朝の道の。血の色をした花は好きだけどこわくて。胸がどきどきしてしまうのだ。 季節ごとにいろんな花の写真を撮ってきたけれど。いまだかつて撮れない花だ。 感じるこわさは。恐ろしさとはちょっとちがう。言葉に出来ない何かがそこに。 群れをなして咲き乱れているのが。私はとてもこわいと思ってしまうのだ・・。
そんな朝の道で出会うお遍路さんの白装束が。私を安堵させ私を救ってくれる。 背中に手を合わせ。横顔に会釈しては。進む峠道。見上げればいつしか秋の空。
とつにゅうしていく。ここから日常が。穏やかに色をなして進み始めていくのだ。
かつての苛立ちは。いつしか諦めに姿を変え。どうにもならないことだから。 なんとかしようとは思わず。とにかく終らせてしまいたい日々ばかりが続く。
微笑んでもみたり。そうすることでまわりを明るく出来るのなら。私のような。 不甲斐ない者でも。陽のように降り注ぐことができるのかもしれない。だから。 いつだって精一杯でありたいと思う。押し殺すのは自分だけに留めておきたい。
風が吹く。刈り取られた裸んぼうの田を縫うように。揺らぐものを見失っては。 どこまでいくのか。いきあたりばったりで。風がひゅらりと舞い過ぎていった。
いつだって家路を急ぐ。私はまるで吉本新喜劇の新人芸人のふうで。さて今日は。 彼をなんとしても笑わせてやろうと意気込んで。そのための笑顔をいっぱいにして。
「おっはよう!」って扉を開けると。「今日も早いお帰りですな」と彼が笑う。
彼によく似た代議士が。このたびめでたくなんとか大臣になったのを樹にして。 今夕から彼を「大臣!」と呼ぶことにした。
めでたい日なのに。鯵の開きでは誠に申し訳ないのだが。大臣は文句も言わず。 出されたものは何でも美味しそうに食べてくれるのだった。ほんにほんに彼は。
ありがたいひとであるゆえ。手を合わせつつご飯をよそい。よいしょよいしょと。 満面の笑顔が何よりの幸福であることを。もはや私は疑うことさえしないのだった。
幸せとは。そうしてほしいと願うものではない。
幸せとは。いつだってじぶんでそう仕上げていくものだ。
幸せはとは。仕合せとも書く。肝に命じて本日を終了としておく。
| 2006年09月26日(火) |
みかちゃんとわけわかめちゃん |
いま窓の外は一番星と三日月。右舷の月というべきか絵のような夜空だ。 しばしぼんやり。なんだか少しばかり腑抜けていて。無気力を愉しんでいる。
ふうとかはあとか息を吐いては。あれこれをおとなしくさせようとしている。 のだけれど。ちょっと情緒がいまいちなのか。いけないいけないと思っている。
早くサチコが帰って来ればいいな。今日は遅番なのかな。待ち遠しいなあ。 今夜も母娘漫才みたいなのしたいな。ふたりでウケて泣くほど笑いたいな。
ヘルプだよ。サチコ。ママ待ってるよ。
それからどうしよう。ああ、そうだテレビ観よう。『ナースあおい』あるよね。 あおいちゃんめっちゃ好きなんだ。きぶんてんかん。きぶんじょうじょうだね。
なんかさ。このままだと支離滅裂しちゃいそうなんだ。 原因はわからない。わからないからちょっと苛立ってる。 パシっと平手打ちとかして欲しいくらい。わけわかめだ。
しゃきっとせえよ。しっかりせえよ。みかちゃん!!!
ほんまにヘルプや。サチコはまだか。サチコ急いでくれ。
今朝はいちだんと涼しく。ぶるぶるっと肌寒さを感じるほどだった。 暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったもので。いまがその境目らしかった。
お味噌汁を作りながらその湯気を暖かいなと思う。そして厚焼き卵を焼く。 ウィンナーをころころと炒める。朝刊がコトリっと郵便受けに届く音など。 はじまりはいつもこんなふうで。それが平穏の合図のように時が進み出すのだ。
その時窓の外で一斉に何かが蠢いて。大音響のごとく騒がしさが聞こえ始めた。 いったい何事だろうとブラインドを指でちょいっと開けて覗いてみたところ。 ものすごい数の鳥の群れがいた。電線に等間隔にあっちもこっちも交差するように。
彼が言うのには。それは椋鳥だということ。どこにでも居るだろ珍しくもないぞ。 って教えてくれたけど。私にはそれが珍しくて。こんなにいっぱいなの初めて見る。
すごいすごいよって思わず外に飛び出してしまい。しばしぽかんと見とれていた。 なんだかすごい刺激的で。そのうえ極上のこれが活力でなくてなんだろうって思う。
出勤前にネットで調べてみた。椋鳥のこと。日本国中にそれは生息しているらしい。 北の地が寒くなれば群れをなして南の地へと飛んで行くのだそうだ。だとすると。 もしかしたら北海道から来たのかもしれないなって。ひとり納得したりするのだ。
飛ぶってすごいななんて。やたら感動してしまう。胸がきゅきゅんと嬉しくなった。
きっかけはいつもこんなふう。ささやかな贈り物が思いがけず届いた時のよう。
受け止めるこころ。時には何も気づかずにただ流され過ぎてしまうこともある。
謙虚な自然は。ちょっと待ってよとは言わない。ましてやちゃんと見てよとも。
だからこそ見つけてあげるんだ。この目でこの心でいっぱい受け止めてあげたい。
| 2006年09月24日(日) |
穏やかな風ふく午後に |
少しうす曇の空から。やわらかな陽がほろほろと降り注ぐ。 地区の小学校は運動会らしかったが。風向きのせいか音楽も聞こえず。 あのよういどんの時のピストルの音も聞こえなくて。嘘のように静かだった。
午後。近所でお葬式がありお悔やみに出掛ける。 ずっと看護士をされていた女性で。先ごろ退職してからは自宅でのんびりと。 お孫さんの相手をしたりして毎日を過ごしていたらしい。 急に激しい頭痛に襲われたのだそうだ。すぐさま異変を察したのであろう。 ご主人の運転で病院へ行ったらしい。でも診察ではどこも異常が見つからず。 とりあえず脳波を撮ることになり。しばらく待合室で待っていたのだそうだ。
日頃から明るい性格で。その時もご主人に冗談を言ったりして待っていたらしい。 でも。突然そこで倒れてしまい。そのまま意識不明になってしまったのだそうだ。
手を尽くしても尽くしきれず。とうとう亡くなってしまったのだった・・。
お孫さんの運動会をとても楽しみにしていたそうで。それが今日だったというのに。
読経に耳を傾けながら。次第に惹き込まれるように心が張り詰めてくるのだ。 いままさに引導を手渡そうとしているとき。なんぼか口惜しかろう。なんぼか。 未練が残るであろうと。和尚さんがゆっくりと語りかけるように悟し始めていた。
ええい!ええい!と声が高くなる。それはかつて聞いた事がないほど強い声で。 終いにお棺を思いっきり叩く音が響く。とても強い力で。これでもかこれでもかと。
そして和尚さんはガクっとなり。一瞬うなだれたように見えた。
そして振り向くと。「終りました」と皆に告げてくれたのだった。
肉親のひとたちはもちろん。参列者のあちらこちらからも啜り泣く声が聞こえる。
逝くことは。決してあっけないことではないのかもしれないと思った。 死を受け止めなければいけないということは。ものすごく過酷な試練なのだろう。
ひととして生を受け。それがほんとうに最後の最後の試練なんだと思った・・。
なにごともないはずはないというのに。
痛いほどに。穏やかな風が吹く午後のことだった。
秋分の日。彼とサチコと私とでお墓の掃除に行く。 小高い山の上。まるで冬のように落ち葉が降り積もり。 木々のあいだから突き抜けるように風が吹いてくる。
身が引き締まる。なんだかいつもここに来ると清く。 厳かな気持ちになれる。そしてなぜか懐かしい場所。
秋桜の種をきっと蒔いてね。サチコに頼んであるのだ。 それはもうずいぶん前のことだった。生かされている。 こんなにありがたいことはないと。やっと思えるようになった。
我が身の罪深さを悔み。もういつ死んでもいいのだと嘆いた。 母であることや妻であることをすっかり忘れていたのだろうか。 女である自分だけを憐れむ。それがどんなに愚かなことだったのか。 もういまはじゅうぶんすぎるくらい。思い知っているつもりである。
まだ少女だったサチコは。どんなにか不安だったことだろう・・・。 秋桜のこと。おぼえているのかな。思い出すのはずっとずっとあとに。 どうかそれまで忘れたふりをしていてね。母さん秋桜好きだったなあって。
ひたすら生きたい。いまは執着するくらいそのことにこだわっている。 思い残すことがなくなるまで。生きられたらどんなにいいだろうと思う。
悔んでも悔んでも。それを糧にしてひとは生きられるのではないだろうか。
日々は愛しい。こんなに愛しくありがたい「いま」はないのだと思っている。
| 2006年09月22日(金) |
さびしいという気持ち |
夜の来るのがとても早くて。そして夜はとてもとてもながい。 鈴虫やコオロギや。網戸越しにそよと吹きこむ夜風や。酒や。
戯言や。胃の重さや。溜息や。ちょっとした苦悩や。あれこれの。 つかみどころのない思考を弄びながら。眠くなるのをじっと待つ。
さっきまですごく笑っていた。その反動なのか。なんだかしゅんとしている。 どうしようもなく静かだなあって思う。だけどひとりきりが好き。そんな矛盾。
例の如く。今夜も仲間達とわいわい楽しく汗を流していた。 お疲れ〜おやすみ〜と言い合って体育館を出る時。いつもひとつの輪が出来る。 その輪に入り込むのは容易ではなかった。ちょっとくじける。ちょっといじける。 そこにはバリアみたいなものがあって。立ち止まってはいけないような空気がある。
まあ言葉で表現するなら「おじゃま虫」なんだけれど。いまひとつ自覚が足らない。 身の程をもっと知らねばといつも思うが。私というひとはあまりにも身の程を。 知らな過ぎるのではないかと。なにが障害なのか。その事実を知るのが怖いのだ。
歳をとるということはそういうことなのだ。微笑ましく遠巻きに見ていられる。 心のゆとりというものがない。漠然と感じる寂しさを。私は恨みがましく思う。
それが今夜は。どうやら私だけではなかったようだ。 もうひとりいた。私よりずっとずっと若い仲間のひとりだったが。 彼女もすごく寂しそうだった。ふたりで肩を並べて駐車場まで歩いた。
輪のなかに彼女の親しくしている友達がいた。いつも週末は一緒に買い物とか。 ランチしたりとか。すごく仲良しみたいなのだけど。今週末は駄目らしいのだ。
ちょっと待っていた。だけど輪はなかなか崩れない。早く駆けて来てくれないか。 私はクルマのバックドアを開けて荷物を放り込んだけど。彼女はじっと待っている。
「帰ろうよ」って言ってみる。「うん・・」と頷く。
そしてやっとエンジンをかけた。逃げるんじゃない。帰るんだよって。
さびしい気持ちがすごくすごくわかる。
さびしいという気持ちは。どうしてこんなに孤独なんだろうって・・・。
「負けないで」ってすごく伝えたくなった。がんばれじゃないんだ。 ちっともがんばらなくていい。いまだからこそ自分を愛してあげて。 救ってあげて。守ってあげて。見つめてあげて。抱きしめてあげて。
もどかしいのはいつだって。自分の無力さ。 だって自信はいつだって揺らぎ続けているから。 いったい自分になにができるというのだろう・・。 信念は幾度も幾度も折れ続けている。すくっとは。 むつかしい。すくっとは理想であり。希望でもあった。
毎朝通る道の。夏けやきの木。育子先生の家の庭にある。 いまは緑が溢れんばかりに生い茂っている。空に向かって。 それはとても誇らしげな姿だった。聳え立ち凛々しくある。
ある季節。それは一昨年の秋ではなかったかと記憶している。 ばっさりとその枝を切り落とされてしまったことがあったのだ。 その朝のなんと悲しかったことか。ぽっかりと心に穴があいたような。 なんともいえない虚脱感を感じた。夢を失ったような。とにかく。 とても大切なものを失ってしまったんだと思った。どうして?どうして? 遣りきれない怒りみたいな悲しみが襲ってきたことを今もおぼえている。
それからしばらくして。郵便局で偶然、育子先生に会えたのだった。 どうして?どうして?と私はまくし立てるように問うたのだ。 「ごめんね」って先生は言った。恩師にそんなことを言わせる私も。 尋常ではなく。いま思えば。すごく取り乱していたのだと悔まれる。
けやきの木は病気にかかっていたらしい。なんとしても救わねばと。 ご主人がとにかく切ることを決めたらしかった。悲しかったよって。 このさき生きられるのかわからなくてすごく不安だったけど切ったよって。
「ずっと見ていてね」って言った。それがその時交わした約束だったのだ。
その冬は。とても憐れだった。これまで空に伸ばしていた腕も手もなくて。 それは冷たい風に晒されている墓標のように見えた。悲しみが募るばかり。
だけど春。そのわずかな指の先が空を指し始めた。あっち。あっちだよって。 どこなのかわからない。そこはただ果てしない空で。ぼんやりと霞む空だった。
そして夏。その指先に緑の蝶々が留まっているのを見た。ひとつふたつの。 希望はそうして生まれてくる。諦めるもんか。負けるもんかって思ったのだ。
ずっと見ている。明日もきっと見る。もうすぐ緑の蝶々が死んでしまうだろう。
だけど。精一杯伸ばした腕で。その手で指で。空に向かって伸びていくのだ。
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