VITA HOMOSEXUALIS
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2016年11月30日(水) じゅうはち

 東北震災の年の夏、私は福島を訪れた。放射線の影響を受けた地域は、見た目には被災前と何ら変わりないのに、立ち入りを禁止される。家も庭も畑も、手にとるように目の前に見える。慌てて避難してきたから、庭には洗濯物が干してあり、部屋には読みかけの本が開いてある。それなのにそこにはもう近づけない。このままにしておくと荒れてしまうのに、どうすることもできない。

 それから私は山口県の島に行った。そこは原発反対を堅固に押し通してきた島である。本土とわずか数キロしか離れてないのに、埋め立てられた本土の海岸が死滅しているのに比べて、この島の海岸は美しく、海は透き通り、海中にはいろいろな生物が見える。大きな川のない島ではいきおい自給自足でエネルギーもまかない、廃棄物も島の中で処理してきた。江戸時代からそうやって環境を守ってきた島であった。

 その島からの帰り道、私はネットで知り合った大学生とホテルで出会った。

 ネットでは彼は悪ぶっており、男同士のセックスの世界もよく知っているような書きぶりだった。

 だが、明らかに似合わないサングラスをかけてロビーの椅子に固くなって腰掛けている彼を見ると、この世界は初めてなのだとわかった。私は彼を部屋に誘った。

 手にしたアイスコーヒーのグラスがテーブルに当たってカタカタ音を立てるほど彼は緊張していた。「今日は何をしていたの?」と尋ねると、「大学で実験していました」と消えそうな声で答えた。二言三言ことばを交わしているうちに彼の頬は紅潮してきて、やがて耳まで真赤になった。

 私は彼を立たせ、ゆっくりワイシャツのボタンを外していった。薄い胸が現われ、それはひくひくと波打っていた。私は彼のズボンのベルトを外し、腰のところを開いてジッパーを下ろした。彼のペニスは大きく勃起して、トランクスがテントのように張っていた。彼は苦しそうな息を漏らしていた。私の手はそっと彼のペニスに触れた。「はぁ」というような声とも息ともつかない吐息を彼は漏らした。ペニスの先はもうトロトロに濡れていた。

 私は彼をベッドに誘い、お互いの裸体を絡ませた。彼は身を固くした。

 彼はほとんど動かないままであった。胸まで飛び散るほどの射精をしたときも、彼の体は凍りついたように固まっていた。

 私はゆっくりと彼の精液を拭いてやり、ベッドの上に起き上がって自分の精液も始末した。

 そのとき彼は横を向き、ひくひくと体をくねらせ始めた。手でしきりに顔を拭っていた。くすん、くすん、という息遣いが聞こえてきた。私はそっと彼を見た。彼は泣いているのであった。喉が震え、ひく、ひく、と嗚咽を我慢している。時折涙が溢れ、彼はそれを不器用に手で拭う。彼は鼻水をすすりあげる。

 「初めてだったんだね」私は声をかけた。

 かれはこっくりと頷いた。

 私たちはシャワーを浴びた。彼はごしごしと顔をこすり、涙や鼻水の跡を消そうとした。頬の紅潮は収まっていたが、今度は体全体が青ざめたような様子だった。

 彼は裸のままトイレに行った。小便を放つ盛大な音が聞こえてきた。

 それから駅前の中華料理屋で食事をして別れた。私は彼に悪い事をしたように思った。「ありがとう」とメールを打ったが返事はなかった。

 だが、翌日彼から届いたメールには、以前のように悪ぶった調子がうかがえた。


2016年11月17日(木) はたち

 彼の精と私の精を拭き取ったティッシュペーパーはおよそ一箱の半分にもなり、大きな牡丹の
花のように私の部屋のゴミ箱におさまり、その精の匂いは数日部屋に漂っていた。

 「あっ」という小さな叫び声とともに胸まで飛び散った彼の精は濃い真珠の粒のようにキラキラ輝いていた。

 その少し前、小柄な体のわりには大きな彼のペニスを口に入れて私は舌と首を熱く動かしていた。舌の先に塩の味が感じられ、私は彼がガマン汁を流し始めたことを知った。

 私たちは狭い寝台に裸で抱き合い、硬く反り返ったお互いのペニスをこすり合わせ、体のすみずみを愛撫し、舌を絡めた濃厚なキスをした。6月にしては寒い日だったが、私たちの体は熱くなり、背中に少し汗が浮いた。

 彼はこうなることを期待してやってきた。だから私が部屋の灯を暗くすると自分から服を脱ぎ始めたのだった。

 私たちは焼き肉を食べた。彼は大きな会社の技師で、工業高校を出たあとすぐにスカウトされ、職能のコンテストで入賞するほどの腕前だった。

 駅前で待ち合わせていたとき、私はどんな青年が来るのだろうと思った。遊び人のような想像をしていた。学生ではないが、けっこう忙しいという話で、私は彼のことを水商売でもしているのだろうと思った。だが、現われたのはこざっぱりした素直な青年で、朴訥な印象を受けた。後にわかったことだが、そのとき彼は郷里から出てきて一年しか経っていなかった。

 私が驚いたのはその顔の美しさだった。今までたくさんの男と逢ってきたが、これほど整った顔立ちの青年は見たことがなかった。

 私たちは並んで手をつないで仰向けになった。私は彼に九州の隠れキリシタンの話をした。「まだ若いのだから君はこれから結婚するだろう。ゲイは良い夫で良いパパになる。優しいから」私がそう言うと彼は「イヤだ。結婚なんかしない」とつぶやいた。

 私は彼に本気で恋をした。私たちはTwitterでしばらくつながっていた。寮に住んでいる彼は好きな先輩のことが気になったりオナニーをしたりした。郷里から友人が訪ねてくるときにはゲイビデオの隠し場所に困っていた。

 その年の夏、彼は知らない人と逢い、生まれて初めて尻を与えたらしいことをTwitterにつぶやいた。私は彼に振られたと思った。それは寂しい喪失感だった。

 私は今でも彼の面影や姿態を思い出す。体をひくひくさせながら短い喘ぎ声を漏らし、私の口の中で痙攣しながら塩辛い粘液を漏らしていた彼のペニスを思い出す。


2016年11月16日(水) 震災の年

 3月12日は関西に行く用事があった。

 その前の日、厚木の私の仕事場も大きく揺れた。周期の長い横揺れがいつまでも続き、酩酊しているような気分になった。交通はバス以外すべてストップし、私はアパートまで歩いて帰った。

 翌日は予定通り新横浜駅に行った。西へ向かう新幹線の切符売場には長い行列ができていた。

 大阪で仕事を終えて営業先と居酒屋にいるとき、ニュースを見た。マグニチュードが9を超える大地震、数千人の死者、大津波、テレビにうつる映像は衝撃的だった。だが関西にはその影響はなく、私は予定通り奈良から京都を回って神奈川に帰った。

 帰ってみるとコンビニやスーパーからほとんどすべての食糧が消えていた。電池も売り切れていた。ガソリンスタンドには車が長い行列を作った。

 原発の事故が伝えられた。初期の対応は良かったように私は思った。しかし、その後じわじわと放射線汚染が拡がっていった。

 電力がなくなると言われた。電車が止まった。計画停電が始まり、職場やアパートは突然真っ暗になった。

 私の中で何かが崩れたと思う。この世は終わる。そんな感じだった。

 その年の夏から秋にかけて、私は若い男とつぎつぎに体を重ねた。それは遊びという感覚ではなく、だからといって本気で誰かを好きになってつきあうというのでもなく、崩れそうな自分の芯にあって行き場を失っている性の熱気を放散しているような感覚だった。


2016年11月01日(火) 突然の別れ

 この音楽家とは3年ぐらいつきあった。

 恋愛感情が生まれるまでには行かなかったが、新宿で美食と美酒を楽しみ、ホテルで密会するという生活は、それなりに楽しいものだった。

 彼が出演する音楽会の入場券ももらった。舞台の上で燕尾服を着て済ましている彼はベッドの上で狂奔している人と同じには見えなかった。しかし、舞台からは客席がよく見えており、「こないだ来てくれてたね」というような会話もあった。

 私たちはお尻は使わなかったが、手や口でペニスを愛撫したり、勃起したペニスどうしをごろごろこすり合わせたりするセックスはそれなりに楽しいと思っていた。

 だが、ある日のこと、セックスが終わって着替えていると、「これからもつきあえるけどセックスはなしにしてほしい」と言われた。「どういうこと?」と聞くと、好きな人が出来たという話だった。その人には十分かわいがってもらえるという。彼が探していたのは頼もしく頼れるタチのオトコなのだった。たぶん彼はウケだったのだろう。私のペニスが彼のアナルに入らないので、それで彼としては満足も小粒だったのだと思われる。いま彼の前にあらわれた人がどんな人かは知らない。おそらく男らしく、彼を犯してくれる人なのであろう。

 私は未練を見せずに引くべきだと思った。一人になるのは慣れている。

 その後もオーケストラの演奏会名簿で彼の名前は観た。しかし私はもうその演奏会に行こうとは思わなかった。

 私は厚木のはずれのアパートに帰った。

 私は着衣のままオシッコを出した。

 その液体の熱さが私を慰めた。

 立ち上るオシッコの匂いは私には麻薬のようで、私は愉悦にむせ返った。

 それから2年、私はネットで出会ったいろいろな人とつきあった。横浜のおじさんは私が余韻を大切にしないといって怒った。ラブホテルは時間ぎりぎりまで楽しむべきもので、精を放出してしまったらそれで終わりではないんだと教えた。ふたりでゆっくりお風呂に入り、ことが済んだあとも二人で裸で寝そべってあれこれ話すのだ。それを覚えなければモテないぞ、と言われた。

 韓国の留学生は大きな手のひらに私の精を浮けた。自分は勃起しないと言った。それで良いのか、私は彼に聞いてみたが、はにかむような微笑をたたえて、「これでいい」と彼は言った。

 出会って食事をし、少々の酒を飲んだだけで別れた人もいた。こういうのはむしろ健全なつき合いの範疇で安心だと思った。それでも何か物足りなかった。

 そうこうするうちに月日は経ち、2011年の3月11日になった。


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