| 2005年05月23日(月) |
ほっと。もっとほっと。 |
きのうの雨のことを忘れてしまうほど。 今日はすっきりと爽やかな青空だった。
トラブルにも慣れたこの頃。 不安がってみては。開き直り。 なるようになることはなって。 ならないことはなりはしない。
平穏無事が何よりもありがたいと思う。 ほっと。もっとほっとしようではないか。
ことしも『ゆきのした』がいっぱいさいてくれた。
しなやかな雨が。夜になってもやまずにいて。しっとりと潤っている気配が。 なんともいえず。こころ落ち着き。しんみりと雨だれの音に耳を傾けている。
『独り』のスイッチがさっき。とてもさりげなくそうなったせいで。 なにものにも支配されずに。ぽつんとまた在る時をありがたく思う。
昼間は人達と過ごした。語り合いもしたし。頷きもし。笑い合うことも。 輪の中に入るのは苦手だと常日頃から思うけれど。入ってみればそれも。 それなりに楽しく思えるから不思議だ。実のところ人が好きなのであろう。
今日は。地区の行事のひとつ『虫供養』というのがあった。 この地に暮し始めて26年になるが、お当番になったのは初めてだった。 田の害虫を駆除したための供養とか。昔は子供達が太鼓を叩きながら。 畦道を練り歩いたそうだが。今はもうなく、お寺で供養するだけとなった。
それが。今日初めて知ったのだが。どうやら虫の供養だけではなさそうだ。 なんと斎藤何がしとかいう平家一族の武将の『法要』なのだと言う。 和尚さんのお経の中にもその人物の名が出て来て。とても真実味があった。
とても興味があり。帰宅してネットで調べたりしてみたが。 その武将と『虫供養』との関連については。何ひとつ情報がなかった。 夫君にそのことを話すと。ちょっと不機嫌になる。 「夢をこわすなよ」と言われた。うん・・そうやね。今日はその方の法要。
つきつめてつきつめたいのがわたし。 あやふやでもそれがいいのがおっと。
そして。何事もなかったように。ふたりで『義経』を見た。
追記。 その後また『虫送り』で検索してみたら。ちゃんとあった。 明日の朝。いちばんに教えてあげたい。
野のアザミが咲き終ると綿毛になる。 それはタンポポみたいに可愛らしくもなくて。 むしろ醜く見えてしまうのだけれど。
群れているものも。ぽつんとあるものも。 なんともいえずもの哀しくて。憐れに見えるのだった。
だけど決して不憫だとは思えない。 それはとても健気な姿だと思える。
鮮やかな紅紫が枯れて茶色くなってしまい。 そこからどうやって白い綿毛に変るのだろう。 葉の刺々しさも過去となり、朽ちて朽ちて綿になる。
そっと触れてみると。はっとするほど柔かだった。 やがて風を知るのだろう。ふんわりと野に落ちて。 また生きてはまた咲く頃。ともに生きていたいものだ。
今日の嬉しいニュース。
子ツバメ達が空を飛べるようになった。
今夜のいけないニュース。
サチコに土下座して煙草一本貰う。
朝は。とても清々しい青空が嬉しく思う。
例の。手折られた白い紫陽花には。仲間がたくさんいたのだ。 妹かもしれない紫陽花が。またぽつんと白くて。その場所に在った。 昨日の朝のことも一昨日の朝のことも。あまり憶えていない自分に。 少しだけ穏やかな朝が返って来たように思う。ほっとする瞬間が愛しかった。
ありがたいことに。日中もそれが継続されていて。 特に苛立つこともなく。のほほんと仕事をこなしていた。 時々は窓の外の美味しい空気を吸いながら。ああいい感じだと思い。 これが順調でなくてなんだろうなどと。良いほうに良いほうに丸をつける。
ばってんは。やはりどうしてもあふたーないん。 自室に入るやいなや。スイッチが切り替わったように異変が起こる。 どこか壊れているなと感じるが。その箇所がよく判らず戸惑うばかり。 許してあげたくてたまらないけれど。もう一人の自分が厳しすぎるし。
壊れた玩具は。だから真っ直ぐに進めない。 壁にぶち当たっては。右じゃなくて左に行ったりしながら。 泣くことも喚くことも出来ずに。電池が切れるまで動き続けているのだ。
はぁ・・・・しんど。
五月雨の頃に似て。どうしようもないふうに。雨が降る。 なにもかもが潤っているのだけど。他人事のように思えるのは。 なぜだろうか。自分だって濡れたのに。それはとても些細なことだった。
順調と思えば順調。深く思い詰めなければすべて順調に事が運ぶらしい。 だからほら。かるぅく流しとけばいいものを。手にとるから重くなるのだ。 だけどほら。そのかたちとか。その汚れ具合とか見て見ぬふりをするのが。 むずかしい。なんでもないことなのに。なぜかなにかあることになるから。
ようするに。ただたんに。「まっ・・いいか」が苦手なのだろうと思う。 こ難しいことほざいてないで。もっともっとあっけらかんとしていたいものだ。
禁煙もしかり。禁ずるからそれは苦しい。 我慢しているという思いがある限り。いつまでも解放されないのだ。 自由になりたい。なろうとしているのだからと自分を宥めてばかりいる。
明日は今日より楽かなって思う。 こだわらずに忘れていられたら。きっとだいじょうぶだと思う。
どうしても穏やかになれない夜です。どうか読み流して下さい。
秋はすすき。今の頃はなめらかな真綿のような草の花が咲く。 夕暮れ時は。風に揺れるものを眺めては心を和ますのがいい。 そうして暮れていく現実を。夢だったかのように見送るのが。
家に帰るとほっとする。自室の窓から眺める夕陽がとても好きだ。 堤防の高さと同じ窓は。まるで映像のような風景を見せてくれる。 ここに自分もいるのだなと思う。向き合っていることが嬉しく思う。
月曜日の仕事は。なんだかすごく理不尽に思えることなどあり。 手のひらを返すようにあれこれが変化しているのをまともに感じた。 すでにそうなってしまったことは。どうしようも出来ないのであるが。 そのように変るということが。とても悲しく思えるのだった。
だけど変らないこともある。今まで築いてきた信頼というものが。 今日ほどありがたく思えたことはなかった。 とにかく希望を捨てないことだ。いつもの笑顔を忘れずにいれば。 きっと光射す時が来ると信じていたい。誠心誠意。精一杯でいよう。
今夜。煙草は。とうとう最後の一本となった。 さっさと吸い終えて。潔く別れたいものだ。
このところ少し肌寒さを感じていたのだが。今日はまた初夏の陽気となる。 家中の窓を開け広げて。ふと北側の窓の外を眺めると。お隣りの柿の木が。 こんなに大きかったかしらと思うほど。若き葉がきらめいていてウツクシイ。 実のなる頃を知らなかった。そこは夏が終わるとずっと閉ざしてある窓なのだ。
それから。縁側でツバメ達を観察。ちちちちちっと子ツバメ達が鳴き始めた。 確かに三羽が元気そうなのを見てほっとする。あの末っ子もしっかりとして。 母さんから餌を貰っていた。玄関の扉のあたりは糞でいっぱいだけど。それが。 何よりも順調な証拠のように思え、いくらでも汚していいよと思えるのだった。
それから。自室の掃除をする。今日ついに灰皿を捨ててみる。 5度目の禁煙を。今度こそきっとと決意し、『禁煙セラピー』を読む。 その本には「さあ、最後の一本を吸いましょう」と書いてあるので。 そのようにして。なんだか疑心暗鬼ながら。ついにやったぞと思ったりした。
それからは。とても清々しい気持ちが続く。葛藤もなく。不安もなく。 愚かな自分とおさらば出来たんだと。とても嬉しく思えたのだった。
いつものように茶の間で『義経』を見て。ビール片手に自室に帰って来た。 するとどうしたことだろう。なんだか頭の中が真っ白で。すごく虚しくなる。 第一波の禁断症状かと冷静に受け止めて。頑張れよ、これを乗り切れよと。 必死で自分にエールを送るのだった。お父ちゃん助けて・・と遺影を見れば。 その遺影の前には。買って殆ど吸っていない煙草の箱がちょこんと在るのだ。 灰皿と一緒に捨てるべきだった。もったいないなと思ったばかりに在り続ける。
ため息をいっぱいつく。自己嫌悪と。開き直る気持ちとが喧嘩を始めて。 私はすっかり開いてしまうのだった。在るものは始末しようと思い始める。 最後の一本まで。今はそんな気持ちでいっぱいになり。どうしても駄目だった。
何も喜びを感じていないのに。どうして火を点けようとするのか。 吸えば吸うほど虚しくなるのに違いない。これは麻薬だ。麻薬なのだと。
悲しいほどに知っているというのに。
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