いまか細く鳴いているのは誰だろう?鈴虫くんかな蟋蟀くんかな? 消え入りそう。どこなのかわからないけれど。どこか遠い闇のなか。
夜風がなんだか騒がしい。ざわざわとしているのが。なんか自分もで。 窓ガラスがことことして。胸騒ぎをおぼえる。なんだろう?これって。
深くはならずにいたいものだ。もっと浅くもっと軽くいまを突破したいものだ。
思うようにいかない。理由など探せなくて。ただただ気分が散っているのを。 宥めるためなのか。いつだって頼るのは酒で。それを阻止する心を持たない。
そうだ、ポッキーを齧ろう。かりかりぽりぽりポッキーを齧ろう。
ポッキーが折れてた。小袋の中で二分の一や三分の一になっていた。
指に熱でもあるのかな。すぐにチョコが溶けてしまう。ええい舐めちゃえ。
人差し指と中指を交互に舐めていたら。なんか愉快な夜みたいで楽しくなる。
ほんとはちゃんと書きたかった。ごめん。まだまだ散っているから。
散らしといて。
小紫の実の粒々の枝垂れ咲くのを。せつない色だと思い。愛おしくもあり。 峠道行けば。つわぶきの花が。陽の当たらぬ岩清水のそばでひっそりと咲く。
長い髪のおんな遍路さんが。なんだか苦しそうに立ち止まり。梢を見上げていた。 むしょうに声をかけたくてたまらないのに。はっとしながら追い越していくのが。
こころに痛く。行き過ぎればつかのまのこと。杉木立のうえは真っ青な空だった。
山里はまぶしいくらいの朝の光に満ちて。真正面からその光が降ってくるのを。 ひとつ残らず受止めたい気持ちでありながら。つつと零れ落ちていくのだった。 儚いとは決していうまい。我が身のほどはいかばかりか。もうじゅうぶんな光。
おかげさま。私は忘れてはいない。何度だってそう言い聞かせてあげたい。
もうじゅうぶん。たりないものなど。なにひとつ思い浮かばないでいる。
| 2006年10月11日(水) |
位置について。よういどん。 |
今日は南西の風。ここいらでは沖の風という。ほのかに海の匂いがする風。 そんな風のさなかで。山鳩の声がする。くっくうぼっぼぅ。くっくっぽう。
リズミカルで可愛らしくて好きだなと思う。姿は見つけられないのだけれど。 なんだか首をこくこくっと動かしているような。うんうんと頷いているような。
そんな窓辺にいると。すべてをつつみこむような穏やかさでぽつんといられて。 なんだっけ。なに考えていたんだっけと。少しばかりの物憂げもちょっと過去。
いつもの仕事を休ませてもらい。今日は家業の川仕事に出掛けた。 海苔養殖の網を漁場に張る仕事だった。水中歩行もなかなか面白いもので。 浮力にまかせってぷっかぷっかと川の中を右往左往するのが。ちょっと好き。 天職のように思う。どうか自然に恵まれますようにと願いながらの作業ほど。 遣り甲斐があるし。やってみないとわからないからとにかくやるというのが。 私はすごい好きなのだ。
夜は夜で。またいつものバドクラブで汗を流す。ちょっとハードなのがやはり。 私はたまらなく好きで。あとの疲れとかはあまり気にせず我武者羅に動くから。 案の定。帰宅するとどっと疲れが襲ってくる。その脱力が癖になる。そんな感じ。
そして今日いちにちのご褒美みたいに思って。お酒を頂いているのだけれど。
こころはとても新鮮で。なんだっていちから始められそうな気分でいられる。
よういどんだ。転んでもいいからへこたれてもいいから。また走り出したい。
ずっと青空でよかった。負けないようにって思う。 負けそうになったら雲になって。ぽかんぽかんと。 羊みたいなのや。くじらみたいなのになりたいな。
風まかせなのがいいなと思う。そういうのが好きだ。
ずっとどこかちょっと痛くて。日に日にそれが薄らいでいる。 だけど後ろ髪をひかれるような。それがいまだに残っている。
だとしたら。それが忘れてはいけないことの証しかもしれないのだが。 忘れずにいて前へと進むのは。なかなか思うようにいかないものだった。
記憶は消せない。それが当たり前なのだろうと。ちょっと観念している。
書いて確かめる。書いて思い出す。書いて戒める。書いて歩みだす。
書けなくなったら。死んだと同じだと思う・・・。
このごろ。なんだかむしょうに種をまきたい。
春に咲く花のことばかりを想っている。
すっかり陽が落ちた川辺の土手から。リズミカルな太鼓のような音がする。 ぽこんぽこんとそれはまるで月夜のタヌキさんの腹鼓のようにも聴こえる。
軽やかで陽気だった。なんの音だろう。誰が叩いているのだろうとずっと。 それはずいぶん前から。春も夏も夕暮れ時になると。聴こえてきていたから。 気になっていた。歩いて行ってそっと確かめてみようと思ったりもしていた。
それが先日。とても思いがけないところでその正体というか。それを見たのだ。 『シャンベ』という打楽器で。西アフリカなどで古くから伝わっているものらしい。
ネットのなかでそのひとに会った。ほんとに偶然にそのひとを見つけたのだ。 その『シャンベ』の写真の向こうがわは。確かにうちのすぐ近くの川辺だったから。 そしてもっと驚いたのは。そのひとがうちのすぐ裏隣に住んでいることだった。
子供の頃はよく遊びに来ていた。テレビゲームしに漫画読みにも来たりしては。 昨日のことのようにも思うけれど。もうあれから20年近く歳月が流れたらしい。
成長とともに遠ざかる。裏隣とはいえそれ以来会った記憶がなかった。 もう30歳になったらしい。なんぼか立派な青年になっていることだろう。
ネットのなかで再会するなんて。ほんとうに思ってもみなかったことだったから。 私の放ったコメントに。汗だらけの顔文字で応えてくれたことに。ほんの少し。 それがいけないことのように私には思えた。そっとしておいてあげればよかったと。
だけど気のせいだろうか。そのことがあってから今までよりももっと。 シャンベの音がよく聴こえるようになったように思う。
いつも楽しみに聴いていますって。伝えてよかったのかもしれないな。
陽気なおと。うなだれていてもついついからだが活きて来る。
それはとてもありがたいおとだった。
午後5時。西の空が紅に染まった。まるで緋鯉が泳いでいるかのようだった。 5分後。ちょっと目を離したのがいけなかったのか。緋鯉は姿を消してしまい。
そこには墨汁が飛び散って。そこにはちいさな子供が悪戯をしたような空がある。 そんなことがささいな嘆き。拘ればこだわるほどせつないものがまた落ちてくる。
寒露。冬鳥が渡り来て菊花が咲き。秋に鳴く虫が衰える頃だそうな。 飛翔するもの。咲誇るもの。衰えるものがあれど嘆くことはすまい。
こころに秋風などと。真に受ければどんどん吹かれてしまいそうなこの頃。
すくっと立って。よろけぬように。いっぽいっぽといかねばなるまい。
秋晴れというのだろう。真っ青な空はより高く。西からの風が心地良い。 お隣りの秋桜は庭いっぱいにあふれそうに咲き。洗濯物を干しながらいて。 ついつい微笑んでしまう。わずかばかりの切なさなど。この時はもうなく。
庭にうずくまるようにして草をひく。雑草とはいえ緑はいとおしいものだが。 その健気さを引きむしる行為は。ふと一瞬の決意に似て無心に手が動き始める。
犬小屋のそばの鉢植えを手入れしていると。例の如くあんずが甘ったれた声で。 閉め切ってある柵を右手だか右足だかで。ちょちょいと簡単に押しのけて来て。 私が後ろ向きならお尻を。前を向けば顔をなめようとして擦り寄って来るのだった。
「まぎらんといて」とは。邪魔しないでということなのだが。聞く耳を持たない。 「無視せんといてよ」と言えない彼女は。ひたすら鳴くことでそれを伝えてくる。 くぅくぅとしつこいくらいに鳴く。それはもはや根比べのようでありながらも。
とうとうヒステリックな荒い声で。箒でひっぱたかれるのは酷いことでもあった。 犬小屋に走り込んだあんずは。それはそれは恨めしそうな顔で私を見つめている。
もうすでに老犬だった。ひとの歳ならば70歳に近い頃だろうと思う。 恋さえもさせず子も産ませず。朝夕の散歩だけが楽しみの柵の中の暮らし。 不服も言えず怒ることもせず。そのうえたまの甘えさえも叱られるばかり。
そして今日は。年甲斐もない落ち着きのなさを詰られてしまったのだった。 まったくもうとそれを告げ口しているのは。紛れもなく母親らしきひとである。
父親らしきひとは。ああまたおまえたちかと。なぜかそこでも微笑んでみせて。
「犬だからさ」と言う。
その一言ほど身に頷ける一言はないくらい。はっと我に返ったわたしだった。
この先もっと老いていく。私の十年が彼女の一年になりどんどんとすすむ。 甘えたくてはしゃぎたくて。たまにはぎゅっと抱いてほしいくらい寂しくて。
閉ざされた柵のなか。そこが彼女の唯一の安住の地なのかもしれなかった。
彼女は。ずっと犬だから・・。
わたしは。ずっとおんなだから・・。
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