今朝のラジオの女性が。今年最後の月曜日ですと強くつよく言っていたのに。 うんうんと頷きつつも。気分は特に張り切るわけでもなくまた当たり前のような。
日常が始まる。
とにかく最近はとても平たく思うばかりで。かつての棘もかつての槍も。 どうしてそれが痛かったのか思い出せなくなり。もはや傷さえも見えない。
それよりもむしろ。誰かを傷つけやしなかったかと心はそればかりに傾く。 不確かな生き様だから自信は揺らぎつつ。よかれと思った行いがもしやと。 ふと気遣ってしまう事がずいぶんと多い。やはりやはり己を信じるに足りない。
だからこそもっと生きたい。

今朝メールボックスに届いていたクリスマスカードのありがたかったこと。 添えられていた言葉にどれほど救われたことだろう。
わたしはこのままでいいのだとおもう。
このままだからつたえられることがある。
そうしてここからあゆみだすひびをたからに。
これからもぽつねんとこれからもひっそりと。
ここにありたい。
| 2006年12月24日(日) |
暮らしぬきつつある日に |
三日月は横たわり微動だにせず。夜風はまるで春のようにやわらかくある。 耳を澄ましているけれど。なんだかとてもとても遠い。かかわりのないことが。
ことんことんと蠢いているようでもある。
午前中。これも春かと思うほどの陽射しに恵まれて。縁側の廊下に座り込んでは。 破れ障子の穴を埋めていた。障子紙の端切れをふたつに折って花のようにしたり。 星のようにしたりして。最初はめんどくさくてもとうとう夢中になって貼り終える。
先日は和室の北側の障子をすっかり張り替えてくれた彼は。今日はその気がなく。 茶の間の炬燵から這い出て来ては。なかなかええじゃないかとほめて逃げるばかりだった。
午後。息子くんたちが。早くもお正月用のお餅を持って来てくれた。 チエさんの実家が農家なのでもち米も豊富にあり。ここ数年ずっと届けてくれている。 今年は晴れて身内となったので。すごく気楽な思いもあるが。ありがたさも一入であった。
また大晦日の晩から泊りがけで来てくれるそうで。それはそれは嬉しいことだけれども。 もう息子くんの部屋だったところはサチコの部屋で。サチコの部屋は物置化している。 そのうえお布団さえもサチコが使っていて。我が家には客布団が一組もないのだった。
この30年近い歳月を私たち夫婦は。私たち家族はとことん暮らし抜いて来たのだと思う。 屋根裏部屋から始まった新婚所帯から。子供達を育てつつやっと新居を構えたけれど。 ありあわせの家財道具のままを苦とも思わず。ただただ平穏だけを望んで歳月が流れた。
息子たちが帰ってから。彼とふたり思うところはどうやら同じだったらしく。 この余裕のなさをあらためて感じ入るばかりで。ふたり向き合って苦笑いしつつ。
客布団を買おうなと決める。初めてのお客様が息子夫婦だなんてなんだか可笑しいけれど。
そのうえふっとまた同じことを考えてしまったのは。むしろ自然のことやもしれず。
どちらかが死んだ時のこと。やはり真っ白のシーツの組布団が必要だということだった・・・。

夕暮せまる頃。クりスマスケーキを頂きにいつもの店へ行く。 先日ビールを買った時に。クリスマスキャンペーンとかでクジを引いたら。 すごいラッキーやってケーキが当たったがよ。めっちゃ嬉しかったあ!!
| 2006年12月21日(木) |
くよくよしていたら逃げるぜ! |
なにかが迫って来ているようで。なにかに背中を押されたかのように。 つんつんと前のめりになっては。どこなのかどこへいくのかとふと考えては。 どこだっていいじゃないかと開き直るような気持ちで。今日も過ぎて行った。
どんよりと暗い曇り空。ついつい心まで翳りそうな日に。南天の実がたわわにあふれ。 希望の粒のように紅いのが嬉しい。そういえばいつかの冬。小鳥が幾つも飛んで来て。 その実の殆どを啄ばんでしまったことなど思い出して。それさえも微笑ましく目に浮かぶ。
そのくせ。ちいさなわだかまりを抱え込んでしまったらしく。気分が塞ぎこむのへ。 新聞の占いなどちらりと見ると「その自信をバネに飛躍を」と書いてあった。
自信とは自分を信じることらしいけれど。それを貫くのはけっこう難しいものだ。 ちょっとしたことですぐにくじけてしまう。一気に奈落の底みたいに落ち込んでしまう。 くよくよ思い始めたら手がつけられなくて。なんでなんでと自分を恨み始めたりする。
もっともっと堂々と胸をはって生きたいものだと。いつもいつもそう思う。

ああ。今日もありがとう若葉のライン。
支払いに来てくれたお客さんは。とある営業の仕事を頑張っているのだけれど。 今月というか今年というか。どうしてもあと一件契約を取らなくてはいけないらしい。
なんぼか焦る気持ちでいるだろうに。なのにすごく明るくて朗らかなひとだった。 健気なひとだと思うと協力してあげられればと心も痛むけれど。いいよいいよと。 笑って手を横に振る仕草。まあなんとかなるさと言ってぴょんぴょん跳ねるようして。
笑っていれば舞い込んでくるぜ!と言う。
くよくよしていたらみんな逃げるぜ!と言う。
そうして風のように身を翻し。颯爽とした後ろ姿で帰って行った。
人生がわからなくなりそうな日々がつらくてたまりませんでしたと。 あのひとは言って。まるで戦場へ向かうように背を向けて去って行ったけれど。
わたしの厳しさはとても一途で。どうしてもそれを曲げられない理由があるとすれば。
ただただ強く逞しく生き抜いて欲しいと願う。母のような心だったのかもしれない。
冬枯れの野に青く芽吹く雑草のように。その一面を枯野だと信じさせないでいたい。
折れた木の哀れさの根元にいつかの実が。ちいさく伸びて空に向かっていることを。
伝えてあげたい。おしえてあげたい。ひと目見せてやりたいと。いつもいつも願う。
あのひとはきっと。きっと生きている。
いちだんと冷たさを感じる朝のこと。昨夜降った時雨の道がきらきらと眩しい。 まるで空から光の粒が零れたのかと。それが道標のようにどこまでも続いていた。
そうしてながいながいトンネルをくぐり抜けて。道は山肌を縫うように峠道となる。
山里は濃い朝霧のなかひっそりと静かで。なんだか手探りで進むような道のり。 その薄ぼんやりとした景色のなかに。私がとても愛する冬けやきの木が見えた。
ふたつならんで。なんてしなやかな指先で霧を爪弾くように凛とそびえている。 ちょうど朝陽を背に受けて。その微かな紅い光に映し出された尊い命のように。
やはりふたりは愛しくてならなかった。
そうして仕事をしながら。今日はどうしても会いたくてならず。 郵便局へ行くからと言って。急いで育子先生のお宅へと走った。
すっかり霧の晴れた庭先で。朝陽をいっぱいに浴びて洗濯物を干していた。 ご主人の男先生はこれも朝の一仕事なのか。切干大根を干しているところ。 教職を退かれて幾年やら。育子先生は俳句をたしなみ、男先生は家庭菜園を。 のどかな山里で。それはそれはのんびりとふたり健やかな日々を送っている。
このいちねんの。私の軌跡のように自負しつつ。春からずっとの詩誌を届ける。 「詩を、詩を」とそれは待ち兼ねてくれていた様子で。感極まるのはむしろ私。
このいちねん詩をかけなかったことを詫び。私なりに精一杯志しているものとは。 未だとても心細くはあるけれど。ただただ一途に書き綴ってきたものがあった。
うるうると目頭が熱くなる。それを手渡す時に真っ直ぐに見詰め合った瞳には。 これも同じく私を映してくれるのか。なんともあたたかな優しい眼差しであった。
待ってくれるひとのあること。これほどありがたいことなどないと思う。 とてもとても励みに思い。また一途さに拍車をかけるように歩みだせるものだ。
そしてつかのま。ふたりで冬けやきの木を仰ぎ見た。 朝霧のなかでそれはそれは凛としていたことなど語れば。
育子先生が「ありがとう」って言ってくれて。 いつも見守ってくれるひとがいてくれるからだよって言ってくれた。
悲しくて辛かったあの日の。すっかり枝を切り落とされたあの日のことを思い出す。
それなのに生きた。こんなにも空に向かって生きているふたつの木は。
よりそって支えあうように。冬の空へと手を伸ばしていた。
| 2006年12月17日(日) |
ひとつ返事のありがたさ |
暖冬かと思いきや。また北風がぐんと冷たくひゅると吹いてきて冬らしくなる。 青空に雪雲のような重たい雲が。それはあっという間のことで時雨となっては。 またすぐに陽射しに恵まれる。かわりばんこの変化のなかでぽつねんと時を過ごす。
金曜の夜にふと思い立ち急遽仲間を集っては。昨夜ささやかな忘年会をしてみた。 ひとつ返事とはほんとうにありがたいもので。おっけいの声をとても嬉しく思う。
日頃から気の合うひとと。それぞれがありのままでいて気兼ねなく和みあう時間。 とても不思議だった。そうして声をかける勇気がまだ私に残っていたのかと思うと。 ついつい殻に閉じこもり気味だったり。些細な事でいじけてしまったことなど。 あれは悪い夢かそれとも錯覚かと思わずにいられなくなり。新たな自信ごときが。 またむくむくと起き上がってきたように思う。それはほとんど希望のような息だ。
だけど決してその自信に頼り過ぎないことを切に思う。 控えめでいることと。殻に閉じこもることとは。まったく違うことなのだから。 むしろこの先控えめを選ぶ勇気こそが。いまの私に必要なのではないかと思う。
ひとつ返事のありがたさ。気軽く肩を並べてくれたひとへの感謝の気持ちを。
大切に育てていきたい。ありがとう。すごいすごい嬉しい夜でした。
| 2006年12月14日(木) |
ひとかけら。ふたかけら。 |
とめどなく。つつと音を零すように雨が降れば。冬枯れの景も艶やかに映るもの。
ひとは師走を背に受けつつも。垂れ込めるほどの雲の真下で。ぽつんぽつんとただ。 時にまかせて進むしかなく。わたしなどはとうとうあっけらかんとするほかなくして。
いちにちが今日も暮れる。とくに切羽詰る事もなければ。夜などは腑抜けに限る。
腑抜けつつも。何かを見繕うようにしながらひとかけらふたかけらと想いを巡らせ。 こうしてとりとめもなく筆ではなく指をぎこちなく動かしていると。不思議なもので。
そのひとかけらにたいしてふと真剣に向き合ってみようではないかと思い始める。 するとまたふたかけらめに飛び火するように気分が散漫とし始めるものだから。
きゅっとひとくち。ついつい酒を煽ってみたりするのだった。
どうどうどうと。わたしはお馬さんなのか暴れ馬なのか。もっか得体の知れないもので。 とにかく落ち着け。とにかく静まれと。ひたすら心を撫でさすっているところであった。

ありがたいのはひたすらこの若葉のラインである。
今夜は永谷園の『煮込みラーメン』を作った。野菜をいっぱい入れて土鍋で。 ほんと簡単すぐに出来る。熱々でふうふうしながらほっかほかにあたたまる。 時間が経っても麺が延びないのだ。だからサチコが遅くてもずっと美味しい。
四人分だから。明日の朝はちょっと残っているかな。また食べられると思うと。 なんかわくわくと嬉しくなる。納豆かき混ぜてトースト焼いてラーメンだぞ〜。
わぁ・・なんか。すごい気楽。ひとかけらもふたかけらも。もういいよ。
もうみんなみんな。ぐっすりと寝ておしまいなさい。
|