ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2006年01月03日(火) あいにいかねばならない

あらあらと。もう3日になりにけり。


元旦、2日と来客があったため。主婦らしくまかないに追われていたが。
少しも苦にはならず。むしろ和気藹々と酒宴を楽しめたことを嬉しく思う。


やっと今日。例年どうりに初詣に行くことが出来た。
クルマで30分ほど西へ。四国霊場39番札所の『延光寺』へ。
日頃から『寺山さん』と呼んでいる。静かな山沿いのお寺だった。

今年こそはと。本堂の脇から山道を登ってみることにした。
ミニ八十八ヶ所巡り。山道の随所に八十八体の仏様が奉納されてある。
しぶる夫君を残し、ただひとり。てくてくと登りながら手を合わせて行く。

竹やぶからこぼれる陽射し。どこからともなく吹き抜ける風。
仏様はどの顔も優しく微笑んでいてくれる。心がさらさらと。
拭って拭って。もう何も思い残すことがないような気持ちになれた。
最後には。感極まり涙がこぼれる。それは澄んだものへの愛しさに似て。

あとはただ。駆けるように。山を下るしかなかった。


いつだって。そこにいてくれるものならば。

なにひとつ。まようことなくあいにいかねばならない。

このいとしさが。ありがたさでなくて。なんだろうとおもう。






2006年01月01日(日) あしたのそら

  とても穏やかなこころで。新しい年を迎えることができた。

  明日はあしたの風が吹く。いつもそう思える自分でありたい。



      いまはのはらでねころんでいるきぶん
        ふしぎとさむさをかんじない 

      ほしもなくつきもなくあのひともいない
        それがなぜかあたりまえのよう



         まんまるくなってねむりたい

             あしたのかぜ

             あしたのそら

         あしたのわたしがまっている
              

      



2005年12月30日(金) わたしを見つけてくれてありがとう

振り返る記憶は思い出。そこから歩み出した自分を確かめてみよう。
どんなにいびつで。どんなに後悔していたとしても。そうでなくては。
     今が在りえないことに気付かなければいけない。


  まだきっと遠いのだ。はるかかなたまで道は続いているのだろう。
  別れ道で悩もう。峠道では休もう。空を見上げて心で呼吸しよう。


 時には石ころ。時には木の実だったわたしを。見つけてくれてありがとう。


   一粒のわたしと。一粒のあなたが。一本の木になれますように。

       いつかきっと。ともに空を見上げましょうね。





          
        この一年のいっぱいのありがとうをこめて




2005年12月29日(木) ふっくらと。やわらかに。

まあいいかと思えた今日。きっとすごくこだわったていた。
それはいったい何だったのだろうと。さらりと心が軽くなる。

そんな日に見上げた空がとくべつなのだ。どこまでもひろい。
時々は曇り。時々は雨。時々は雪さえも降る。それが私の空。



帰り道。ラジオから。コブクロの『桜』が流れる。
いい曲だなと思っていたが。今日はすごく胸にこたえた。
じっくりとその詩をかみしめる。うなずくように耳を傾ける。

せつなさをのりこえるような希望がそこにあふれていた。
はかなさを。かなしさよりも。命にかえる精一杯の強さ。

わたしはなんどちっただろう。だけどきっとはるがくる。

こころのそこから。そう信じられる『桜』だった。




ここ数日の。焦りに似た感情を思う夜。
それは。かたくなな我が咲きたくて血迷っていたのかもしれない。
手折ることが怖かったのだろうか。手折れば咲けないと思い込むように。

だけど。そんな我など。なんどでも散ってしまえばいいのだ。
誰の手も借りる必要などない。自分の手で散らせてしまうべきだ。

そうしてなんどでも地にかえろう。そこからまた始めればいい。

ふっくらと。やわらかに。心地良く天を仰ぐ日。

わたしは。きっと。思いがけず咲いていることに気付くことだろう。




2005年12月28日(水) のほほんを呼ぶけれど。

残り少なくなってきたなと思う。なにが?って思う。
ただこの一年が終ろうとしているだけなのに。どうしてこうも。
落ち着かず。押し流されるように過ごしているのだろう。

のほほんを呼ぶけれど。のほほんはいったいどこに隠れてしまったのか。
みせかけのような穏やかさの中で。自問自答を繰り返しては少し疲れた。


笑い声ばかりが聞こえるテレビを見ようとして。ふとためらう。
そうなのだ。いっそそっちへ行ってしまえば。どんなにか楽しいだろう。
なのに。そわそわと気分があちらこちらへと散ってしまうのを抑えられず。

また自室にこもる。こんなスイッチなんか壊れてしまえと思いながら。
叩き壊すこともせずに。ずっと。もう何年なのか大切にし過ぎているようだ。


終わるということは。始まることらしい。
だとすると。終われないということは。始まらないということだろうか。

わたしはいったい何を終らせたいと思っているのだろうか・・・・。

            イマハソレガドウシテモワカラナイ。



2005年12月27日(火) 雲のこころ

青空と冷たい風。それらしく急いでいる人々。
ささいな焦りと。ちょっとしたわだかまりと。

いっそ早く終ってしまえばいいと思う諦めに似た心で。
いちにちが過ぎる。とんとんとただ前にすすむように。


今日も茜雲。ほんの少し日が長くなったようで嬉しい。
空を見上げることを忘れそうでいて。また思い出す空。

なにかとてつもなく不安なことにとらわれていたのかも。
それをぽかんと空に浮かべてくれるのが空のありがたさ。



わたしの我というものは。ときどきは強情でひどく固い。
それが異物のように生きようとするから息苦しくなるのだ。

わかっている。じゅうぶんにわかっていることを素直に。
認めてあげなければいけないと思う。ほぐすように撫でて。



石ころを空に放っても。なんどもなんども放っても。
落ちる。転がる。しまいには行方知れずになるやもしれず。
それでも諦めずに。空に浮かびたいと願った石ころのことを。

愛してあげたいと思う。どんなかたちでそこにいようと。

空はすべてを知っている。夕陽をあびて茜色に光る石ころが。

     雲のこころで生きつづけていることを。





2005年12月25日(日) 独り言のように歌いなさい

ひとりで夕食。3時頃からおでんを煮込んだのだ。
それはそれは美味しくて。やたらはんぺんばかり食べてしまった。
熱燗とおでん。なんだか屋台のようでありながら。
テレビ相手に。独り言を呟いてみたり。にやにや笑う可笑しさもあった。

家族がみな出掛けてしまい。おかげでいただいた独りぼっち。
こういうのもまんざらではなく。わりと貴重な時間ではないかと思う。

そしていちばん風呂に入る。今夜は霧島温泉にしてみた。
ぽかんとお風呂場の天井を眺めたりして。何も考えることもなく。
いまここにひとりだから。ずっとひとりでもいいかとかふと思う。

さあそしてお次はビール。なんだか懐かしい歌番組をずっと見ていた。
井上陽水、山口百恵、五輪真弓。カラオケ気分で大声で歌いまくる。
桑田さんの『白い恋人達』はやたら好きな歌で。ほろほろと泣ける。
山下達郎の例の歌も。ああほんとうに胸が熱くなる名曲であった。


ひとり帰る。すぐにふたり帰る。そしてとうとう三人目が帰って来た時。
私は『夜空のムコウニ』で感極まっているところであった。
この詩は。この詩のように。この詩が真実であると。重なる想いで涙が。
歌いたくても声にならない。とにかく私をそっとしておいての状態なわけで。


とうとうとどめの焼酎のお湯割りになった。
グラス片手に逃げるように自室にこもる。その時ふと自分を戒めようとした。
書く必要がどこにあるのだ。何をいったい書かなければいけないのだ。
ずっとそのまま茶の間で。さんまちゃんと楽しい時間を過ごせばいいものを。

いけないスイッチがまた入る。今夜は黄色の注意信号が見えている。

ラストクリスマスに届いた。あのひとの手紙を読み返しては。泣いた。

わたしのなかでは何も終っていない。夜空の向こうにきっとあのひとがいる。







 < 過去  INDEX  未来 >


anzu10 [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加