ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2005年09月30日(金) しぐれごこち

くがつのおわり。すこしだけ雨がふる。
ひと雨ひと雨と。空の気分が秋色に変るのだろう。

秋風は。せつなさをつれてくるだろうし。
もの思うことも多くなるのかもしれない。


時雨心地という言葉を知っているかな?
いにしえのひとが詠んだ歌にあるんだよ。

大空は曇らざりけり神無月時雨心地は我のみぞする

なんかさ。この歌がやたら気に入っている。
いにしえのひとも。空を仰いではせつなさをかみしめていたのかな。
天は高くこんなにも澄みきった空。ああ、なのにどうしてか涙が出そう。


秋はきっとこんなふう。いつの世だって秋はこう。

わがむねにあめがふりますぬれたってかまわないからあめよふれふれ。




2005年09月29日(木) オフ

急ぎ足の夕暮れ。風がもう肌寒くなる。
ゆらゆらと。すすきの穂が。みな一斉にどこかを。
見つめている姿は。静寂の一部分であるかのごとく。
ふと淋しさをおぼえるものだ。終るのではなくして。
夜がはじまる。淋しいと思う心が。さびしさの正体。



夕食後の食器洗いをしていると。彼が茶の間で。
ようし!ようし!と独り言を言いながら手を叩いている。
阪神の優勝が今夜決まるのだそうだ。とても嬉しそうだ。
わたしはかれがうれしそうだとうれしい。
いつからなのか。ずっとさいきんそうかんじるようになった。

8時からセカチュウだぞってやたらすすめてくれるので。
茶の間じゃない部屋でひとり見ようかなと思う。

だから。ココロノスイッチはオフ。

さびしさなんて。どこにもないじゃないかと思う。




2005年09月28日(水) ほとけになる

薄桃色の萩の枝垂れ咲く峠道を。今日も行く。
ひんやりとした朝の空気。名も知らぬ鳥の声。

恵まれているんだなと思う。なにひとつもう求めることはない。


仕事中。とても嫌だなと思うことを耳にした。
ひとの噂とか。中傷とか。ひとの汚い部分とか知るのは悲しい。
とてもやるせない気持ちになってしまうものだ。

そしたら。オババが。「ほとけになろうよ」っと言った。
それはとてもはっとする一言だった。

見ているかもしれない。聞いているかもしれない。
でも何も言わない。そしてすべてをなるようにしてしまう。
善だとか悪だとか決めつけることもしないで。

どれほど。日々どれほどいろんなことに振りまわされていることか。
見て見ぬふりが出来ればどんなにか楽だろうと思ったりする。


ほとけになる。なってみるべきだと思った。

いやちがう。ほとけになるという意志を大切にしたいと思う。




2005年09月27日(火) 落ちる

ああ蝉が死んでいる。そう思って手のひらにのせれば。
まだかすかに動いている。羽根をふるわせて飛ぼうとしては。

ぽとんと落ちた。決して哀しみではない。ただ夏がもういく。


夕陽を背に家路につく。落ちるものはいつもせつなくて愛しい。
染まるのは川面。さらさらと流れる紅の水もまたせつないものだ。
どこから?そのせつなさはどこからくるのだろう。とふと思った。


そんな思いをよそに。たんたんと夜が更けていく。
朗らかな談笑や。いつもと変わりない平穏なくうきや。
ほのかに酔い始めた自分自身や。ゆっくりと切り離されていく。
現実が。そこにある。なんだかちっとも不自然ではない場所で。

ぼんやりと静けさを受け入れていると。不思議と心が癒されてくる。

あのひとはどうしているのだろうっと。ふと思うことも許されて。

せつなくもながき夜を。流れにまかせて越えてみるのがいいだろう。


       ああ。たったいま。私が落ちた。



2005年09月26日(月) あるかたへのてがみ

群生しているその紅の花を見た。
立ち竦むだろう私なら。涙ぐむかもしれない。
カメラを向けたら手が震えてしまうだろう。
だけどそれは待ち望んでいた風景に違いなかった。

見せてもらえることのありがたさ。
ネットって。時には胸が熱くなるものらしい。
あなたのファンがここにいます。
いつも素敵な写真を見せて下さってありがとう。


私は。最近ちっとも写真を撮らないのですよ。
たまに撮ってみようかなって思っても。
ろくなものが撮れないです。削除ばかりしているし。

感動しません。自分が感動しないものはすべてダメ。
だからなのか。やたら人様の作品に深く感動するんです。
そうして。自分もって思える刺激を与えてもらっているのに。
ダメなんです。くすぼっています。まだ火がつかないみたい。

でも。まっ・・いいかって思っているので。

そのうちね。これ見てくださいって言うから。

待っていてね。ここを見るのやめないでいてね。



今日の彼岸花。とても嬉しかったですよ。



2005年09月25日(日) かなた

雲ひとつない空に浮かんでみたいとふと思う。

風に逆らうこともせず。流れ流れていく先で。

ああこれがわたしと。きっと気づけるときが。

来るだろう。だからいってみたい。空の彼方。




愛しさについて考えた。
いちばん愛しいと思うひとについて。
最後の最期まで。それはあとどのくらいなのか。
知る由もないのだけれど。会いたくて逢いたくて。
だからこそ逢わずにいて。そのまま逝ってしまいたい。
と。思った。それが結論。これが生まれ変る準備なのだと。
ばくぜんと思う。こころが彼方へ。遠いところへ旅立って。
いった。


たぶんもう秋なのだ。季節が向こう岸へと向かいはじめて。
日常の平穏のゆるやかなスペースにちんまりと佇んでいると。

おさえきれずにあふれるものがとくとくと痛くて。

真っ青な空ばかり見つめてしまう日が。あってしまうこともある。





2005年09月24日(土) またね。きっとね。

彼岸花の咲く頃。ひとつの人生が終った。


9月22日午前9時20分。
祖母、愛ちゃんが静かに息をひきとる。

もうほんとうに思い残すことなどないように。
それはそれは安らかな死顔は。
あの日病室で私と手をつなぎ歌った時の笑顔のままで。
にっこりと微笑んでいた。

お彼岸に旅立つとすごくいいところに行けるのだって。
手をつないで導いてくれるひとがいてくれるのかな。
愛ちゃんは子供になってはしゃいでいるのかもしれない。

私ね。愛ちゃんにまた会いたいよ。

今度は私が愛ちゃんのお祖母ちゃんになってあげたいよ。

とうもろこしの皮でお人形作ってあげるね。
小豆をことこと煮て美味しいおはぎを作ってあげるね。

そして手を繋いで歌おうね。愛ちゃん。

ありがとう。愛ちゃんがお祖母ちゃんでいてくれて。

私。すごく嬉しかったよ。


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