ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2005年01月05日(水) みんなみんな寝てしまえ

スローでいて。時々ブレーキ。また動き出すけれど行き先は不明。
そんな感じで一日いちにちが過ぎていく。終ればそれなりの充実感がある。
平穏無事が何よりだと思う。とりたてて悩もうとしないからすべておっけい。


あくびがひとつまたひとつ。

とろりとろりと眠くなる頃。

明日のことを思うでもなく。

ただぼんやりと時間に抱っこ。

ふにゃふにゃしながら甘えてる。

もっともっとと欲ばりながら。

みんなみんな寝てしまえ。

こんな私に気づかぬように。



2005年01月04日(火) ぐるぐるぐるぐる

気がつけば。夕陽が待っていてくれるようになった。
つい数日前まで。仕事から帰る時クルマのライトを点けていたのに。

そうそう。それって去年のことね。そっか・・なんだかそれって昔やね。


私は何も変らない。変らなくてもいいことにしたからすごく気が楽。
それを認めてって。言えるひとがいることじたい。変らないのだから。


あれやこれや押し潰されそうだったけど。なんだ・・それって去年だった。
ぐるぐるぐるぐる同じところを巡っているみたい。でもだいじょうぶだよ。


おんなだからって。どうしてそれを負い目にしなければいけないのか。
あっけらかんとして考える。だって・・おんなだからしょうがないじゃん。

出来ないことをしようとするから。ひとってみんな苦しむのだろう。
どうしようも出来ないことなのに。もがくからよけいに深みに落ちるんだ。

泥まみれになっちゃう。すごく滑稽。なんて憐れなんだろうと思う。
そんなふうに貶めて。可哀相な自分なんて。アホらしくて見ていられないけど。

無視するのは容易くて。無視されるのは辛いもの。
だけど。自分で自分を無視するのはいけない。ちゃんと見なさい自分を。

どんなところをぐるぐるしているのか知りなさい。
知ればきっと止るのだから。そうして静かに穏やかに。自分を抱きしめて。

よしよし・・って言ってあげなさい。

だいじょうぶだよ。それがありのままの自分なんだから。



2005年01月03日(月) すくっと

みっか日にもなると。少しだけ腑抜け。ちょいと憂鬱にもなるおかしさ。


午前中より炬燵で寝ころびテレビを観ていた。
『鬼龍院花子の生涯』を。もう15年も昔の作品なのか・・
夏目雅子は懐かしくも新鮮で。仙道敦子はあどけなくて。
「あてをなめたらいかんぜよ!」何度聞いてもええセリフや。
あとはひたすら感動の涙。胸に熱く込みあげてくる。何だろうこれって。


「あては腹が減ったぜよ なんぞ作っとうせ」などどほざきながら昼食。
昨夜の鍋の残りにおうんどんがよろしい。食後のぜんざいはもうよろしい。


午後はぶらりと街へ行く。暮れの福引で当たった時に新春福引券を貰っていた。
この場に及んでまだ欲を捨てきれぬか。おのれ成敗してやろうの気持ち。
よかった。よかった。18枚引いて見事に全部ハズレだった。

アーケードのカラオケ屋さんの前で。地元の青年達がミニライブをしていた。
作務衣姿で頭に白い手ぬぐいを巻いた青年の歌がとても良かった。
聞けばまだ高校生だそうで。歌い終わって拍手を浴びたらすごく照れくさそう。

つかの間ではあったが。それは思いがけず心和むひと時だった。
清々しい気持ちって。こんなふうに舞い下りてくるものだろう。
受け止める心さえあれば。なんだって素晴らしい贈り物になる。


すっきりと爽やかな気分で。すぐ近くの神社へ詣でる。
ながい石段が心地良い。なんだか天に昇っているような感じ。
お賽銭をふんぱつして。この穏やかさに感謝する。神様ありがとう。


吹っ切れてはいないこと。何も変ってはいないこと。
それが時々襲って来ては。悩み苦しむ時もあるが・・
だからといって無理に変ろうとしないでも良いのではないかと思う。

石段をひとつふたつと数えながら下りて。すくっと胸を張って歩いた。




2005年01月02日(日) 穏やかな時を

ふつか日のゆっくり目覚める朝のこと窓を開ければ光り溢れて。

のどかで穏やかな時間ほどありがたきものはなく。
日常から遠く旅に出ているような気がしたりする。

元旦。あれほど心躍らせていた初日の出を見に行けなかった。
寒気と睡魔に降参してしまったのだから。行かなかったがほんとだろう。
もうすっかり日が昇ってから後悔した。なんだかとても残念だった。

まっ・・いいか。今年こそは何事もそんなふうでありたいものだ。
どうして?なんで?って問い詰めて。もがき苦しむのはよそうと思う。
人生はもっとお気楽に。そうそう楽しく生きるのは自分次第でおっけい。


ふつか日の今日。寒気も緩みますますもって穏やかな気分。
26年目の彼と出掛けるもよし。体調もすっかり良くなり安堵している。

車で30分程西へ。四国霊場39番札所『延光寺』へ初詣に行った。
彼は変らず急ぐひとだった。さっささっさの人だった。
私はお線香を買って手を合わせたり。ひとりおみくじを引いたり。
「待っていなさい」と言えば待つ人なのだろう。
それをあえて言わないで待たせる術を。今日は初めて学ばせてもらった。
それは気を遣わないことだ。私がのんびりしていればそれで良かったのだ。


帰り道。少し遠回りをして足摺方面にある水族館へ寄った。
子供達がまだ小さい頃に来てから一度も来たことがなかった。
おっきな円柱の水槽のなかをひたすら泳がされている魚達を眺める。
来る日も来る日も命尽きるまで。ぐるぐるぐるぐる泳ぎ続けるのだろう。

「なんか・・目がまわった」そう彼が言う。私も船酔いの時みたいになる。
だけど魚達だってとても辛いかもしれないね。そうだね・・と語り合った。

私達も。もしかしたらそんな水槽の中で生きているのかもしれない。
それがどうしても嫌で飛び出してしまったら。死んでしまうのだろう・・。

生きる場所を与えられていることに。もっと感謝しなければと思う。

その水槽からは空が見える。太陽だっていつも光を届けてくれるのだから。





2004年12月31日(金) 合掌

おおさかはゆきがふっているよと。あのひとがいう。


ことしもあとはちじかんたらずになりました。

あずきたっぷりのおぜんざいできました。

こぶまきさんじゅっこもつくりました。

すごくがんばったのでごほうびにあつかんです。

ほんわかとあたたまってとてもいいきもちです。


さっきしぐれがふりました。こんやゆきにかわるかも。

はつひのでみにいけるかな。みたいなあのしんせんなひかり。

きらきらになってまたいきていきます。みんなもいきようね。


いちねんかんほんとにありがとう。かんしゃのきもちでいっぱいです。

             がっしょう。






2004年12月30日(木) いくつもの朝といくつもの夜と

さるものは追わず。くるならばとり込めと言っていいのか。
ほんとに今年も残り少なくなった。とてもあっけないようで。
どこか深く。日々在ることを許されたように思う一年だった。

あまりにも見つめ過ぎたかもしれない自分がそこにいて。
だからこそ気づけた愚かさをしかと受け止め。頷き許して。
どう生きるべきかと学べたのなら。よしとしよう。花丸をあげよう。

身の程を知ることがとても怖かった。限界があったことが悲しかった。
情けなく思うことがあまりにも多く。知れば知るほど殺すようにしながら。
ここに書いた。書きながら生きる道を教えられたのかもしれない。



残る人生は如何ほどのものか。いまいる駅の名を知る由もないが。
擦りきれた切符を破り捨てることは決してしないだろう。
かたことと揺られている。窓際の席がとても気に入っているのだから。

いくつもの朝といくつもの夜と。朝陽と夕陽と月と星。
雨も降れば雪も降る。やわらかな風も吹けば荒れ狂う嵐も。

そんな窓から見える風景はいつも懐かしくとても愛しかったのだ。



2004年12月29日(水) 時の雨

遠くの山が薄っすらと雪化粧。里はにわかに時雨なり。

雲さわぐ時。穏やかでないのは空ではなく風なのであろう。


ひとの心も不意に乱れる。風まかせで生きているなら尚更。

時にその風を怨んでしまうことの愚かさよ。なんと悲しき。


冷めて静まる時を待つ。情け容赦なく降る雨でもあるまい。

凍えるほどのこともなく。耐えねばならぬ理由もない。


なのにどうしてこんなにも。狂おしく想うことがあるのだろうか・・。


 < 過去  INDEX  未来 >


anzu10 [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加