| 2006年11月30日(木) |
口に出して言えないこと |
冬の桜並木もいいものだなと。ふっと今日は思った。
夕暮がすぐそこまで来ているのを。その枝の指先に似た影で捉えては。 かなぐりもせずまさぐりもせず凛とあり。風のためにと道を標してあげる。
とぼとぼとあてもなく。ひともその道を歩いて行きたくはないだろうか。 追い立てられもせず早くはやくと呼ばれもせずに。ただただ歩いてみたいと思う。
帰宅して豚汁を作る。もう最初からおうどんを二玉入れるのが我が家流で。 味見しながら日本酒をちびちび飲むのが私流である。だから鼻歌が似合う。
彼と差し向かう頃にはほろ酔いがよくて。小料理屋の女将さん風なのがよい。 男は不思議と心を開いてくれるものだ。なんか今夜はひと恋しくてさって感じで。 世間話もそこそこに。ついには本音もぽろりと出ると。女将はついつい優しい眼差し。
あと三年なのだそうだ。彼の生きる目標というのは。もうそこで仕方ないと言う。 それは彼の父親が亡くなった歳。実のところそれに深く拘っているらしくて弱気で。 なんだかすっかりもうそこまでと決めつけているのが哀れでもあり愛しくもあった。
おまえは俺より生きろよと言わんばかりで。励まされているような寂しいような。 その真剣な風をかわすようにしながら。またまたそんなこと言ってとお酌をしつつ。
ひしひしと何かが迫って来る。このところずっと感じている不安がまた起き上がる。 私だって死ぬ時が来れば死ぬ。それはいつなのか明日なのかもしれないと思うけれど。
言えない。
思い残すことがあまりにもあり過ぎて。焦って急いで走りそうになる私のそばで。 彼というひとはいつだって冷静に見える。もう充分なんだって口にする時もある。
もしや彼も言えないのではないか。
そう思うと矢も盾もたまらなくなって。真心や労わりや気遣いや優しさのことを。 ひとつひとつなぞるように心がけるようになる。それはほとんど無意識のうちに。
私は愛されているのかもしれず。たしかに愛しているらしかった。
やはり青空は愛しいものだった。濁流の名残りの大河さえ眩しく光に満ちていて。 水鳥が群れて飛ぶ空から天使のように舞い下りて来ては。浮かぶ川面に心が和む。
今日は。悲しいお弔いの日であった。 その庭にはくっきりと切り揃えられた山茶花の垣根に。激しかった雨のせいか。 桃色の花びらがまるで小道のように散り続いていては。胸に痛く儚なげであるばかり。
私たち夫婦にとっては恩人にほかならず。そのひとがいてくれたおかげで今がある。 ふたりには元同僚であり。夫にとってはよき先輩でもあったのだけど。 すぐ裏隣に住んでいながら。その恩にどれほど報えたのかと問うてみても。 あまりにも不義理を重ねてばかりだったと。今になり悔むばかりであった。
身近すぎたのかもしれないとも思う。朝に晩にすぐ近くに声を聞きながら。 それに慣れすぎて。それが当然のように思って。気がつけばながい歳月が流れた。
だからこそ最期の声も真っ直ぐに届いて来てくれたし。すぐに駆けつけることも出来た。 だけど。救ってあげることが出来なかった。あと2分早ければもしやと悔まれてならない。
ましてそのはかり知れない苦悩や。とことん追い詰められていたであろう心痛を思うと。 ただただいつも笑顔だったこと。気さくで明るくて朗らかだったことばかりが浮かんでくるのだ。
お棺にたくさんの花に埋れて。決して安らかとはいえない死顔はとても遣りきれなかったが。
とうとう永久の別れ。「お父さんほんとにありがとう。今までお世話になりました」と。 残された奥さんが涙声で告げたのだった・・・。
悲しみに勝ること。それが感謝でなくてなんだろうとつくづくと思ったことだった。
「ありがとう」「ありがとう」とふたり手をあわせて。私たちも彼と別れた。
どんよりと厚い雲が重く苦しいほどに。濁流の大河を渡りいつもの道をいく。
国道沿いに良心市があって。時々そこで旬の野菜を手に入れるのだけれど。 今朝は。ちょうどその市をしているおばちゃんが荷をおろしているところだった。 三輪車っていうのかな。大人用の自転車だけど三輪で後ろにおっきなカゴがある。
ほうれん草や。ブロッコリーや。朝採れの野菜は新鮮でとても瑞々しいものだ。 この前買った丸大根がとても柔らかくて美味しかったので。今朝もあるといいな。 そう思ってクルマを停めたのだけど。昨日の大雨で畑に入れなかったのだそうだ。
じゃあキャベツ買うね。ブロッコリーも買うねと。初対面のおばちゃんだけど。 無人の良心市っていうのは不思議なもので。どんなひとが野菜を育てているのか。 すごく知りたくて。ぜひ一度会ってみたいものだと思っていたから。今朝は嬉しくて。 やたらと親近感がわいてきたりするのだった。おばちゃんもそうだったのかもしれない。 すごく嬉しそうに微笑んでくれて。なんとおまけだと言ってさつま芋をくれたのだ。
ほのぼのと温かい気持ち。なんというかそれは。お芋さんをふかした時みたいなほこほこ。
今朝っていいなあってすごく思った。そうして銀杏のはらはらと散った道を進んで行く。
仕事中。こんどは自転車でやってきたお客さんのおばちゃんが大根を持って来てくれる。 私のふくらはぎぐらいある立派なので。「珍しいはないけんど食べてや」ってくれた。 私はジーパンを捲り上げて比べてみたりして。とてもとてもはしゃいでしまったのだ。
そうして午後。今度は「おもと売り」の商いの人がやって来た。島根の大根島から来たという。 おもとは『万年青』と書くだけあって。その緑は活き活きとしてなんとも鮮やかな青。 何種類もあるという万年青は。七色にガクの色が変るもの。赤と紫の可愛い実のもの。
出雲の神様が宿っているとか。こんなに縁起のいいものはないとかの売り言葉に。 とうとう負けて経費で二鉢買えば。もう一鉢おまけにつけてくれるというありがたさ。
実は今日。先月分の電気料を払わなければ。明日職場の電気を止められるのだったから。 ほんとうは万年青どころではないのを。ええいと笑って奮発してしまったのだった。
笑う角には福来るを。最近ではとことんそれになりきっていて。なんとかなるさと笑ってばかり。
そこへ。今度は農家のお客さんのおじさんが軽トラックでやって来る。 ぷ〜んといい香がするのは。手にいっぱいの柚子を持って来てくれたのだった。 レモン色によく熟れた柚子は。頬にきゅっと唇にきゅっとしたいほどの芳香を放っていた。 大根島のお姉さんにもおすそわけ。きっときっとまた来ますと笑顔で帰って行った。
今日っていいなあって。すごいすごい嬉しかった。ありがたいことがいっぱいだもの。
そしたら帰り際。今度はすぐご近所のお客さんが福島の柿だというのを持って来てくれる。 今年の地元の柿は悉く熟れる前に落ちてしまって。初物さえも知らずにいたので珍しく。 事務所の机の上に並べてもらった柿の艶やかな色が。なんだか懐かしい色に映ったほどだった。
ひとはみなこうして温かく。笑顔には笑顔が何倍にもなって返ってくるように思う。
くじけちゃいけない。福はいつだって思いがけない笑顔で会いに来てくれるものだから。
朝からまるで嵐のごとく。叩きつけるような雨と雷のいちにちだった。 夕方やっと静かになり西の空が薄っすらと明るくなって。そっと窓から。 真っ白な太陽が見えた。光もせずそのまるい不思議さに心がほっと息をする。
はりつめていたものが。ふわりっとそこから空へと飛んでいったように思えた。
昨夜すぐ近所でとても衝撃的なことがあり。家族みな気を落としつつ。 この世にはなんと計り知れないことがあるのだろうと。恐さや不安や嘆きや。 ひとの命の儚さをこれでもか。これでもかと思い知らされた出来事であった。 断末魔のような悲鳴が耳から離れない。なんとも痛ましいひとの死であったろうか・・。
気を取り直しつつ。それを語らぬふうに努めながらも。激しい雨の音さえ心に疼き。
命の尊さをつよくつよく思う。いちばん悔んでいるのは自ら命を絶った人に違いない。
| 2006年11月24日(金) |
もう決して逃げはしない |
恵みの雨が降り止まずにいて。銀杏の黄金色が蜜柑色に映されるのもよいもの。 灰色の空にも似合うものがあるのを見ると。心がほっと投げ出されたようになり。 冷たい雨の中。小走りにどこかあてもなく転がって行ってしまいそうで。はたと。
立ち止まる冷静に息をする。このままではいけないのではなくてこれでいいと。 思うときが。もっともっと。あるべきではないだろうか。ふとそんなふうに思った。
執念深い奴だなあと彼に呆れられたのは。若い仲間ふたりの婚礼についてであった。 ずっと自分の息子のように娘のように慕っていたのだけれど。前日までそれを知らず。 もちろん披露宴の招待状も届いてはいなかったことを。愚かにも私は嘆いたのだった。
彼は笑いながら。おまえもアホだなあと言い。若いもんにはそれなりの付き合いがあると。 おまえみたいなババアを誰が招待してくれるもんかと。ますます悲しい暴言を浴びせ。
だからと言って私は反論しなかったけれど。これはなんという寂しさだろうと思った。 そしてすごく納得したのは。このところずっと感じていた疎外感に他ならなかったのだが。
考えれば考えるほど。自分はそれほど煙たいのか。それほど邪魔者なのか。消えればいいのか。
いじいじめそめそ。こうなったら手がつけられず。片時もそればかりに拘ってしまうのだった。
その時ふっと思い出した笑顔があった。夏の日のことキャンプに誘ってくれた青年こと。 その前には飲み会にも呼んでくれて。少し遅れて行ったのを「こっち、こっち」と。 手招きで隣りの席に呼んでくれたのは彼女だった。あの時はほんとに嬉しかったなあ。
ここ数日。ずっとその笑顔を思い浮かべていて。それがどんなにありがたいことだったか。 それなのにどうして私はふたりを恨むような気持ちを抱きしめようとするのだろう。
ふたりが晴れて結ばれて。こんなに嬉しいことはないのに。こんなに祝福しているというのに。
伝えなくちゃってすごく思った。真っ直ぐにとにかく私はもっと素直になりたかった。
今夜またふたりに会えてほんとうに救われる気持ちで。お母さん嬉しいようって。 ちゃんと言えた。そしたら懐かしいような。愛しくてたまらない笑顔が返って来たのだ。
壁はあくまでも私自身ではあるまいか。くよくよと思い詰めてはそれを築いていたのは。
わたしなのだ。
ならばコツコツと少しずつでもいいではないか。その壁を壊してみるべきだ。
愛しいものから。もう私は決して逃げはしない。そう決めた今夜であった。
| 2006年11月23日(木) |
さあさあ。無礼講だよ。 |
二十四節季の『小雪』を境に降り始めた雨は。さすがに冬らしく冷たく感じるものの。 恵みの雨だと思えば軒下の鉢植えなど。かき上げては庭先で雨に打たせたりしていた。
我が町では『一条さん』と呼ばれる大祭の日でもあり。昔から決まったようにその日は。 木枯らしが吹き荒れては。霙まじりの雨が降ったりでついに冬の気配が濃くなる日でもある。
子供達が幼い頃はせがまれて参拝にも出掛けたが。もはやそれも遠い日の思い出となった。 出店で綿菓子を買ったり。鯛焼きを買ったり。玩具のひとつは必ず買ったりしたものだった。
昔な話をするときの夫婦は。なんともいえない郷愁に似ていて。穏やかな笑顔など。 微笑ましく。時の流れなどを愛しくも思い。懐かしさで胸がいっぱいになったりもする。
そうしてそれぞれの休日をする。夫はもはや自室となった茶の間でTVやらプレステやら。 妻はこれも恵まれた自室に篭り。エアコンで惜しみなく暖めては読書にふけるのであった。
夕暮て。今日もまた『おでん』にした。というのも『一条さん』といえばおでんで。 若き日同じ職場だったふたりには格別それが尊い思い出であるらしく。会社では。 その日は無礼講で。お客さんには振舞い酒をし大鍋でおでんをことこと煮ていながら。 その具が足らなくなると女子社員は近くのスーパーへ買いに走らされたものだった。
ガゾリンスタンドであるから。当然お客さんは皆クルマに乗って来ているのだけれど。 ガソリンを入れたら最後。そのまま真っ直ぐ帰れないのが『一条さん』なのであった。 常連さんはもちろんのこと。たまたま通りすがりでも容赦なく。ここで引き止められるのは。
今思えば大いに不謹慎でもあるのだけれど。それが土佐中村の無礼講であるものと言える。
町をあげての『一条さん』は商家民家を問わず。通り掛かれば皆古き友にもなり得。 昨日までは見ず知らずの人でさえ互いに肩を並べて。とにかく酒を酌み交わすのであった。
懐かしさを語ればきりがなく。今はそんな風習も悉く影を薄めてしまったのは寂しく。 よき時代だったと語り合うひとが。そばにいてくれるだけで心が和むものでもあった。
さて。ひと煮したおでんを台所のストーブに設え。あたりがすっかりおでんな匂いに満ち。 妻としては。まだ午後四時にも関わらず、純米しぼりたてと銘打つものなど喉から手が出て。
されどこっそりとはさすがに気が咎めるものだから。一応はお伺いを立ててみるのが道理。
すると茶の間でふんぞり返っている彼の言うことに。「今日は無礼講だぞ!」と。 見るともうすでに缶ビールを飲んでいるのであった。おっし、おっしそれはいい。
純米しぼりたては。冷やでくいっといくのがなかなかによいものであった。
なんと幸せなことだろうと。窓の外冷たい雨にゼラニウムの紅色も鮮やかに見え。
気がつけばどれほどの時を過ごしてきたものか。
すべてが思い出とは。なんとありがたいことだろうと思うのだった。
| 2006年11月21日(火) |
秋の蝶か。冬の蝶か。 |
蜘蛛の糸が花びらをいちまい攫って行った。
もちろんそんなつもりはなかったと思うけれど。 たまたま風が吹いてきて花びらが散ってしまったのらしい。
離れたところからそれを見つけて。珍しい蝶々がいると思った。 薄紫の蝶々はゆうらゆうらと揺れていて。とても遠くへは飛べないふうで。 誰かに操られているかのように不自然に。その場所を離れようとはしなかった。
とても不思議な光景だった。そして駆け寄って見ると透明な絹糸のごとくあり。 か細くもそれにしっかりとしがみつくようにして花びらは風に吹かれていたのだ。
野牡丹の花だという。夏から秋深くまで咲き続ける花だそうで。民家の軒下で。 もうすでに終わりの頃を迎えてしまったのだったが。木枯らしなどは哀しくて。 今日の優しい風をありがたく思いつつ。今にも切れてしまいそうな心もとなさは。
運命だとひとがいうようなことなのかもしれなかった。
蜘蛛はどこに行ったのやら。たぶんもうその糸のありかさえ思い出しもせずに。 花びらは。まさか最期に繋がることなど夢のように思っては。風の声を聞くばかり。
その時。まるで絵のように黄色な蝶々が飛んで来た。 そしてしばらく花びらの周りを舞って舞ってしながら。
陽だまりのなかへ。不安げにとびたっていった。
秋の蝶か。冬の蝶か。なんだかそれはとても儚い姿だった・・。
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