急ぎ足の夕暮れ。風がもう肌寒くなる。 ゆらゆらと。すすきの穂が。みな一斉にどこかを。 見つめている姿は。静寂の一部分であるかのごとく。 ふと淋しさをおぼえるものだ。終るのではなくして。 夜がはじまる。淋しいと思う心が。さびしさの正体。
夕食後の食器洗いをしていると。彼が茶の間で。 ようし!ようし!と独り言を言いながら手を叩いている。 阪神の優勝が今夜決まるのだそうだ。とても嬉しそうだ。 わたしはかれがうれしそうだとうれしい。 いつからなのか。ずっとさいきんそうかんじるようになった。
8時からセカチュウだぞってやたらすすめてくれるので。 茶の間じゃない部屋でひとり見ようかなと思う。
だから。ココロノスイッチはオフ。
さびしさなんて。どこにもないじゃないかと思う。
薄桃色の萩の枝垂れ咲く峠道を。今日も行く。 ひんやりとした朝の空気。名も知らぬ鳥の声。
恵まれているんだなと思う。なにひとつもう求めることはない。
仕事中。とても嫌だなと思うことを耳にした。 ひとの噂とか。中傷とか。ひとの汚い部分とか知るのは悲しい。 とてもやるせない気持ちになってしまうものだ。
そしたら。オババが。「ほとけになろうよ」っと言った。 それはとてもはっとする一言だった。
見ているかもしれない。聞いているかもしれない。 でも何も言わない。そしてすべてをなるようにしてしまう。 善だとか悪だとか決めつけることもしないで。
どれほど。日々どれほどいろんなことに振りまわされていることか。 見て見ぬふりが出来ればどんなにか楽だろうと思ったりする。
ほとけになる。なってみるべきだと思った。
いやちがう。ほとけになるという意志を大切にしたいと思う。
ああ蝉が死んでいる。そう思って手のひらにのせれば。 まだかすかに動いている。羽根をふるわせて飛ぼうとしては。
ぽとんと落ちた。決して哀しみではない。ただ夏がもういく。
夕陽を背に家路につく。落ちるものはいつもせつなくて愛しい。 染まるのは川面。さらさらと流れる紅の水もまたせつないものだ。 どこから?そのせつなさはどこからくるのだろう。とふと思った。
そんな思いをよそに。たんたんと夜が更けていく。 朗らかな談笑や。いつもと変わりない平穏なくうきや。 ほのかに酔い始めた自分自身や。ゆっくりと切り離されていく。 現実が。そこにある。なんだかちっとも不自然ではない場所で。
ぼんやりと静けさを受け入れていると。不思議と心が癒されてくる。
あのひとはどうしているのだろうっと。ふと思うことも許されて。
せつなくもながき夜を。流れにまかせて越えてみるのがいいだろう。
ああ。たったいま。私が落ちた。
群生しているその紅の花を見た。 立ち竦むだろう私なら。涙ぐむかもしれない。 カメラを向けたら手が震えてしまうだろう。 だけどそれは待ち望んでいた風景に違いなかった。
見せてもらえることのありがたさ。 ネットって。時には胸が熱くなるものらしい。 あなたのファンがここにいます。 いつも素敵な写真を見せて下さってありがとう。
私は。最近ちっとも写真を撮らないのですよ。 たまに撮ってみようかなって思っても。 ろくなものが撮れないです。削除ばかりしているし。
感動しません。自分が感動しないものはすべてダメ。 だからなのか。やたら人様の作品に深く感動するんです。 そうして。自分もって思える刺激を与えてもらっているのに。 ダメなんです。くすぼっています。まだ火がつかないみたい。
でも。まっ・・いいかって思っているので。
そのうちね。これ見てくださいって言うから。
待っていてね。ここを見るのやめないでいてね。
今日の彼岸花。とても嬉しかったですよ。
雲ひとつない空に浮かんでみたいとふと思う。
風に逆らうこともせず。流れ流れていく先で。
ああこれがわたしと。きっと気づけるときが。
来るだろう。だからいってみたい。空の彼方。
愛しさについて考えた。 いちばん愛しいと思うひとについて。 最後の最期まで。それはあとどのくらいなのか。 知る由もないのだけれど。会いたくて逢いたくて。 だからこそ逢わずにいて。そのまま逝ってしまいたい。 と。思った。それが結論。これが生まれ変る準備なのだと。 ばくぜんと思う。こころが彼方へ。遠いところへ旅立って。 いった。
たぶんもう秋なのだ。季節が向こう岸へと向かいはじめて。 日常の平穏のゆるやかなスペースにちんまりと佇んでいると。
おさえきれずにあふれるものがとくとくと痛くて。
真っ青な空ばかり見つめてしまう日が。あってしまうこともある。
彼岸花の咲く頃。ひとつの人生が終った。
9月22日午前9時20分。 祖母、愛ちゃんが静かに息をひきとる。
もうほんとうに思い残すことなどないように。 それはそれは安らかな死顔は。 あの日病室で私と手をつなぎ歌った時の笑顔のままで。 にっこりと微笑んでいた。
お彼岸に旅立つとすごくいいところに行けるのだって。 手をつないで導いてくれるひとがいてくれるのかな。 愛ちゃんは子供になってはしゃいでいるのかもしれない。
私ね。愛ちゃんにまた会いたいよ。
今度は私が愛ちゃんのお祖母ちゃんになってあげたいよ。
とうもろこしの皮でお人形作ってあげるね。 小豆をことこと煮て美味しいおはぎを作ってあげるね。
そして手を繋いで歌おうね。愛ちゃん。
ありがとう。愛ちゃんがお祖母ちゃんでいてくれて。
私。すごく嬉しかったよ。
「新しい朝が来た」それは最近よく耳にするCMの曲だった。 通勤途中のラジオから。もう少しで職場に着く頃に毎朝流れる。 ついつい続きを歌ってしまう。新しい朝が来た、希望の朝だって。
この歌って知っている。そうそう確かラジオ体操の時の歌。 子供の頃の夏休みに毎朝聞いていたから。よく覚えているのか。 懐かしいなあって思いながら。その頃はちっともいい歌だと思わなかった。 だって、まだ眠いのにしぶしぶ起きて。しょうもなく体操していたもんな。
それが今になって聞くと。やたらいい歌だなあって思う。 生きている限りずっと新しい朝が来る。それも希望の朝らしい。 ふやけてしまったこころとか。一気にピチピチしてくるありがたさ。
些細なこと。こんなちっぽけなことさえ。おとなは嬉しく思えるのかな。 年をとるのもまんざらではなく。けっこういいことだなあって思うのだ。
もうひとつ。夕方何気なく見ていたローカルニュースで。 母校の仮装行列の映像を見た。懐かしさではらはらと崩れ落ちそう。 みんなで色々考えて。それぞれが衣装やカツラを作ったりして。 街中を練り歩いたっけ。恥ずかしいなあって思いながら。それが楽しくて。 高校三年の秋。すごく多感で。なんだか私にとっては人生を左右するような。 とても重大な事があった年だった。だけど私はみんなと一緒の笑顔でいられた。
懐かしさ。それっていったい。どんな色で。どんなかたちをしているのか。
絵に出来ないもどかしさ。だけど忘れられない。一枚の絵のようなもの。
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