やわらかな絹のような雨の道をいく。エンドウの花は白いちいちゃな蝶々。 ブロッコリーの花は菜の花のお母さんみたいでちょっと逞しくて凛々しい。 大根の花は薄く紫がかった姿が。なんだかとてもせつなくて好きだなと思う。
山道を進んで行くと。どきどきするくらいの新緑に会える頃になった。 それぞれの新しさは。似ているようで決して同じではないのがわかる。 この木。あの木。むこうの木。ちゃんとみんなに輪郭があるのだから。 だけど競い合うのではない。みんながそうして寄り添ってひとつの山になる。
山がむくむくっとうごいているように見える。ああいまとつにゅうしたって。 思った。その瞬間がすごく清々しくて。心に新芽がいっぱい生まれたみたい。
穏やかないちにちだった。
不思議と苛立つ事がなかった。
あたしのかどもあたらしいみどりになれたのかな。
どうしても言わなくちゃいけないことを。 今日は勇気を出して言ってみたのだった。
ふっきったようなここちよさ。
だけどすこしうしろめたくて。
まええすすめまええすすめと。
わたしがあたしをはげました。
逃げたんじゃない進んだんだ。
にげるんじゃないすすむんだ。
サチコが。
『いま、会いにゆきます』やってるよって。
お母さん見ないの?ねえ。
どうして見ないの?って言うので。
いますぐ見にいきます。
いますぐ会いにいきます。
朝からずっと雨だった。燕さんもちょっとしょんぼりしているみたい。 なにもかもがずぶ濡れていて。せめて晴れようと心ばかりが焦るばかり。
どんな時もありましょうね。どんな時もありのままがいちばんなんです。 わかってはいるけれど。ちょっと無理をしてみたりするもんなんですよ。
ありがたいことに今日は寝の日。 ほんとうは家業の川仕事を頑張ろうと決めていたのだけど。 急遽ゆっくり休もうじゃないかということになった。
朝一で病院へ行っていた彼が。にこにこ顔を装って帰って来たのだ。 持病の診察日だったけど。特に変わりなかったのだなあと。そう見えたけれど。 「今日は絶対安静だぞ」って言うのでびっくりしてしまう。 どうやら単なる不整脈だけではなくて『心房細動』という病気らしい。 俺もよくわからないのでネットで調べてくれと言うので早速そうした。 脳梗塞になるかもしれないとか。不安になるような事がいっぱい書いてある。
でも彼はそれが不安なんだとは。少しも顔に出さずにへらへらとにこやか。 薬飲んでれば大丈夫だぞと言って。とにかく今日はごろごろ寝るそと言って。
しんどい日がきっといっぱいあったはずなのだ。 いつから彼はそれを言わなくなったのだろう。 どうして私はそれに気づいてあげられなかったのだろう。
彼の失業を機に家業を押し付けるように任せてしまった。 今年は豊作でほんとうに良かったのだ。 彼が頑張ってくれたおかげでどんなにか家計が助かったことか。
私はといえば。毎日まいにち。職場での愚痴をこぼしてばかり。 母の悪口だってどれほど聞かせたかわからない。 そうか、それはいかんなと言っていつもしっかり聞いてくれた彼だった。
あまりにも。自分のことばっかりだったんだ・・・。
ああ。ごめんね。ほんとうにごめんねケンちゃん。
そして。そして。こころからありがとうケンちゃん。
ひと雨ごとに春爛漫。一昨日は嵐に見舞われて。今日もまた雨の朝だった。 濁流を見下ろす土手には野の菫。土筆の坊やは新緑色のスギナに育っている。
雨あがりの午後はとても清々しい。光の子供達がまるで今生まれたかのようだ。 ひとのこころのくよくよさんも。めそめそさんも。生まれ変れたらいいなあと思う。
このところすこうし。情けなくもあったわたくしというひとは。 あれからすっかり職場が嫌になり。行ったり行かなかったりしている。 自己分析をどれほどしてみたことだろう。いったい何が嫌なのだろうと。 ひとつひとつをようく考えてみると。どうやら仕事自体が嫌なのではなさそう。 経営状態の悪化もしかり。それは今に始まった事ではないのだから。
だとすると。やはり彼女しかなかった。 彼女が赤の他人なら。どんなにか救われるだろうと思うのだった。 もう顔も見たくないと。思ってはいないか?と自分に問うてみる。 するともうひとりの自分が慌てて首を横に振ろうと慌て出すのだ。 優しくしてあげなくちゃいけない。思い遣ってやらないといけない。
だってお母さんだもん。私を生んでくれたお母さんだもん。
でも・・でもと。まるでちいさな子供が泣きながら弁解するように。 それが襲って来るのだ。ユルセナイドウシテモユルセナイ。
ああまたこれだ。いったい何十年経てば。心から許せる日が来るのだろう。 遠い日のひとつの過ちを。罪だと決め付けて。一生責め続けるつもりなのか。 そんな権利が私にあるはずがない。そんな私の心が罪そのものではないか。
亡骸に縋りついて「ごめんなさい」っていくら泣いて謝っても遅いのだ。
母が植えた鈴蘭が咲き始めた頃。
母が植えた合歓の木に蝶々のような花が咲く頃。
母が植えた雪の下に天使のような花が咲く頃。
山ももの木には今年も沢山実が成ることだろう。
明日は笑顔で会いに行くよ。お母さん。
木の芽起こしの雨なのか。春の雨は優しくもあり。また激しくもある。 やがてすぐに新緑の頃になるのだろう。若葉がきらきらと眩しい季節。
今日は少しばかり月曜病だった。土日のりらっくすとのギャップが大きい。 リフレッシュしたはずなのに。朝から憂鬱でならない。情けない奴だなと思う。 しゃきっとしたいのに出来ない。億劫ながらも仕方なく職場へと向かった。
いつもの峠道。春遍路さんに会ってほっとする。 同行二人とはいえ。ただひとり山道を歩く。それが孤独でないはずはなかった。 何を想いながら歩いているのだろう。淋しくはないのか心細くはないのか・・。
そんな姿に出会うたびに。勇気のような希望のようなパワーをいつも頂く。 ありがたい道だった。仕事に行かなければが仕事に行こうと思えるのだから。
しかし今日は着くなり胃痛だった。拒絶反応なのかなんなのかわかんない。 いったい何が嫌なのか。どうして心から微笑むことが出来ないのだろうと。 情けなくもあり。とにかく嫌なんですと開き直っている自分がそこに居る。
そうして逃げるように帰宅。玄関の燕の巣が今朝よりも立派になっていた。 今日補修した所がちゃんとわかる。古巣に湿った土がくっきりと縁取りされている。
自然と笑みがこぼれる瞬間だった。「たっだいま〜」って元気な声も出てくる。
ほんとにふしぎ。胃痛は5分もしないうちに治まり。晩ご飯がとても美味しかった。
早朝より家業の川仕事。早目に昼食を済ませ午後はのんびりをいただく。
自室にこもりぼんやりとしていた。本を読む気にもならず。ふうと溜息ばかり。
ふと思い立つ。するとむしょうにそうしたくてたまらなくなり。よし行こうと。
行ってきました。我が家からだとクルマで5分足らずの四万十いやしの里へ。
いやしの湯は思ったより空いていて。薬湯にどっぷり浸かりしばし放心する。 とても不思議な快感であった。ついさっきまで何をしていたのか何を考えていたのか。 とうとうここは何処だろうと思うくらいに。身も心も遠い存在のように感じるばかり。
海水露天風呂へと歩く時なんか。身体がふわふわして羽根が生えたみたいだった。 まるで水鳥の気分。空を仰げば木々のシルエット。うぐいすの鳴き声が聞こえる。 目を閉じてその声を聴く。ほかには何も聴こえない。そよよと風の気配がするばかり。
なんて幸せなんだろうと思う。ほかに思うことなんてきっとなかったのだと思う。
湯上りの冷たい牛乳の美味しさ。なんだかすくすくとまた育ちそうで可笑しかった。
ロビーに出ると。ちょうどそこに外人さんばかりのグループが到着していて。 私が庭を散策しているあいだに着替えたのか。浴衣姿で出て来たのでびっくり。 三人の青年達だった。初めての帯をそれぞれがお腹を突き出して見せたりして。 それはそれは愉快そうにじゃれあっていた。足を高く上げて下駄の見せっことか。 楽しそうに笑い合っている。そんな光景を見ている私も微笑まずにはいられない。
私と目が合って。彼らはちょっと恥ずかしそう。でもすぐにまたはしゃぎ出す。 声をかけたいなあって思った。ああこんな時って英語で何て言えばいいのかなあ。
私はそんな彼らがとても嬉しかったのだ。だから自然と拍手をしてしまった。 そしたら三人ともますます照れくさそうにしながら。ちょっと喜んでいる様子。
下駄をからんころんしながら。彼らが部屋へと帰るのを見送った。 とうとう言葉はかけられなくて。ばいばいって手を振るばかりの私に。 彼らはちゃんと手を振って応えてくれたのだ。胸が熱くなるほど嬉しくて。
笑顔には笑顔。ほんわかと身も心もまあるくなれた。ありがたい一日だった。
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