗って始末せねばならない。 地下水を汲み上げるポンプの威勢の良い音。ぐるぐると回る洗い機の勇ましい響き。 洗って絞って。ふさふさになるようほぐして。それを木枠の干し台に丁寧に並べる。
そうしてやっと明くる朝の日和を楽しみに。今度はお陽さまの恵みに授かるわけだ。 一日では乾ききらず。三日四日目あたりにやっと一枚の広い海苔が出来上がる。 それはとても良い香りで。取り入れる時のほのかな温かさは愛しいとさえ思えるほどだ。
まだほんの駆け出しだったその頃。姑は弟子達に厳しくもあったが。今はそのおかげと。 心からありがたく思う。時に懐かしく。時に切ないほど。私達は本当に精一杯だった。
作業場の庭では幼い子供達が。ひとりは甘えることもせず黙々とひとり遊びをし。 ひとりは泣きもせずほんとうによく寝てくれる子だった。一緒に遊んでもやれず。 せめて夜はと抱いてあげたことがあっただろうか。なんだか少しも思い出せない。
ただ息子と手を繋いで家に帰ったような。帰るなりサチコのオムツを替えたような。 父親とお風呂に入った息子が肌かん坊で逃げ回ったこと。サチコは夜になると酷く泣いて。
家業と子育てと。何もかもが重いと。もしかしたらふとそう思った事もあったかもしれず。 今となってはそれはもう。わたし自身の灰汁のようで語るのも愚かしいことであった。
猫はおもう。もういまでは猫ではないのかもしれないけれど。
捨て猫同然だったあの若き日に。私を抱きあげてくれたひと。
そのひとと家族が。こんなにもあたたかく私を育ててくれたこと。
ここの冬がとても愛しくてならない。
白波が立つほどの冷たい川風が好きだ。
この猫。冬が決して嫌いにあらず。
・・・・・完・・・・・
| 2007年01月13日(土) |
この猫。冬が嫌いにあらず。(2) |
猫の冬はそうして。てんてこしながらまいまいしながら泣いたり笑ったりで。 頑張ろうと思える日もあれば。やらなくちゃって思う日も。仕方ないことと。 思えば一気に憂鬱になるものだから。気をとりなおしていつもはっけよいする。
はっけよいのこった。いまはもう幾度目の冬だろうか。私は今も残っているようだ。
四度目の冬を待たずに。夫の父親が不治の病の末この世を去ってしまった。 虫の知らせというものだろうか。まだ病の兆しもない元気だった春のこと。 夫は13年勤めた会社を急に辞めてしまう。そして俺も川漁師するからと言う。 その時の父親の言葉が今も忘れられない。「ワシ・・死ぬのかもしれんな」って。 それはほんとに冗談のつもりで。ただただ跡取が出来た事が嬉しかったのだと思う。
家業にはまるで興味が無く。私が手伝うのさえ他人事のように言ってばかり。 そんな彼の決心はとても腑に落ちず。かと言ってどうしてそれを止められようか。
そうして弟子入りしたのもつかの間。その夏には川海老が大漁の日もあっては。 その時の嬉しそうな笑顔をまぶたに焼き付けられたままに。秋深き頃となって。 なんともあっけなく。頑健で逞しく浅黒く日焼けしたその顔のまま父親は死んだ。
家族みな悲しみのどん底でありながら。三歳の息子はもう腕白盛りとなっては。 ひょうきんな仕草をしてはみんなを笑わせてくれる。サチコはお誕生日を過ぎて。 よちよち歩きをしては転んで。また起き上がっては前へ前へと歩き始めていた。
また冬がくる。南風が西風に変って。川の流れもひんやりと白波をたてては凛とし。 そこに立つと。身も心も研ぎ澄まされるように。ふんばってふんばってそこに在りたい。
やらなければいけないのではない。やるんだとやっと思えるようになった。
姑さんの手ほどきほどありがたいものはなく。ほんとうに手取り足取りであり。 見よう見真似も日々の重ねで。とにかくやってみようと思えることばかりだった。
船着場で待っていると。船外機の音がして夫達の船がゆっくりと岸に辿り着く。 そこにはひと山ふた山よりもっとと思えるほどの青海苔がどさっと積んである。 待ってましたとばかりに私も船に跳び乗って。姑さんと青海苔を洗いはじめる。
ゆっさゆっさと。それは緑の筋を水の中で。なんだか人の長い髪の毛のようで。 たぽんたぽんと。水をたっぷり含ませるようにしながら。落ちこぼさないように。 右手でしっかりと中央を握り締めて。左手で髪の毛をすくような仕草をしつつ。 撫でて撫でてなめらかに。その筋がひと際青く緑になびくようにしながら洗うのだ。
そうして中央からきゅうっと握り締めながら水気を落としてゆくと。きりりっと。 なんだかポニーテールみたいな可愛いらしい姿の『青海苔洗いました』が出来る。 姑さんのは長い髪の少女風で。私のは無理矢理ひっつめたポニーテールなんだけど。 そこは笑ってごまかしたりしては。やはりちょっとは得意顔で。やれば出来るんです。
そうしてその頃が朝のうちだと。えっさえっさと大急ぎで天日干しの作業にかかる。 ほいっほいっと。そのポニーテールなのを張り巡らしたロープに引っ掛けておいて。 かたっぱしから。その髪の毛をほぐすように手で丁寧にほぐしていかねばならない。
朝陽がまぶしい。なんてきらきらと眩しいのだろうって。乙女チックしている暇もなく。 急がないとお陽様においてきぼりにされちゃうぞって。えんやこらさっさ。ほいさっさ。
そうしてすっかり緑の幕が出来上がると。すごいすごい嬉しくてとてもほっとする。 風よ吹け吹けって思う。お陽さまって神様みたいにありがたいなって思う。
猫はおもう。たしかに猫だったのだけど。
猫なりに猫は。この在りかがもしかしたら。
猫を猫として受け入れてくれた唯一の場所なのかもしれない。
愛したかった。ものすごく愛したいと思った猫であった。
この猫。冬が嫌いにあらず。
次回につづく。
| 2007年01月11日(木) |
この猫。冬が嫌いにあらず。 |
冬らしさこのうえなく。雪こそ降らないけれども朝霜は粉雪かと思うほど。 川面に朝陽が眩しくて。ゆらゆらと蒸気のように水が天に昇るのを見た朝。
河川敷では天然青海苔を干している人達がいる。頬被りをして防寒靴を履き。 枯草が霜できらきらと光っている上を右往左往しながら。とても忙しそうだ。 冬の風物詩と言われているように。そうして一面に干された海苔は緑の幕のよう。
それは西風ほどよく乾き。ひゅんひゅんとその幕が風になびくほどになれば。 緑の海苔は一段と濃い緑となり。一筋つまんで口に入れるととても香ばしい。
私は22歳の時にここに嫁いで来たけれど。夫の両親が川漁師であったため。 すぐに慣れない仕事を手伝わなければならなかった。猫の手も借りたいのだと。 姑は言って。私はすぐさま猫になってしまったのだった。にゃんとびっくりで。
最初はもの珍しさが勝ち。なにからなにまで新鮮で面白いなと思ったのだけど。 そのうちだんだん疲れてきては。なんてところに嫁に来たのだろうと辛くなった。
子供が生まれても。やはり私は猫だった。にゃんとしてもがんばろうと思っては。 背中に息子を負ぶっては河川敷へ走った。幸いなことに息子は泣きもせずいい子で。
つらい辛いもやがて慣れると。嬉しいことも少しずつ見つけられるようになる。 たとえば晩ご飯。その日苦労して干しあげた青海苔で姑さんがふりかけを作ってくれる。 遠火であぶったのを手のひらで丁寧に揉みほぐして。花がつおにゴマとお醤油少し。 それを熱々のご飯にのっけて食べると。それはそれはアゴが落ちるほど美味しい。
ゲンキンなもので。もうそうなると猫は。いいところに貰われて来て良かったなあって。 明くる日も頑張ろうにゃって心に誓うのだった。
この猫。冬が嫌いにあらず。 次回につづく。
| 2007年01月09日(火) |
この気なんの気きになる気 |
冬の朝らしく今朝はずいぶんと冷え込む。窓の外がやけに紅くて。そっと少し。 開けて見るとそれはとても不思議な空で。灰色の雲が砕かれたように散っては。 そこに朱色の液体を零してしまったような。胸が不安がるほどの紅い空があった。
ばくぜんと。何かが起こるのではと思う。そう思い始めるとどんどん不安になる。
そしてふっと思い出した。いつかの朝にもこんな空を見上げたことがあった。 あの時には綺麗だって思って。急いで写真を撮りに行ったのだった。走って。 堤防まで駆け上がってはあはあしながら。すごい胸がわくわくして熱くなって。
おんなじの空にまた会えたのだ。よかったまたあえて。そしたらすごい嬉しい朝だ。

仕事を終えて。いつものスーパーに行ったら納豆が一個もなかった。 店員さんにぼやいていたら。一人で10個も買ったひともいたらしい。 ふむふむあれだなっとピンとくる。TVの『あるある大事典』に違いない。 私も昨日から一日2パック食べているもん。そしたら絶対痩せるんだって。
なんとなくいやな予感を抱きつつ。別の大型スーパーにまた行ってみる。 案の定だった。納豆の棚のところが空っぽだった。売り切れの張り紙まである。 がが〜んと眩暈がするくらいショック。あれ食べないと死んじゃうって思った。
涙出そうになったけど。諦めんぞ!って思って。また別の店へ急いで走った。 よかった。ありました。とりあえず3日分確保。ふうっと安堵の溜息が出る。
決して大好物ではないのだけれど。去年から毎朝欠かさず食べているのだった。 なんとなくパワー出て来て。体調もすごくいい感じに思う。ほんと納豆さまさま。
気のせいだって家族には笑われるけれど。気はもちようでなんとでもなるもんさ。
きのうは小雪がちらちらと舞ったけれど。今日はいくぶん穏やかな空となる。
くたくたと炬燵にすっぽりでいて。無気力もこのうえないところ。 昨夜は思いがけず友人から電話があり。今日は久しぶりに会うことが出来た。
ときどきは会おうよねって約束していたのに。この前っていつ?ってふたり。 思い出そうとしたのだけど。夏だったような秋だったような季節さえも忘れて。 でもなんかついこの前みたいだよねって笑い合った。ものすごいスピードねって。
どんどん駆け足みたいに時が流れたことを。ふたりしみじみと思った。
『ぶんがく』の話しが出来る唯一の友だった。むつかしく論じるのではなく。 さいきん感動したこととか。なんとしても書き残しておきたいことだとかを。 文学少女のなりの果てやもしれないふたりが。真剣な目で切々と語りあう時。
思うようになにひとつ進歩しないげんじつ。ついつい焦ってしまいそうになる。 このまま老いの真っ只中に身を投じることの怖さ。それは哀しみにも似ている。
わたしはもうとっくに『ほそぼそ』を選んでしまったのだけれど。 こんなわたしでも。彼女は刺激に思ってくれると言う。なんとありがたいことか。
ほそぼその身がだんだんと朽ちることばかりを嘆きそうになっていたけれど。 その身を実だと信じて。このさき生かされるだけ生きてその実を残したいものだ。
彼女が去年の夏に訪ねたという。金子みすずの生まれ故郷の町のこと。 無人の駅をおりたらすぐに『みすず通り』というのがあるのだそうだ。 どの家にも。みすずの詩を書いた木のふだが飾られていて。その詩は。 そこのお家の人がいちばん好きな詩をえらんで書いてあるのだと言う。
少女みたいに目をきらきらと輝かせて。彼女はその感動を伝えてくれたのだ。
わたしは。胸がいっぱいになって熱いものがほろほろとこぼれそうになった。
ありがたき友 ありがたきいちにち。
| 2007年01月06日(土) |
のんびりと元気でいよう |
今朝いつものように家を出て。四万十大橋を渡り対岸の川沿いの国道を南へ。 右手に大文字山が見えた時だった。左側の道沿いの畑にもう菜の花が咲いていた。
とても思いがけないことで。もしかしたら昨日も咲いていたのかもしれないけれど。 記憶にはなく。そこだけほっこりと春の色なのがとても新鮮な輝きに見えたのだ。
今日もいい日なんだなとつくづく思う。
よういどんしてしまって。ぼちぼちいこうとこころで決めたけれど。 昔から駆けっこが得意だったせいか。ついつい全力出しそうになる。 でもパン食い競争は苦手だった。いっつもビリ。泣きそうになった。
誰よりも早くパンの下まで走って行くのに。パンを上手く咥えることが出来ない。 みんなみんなあっという間にゴールへ着くのに。私はついに時間切れになってしまう。
まあそんな感じで。なんとなく私の人生もパン食い競争に似ている。
ぼちぼち行くのは結構むつかしいと思う。のんびりと元気でいたいのにな・・。
でも今日は。菜の花を見つけられたからすごい嬉しかったよ。
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