ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2006年08月12日(土) 最後になんてするものか

去年亡くなった愛子ばあちゃんの初盆と一周忌をするため。
早朝より出掛けた。アンパンマンミュージアムのある町だ。

途中から高速道路に入ろうとしたが。事故のため通行止めになっていた。
しかたなく海岸沿いの花街道を通る。桂浜に通じている結構好きな道だ。
猛暑続きだったのに。街道の花壇の花がとても活き活きとして綺麗だった。
千日紅やブルーサルビヤ。松葉牡丹の愛らしさに。ずっとずっと海が見える。



ひろきじいちゃんが老人ホームから一時帰宅していた。
このいちねん訪ねることもしないで。なんて薄情な孫なんだろうと思う。
だけど。じいちゃんの笑顔にどんなにか救われたことか。
いつだって不安に思う。最後なのかもしれないと会うたびに思うのだった。

宮尾登美子の本をお土産に持って行った。好きでしょって言ったら。うんと。
うなずいて。とても嬉しそうな顔をしてくれた。たくさん読ませてあげたい。
そろそろ読み終わったかなの頃に。また次のを送ってあげたいなと思うのだ。


そうして親戚のひとたちとささやかな酒宴。そしてみんなで高校野球を観る。
応援するのは9年ぶりだった。今年は高知商業が頑張ってくれたおかげで。
高知県民はみんなすごく喜んでいる。明徳は高知だけどぜんぜん高知じゃない。
それは横綱朝青龍が高知じゃないのと。横峯さくらが高知じゃないのと同じだ。

みんなで必死になって応援していたら。じいちゃんが「まだけりがつかんのか」
って言って。みんなを笑わせた。最終回で二塁のランナーが牽制球でやられた。
だけどめげるな最後までねばれ。とことん頑張れと諦めずに応援したのだけど。

結局駄目だった。あ〜あってみんなで残念がる。じいちゃんはにこにこ笑顔で。
「やっとけりがついたか」と。野球よりもみんなの顔ばかり見ていたのかもしれない。

きっとそれがすごく嬉しかったんだなって思った。

だから。その後みんなが席を立ち帰り支度を始めた時は。すごく寂しそうで。
ひとりひとりの手をとって。また会おう。元気でなって。言っては涙ぐんだ。


すっかり弱くなった足腰で。やっと立っていられるような姿で。
じいちゃんは家の外まで出て来て。手を振ってくれたのだった。

最後なんかじゃない。これを最後にするものんかって。
思いながらも。いっぱいの不安が射すように胸を痛めて。


じいちゃんがちいさくなる。じいちゃんが遠くなっていった・・・。











2006年08月11日(金) 今日。夏けやきの木の下で。

仕事で集金があって。いく子先生のお宅へ行った。
ほんとうは先生が来てくれるって言ったのだけど。
とにかく暑いからお家で待っていてって言ったのだ。

よく冷えた『ごっくん馬路村』を手土産に提げて行く。
まあまあってありがとうってとても喜んでくれたから。
すごく嬉しかった。わたしは先生の笑顔が大好きなんだ。


いく子先生は。わたしが中学一年の時の担任の先生だった。
英語の先生で。羊はね『シープ』ってプの発音の時が面白くて。
すごくおおげさに下唇を噛むようにして。プップップッって教えてくれた。

でも。わずか2ヶ月でわたしは転校しなければいけなくなった。
とても急なことだった。こころの準備も出来ないうちに遠くへ行くことになった。

先生も友達も。その日はみんなが道路に立って見送ってくれたのだった。
もう二度と会えないのかな。すごくすごく悲しかったことをおぼえている。


でも会えたのだ。運命なのか何なのか。わたしは二十歳になっていた。
どこにも行き場所がなくて。母を頼りにこの山里へと帰って来たのだ。
母は再婚していた。あの頃わたしにギターを教えてくれたお兄ちゃんと。
一緒に暮らしていた。



いま思うと。いく子先生は。すごく縁のあるひとなんだなって思う。
ある日。先生の話を夫君に話していたら。俺もって言ったのだった。
まだ先生が結婚する前で先生になったばかりの頃。彼も英語を教わったそうだ。
おまけに先生の生まれ故郷というのが。四万十川の河口付近でうちのすぐ近く。

縁というものは不思議なものだ。そしてほんとうにありがたいものだと思う。


蝉時雨が。先生のお宅の。欅の木の青々と繁った夏の葉のあいだから。
ほんとうに雨のように降り注いで来るのだった。感動しなくちゃねって。
すごく些細なことでも受け止める心で。優しくつつみこんであげたいね。

庭先でそんなことを語り合った。

詩は書いていないの?もうずいぶんながいこと読ませてくれてないのよ。
この庭に来て。欅の木の下でずっといていいから。書いてごらんなさい。

そう言ってくれた。ありがとうって手をあわせて。ああこれが感動だった。

先生。あのね。「今日、夏けやきの木のしたで。いく子先生とあった」
それからね。「蝉時雨に濡れたように。ふたり佇んで泣いたんだ」

こんなのどう?って言ったら。

うんうん。いいねえって。先生の瞳がきらきらって光ったの。

忘れないよわたし。

ありがとう。いく子先生。










2006年08月10日(木) わたしのこころの琴の糸

今朝すごく嬉しいことがあった。ありがとうって伝えたいなってすごく思って。
ここから発信してみる。ここからきっと届くと確信している。どうか真っ直ぐに。

届け。


波長なんだって思う。なんとなく惹かれる文章に出会うと心がざわざわっとする。
ざわざわっていうとなんだか『ふあん』なイメージだけど。決してそうじゃない。
わたしのは違うんだ。わたしのはわたしの心の琴の糸がぶるぶるってさわぐのだ。

ああ。逢えたって思う。

懐かしいひとなのだ。ただばくぜんとそう感じる。
それはこれ以上の言葉になんか出来ない。不思議なわたしの気持ちだった。

わたしたちは逢えたのですよ。

これがわたしの感謝の伝言です。





夕方。どっとしんどく帰宅すると。ポストにメール便が届いていた。
著者代送のスタンプが押してあった。鎌倉の『かまくら春秋社』とある。
食事の支度よりも何よりも。とにかくすぐに確かめたかったのだ。

なつこさん。ああなつこさんだ。なんてなつかしく嬉しかったことだろう。
ぷっつりと途絶えてしまって。二年目の夏だった。元気でいるだろうか。
どんなに気掛かりだったかしれない。でもきっと詩を書いているって信じてたよ。
よかった。ほんとうによかった。なつこさんの詩集にいっぱい頬ずりをした。

涙がほろほろって出たよ。



ネットって。思うんだ。いままでほんとうにいろんなことがあった。
あり過ぎたって思うこともある。悲しいこともいっぱいあったような。

だけど。出逢えたことが忘れられなくて。ずっと想っていられたこと。

たいせつなんだ。すごくすごくたいせつなことだったんだよ。



わたしのこころの琴の糸が。

今日は嬉しくてぶるぶるって二度も泣いた。

















2006年08月08日(火) もう立秋なんだ

もう立秋ということ。そう聞いただけでなんだか。そうなんだって思ってしまう。
これからまだ残暑が厳しそうだけど。ある日ふっと秋風を感じるようになるのだろう。

心配していた台風は。進路を変え東海地方に向かっているようだ。
四国は難を逃れたといえ。必ずやどこかに被害をもたらすのだから。
それはいつも他人事ではないことだった。どうか最小限であって欲しいものだ。

そんな気圧の影響なのか。今日の高知県はこの夏一番の猛暑だったらしい。
我が町で37℃を越え。須崎市ではなんと39℃もあったそうだ。
慣れというものはすごいもんだなと思う。人はみんなみんな耐えていられる。


仕事は。まあまあだった。お盆休みまでもうひとふん張りしてみようと思う。
思うようにならないことも多いが。なぜそう思うのかと自問するのが良いと思う。


晩ご飯は。新鮮な鰹がちょっと安かったので。またお刺身にしてみた。
あとは切って盛るだけの姿でパックされているのがとてもありがたい。
青紫蘇と胡瓜。サチコの好きなニンニク。それから初物のあおい柚子。

ちょっと遅れて帰って来たサチコにご飯をよそいながら。一緒にテレビを観る。
江原さんの霊視とかする番組をみながら。ふたりでついつい涙を流してしまう。

母さんね思うんだ。幼い子供が殺されてしまって未だ解決されていないでしょ。
江原さんだったら絶対犯人がわかると思うんだ。どうして教えてあげないんだろう。

サチコがそれはだめだめって首を振る。日本の警察は信用してくれないって。
プライドがあるでしょ。威厳っていうか。ほかに頼るわけなんかないじゃん。

そっか・・そうなのかな。うむ・・なんか納得できないな。なんとかしたいな。
匿名の投書でもいいのだ。江原さん。どうかどうかなんとかしてあげて下さい。


お盆も近くなってきた。亡くなったみんなみんな。懐かしい場所に還ってくる。



2006年08月07日(月) 時を待てと私に言っておきたい

台風が不気味に近づいていて。明日から影響がありそうな予報だった。
たわわに実った稲のことが気掛かりでならない。稲刈りの風景も見かけるが。
ほとんどの農家が今週末を予定しているらしい。被害のないことを祈るだけだ。

来るものはしかたない。なあに毎度のことさと笑い飛ばしている農家の人たち。
どうなるかわからなくてどうすることもできなくて。それが当たり前のことと。

受け止めるってことは。こういうことなんだなって思う。だけどついついもがく。
私が稲を作っていたのなら。きっとこんな時。慌てふためいて喚いていることだろう。

だからそれなんだ。さきに嘆くよりも。時を待てと私に言っておきたいものだ。



とっ。ひとくぎりしておいて。月曜日だったね。
なんか仕事がスムーズじゃなくて。また苛々してしまったんだ。
反省はいくらでもするべきだと思う。自分のペースに周りを引き込むなよな。
とんとんとんと行けない時だってあるんだ。それを他人のせいにするなよな。

いく度もいく度もセーブする。ああまたこれだって気づこうと努力したんだ。
不思議だね。気づけば不愉快は半減する。そして反省すれば不愉快はゼロさ。


明日の風はどんなだろうか。それを思い煩わないでいようって。いま決めたよ。






2006年08月05日(土) 帰ることのできる場所

いまは夕陽のころ。茜の空に。つくつくと蝉の声が響いている。
それからごごごと。遠く聞こえるのは飛行機の音。九州のほう。
いいな空の旅は。こんな夕陽のころに空を飛んで行ってみたいな。


そうして今日が暮れていくのを。窓辺でぽつんと見送っているのだった。


今日は。海ではなくて山のほうへ行ってみようかと思い立ち。
四万十川を遡って。わたしの生まれた山奥のその場所へと行ってみた。
カヌー館があったり。キャンプ場があったりで。子供の頃とは違うけれど。
旧道の小道を通ってみると。昔からあった商店や食堂を見つけることが出来た。

そうそう。あの頃母さんは小学校の用務員をしていたのだった。
時々だったけど一緒に帰ったことがあった。校庭で遊びながら。
母さんの仕事が終るのを待っていたのかな。よく覚えていないけれど。
母さんは自転車を押しながら食料品店に寄ったりしたんだった。
そこでよくコロッケを買ってくれた。そしてそれを食べながら帰るんだ。
それがすごく嬉しくてね。今日ね。こんなことあったよ。それからあのね。
わたしはぴょんぴょん跳ねるように歩いていたように思う。母さんは?
母さんはどんな顔してたのかな。ああなんでだろう。ちっとも思い出せない。

だけどほんとうに。なんて懐かしい道なのだろう。ここがわたしの故郷なんだ。


こどもだったころ。それはにどとかえれないときのいちぶ。

ゆいいつ。かえることのできるばしょなのかもしれない。




2006年08月04日(金) きみとあたしの距離だから

今夜は夜風がそよそよっときもちいい。お月様はドラ焼きみたいで美味しそう。
窓からじいっと見つめていると。光がね十字架みたいに交差しているんだよ。

ねえ。窓を開けてみて。ほんとかどうか確かめてみて。ねえ・・聞こえてるの?


ふう。ちょっとためいきをついてみる。はあ。なんかこれはわるくない呼吸だ。
けっこうじゅうじつしてるかもしれないなっていま思った。あれこれとかあって。
でもなんかもうすんだことみたいで。みんなみんなそうして過去らしくなるんだ。


こくこくと進んでいる。だってこうしているまに眠くなるんだもんな。
眠っちゃえば朝がくる。朝がくるとまた今日っていう日になるもんな。


ちょっとさきのうよけいなこと考えたりしたんだ。言ってもいいかな?
あのね。なんかさ。きみのいちにちとあたしのいちにちってとうぜん。
ちがうんだよね。スピードがさ。なんていうかきみってわかいんだよ。
だからさ。そういうのをきみとあたしの距離だからって思ったんだよ。

きみは「いつか」って言うけど。あたしには「いつか」ってそれが未来って。
思いたいけど。思えなくて。いつかなんてありえないんじゃないかってふと。
たまらなくかなしくなってしまったんだ。ほろりほろりとせつなくなったよ。


でもね。それってきのうのことだから。うん。たしかにそれはきのうだったよ。


        おやすみい。じゃあね。またあしたね。



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