早朝より家業の川仕事。早目に昼食を済ませ午後はのんびりをいただく。
自室にこもりぼんやりとしていた。本を読む気にもならず。ふうと溜息ばかり。
ふと思い立つ。するとむしょうにそうしたくてたまらなくなり。よし行こうと。
行ってきました。我が家からだとクルマで5分足らずの四万十いやしの里へ。
いやしの湯は思ったより空いていて。薬湯にどっぷり浸かりしばし放心する。 とても不思議な快感であった。ついさっきまで何をしていたのか何を考えていたのか。 とうとうここは何処だろうと思うくらいに。身も心も遠い存在のように感じるばかり。
海水露天風呂へと歩く時なんか。身体がふわふわして羽根が生えたみたいだった。 まるで水鳥の気分。空を仰げば木々のシルエット。うぐいすの鳴き声が聞こえる。 目を閉じてその声を聴く。ほかには何も聴こえない。そよよと風の気配がするばかり。
なんて幸せなんだろうと思う。ほかに思うことなんてきっとなかったのだと思う。
湯上りの冷たい牛乳の美味しさ。なんだかすくすくとまた育ちそうで可笑しかった。
ロビーに出ると。ちょうどそこに外人さんばかりのグループが到着していて。 私が庭を散策しているあいだに着替えたのか。浴衣姿で出て来たのでびっくり。 三人の青年達だった。初めての帯をそれぞれがお腹を突き出して見せたりして。 それはそれは愉快そうにじゃれあっていた。足を高く上げて下駄の見せっことか。 楽しそうに笑い合っている。そんな光景を見ている私も微笑まずにはいられない。
私と目が合って。彼らはちょっと恥ずかしそう。でもすぐにまたはしゃぎ出す。 声をかけたいなあって思った。ああこんな時って英語で何て言えばいいのかなあ。
私はそんな彼らがとても嬉しかったのだ。だから自然と拍手をしてしまった。 そしたら三人ともますます照れくさそうにしながら。ちょっと喜んでいる様子。
下駄をからんころんしながら。彼らが部屋へと帰るのを見送った。 とうとう言葉はかけられなくて。ばいばいって手を振るばかりの私に。 彼らはちゃんと手を振って応えてくれたのだ。胸が熱くなるほど嬉しくて。
笑顔には笑顔。ほんわかと身も心もまあるくなれた。ありがたい一日だった。
黄砂にふかれてみるもよし。あのひとを懐かしく想うのもよし。 よからぬことは。ただただよからぬこころにのみ巣食うものなり。
午後3時。すごく久しぶりにりっちゃんに会った。 海辺の公園で待ち合わせて。りっちゃんのクルマを見つけて。 りっちゃんがきょろきょろ私を探している姿が。なんかやたらと嬉しかった。
友達の友達で。だから私たちはずっと友達でいられた。 あの頃の私達は。とても青くて。ちょっぴり白い色だったように思う。 青には混ざり合って。白には。決して絵の具を落とさない。 もちろん落書きもしない。その白さがそれぞれの在りかだったのだ。
それ以来。ずっとその白さを大切にしてきたのだと思う。 もう純白ではないことなど。なにひとつ咎めることもせずに。
海の見えるベンチにふたり腰掛けて。潮風をいっぱい浴びた。 「気持ちいいね」「うん最高だね」
砂浜で遊ぶ親子連れの姿や。よちよち歩きの幼子の一歩一歩が。 鮮やかな映像みたいに見えて。ふたり一緒に微笑んでいられた。
海はどこまでも青くてよし。波はどんな日も白と名付けたいものだ。
朝は少し肌寒さを感じたけれど。日中は光あふれ穏やかに時が流れる。 桜はほぼ葉桜。その花びらを敷きつめたような草の原に。タンポポが。 可愛らしく顔を覗かせている。薄紅色の衣装を身につけた微笑みのようだ。
るんるんらんらんとお散歩してみたくなる頃だった。仕事なんてとふと思う。
ちょっぴりの苛立ちがそこにあり。まあこんなもんだろうと観念しながら。 こころは野原。こころは海辺。こころはいつだって旅人になりたがるもの。
少し疲れて帰宅すると。おおと思わず声をあげるほど嬉しいことが待っていた。 昨日の燕さんが帰って来てくれていたのだ。もうお嫁さん見つかったの?って。 聞くには及ばず。そこにはちゃんと二羽がいて。せっせと巣の補修を始めている。
「おとうさ〜ん!」と彼を呼ぶ。そしたらめんどくさそうに彼は応える。 昨日まであんなに不安がっていたのになにさ。そんなこと当たり前じゃないかと。 ちっとも嬉しそうな顔をしようとしないのだ。嬉しいくせに照れていると見たぞ。
かくかくしかじか。今年も燕たちと暮らせる。巣立つまでずっと見守っていられる。
ささやかながら。それがほんとうに幸せなことだと思うのだった。
ありがたきは燕かな。こころいっぱいの春がここから生まれていくのだよ。
清明。万物がすがすがしく明るく美しい頃とか。
雨あがりの濁りを帯びて流れる川に。春の陽が燦々と降り注ぐ午後。 眩しさに目を細めながら息をすると。水のにおいにとろけてしまいそうだ。 明日は澄む。そう誓うようにつつと流れる。南風は潮のかおり。ぽつねんと。
またあたしはそこにいて。そのばしょをしるすようにして。そこからあるく。
「今年は燕が来てくれないなあ」とさびしそうに彼がいう。 なにか良くないことがあるのかもしれないと不安がっている。 去年の二番子たちが卵のまま死んでしまったことを思い出した。 悪さをする他の鳥に巣を荒らされたのかもしれなかった・・・。
だからもっか安全確認中なのではないかなと彼に告げてみる。 そのうちきっと帰って来るよ。だって古巣がふたつもあるんだもん。
そしたら今朝。玄関のあたりで燕の鳴き声が聞こえたのだった。 窓辺からそっと覗いてみると。ああよかった一羽が巣に留まっている。 一羽だけというのが少し気になった。なんだかちょっと物件探しなのか。 巣のなかを覗き込んで見たりして。ちょっと首を傾げたりしているのだ。 まあここでもいいかと思ってくれたのならいいな。補修してみようかなと。
そうしてすぐにどこかへ飛んで行った。それっきり鳴き声さえも聞こえない。 やはり我が家は駄目なのかもしれない。毎年それは沢山の燕が巣立ってくれたのに。 私もちょっと不安になってきた。そうしてすごくさびしい気持ちになった。
彼いわく。「嫁さんだな。まずは嫁さんを探しに行ったに違いないぞ」 微笑んで私。「そうよね。ひとりじゃ卵も出来ないし、まだ巣は早いよね」
いっけんらくちゃく。あとは燕の恋まかせかな。
桜はまだ散ってしまわずにいて。薄曇る空に似て佇んでいるように見える。 なんだかとてもほっとする。何かを待つというのでもなく。その時が来れば。 身を任そうと決心している姿のようで。凛として美しいものに安堵するばかり。
いちめんの菜の花畑が。ある朝すべてを耕されていたのを見たのはいつだったか。 その数日後。そこにはもう水が張られていて。いちめんの田んぼに変わっていた。 そして昨日の朝には。いつのまに植えたのか。若い苗たちが列をなして並ぶ姿を見た。
うごいている。どうしようもできないくらいにうごいている。 生き生きと活き活きと。負けてしまいそうなこわさのなかを。 ただひたすら進もうとしている我が身のありかに。はたと途惑う。
行ってみないとわからないところに行くということが。 とてつもなく不安に思えてしまうのだ。だからといって。 行くしか術がない。後戻り出来たらどんなにいいだろう。 あの時ああしていれば。あの時別の道を選んでいたらと。 嘆くことはとても容易かった。泣いたって帰れない道を。
振り返ると。遠くかすんでしまいそうなその果ての丘に。 いっぽんの木がそびえているのが見える。あああれはと。 懐かしく思い出す。あの時は背比べするほど幼かった木。
いくつもの季節が巡って来た。嵐の日も冷たい雪の日も。 私の足跡などというものは。とっくに消え失せているのに。
道は残る。草は萌える。花だって咲いて。その木は育った。
桜流しの雨が降る。午後雨はやみ風が強く吹き始めた。
そしてとうとうはらはらと。桜吹雪の頃となりにけり。
そんな雨のおかげと言っていいのか。今日は家業も休みとなり。 ほんとうに久しぶりに休日をさせてもらった。心身共にりらっくす。
昨夜から読み始めた本を一気に読み終える。 飯田史彦先生の新刊『ツインソウル』だった。 昨年暮。脳内出血のため生きながら死にかけた先生の。 ありのままの記録であり。その臨死体験を私達に伝えて下さったもの。
「ついにやってくれたな」と思った。こんなセリフは失礼なのかもしれないけれど。 そんなふうに気軽く声をかけたくなるほど。私の信頼度は絶大なのであります。
実は。倒れられたことを先生のHPで知った時。なぜか少しも心配だと思わなかった。 死ぬはずはないと強く信じていたせいかもしれないが。むしろ予定通りの事態であるかのように。 漠然と思ってしまったのだった。これはきっと何かの理由があるのに違いないと。
その答えが。まさにこの記録そのものだったのです。 命がけで臨んで下さったこと。そしてあらためて真理を伝えて下さったこと。 ほんとうに感謝の気持ちでいっぱいになりました。
時に石ころである私も。同志であることを誇りに思い。これからも共に歩みたい。
学び。愛し。使命を果たすために。最期まで生きることをここに誓います。
帰り道は桜道。小川沿いにたくさんの桜の木があって。大好きな道。
今日はお花見をしている人達がいて。バーベキューをしていた。 すぐ近くの建設会社の人達みたいで。仕事を早目に切り上げたのかな。 わきあいあいと楽しそうにビールを飲んでいた。笑顔につられて私も微笑む。
いい気持ち。うん。今日はなんだかやたらといい気持ちだったんだ。 なにかを悩んでいたみたい。どうしようもなくくよくよしていたみたい。 悪いほうへとばかり考えて。いいことをすっかり忘れていたのかもしれない。
それはあれ。例のあれであったらしくて。もしかしたらと思っていたけど。 やっぱりあれだった。だから今日は嘘みたいに朗らかで気分が高揚していたのだ。
夜は例のバドクラブ。気分が良すぎてはしゃぎ過ぎたほどだった。 ふと気がつけば。私だけではなかった。みんながはしゃいでいるのがわかる。 よかったあ。みんなも楽しいのだなって思うと。すごく嬉しくてたまらない。
活力をいただく。年長者の私にとって。仲間たちはほんとうにありがたい存在。 この活力を無駄にするわけにはいかない。元気だけがとりえの私でありたいと思う。
今日はほんとにいい日だった。みんなみんなありがとう。
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