「負けないで」ってすごく伝えたくなった。がんばれじゃないんだ。 ちっともがんばらなくていい。いまだからこそ自分を愛してあげて。 救ってあげて。守ってあげて。見つめてあげて。抱きしめてあげて。
もどかしいのはいつだって。自分の無力さ。 だって自信はいつだって揺らぎ続けているから。 いったい自分になにができるというのだろう・・。 信念は幾度も幾度も折れ続けている。すくっとは。 むつかしい。すくっとは理想であり。希望でもあった。
毎朝通る道の。夏けやきの木。育子先生の家の庭にある。 いまは緑が溢れんばかりに生い茂っている。空に向かって。 それはとても誇らしげな姿だった。聳え立ち凛々しくある。
ある季節。それは一昨年の秋ではなかったかと記憶している。 ばっさりとその枝を切り落とされてしまったことがあったのだ。 その朝のなんと悲しかったことか。ぽっかりと心に穴があいたような。 なんともいえない虚脱感を感じた。夢を失ったような。とにかく。 とても大切なものを失ってしまったんだと思った。どうして?どうして? 遣りきれない怒りみたいな悲しみが襲ってきたことを今もおぼえている。
それからしばらくして。郵便局で偶然、育子先生に会えたのだった。 どうして?どうして?と私はまくし立てるように問うたのだ。 「ごめんね」って先生は言った。恩師にそんなことを言わせる私も。 尋常ではなく。いま思えば。すごく取り乱していたのだと悔まれる。
けやきの木は病気にかかっていたらしい。なんとしても救わねばと。 ご主人がとにかく切ることを決めたらしかった。悲しかったよって。 このさき生きられるのかわからなくてすごく不安だったけど切ったよって。
「ずっと見ていてね」って言った。それがその時交わした約束だったのだ。
その冬は。とても憐れだった。これまで空に伸ばしていた腕も手もなくて。 それは冷たい風に晒されている墓標のように見えた。悲しみが募るばかり。
だけど春。そのわずかな指の先が空を指し始めた。あっち。あっちだよって。 どこなのかわからない。そこはただ果てしない空で。ぼんやりと霞む空だった。
そして夏。その指先に緑の蝶々が留まっているのを見た。ひとつふたつの。 希望はそうして生まれてくる。諦めるもんか。負けるもんかって思ったのだ。
ずっと見ている。明日もきっと見る。もうすぐ緑の蝶々が死んでしまうだろう。
だけど。精一杯伸ばした腕で。その手で指で。空に向かって伸びていくのだ。
青空の日々が続いている。夏のような陽射しだったり。秋みたいな風。 もうすっかり稲刈りの終った田の畦に。紅いのがすくすくっと咲いて。 山里はとてものどかだ。夏を惜しむ蝉の声。ひゅらひゅらとトンボ達。
のほんとしている。ふしぎなくらい考えることを忘れてしまうくらい。
お祖父ちゃんに本を送る。走り書きだけど手紙を添えて送った。 また宮尾登美子で『きのね』を。きっときっと喜ぶことだろう。
会いに行かねばと思う。いつもそう思うだけですまないなと思う。 お彼岸だというのにお墓参りも行けない。ほんとうに薄情な孫だ。
私はすごく大切なことを忘れていたのだと思う。 自分のことばかりだったんだ。自分があとどれくらい生きられるかとか。 そればかりを不安に思っていた。そんなことはとても些細なことではないか。
職場のすぐ近くに住んでいる人で。地域のボランティア活動していたひとが。 昨日急に亡くなったそうだ。お昼寝してるみたいに寝転がっていたのだという。 お歳を聞いてびっくりした。とても81歳には見えなかった。元気溌剌だったし。 背筋をぴんと伸ばして颯爽と歩く人だった。疲れた日もきっとあっただろうに。 地域のお年寄達のお世話をしていたのだ。『サロン』を楽しみにしている人達が。 きっとたくさんいたはずだと思う。それなのに陰口を叩く人もいたと聞いて・・。 ショックだった。世の中には、自分に出来ないことをする人をそんな風にいう。 心無い人もいるということだろう。とてもとても理不尽で。悲しいことだと思う。
だけど「ほんとにありがたいひとだったよ」ってみんながそう言っていると聞くと。 ほっとする。最後の最期まで尽くしきったその人の命がとても尊く思えるのだ。
いのちはほんとうに儚い。その儚さを歩むのがひとというものであってほしい。
台風一過。爽やかな風と青空に恵まれる。 難を逃れたとはいえ。竜巻の怖さや豪雨の悲惨な爪痕を目にすると。 いつだって明日は我が身。他人事ではなく心痛めることばかりである。
平穏とはなんとありがたいことだろうと。感謝せずにはいられない。
『敬老の日』予感していたとうり息子君たちがお昼にやって来た。 「おばあちゃん家におらんかったぜ」と言って。残念そうな声で。
おばあちゃん。姑は畑仕事が何よりも好きで。少しからだが不自由なのだが。 ほとんど一日中畑仕事に精を出している。細々だけれど季節の野菜を作ったり。 どくだみのお茶を作ったりしては。近くの地場産市場へ毎朝出荷しているのだ。
お昼のサイレンが鳴ったのを合図に。ごとごとと手押し車を押して帰って来る。 その車がないと歩けないのだ。パーキンソン病なのでつんのめって転んでしまう。 それでも鍬を持つ。種を蒔く。水をやり肥料をやって丹精込めて野菜を作っている。
私が嫁いだ頃は。今の私より少し若いくらいの年だったのだが。とにかくエライ。 川仕事のかたわらに畑仕事。休むことが恥じだと思わせるくらいよく働く人だった。
だから当然のように私は戸惑うばかりで。今まで自分が育ってきた環境とは。 まったく別世界に投げ込まれたような違和感を感じずにはいられず。だけど。 それが嫁ぐということなのだろう。そう観念しそう理解するまでずいぶんと。 ながい歳月を要したように思う。いま思いおこせば。懐かしい若き日であった。
「あ!おばあちゃんだ」家の前の路地に。例の手押し車の音が聞こえ始める。 それを追いかけるように。たたったたっと姑の足取りが聞こえて来るのだ。
孫夫婦に呼び止められた姑の。なんともいえない微笑ましい姿。満面の笑顔。 ちえさんが先になって飛び出して行く。「お昼に食べてや」ってお赤飯の折り詰。 それから「おじいさんにもお供えしちょってね」って和菓子の袋を手渡してくれた。
その時のおばあさんの顔ったら。口癖の「夢にぼた餅」そのままだった。 私もすごく嬉しくて。なんだかじわじわっと目頭が熱くなってしまった。 25年も昔に亡くなったおじいさんのことまで。敬老の日してくれるんだ。
息子は大のおじいちゃん子だったけれど。今までここまで気のつくことはなかった。 ちえさんのおかげだなあって。ほんとうにいいひとに巡り逢ったのだなあって。 この縁を心からありがたく思わずにいられない。ちえさんほんとにありがとう。
ふたりは老人介護施設の同僚であった。 ともに老人心理学を学んでいることはさておき。たんなる仕事だと思うことなく。 毎日を「こころ」なくしてどうして尽くせようか。昨日手足をさすったひとが。 明くる日はこときれる。幾度も幾度も容赦なく命の終りを痛く受けとめながら。 これまで頑張って来た。これからもそれを使命のように感じては尽くし続けるだろう。
わたしはふたりを誇りに思う。肉親であることよりもひととしてふたりを労う。
| 2006年09月17日(日) |
どうか。見つけてあげてください。 |
幸いなことに台風直撃は免れたようだが。暴風雨圏内に入るらしく風が。 夕刻よりずいぶんと強くなった。雨戸を閉めきっていてもはらはらと気が。 落ち着かず。8時になったら『功名が辻』をみようとか。9時になったら。 『僕たちの戦争』をみようとか。いまは心ここにあらずだけども。少しだけ。
書き残しておきたいことがあり。ペンならず指を動かしているところである。
このところ読む本といったら。ことごとくネットのブックオフで買うばかりで。 街の本屋さんに足を向けることなどなかったが。今日は久しぶりに行ってみた。
雰囲気は嫌いではない。本屋さんというところはなんか気分がすくっとするので。 あてもなくというのもいいけど。まっしぐらにさがしていますっていう気分とか。 そういうのが好きだなと思う。だけどお目当ての本が見つからないとがっくりと。 肩を落として帰らねばならないので。まあそれも行き当たりばったりでいいのだが。
今日もそうだったけれど。文庫本のところの通路を出口に向かっているとき。 平積みにされている本のなかに。はっと心が惹きつけられるような一冊があった。
帯に「とにかく、見開き2ページ目の『詩』を読んで下さい!!」とある。 思わず立ち止まり手にする。そしてそこを開いてみたら。
『ごめんなさいね おかあさん
ごめんなさいね おかあさん
ぼくが生まれて ごめんさい』
ああなんてことでしょう。いったいどうしたの?なにがあったの? 放っておくことなんて出来ない。とにかく連れて帰らねばと思う。
そうして抱くようにして帰宅し。その事実とその真実とに向き合うことになった。 浪がとまらない。目が霞んでしまい。何度も涙を拭いながら。とうとう彼の死を。
知った・・・。
ちゃんと言葉にして。ほんとうはそうしてみんなに彼の生きていたことを。 知らせたいのだけれど。どうしても言葉に出来ないことがはがゆくてならない。
『詩』はこころだ。そのこころがこんなにも伝えたがっているというのに。 声にも出来ず。書くことも出来ない。だけど命ふり絞っても伝えたいことが。
どのような境遇に生まれようとも。それがひとというものの命そのものでは。 あるまいか。残された者はもっともっと耳をすまして生きなければいけない。
どうか。どうか。見つけてあげてください。
『お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい』 著者・向野幾世(扶桑社文庫)
Jさんへ。あのね。もうあたりは真っ暗になったけれど。蝉が鳴いているよ。 はんぶんこなんだ。風も空もみんな誰も決め付けたりしないよ。はんぶんこで。
いまはそれがちょうどいいのかもしれないね。
三連休というのを。私もしてみることにした。雨ちょっと降っては曇りな日。
宮尾登美子の『仁淀川』を読み終えて。むしょうにむしょうに書きたいと思う。 自分のこと。だけど10年前にはあった勇気が。いまはくすぼっていて。怖い。 いつかきっとって思うことは容易いけれど。そのいつかがある日突然なくなる。
そんなどうしようもできないことにとらわれては胸がきゅっと締め付けられて。 不安ばかりが襲って来る。わからないこのさき。生きてみなければなにひとつ。
決めることなんて出来ない。いかなくちゃ。とにかく行かなくちゃ。

ゆで卵して。大根を湯掻いて。おっきな土鍋に昆布結んだのを入れて。 おでんを作った。ことこと煮ながらいちばん好きなハンペンを味見しながら。 はあはあもう我慢できなくなって。「ねえ、今日ってなんかの日じゃない?」 彼にそう訊くのは。お盆だとか正月だとか誕生日だとか。そういう特別な日。 私がどうしたいのかすっかりわきまえている彼は。「敬老の日の前祝だろう」
やったあっと私は台所ではしゃいでいる。まだ5時前だというのに晩酌をする。 そして早くお風呂に入りなさいと彼をせかす。はいはいと彼が動き始めると嬉しい。
「どうも、どうもお待たせしましたね」って彼がテーブルにつくと。妻さんは。 もうかなりハイテンションなものだから。土鍋の蓋を開けてにこにこ笑っている。
大相撲を観ながら。あれこれ解説してくれるのは彼の得意とするところで。 へえ、そう、すごいねとか言って。餅巾着を食べる。玉子と蒟蒻を食べる。
まあるい平穏。まあるくすぎて。この身には過分ではないかと思うことさえある。
責めもせず詰りもせず。このひとはどうしてこんなにも私を赦してくれるのだろう。
私の過ちを忘れてはいないだろうに。どんなにか深く傷つけたことだろ・・・。 それなのに。こうして私の居場所をずっとここだと認め続けてくれたというのか。
込みあげてくるものをそっとそっと押し込めながら。 いつだって手を合わせている。拝んでも拝んでもおがみきれない。
彼は。わたしの観音様のようなひとだ。
台風が接近しているせいだろうか。今夜はどしゃ降りの雨になった。 雨音がじゃじゃじゃっとしていて。なんだか胸が騒ぐ。気が乱れる。
またバドの練習日だったので出掛けていたのだが。ほんの10分の道のり。 それが雨の夜となると。運転するのにすごくびびる。視界がとても悪くて。 緊張する。水溜りとかに突入すると心臓が張り裂けそうなくらい怖いのだ。
だから結局。バドは楽しいけれど。道中が苦痛だとか。今夜はちょっと弱音。 うん。まあいい。たまには弱音も吐きたい。そんなに私は強くないんだもん。
練習中に。S君がM君に怒られていた。S君はもっか我がクラブの成長株で。 めきめき腕をあげているのだけれど。先輩のM君と組んでゲームしてる時に。 ローテーションがいまいちだったらしい。なんかいつになく厳しい顔のM君。
そしてなんか怒鳴ってた。ちょっと見にはふざけているようにも見えたけれど。 それからS君は壁にもたれてタオルを頭からかぶって。息がはあはあしていた。
私は50センチの近距離にいて。なんかすごくはらはらとして。心配でならない。 「ねえ。明日休み?」って訊いたら。「うん、三連休・・・」って言ってくれた。
それから何事もなかったように。S君は笑顔でまた頑張ってた。M君も楽しそう。 すごくほっとした。私も楽しく頑張れたと思う。みんなの笑顔がいちばん嬉しい。
仲間のひとりに県のトップクラスのひとがいて。そのひとが太鼓判を押したのだ。 「あいつは絶対に伸びるぞ!」って。それがS君だから。みんなが応援している。
もちろん私も。すごいすごいファンなんだ。
なんか仲間なんだけど。ちょっと母親みたいな気持ちで。
眩しくてならない息子のように思うときがある。
「しんちゃん頑張れ」って。名前もうちのしんちゃんと同じだもんね。
はんぶんの曇りとはんぶんの青空に恵まれる。 そうして。その真っ只中を吹く風のように過ごす。
彼岸花が咲き始めた。今年は白いのから咲き始めた。 紅いのはまだ蕾だったけど。きっと明日咲くだろう。
風はまったり。風自身とくに急かねばならぬこともなく。 気の向くままに。ふうらふうらとあっちいったりこっちいったり。
なんかいい。こういうのが気持ちいいと。風は思ったりしたのだろう。
さて。みかちゃんは。あたしの夢ってなんだっけなあって。今朝。 いつもの峠道くねくね走りながら。お遍路さんにおはよう言って。 ああそうだったって思い出した夢があったんだ。いつ忘れたのか。 どうして忘れたのかとかあまり深く問い詰めたりしなかったけど。
夢あったなあって思い出せて。なんか我ながらやったあって嬉しかった。
アナウンサーになりたかったんだ。テレビじゃなくてもラジオでも。 声だけで存在してるひとになりたいなあなんて。すごく憬れていた。
声が命だって思ったりもした。そのためにはお腹の上にブロックだって。 載せて頑張ろうと思った。あっえっいっうっえっおっあっお〜!!
大学に行きたかった。でもそれが言い出せなくて。ああ違うんだそれ。 これっぽちも言わなかったんだ。言わないとそこで駄目なんだよなあ。 大学出ないと決してアナウンサーにはなれない。ああうんそうかって。 あの時すぐに諦めてしまったから。夢なんてとうとうそれっきりなんだ。
この頃はっと不安に思うことがある。 このままどんどん年取っちゃったら。しわがれたばあさんの声になるかな。 やがて孫とか出来ちゃって。ねん寝の前に絵本とか読んであげたりするかも。
それはそれでいいかもって思うんだけど。
今しか出来ないことが。なんかあるんじゃないかなあって漠然と思っている。
聴いて欲しい。すんごいこれは欲だけれど。
あたしの声を聴いて欲しい・・・。
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