ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2005年05月06日(金) ぴちぴちらんらん

またふつうな朝が始まって。雨だなあとつぶやきながら仕事。
たんたんたんと雨が降る。水たまりのような気持ちになって。
流されることもなく。いちにちが。ぴちぴちらんらん過ぎる。


いつも何かが足りないと。ずっと思って悩み苦しみしていたけれど。
この頃はそうでもなくて。むしろとても満たされているように思う。

限界を知ったのかもしれない。それは身の程を知るのと似ている。
雑草は雑草なのだろう。きっとそういうことなのだろうと思う。

ざっそうはじしんがなかったのだ。このままでいいのか。
ひのあたるばしょでさくはなになっても。なぜかふあんだった。
ふまれたひのいたさがわすれられなくて。おもいだしてはないた。
どうしてどうしてといつもおもいつめてはひかんばかりしていた。

だけど雨。ならばずぶ濡れになろう。そう思えるようになったから。
傘をさして欲しいとか。雑草だもんそんなこと思わないことにした。

雨あがりはとてもいい気持ち。そよよと風が吹けば恋人みたいに優しい。
だから雨が好き。ありがとうっていつも思う。雑草でよかったなあって。

野原なら仲間がたくさんいて嬉しい。だけど石垣の隙間でだって生きる。

えへんどんなもんだいって思う。だから雑草は。今日もぴちぴちらんらんと。

            生きた。




2005年05月05日(木) はるばると

立夏らしくまぶしい陽射し。今日は少し遠いところに行ってみる。
思い立つというのがよくて。行き当たりばったりというのもよい。

四万十川を上流へと進み。ずっと新緑の道を進む。
そこからは愛媛県だった。そして四国山地を抜ける。
長いトンネルが幾つもあって。暗さから抜け出しては。
目の前に広がる緑の素晴らしさ。ほんとうに爽やかな風。

2時間半ほどで大洲市に着いた。初めて訪れた町だった。
なんだか我が町と似ているなって思う。水の匂いがする町。
ごみごみとしたところがなく。のどかで静かな町だなと思う。

山の上に公園みたいなのが見えて。とにかく行ってみることに。
すごくわくわくした。なんだか子供の頃の遠足みたいな気持ち。

展望台にはひとひとひと。そんなことはどうでもよいくらい。
そこはいちめんのツツジ。もうもうこれ以上は咲けませんって。
言ってるみたいに咲いていた。よく咲いてくれました賞をあげたい。

          
           展望台から見下ろせば。
         




          
           名残惜しくて見上げれば




2005年05月04日(水) ひとにあう

本日も晴天なり。とにかく動いてみたいなと思う。
そうしないでいると。どこか一部分がびょうきになりそう。
動けばうごくものがある。きもちよく流れるものがきっと。
あるはずなのだ。だから。動かずにはいられないのだろう。


昨日と同じ場所へ行けば。今日はフリーマーケットをしていた。
古着やら雑貨やらたくさん。そしてひと。ひとが苦手だと思ったり。
する時があるが。ひともなんだか恋しく思う時もあるのだ。
見ず知らずのひと。ぶらりっと来てみましたって感じのひと達。
わたしも『ひと』なのだから。そう思うと皆さん仲間だと思う。

それから何を思ったか。市内の観光地へ行ってみる。
ここもひとばかり。なのになんだかほっとするような思い。
関西弁の小さな子供が。はしゃいでいる声などが嬉しかった。


お昼。久しぶりに友人と待ち合わせをしていた。
年に一度会えるか会えないか。私にとってはすごく貴重なひとだった。
『ぶんがく』というか。もっぱらその話の出来る唯一のひと。
ただたんに文学少女の成りのはて。そんなふたりなのだろうけれど。
はてにあってもふたりとも。もがき続けているのだ。ともに老いながら。
咲くならば。雑草のように。踏まれても踏まれても咲くふたりでありたい。


ひとにあい。こんなにこころみたされた日はなかった。


   
       市内の観光地 『とんぼ自然公園』

                  
            




2005年05月03日(火) 藤の花咲く頃

よく晴れて爽やかな風が吹く。
八十八夜も過ぎた頃。あとは立夏を待つばかり。

ふと陽射しを浴びてみたくなり。
人ごみもおそれず。街中へ出かけてみた。

今日は『土佐一条公家行列』というのがあり。
この町に住んでいながら。初めて目にした平安絵巻であった。

まだ三歳だという姫君がとても可愛らしく。
花車に乗る時。はいはいをするように上がって。
座布団にちょこんと座ったりしたのがとてもよかった。

また来年もきっと見ようと思う。















2005年05月01日(日) いちにち

はげしくたたきつけるような雨が降る。
雷鳴も聞えたりして。落ち着けずにいたりもしたが。
これも五月の風情かと思えば。穏やかな気持になる。

時化のようだと窓の外を眺めれば。ツバメがずぶ濡れて。
飛び交うのが見えた。まるで雨を斬るように勇ましい姿。

どうやらツバメのお子達が生まれたらしい。
母ツバメらしいのが。巣の中に顔を突っ込むようにして。
餌をあげているのか。まだ生まればかりで介抱しているのか。
昨日とはまるで違うので。きっと生まれたのだろうと思う。
毎年の事ながら。記念日のように微笑ましい出来事である。
毛むくじゃらの可愛げなのが。あと少しすれば見られることだろう。


夕方ちかく。やっと雨が小降りになる。
どこからともなく。蛙の鳴き声が聞える。
「けけけけけっ」と鳴くのだ。とても愉快な声で鳴くのだ。

暮れていく空はどんより。だけど川向の山の真上が微かに光る。
なにもとくに思い煩うこともなく。ただほのぼのと暮せたいちにち。



2005年04月30日(土) なつかしさ

朝はかすみがかった空が。午後ゆっくりと潤いはじめる。
雨の兆し。夏のようだったここ数日の渇きが癒されるようだ。


何曜日なのか忘れてしまいそうに。ぼちぼちと仕事。
電話が鳴らない。ああ土曜日なんだと少しだけ気が緩む。

時々は深呼吸。職場の庭にもうぐいすが来てくれるのだ。
いつもは気忙しさで気がつかなかったのだろう。
ここにいるよと声がする。やまももの木だろうか。ねむの木だろうか。

私は。この山里がとても好きだった。かれこれ17年にもなるのか。
故郷のように思うときがある。たしかに懐かしく思うときがある。

子供の頃。三年間ほどここで暮したことがあった。
ちょうど魚屋さんの向かい側で。あの都忘れが咲いている庭に。
我が家があった。父も母も弟も。『ゆう』という名の犬もいた。

その頃。初めてギターを弾いた。近所のお兄ちゃんがいつも遊びに来て。
ギターを教えてくれたのだ。おさがりのギターを貰ってとても嬉しかった。


その大好きだったお兄ちゃんが。今は母と暮している。
とても傷つきやすかったあの頃。私はこの山里が大嫌いだと思っていた。

運命とか。縁とか。ずっと考えないでいたけれど。
この年になり。ふと閃くように思うのは。やはりこの山里のことだった。
二度と訪れまいと決めていたのに。私は自ずから帰って来たのかもしれない。
ほかに行き場所がなかったと言ってしまうこともできるが。
よほど縁のある土地なのだろう。母もきっとそうなのだろうと思う。

母が幾夜も続けて夢を見ると言って。気になってしょうがないと言う。
お地蔵さんがたくさん並んでいるのだそうだ。一本道でずっとはるかに。
村の墓地の近くに祠があるのを。お彼岸の頃に見つけたのだそうだ。
ずいぶん古いもので。いったい誰をお祀りしているのかわからないそうだ。

気にしすぎだよと言いながら。母の前世を思う私も尋常ではないかもしれず。
私もともに生まれていたのかもしれない。そのいにしえの頃を思った。

ちりんちりんと鈴の音が聞える。それはうぐいすの声よりも真っ直ぐに。
はっとして窓の外を眺めれば。ひたむきに歩き続けるお遍路さんがいた。

なつかしさを言葉にできない。ただ受け止めているすべてがなつかしい。






2005年04月29日(金) まるくまるい

「休もう 休もう」新聞の占いにそう書いてあって。
朝からふにゃふにゃっとした気分にしてもらった。

特にどうしてもと思うこともなく。くつろぐ時間のありがたさ。
それがぽっかりとそこにある。まるでくりぬかれたまるい場所。


庭に出て花を眺める。水をやりながら話し掛けてあげるのだ。
植物はきっと応えてくれる。か弱いほど念じれば育つのだと思う。

十二単(じゅうにひとえ)という名の花。
紫の衣を重ね着たように咲く花で。なんともいえない可憐さがある。
古の時代にも咲いていたのかもしれない。木陰にひっそりと佇むように。

初雪かずら。これは花ではないが。いままさに花の時のよう。
冬の間ずっと寒さに耐え忍んでいたのが。新しい芽がたくさん。
それは新緑ではなく。薄いピンクなのだ。そして白く色づいてくる。
初夏の初雪。誰が名づけたのであろうかと思わずにいられない。


そんなふうにしていると。ツバメのご亭主と目が合った。
首をかしげてじっと見られていたのかと。少し照れくさくなるような。
この庭も。彼らの庭なら。荒らすわけにはいかないと思う。
奥方は花どころではなくて。今日もひたすら卵を温めていた。


まるい時間が暮れていく。霞がかったままの空は夕焼け。
川風はほのかに水の匂い。ひたひたと暮れていく一日を見た。


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