ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2005年05月13日(金)

しんやのるすでんのこえをききながら。なみだぐんでいるあさだったり。
どんなにかしんどいひびを。たえてたえてがんばっていることだろうと。
まけないで。まけないでと。いのりつづけている。それがいまできること。


恋などというものではなかった。

あのひとの母になれたらどんなにいいだろうかと。思う。



2005年05月12日(木) いちにち

あの山道の白い紫陽花に。どんなにか心を惹かれていたことか。
なのに今朝は。とてもとても悲しい思いをしてしまう。

みんなに見つけてもらって。微笑んで心を和ませて欲しかったけれど。
まさか手折る人がいるなんて思ってもいなかったから。
悲しみと。怒りのようなものもあって。一気に気分が沈んだ朝だった。

しかたないことはしょうがなく。もう少しすればたくさんの紫陽花に会える。



あとは。今日もひっそりと静か。
来客の途絶えた職場には。閑古鳥じゃなくて。爽やかな鳥の声が聞こえる。
いったいどんな変化が起きているのか。まだ深刻に受け止められない。
じわじわと何かが忍び寄って来ているようだが。思い過ごしのようにも思う。

あっけらかんとしていたいものだ。じたばたと焦ることはなにもない。


帰宅したら。お休みだったサチコがぜぇぜぇしていた。
あんずのお散歩に行っていたら。リードが切れてしまって逃亡されたらしい。
一目散に走り出したあんずは。なんと川へ入って水遊びをしていたそうだ。
自由になったあんずにはいつも手をやく。とにかく絶対に言うことを聞かない。
なんだかサチコとよく似ているなって可笑しかった。

食後は。サチコが皿回しの芸をしてくれて。とても楽しい。
ほんとうに我が家の太陽みたいな娘だ。

おかげで微笑みながら眠ることが出来る。ありがとねサチコ。




2005年05月11日(水) 静寂

黄花コスモスが咲き始めた。それは日に日にたくさんになって。
ついこの前までツツジが咲いていた国道沿いに。今度はわたしよって。
そんな朝の道の嬉しさ。鮮やかな黄色がきりりっとしていて緑に映える。
通いなれた道がとても新鮮に思えるのだ。心がすぅっといい気持ちになる。


お昼休み。いつものようにクルマの中で本を読んでいると。
すぐ近くで鳥の声がした。すごく透き通った声で鳴いている。
どこどこ?って探していたらいたいた。お腹が黄色い鳥だった。
ちーいちーいって鳴く。誰かを呼んでいるような声で鳴いている。
雄かな雌かな?わからないけれど。呼んでいる。ずっと聞いていると。
なんだかせつなくてならない。早く来てあげてって願わずにはいられない。

ああ・・だけど誰も来なくて。もう風の向こう側に飛んで行った。
あとは静寂のみが残る。その心に染むほどの静けさは。淋しさに似ていた。

ため息をつくと気が遠くなる。垣間見たものは何だったろうなんて思う。
だけど不思議と満たされた思いで。そのまましばし眠りこんでしまった。


仕事は。あまりにも重大なことに直面していて。なのになんだかもう。
なるようになってくれたらそれでいいのだと思えるのだった。
昨日を境にぷっつりと電話が鳴らない。不気味なほどの静けさのなかで。
あとは野となれ山となれと思いながら。最後の決算をしようとしている。



2005年05月10日(火) 悲しい顔ではいられない

職場の庭のやまももの木の下に。毎年咲いてくれるのが『雪の下』
今はまだ少ししょんぼりしている。紅く細い首を伸ばせるだけ伸ばし。
うなだれるようにその先っちょが俯いている。なんだか悲しそうな姿。
何かを諦めているようなひとにも見える。風が吹けば折れてしまいそう。

それが咲き始めるとどうか。まるで蛹から蝶になったように美しいのだ。
純白の羽根をひらひらとさせて。それはそれは誇らしげに風に揺れる。
あと少しもう少し。今年も会えるのだから。悲しい顔ではいられない。



さて。よりによってこんなことを話すのもなんだが・・
月経前の情緒不安定っていうのは。なかなか面白いもんだなと思う。
血迷うというか。確かに血が迷ってしまうように思う。
とんでもないことを考えているかと思えば。ついに仕出かしてしまったり。
いつもは静かにおさまっているものが。急に暴れたりするものだ。
女性ホルモンが脳に悪影響を及ぼすのか。そこらへんがとても微妙だ。
私のような更年期の者だって。これは尋常ではないぞと自覚するくらい。
めちゃめちゃ女の本能らしいのが現れてくるし。制御できなくなる時がある。
不思議なものだ。専門家になって研究してみたいと月に一度思ったりする。

冷静になれない時などあって。あとですごく後悔したりするのだが。
今朝それを思いっきりしたとたん。そのものが始まったりしたから。
ああ、やはりそうだったかと思った。そして正常に血が流れるありがたさ。

いつだったか。あのひとにすごく迷惑をかけたとき。
あのひとが「まだまだおんななんだからよかったね」と言ってくれた。
その時の優しさを思い出しては。はらはらと涙ぐんでしまった。

少しだけうなだれている夜。
あと少し。もう少しと。咲ける日のことを思っている。わたしだった。






2005年05月09日(月) 風が薫る日

風が薫るというのはこんなのだなと思った今日。
爽やかさに吹かれていると。あれこれはみんな些細なこと。
思い悩むほどではなかったが。気がかりなことなどあると。
それさえも薫るように仕向けられていくように思うのだった。

風のように生きられたらどんなにいいだろう。
だけどひとは。そんな風に吹かれながら生きる。
立ち向かうことは出来るが。風を静めることは出来ない。
身を任せば空だって飛べるのかもしれないなと思ったりもする。

ひとらしく。ひとらしくあるのが。やはりそれがいいのだろう。



さて今夜の出来事。
残業で遅くなり帰宅した息子君と。しばし話し込んでいると。
今年中に家を出たいと言い出した。彼女と暮らすことにしたいと。
覚悟はしていたし。もっともなことだと思うのだけど。少し戸惑う。
父親に言う前に私に言ってくれたのだから。なんとかそうさせてあげたい。

巣立つのかこの子が。なんだかとてもそれは言葉に出来ないことだった。






2005年05月08日(日) 抱っこ

やわらかな陽射しとそよ風。のほほんと空を仰ぐ。
時間が止まっているように。思える時があるのが。
なによりも至福の時なのだろう。穏やかな空気が。
静止している自分のまわりで。漂っているような。

日常のほんのいちぶぶん。だからとてもありがたい。



先日生まれたらしいツバメの赤ちゃんだったが。
いっこうに姿が見えず。親ツバメの様子も変で。
もしかしたら孵化できずに。卵のまま死んでしまったのでは。
ないかと心配していた。親ツバメが巣から離れてばかりいて。
時々母ツバメらしいのが。巣の中を覗き込んでいるだけだった。
生まれているにしてはあまりにも静かな気配がするばかり。

なあにまた卵を産むさと言われても。なんだか納得出来ない。
そんなもんかなって思えない。どうして?って疑問符しちゃう。

夕方近く。洗濯物を入れ終った縁側で。またぼんやりと巣を眺めていた。
そしたらちょうど母ツバメらしのが帰って来たところだった。
餌みたいなものを咥えているのだ。あっ!っと思って目を凝らす。

ああ、なんてか弱い。それはそれは小さな生きるものが見えたのだ。
まだ首が座っていない人間の子供と同じように。支えてあげないと。
今にも折れてしまいそうだ。それなのに必死になって頭を上げている。

ひとつ。ふたつ。みっつ見えた。まだ鳴くことも出来ない小さな命たち。
ほらほらおっきく口を開けて。見ているとはらはらするような光景だった。

やったね。きみがお兄ちゃんだ。そんなひとつがお母さんから餌を貰う。
ぼくもぼくもだよ。一生懸命口を開けたら。お母さんが餌をくれたんだ。

くにゃくにゃっとなって。ぼく駄目だよって。みっつめはまだ口を開けない。
可哀相でならないけれど。母ツバメは振り切るように。また空へ飛んだ。

母さんはね。ほんとは優しいけど。厳しいんだ。
みんな強い子になって欲しいんだよ。だってそうでないと一緒に旅が出来ない。
いっぱい食べさせてあげたいんだよ。だから一生懸命口を開けて欲しいよ。

夕暮れて。やっと母さんが巣に帰ってくると。
みんなみんな抱っこして眠るんだ。
お兄ちゃんも弟も。おなかが空いてる末っ子も。みんなみんな抱っこだよ。



2005年05月07日(土) ぽつんとある

朝は風がとても強くて肌寒く思ったが。午後はまた初夏の陽気。
いつもは気だるい土曜日なのに。今日はなんとなく活き活きと過ごす。

朝のこと。いつもの山道を通りながら。確か次のカーブを曲がったらと。
このところ気にかけている紫陽花のことを思った。もう咲き始めている。
民家のそばでもない場所に。山道の生い茂った草むらに。ぽつんとある。
見つけた時は真っ白だったから。たぶん日に日に色づくのだろうなどど。
昨日よりも今日のことを楽しみにしていたのだった。

そしてカーブを曲がったら。そこにぽつんと座っているお遍路さんが居た。
紫陽花の花に寄り添うようにして。疲れた足を撫でているようだった。
それはすごくほっとする光景で。なんだか一枚の絵のように見えた。

見つけてくれたんだと思う。あっ・・こんなところに咲いてるって。
そう思うとすごく感激してしまって。やたら目頭が熱くなったりした。

そうしていただいた穏やかな朝を大切に思う。ささやかな贈り物みたいに。


まあるいこころ。時には転がらずにいられない時もあるが。
そうして見失ってしまいそうになる時もあるのだが。
感じたことをずっと忘れずにいたいものだと思う。

ころがっていけば。また見つけることがいっぱいあるのだろう。
泥だらけでもいいじゃないか。動けなくなってそこに在り続けるのも。
それが過去というものならば。いつだっておさらばできるのだから。

感じたことはずっと生き続ける。それが未来というものかもしれない。
ひとつひとつ大切に。育てることも出来る。だから生きるのは愉しい。

          みんなみんな。ぽつんとそこにある。



 < 過去  INDEX  未来 >


anzu10 [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加