不用品 買取 家庭教師 celeste blue

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ふと

2010年10月31日(日)

20時ころになって、夫が帰りました。
マンションの1階で夫の車を見送りました。

そういえば、結婚する前もこうして夫の車に向かって手を振り続けたっけ。
どこかに遊びに行った帰り、必ず私の家まで送り届けてくれたっけ。
手を振りながら、私の心の中の何かが音を立てていることに気づかないふりをしていたっけ。

けっして昔のことではなく、まだ色濃く心に残っているシーンだけど、今年、私の周りに起こりすぎた数多くの出来事に振り回されて忘れかけていた気持ち。
きょう、夫の車を見送りながら、思い出しました。

まだまだ私たちは始まったばかりなんです。
物語の序章が終わり、これからストーリーが始まるところ。

きょうのように、ふと思い出すようなことを、これからもたくさん作っていきましょう。

おやすみ。


二語文

2010年10月30日(土)

今週も、夫が私の実家に泊まりに来ました。
四畳半より少し大きめの私の部屋に、夫と私とわが子と3人が過ごします。
私は慣れている空間だからいいのですが、夫はほぼ軟禁状態。
せっかくの休みなのに、ストレスがたまらなかったらいいのですが、どうなのでしょう。

それでも、夫は1週間ぶりにわが子と会うのがうれしいのでしょう。
じーーっと寝顔を見たり、泣いたら抱っこしてあやしたり、おむつを替えたりと、父親としての役目を一所懸命に果たしています。

そんな姿を見てふと思いました。
赤ちゃんが、父親を父親と認識するのって、何がきっかけなんだろう。

「パパ」「ママ」をただの二語文でなく、その意味を、その存在をどんなふうに感じ取っていくのでしょう。

それは、これからの成長を通してわかっていくのでしょう。
楽しみのひとつとして。

おやすみ。


自由な身

2010年10月29日(金)

子どもの名前を役所に届けてから、母はようやく孫を名前で呼ぶようになりました。

最初は手に触れるのもおそるおそるだった母。
今は、子どもに話しかけるのも、あやし方も私より一枚もニ枚も上手(うわて)です。
赤ちゃんの存在を受け入れてくれるかどうかが心配だったけど、とてもとてもかわいがってくれていることに、やっぱり生んでよかった、と思います。

私がこの家を出ていって、ようやく一人暮らしに慣れてきたころだったのに、ふたたびにぎやかになって、そしてまたしばらくしたらひとりになる母。

なんだか残酷なことをしているような気分にもなりますが、仕方がありません。
できれば、近所に住んでほしい、または近所に住みたいのですが、それも私の一存ではどうにもできません。

とりあえず私ができることは、できるだけ実家に孫を連れて帰ることなのでしょう。
来年の秋までは、仕事もお休みの自由な身です。
親孝行せねば!

おやすみ。


やる

2010年10月28日(木)

「ママは寝不足にならないから大丈夫」

マタニティ雑誌で、そんな内容の記事をいくつか目にしました。

産後は、昼夜問わず赤ちゃんが欲しがるときに授乳をするため、1時間や2時間などの小刻みな睡眠になりがちです。
でも、ママの体も赤ちゃんに合わせて小刻み睡眠でも熟睡できるようになるとか云々……。

実際に、夜中に3〜4度起きて授乳をしていて、たっぷりと睡眠をとることはできませんが、もともと短時間睡眠を強いられた仕事をしていたこともあり、睡眠に対してそれほど苦痛は感じません。

ただ、夜、寝る前になると腰が痛かったり肩がこっていたりと睡眠以外のことで体が悲鳴をあげています。

来月の下旬には、母の元から離れて夫の待つ家に戻る予定。
ホントにやっていけるのか、かなり心配です。
やっていくしかないのですが。

おやすみ。


産前産後

2010年10月27日(水)

そういえば、妊娠中に私を困らせていた症状がなくなっていることに、ふと気づきました。

耳にふたをしたみたいな状態がずっと続いていた耳小管狭窄(じしょうかんきょうさく)。
自他ともに認める健脚なはずなのに、少し歩いただけなのに、動悸・息切れ、疲労感。
これまで以上に極度の便秘。
少食な私が朝からごはん2杯も食べる食欲過多。
くるぶしが見えなくなってしまうほどの足のむくみ。
寝ても寝てもつねに襲ってくる睡魔。
なぜかぽろぽろと剥けてきて、もしや水虫か?と疑った足の指の皮。

妊娠の代名詞ともいえる「つわり」はまったくなかったけれど、そのほかに出ると言われているありとあらゆる症状が私を襲っていました。

それらが、今はすっかりなくなっています。

でも、産後は産後でそれなりの症状があり、不慣れな育児の疲労もありで、産前と変わらず、体調が万全とはいえません。
とにかく、家に帰るまでに体調くらいは整えておかないと。

さ、早く、寝よ。
どうせ真夜中に数回起こされるんですから。

おやすみ。


寒い

2010年10月26日(火)

授乳をすませ、すっかり寝入ったのを見届けてから、車に乗り込みました。
子どものことを母に託し、一路、私が現在住んでいる街の役所へ向かいました。
日本の法律では、生後2週間以内に出生届けを提出しなければいけません。
今週末はその2週間目。

世間では、父親が出生届けを出すのが一般的らしいのですが、わが夫はなかなか休みを取りにくい時期らしく、先日の出産の立ち会い時が精いっぱいだった様子。
仕方がないので、実質的に暇な私が行くことになりました。
いえ、私の時間は新生児のお世話にすべて取られているのですが……。

家を出発して約1時間半後に役所に着きました。
思いがけず高速道路が大渋滞。ふだんなら30分弱で着くのに、とんだ時間のロスです。
でも、役所は待ち時間ゼロで手続き自体も30分とかからずにすみました。
母子手帳に、子どもの名前が記載され、新しい戸籍が誕生しました。
あっけらかんとした手続きだったけど感慨無量。
自分で手続きをしにきて、よかった。

行きと違い、帰りの高速道路は空いていました。
家に着くと、母が子どもを抱っこしてあやしていました。
母もやっと新生児との生活に慣れてきた感じ。

夫にもメール。

「新しい戸籍が誕生したよ!!!」と感動をいっしょに分かち合おうとした私のメールに夫は……。

「今、帰ったよ。寒い」

今日はイッキに冬の気温になった日で、今朝は夫に「一枚、多く着て
出かけたほうがいいよ」とメールをしていたのですが……。
夫の返事はときどき不可解なのでした。

おやすみ。


パパ・ママ

2010年10月25日(月)

「パパ・ママ」と呼ばせるか「お父さん、お母さん」と呼ばせるかで悩んでいます。
私としては「お父さん・お母さん」と呼ばせたいのですが、夫はわが子に向かって「パパだよ〜」と語りかけます。
小さいうちは「パパ・ママ」でいいんじゃないかと夫は言いますが、中途半端な時期に「お父さん・お母さんと呼びなさい!」というのは、子どもにとっては、それこそ迷惑な話です。

それでも、にこにこ笑いながら「パパだよ」と語りかける夫を見ていると、ま、いっか、と思ってしまう私。
ついつい私も「パパが来たよ」と話しかけてしまいます。

……。
ま、いっか。

おやすみ。


強くなる

2010年10月24日(日)

今日は私たちの結婚届けの証人になってくれた夫婦のところに、わが子を連れていく予定でした。
その夫婦は出産当日にお見舞いに来てくれたのですが、新生児のためガラス越しの面会になり、わが子を抱っこしてもらっていません。
まだ小さいうちに、その夫婦に抱っこをしてもらいたくて、きょう、行く予定にしてました。

母にそのことを言うと……。

「まだ生まれて10日も経っていない赤ん坊を、そんな遠くまで連れていくなんてやめなさい! 外に出て病気をもらったらどうするの!! 元気そうに見えるのは、家の中にいるからやで!!!」

猛反対を受けました。
そこまで反対する母に逆らうことはできず、今日のお出かけは中止。
確かに、まだ生後9日。
親の勝手な予定に赤ちゃんを振り回してはいけません。

そして午後。
ずっと寝ていた赤ちゃんが目を覚ましました。
授乳をし夫といっしょにおむつを交換し、ふだんならそこでまた寝てくれる赤ちゃんが、泣いてばかりでなかなか寝てくれません。
それどころか、泣きかたはどんどんエスカレートしていき、今までに聞いたことがないくらいの泣きようです。
便も少し柔らかい様子。下痢をしているのでしょうか……。

熱を測ると37度4分。
あとから考えると、赤ちゃんとしては平熱の域に入るのですが、そのときは風邪でもひいたのか、何かばい菌が口から入ったのか、それとももともと何か障害をもっていたのか……などなど、よくないことばかり頭に浮かびます。

私がそんなふうにしているので、夫と母も心配しだして、病院に電話して受診の相談をする寸前までいき、ふと我に返りました。

赤ちゃんの体温は高めで37度5分くらいだと平熱の域に入ること、赤ちゃんが泣くときはおっぱいが足りてないときが多いので、泣き止むまで授乳をするように友人に言われていたこと。

わらをもすがるつもりで、授乳を再開。
2回くらい繰り返すと、すやすや、すやすやと寝息をたてて寝始めました。

あ……、おなかが空いていたんだ。

 生後1カ月。
 新生児の発達・成長は著しく、授乳量もどんどん増えていく。

かつて授業で習いました。
あぁ、私ってホントに医療従事者?

落ち着いたところで、夫が帰りました。

「僕たちの子どもなんだから、体はきっと強いはず。あまり敏感になりすぎず、子育てしていこう」

あとでくれた夫のメールに、涙がぽろぽろとこぼれました。

 ひとりじゃないんだ。

支えてくれる存在がいて、守るべき存在ができて。
これまでも強く生きてきたつもりだったけど、これからはまた別の意味で強くなれそうな、そんな気がした夜でした。

おやすみ。


安心した

2010年10月23日(土)

夕方になってから、夫が私の実家にやってきました。

この家に親戚以外の誰かが泊まるって初めてです。
いえ、夫はもうれっきとした親族なのですが、それでもやはり緊張します。
こういう緊張も、わが子を通してだんだんとなくなっていくのでしょうか。

夫が来る前に、数年前に出産した友に世間の夫の行動パターンを聞いてみました。

「だいたいリビングで子どもと遊んでいて、私はその間に寝させてもらっていた」とのこと。

なるほど。
私の小さな実家にはリビングなどはないため、私の部屋で子どもと遊んでいてもらおう。
そして私はそのあいだに睡眠不足を解消させてもらおう。

夫は、例のふだんはあまり見せない笑顔でしばらくわが子を抱っこしたり、自分に似ていると言われるわが子の顔をじーーっと眺めたりしていましたが、子どもが寝息をたてはじめると、くるりと背を向け、私のパソコンに向かいました。

ずっと壊れていた私のパソコン。
夫がなんだかんだとつぶやきながら、せっせと修理を始めました。

………。
なんか、夫らしい……。

パソコン修理はそれから深夜にわたって続けられ、結局、私は睡眠不足の解消はできなかったけれど、親子がそろった初めての夜というだけで、私は短時間ずつだけど、とてもとても安心した眠りにつくことができました。

家族って、いいね。

おやすみ。


経験

2010年10月22日(金)

きのうは友にお風呂に入れてもらいましたが、きょうは私がわが子を入れないといけません。
夏の間にもらっておいたベビーバスに湯をためて、初めてわが子の沐浴開始です。

とはいえ、実習で赤ちゃんの沐浴は何度か経験している私。
まったくの素人ではありません。
それに、きのう、友人の沐浴方法を見させてもらっているし、なんとかなるでしょう。

………。
なんとかなりませんでした。

生後7日目でありながら、足の力がかなり強く元気なわが子は、どんどん暴れて下手をすると湯のなかに落としそう。
片手で首を持つなんてそんなこと、怖くて怖くてできません。

そばであーだこーだ言いながら見ている母に言いました。

「見てないで、洗ってよ!」

苦笑いしながら、ガーゼハンカチを持って母は赤ちゃんの頭を洗い始めました。

 あ……。

母の手馴れた手つきに脱帽です。

抱っこなんて怖い、沐浴なんてできない、なんて言い張っていた母。
経験に勝るもの、なし、ですね。

おやすみ。


尽きる

2010年10月21日(木)

「まぁ、小さいなぁ。なんて小さいんや……」

出産の翌日、母が私の病室を訪れたときの第一声です。
母にとっては約40年ぶりの新生児。
怖がって抱っこもしてくれませんでした。

そんな母のもとに、小さい新生児とまだ体中のあちこちが痛くて自由に動けない産婦の私がやってきました。
これから1カ月ほどお世話になります。

とはいえ、新しい家族に母もどう接していいのかとまどい気味。
遠くから眺めるだけで、赤ちゃんに触れようとはしません。

それに、きのうの夜から赤ちゃんのしゃっくりが長く続いたり、母乳後のげっぷをしてくれなかったり、呼吸の音が気になったりと、入院中は気づかなかったことがだんだん気になりだし、不安で不安でたまりません。

そんなところに救世主登場!

私の産前のケアをずっとしてきてくれた友人の助産師さんです。
私の不安をすべて解決してくれて、しかも沐浴までしてくれました。
あぁ、やっぱり医療者の存在はすごいな。

そういえば、私もそこにいるだけで安心してもらえるような医療者になりたいと思い今の道に進んだのだけど、残念ながら存在だけで安心感を与えられるほどの知識・技術を習得できていません。

おそらく友人は私がかなり不安がっているのを予測して、きょうの時間を空けておいてくれたのでしょう。
忙しいのに、どうもありがとう。

新しい生活が始まったのは、私だけではありません。
夫然り、私の母然り。
がんばりすぎて力尽きないようにしないと、ね。

おやすみ。


誓い

2010年10月20日(水)

退院にあたって迎えに来てくれるはずの夫は、大事な打ち合わせが入り来れなくなりました。
夫の代わりに夫のおとうさんが迎えに来てくれて、私と子どもは夫が帰ってくるまでの間、夫の実家にお世話になることになりました。
夫のなるべく早く帰ってきてくれるという言葉を信じて。

とはいえ、人見知りはするけれど、それなりに社会経験を積み、いろんなところで生活をしてきた私。
それほど大して緊張はしていません。
持ち前の図太い神経で夫の実家でもゴロゴロと寝かせてもらうつもりです。

そんなこんなで義父の車に乗り込み、夫の実家に到着しました。
初めての車にわが子は車酔いしたのか、少しぐったりしています。
そんな子を抱きしめながらゆっくりと車を降りました。

すぅーーっと秋の風が通り抜けていき、生後間もないわが子の頬をくすぐります。

 ほらほら、風。冷たい風。お外だよ。
 初めてのお外だよ。

うす曇りの空の下、わが子といっしょにつかの間の外に出た喜びを、いっしょに覚えていたい。
これから始まる「初めてシリーズ」のすべてをいっしょに経験していきたい。

 怖くないよ。大丈夫。
 守ってあげる。

生まれたての無防備なわが子に、あらためて誓ったのでした。

おやすみ。


預ける

2010年10月19日(火)

ゆうべは、初めてわが子といっしょの部屋で寝ました。
退院までに1日くらいはいっしょに寝て、真夜中のわが子の様子を知っておかないといけません。
話が違うよ〜、じゃ困ります。

初めての夜の感想としては……。
私が緊張してあまり眠れませんでした。
授乳は真夜中になると1時間おきになり、なかなか眠れる時間がありません。
これが、寝不足になる原因なのでしょう。
同じ姿勢で授乳するので、背中も痛いしお尻も痛い。

ということで、今日の昼はほぼ昼寝。
まだ昼夜逆転している赤ちゃんは、昼は3時間ほどぐっすり眠ってくれるのです。

さて、今晩は入院最後の夜。
もちろん、わが子はナースステーションで預かってもらいます。

体力温存のため。

おやすみ。


退院へ

2010年10月18日(月)

退院後は、実家に1カ月ほどお世話になる予定です。
最初は、一人暮らしの母への親孝行のため……と思っていましたが、実際に生んでからは、ぜひとも助けてください、という気持ちに変わりました。
夫とふたりで住んでいた家にいきなり新生児を連れて帰るなんて、まったく無謀な話だということにこの3日間で気づかされました。
順調に行けばあさって退院です。
たとえ40年ぶりとはいえ、育児経験者の知恵を十分にもらっていこうとおもいます。

それにしても、退院するのがちょっと不安なのでした。

おやすみ。


先のこと

2010年10月17日(日)

私の出産したクリニックは、母児同室を実施していて、母親が希望すればつねに赤ちゃんは母親の部屋に連れてきてくれます。
もちろん、夜もいっしょに寝かせてくれます。

出産前は、夜もずっと母子とのコミュニケーションを図ろう!など思っていましたが、実際はそんなことはまったくできません。
赤ちゃんが側にいるだけでドキドキ・ソワソワして、体どころか気持ちも休まりません。
結局、夜は夜勤の助産師さんに預かってもらうことにしました。
退院すれば、否応なくずっといっしょなのです。
この入院生活で、お産の疲れを十分にとっておかないと。

この土日は、友人たちが生まれたての赤ちゃんの顔を見にやってきてくれました。
けっして近い場所ではないのに、わざわざ来てくれてありがとう。
来てくれた友人たちに夫は決まっていいます。

「かわいいやろ?」

例の今までに見たことのない笑顔で、生まれたときのことを説明します。
さてこの笑顔、いつまで続くのでしょうか。
夜泣きの始まるころには、この笑顔、なくなるのでしょうか。

ま、先のことはこれから考えるとして。

とりあえず体を休めましょう。
おやすみ。


光景

2010年10月16日(土)

まだ全身が興奮状態だったからでしょうか。
ゆうべはあまり眠れませんでした。
目がさめてからも体のあちこちが痛み、自分の体だと認識するのに数秒かかりました。

お昼をうんとまわってから夫がやってきました。
赤ちゃんのいるコットの中を覗き込み、赤ちゃんが小さく力強く動く姿を見て、いつもと違う笑いかたをしました。

 こんな笑いかたもするんだ……。

私の小さな発見をつゆしらず、夫はこわごわと自分の子どもを抱き、その重さをかみしめているかのように腕を少し揺らしています。

「なんか、うにゃうにゃしているね」

まさに目を細めてわが子を見る姿に、ようやく「生まれたんだな」という実感がわいてきて、自然と笑顔がこぼれます。

親子3人の慣れない光景に、どことなくこそばゆい感覚だったけど、これを「シアワセ」と呼ばずになんというのでしょう。

こんなシアワセをくれたふたりに、今日もまた「ありがとう」。


はじめまして。

2010年10月15日(金)

半永久的に続くかと思われた陣痛。
いきむたびに聞こえなくなる胎児心音。
夫が私の手を握りながら励ましの言葉をおくる声。
助産師さんの「いきみ」を促す合図。
それらを何度繰り返したことでしょう。
何度も「もうダメです。限界です」と泣き言をいい、いつ陣痛がきているのかもうまったくわからなくなってきたころ。
大きな、それはそれは大きな産声が聞こえました。
時計の針は朝の5時ちょっと前。

夫が私の手をさらに強く握り、助産師さんが笑顔で私に何か話しかけていますが、今はまったく覚えていません。
ただ、この世に生を受けたばかりの小さな小さな、でもとても力強い「命」が私の胸にのせられました。

はっきり言って想像していたような「感動」はあまりなく、それよりも「長くてしんどかった妊娠生活がやっと終わった」という安堵感と「無事に生まれてきてくれた」という喜びの気持ちが大きかったように思います。
そして、私の分娩中のわがまま放題の言動にいやな顔ひとつせず、ずっと側についていてくれた夫に無限大の感謝の気持ちがふつふつとこみ上げてきて。
目を合わせると泣いてしまいそうで、夫の顔をまともに見ることができませんでした。

私の産後の処置が行われている間に、大泣きしている赤ちゃんの写真を携帯カメラで一生懸命撮っている夫の背に向かってつぶやきました。

「はじめまして『お父さん』。私を『お母さん』にしてくれて、ありがとう」

今日から私たちは、夫婦という一直線のつながりではなく、生まれてきた命を通して三角形を築き上げていくのです。
もちろん不安もたくさんあるけれど、今日は、今だけは、喜びだけをかみしめて。

ありがとう。




切望

2010年10月14日(木)

朝8時。
夫に病院まで夫に送ってもらいました。
陣痛であろうものが6〜7分おきになり、もう少し家で待機しようと思っていましたが、ひとりになって何が起こるかわかりません。
出勤前の夫に頼み、車で病院まで連れていってもらいました。

陣痛室と分娩室が一体化した部屋に通され、そこでしばらく定期的にやってくる陣痛が強くなるのを待ちます。
ときどき助産師さんがやってきて、陣痛の強さを測ります。
陣痛はじょじょに強くはなってきているけれど、私の体の準備がなかなか進みません。
臨月に入り、どんどん歩けと言われていながらほとんど歩かなかった結果なのでしょう。
今さらもがいてもどうしようもありません。

昼過ぎ、夫が半休をとって帰ってきてくれました。
これで立ち会い出産ができます。
お産をさっさとすませたい気持ちはあるけれど、せっかくだから夫婦で一緒に喜びを分かち合いたい。
初産の平均出産時間は15時間。
予定だと21時には生まれるはずです。

15時過ぎ。
幼稚園の頃からの友人で、今は助産師をしている友人もお産の立ち会いにやってきてくれました。
友人の指導のもとで夫が私の腰をさすってくれたり、お茶をのませてくれたりと、世話を焼いてくれます。
私もまだこのときは痛みに耐えながらもまだ余裕があり、冷静に夫や友と会話ができていたように思います。
そう、このときは……。

18時過ぎ。
友が帰りました。「いい陣痛がきているよ。いいお産になるよ」と言い残し、その後のことを夫に託して。
いい陣痛はきているけれど、私の体はまだまだ準備を始めてくれません。
私が予定していた21時は、陣痛の波を何度もかわしているあいだに、あっという間に過ぎました。
夫は、私の代わりに陣痛の時間を測ったり、ひたすら腰をさすったりしてくれています。
なかなかお産が進まず、人工的に破水をさせたのは何時ころだったのでしょう。
私の体がようやく出産に向けて動き出したのは、いつだったのでしょう。
私のそばで私が楽になるようにあの手この手を尽くしてくれた夫に、とうとう「助けて。ねぇ。助けて」と懇願したのは、もう日付が変わったときだったのでしょうか。

左手につけている父の形見の腕時計で、0時が過ぎたのを確認してからが、私のお産の始まりだったようにも思えます……。
夫と、そして何より私の体力がなくならないうちに、生まれてきておくれ……!


いわゆる

2010年10月13日(水)

「お産」というものが喜びばかりをもたらすものではないことを、私は知っています。
いわゆる「十月十日(とつきとおか)」を過ごせば、赤ちゃんがすんなりと生まれてきてくれるわけではありません。
いろんなリスクを乗り越えて、やっとこの世に生を受けることができます。
「お産」のいろんな症例を見てきたからでしょうか。
おそらく私は、ほかの「妊婦さん」よりかなり慎重でかなり臆病なっているような気がします。

「ここまできたんだから、あとは無事に生まれてくれよ」

最近になって、夫はよく私のおなかをなでながらつぶやきます。
妊娠、出産についていろいろと調べてきた夫。
夫もそれなりに、お産の危険性について理解してきていて、今まで以上にかなりいたわってくれます。
そんな夫の期待にこたえるためにも、お産を乗り切らないと。
怖がってばかりではいけません。

日付が今日に変わったころ、「産徴」がありました。
俗に言う「おしるし」です。
ぶるると武者震い。
そして、やはり大きな期待。
隣で寝ている夫を起こそうか迷いましたがやめました。これから来る長い長い「お産」のために寝ておいてもらわないと。

ふとんに横になり、おなかの子に語り掛けました。

 さぁ、いつでも出ておいで。怖くないから。
 大丈夫。守ってあげるから。

さて、陣痛が始まるのはいつでしょう。
長い妊婦生活の終わりはいつ訪れるのでしょうか。

おやすみ。


そっか

2010年10月12日(火)

まだまだ。

おやすみ。


3連休の最後

2010年10月11日(月)

3連休最後の日は汗ばむほどの快晴でした。
今年から暑さに弱くなった私。
太陽の下に出るのは怖かったのですが、体を動かさないといけません。
それが、今の私には大事な仕事なのですから。

それでも遠出する元気はなく、夫といっしょに家から5分ほどのバラ園まで行きました。
秋に咲くバラがちらちらと美しい姿を見せてくれて、気持ちも華やかになりましたが、なんせ今日は暑い!
少し歩いただけでバテバテでした。
芝生の上の木陰を見つけてレジャーシートを敷き、ゴロンと昼寝。
2時間ほど経過したあと、バラ園の近所の珈琲のおいしい喫茶店でかなり遅い昼食をとりました。

散歩に出かけたけれど、昼寝の時間のほうが長かったかな。
ま、気にしない気にしない。

何もしなかったけれど、いい3連休だったな。

おやすみ。


ふと、疑問

2010年10月10日(日)

今日は「東京オリンピック開会の日」。
これにちなんで、かつては10月10日が「体育の日」として祝日になっていました。
今は、ハッピーマンデーだかなんだかで10月の第二月曜日が「体育の日」となっています。
土日が休みのサラリーマンにとっては3連休になり、おおいに休もう、遊ぼうという感じなのでしょう。

ふと思いました。
札幌オリンピックとか長野オリンピックとかの開会の日はなぜ祝日になっていないのでしょう……。

ま、休みであろうがなかろうが、私の仕事には関係ないのですが。

おやすみ。



2010年10月09日(土)

1日超過。

あせらないよ。

おやすみ。


か、き

2010年10月08日(金)

「退院したら、何か食べたいものはありますか?」

退院が決まった患者さんに必ずといっていいほどたずねます。
食べることは生きていくうえで必要不可欠なこと、味わうことは人生の楽しみの一つであることを、私は今の仕事をするようになってからあらためて知りました。
私自身も何度か入院したことがあり、病院の食事がいかにおいしく作られていても、毎日食べていると飽きてくること、それがストレスにつながるということを身をもって体験しています。

今度、知人が入院・手術をします。
しばらく、好きなものは食べられなくなります。
その知人が手術前にこれだけは食べておきたいと言った物が、今日、北の国から届きました。
カキです。
知人は、とある老舗の洋食屋さんで揚げたカキフライが食べたいとのことでした。

先週からずっと釧路の市場に問い合わせをしていたのですが、今年は水揚げが遅れていて、いいカキがなかなか手に入らないとのこと。
かといって、そのへんのスーパーで買った物は食べてほしくありません。
なんといっても、人生の楽しみをしばらく我慢しなければいけないのです。
妥協は許されません。

それでも、釧路のカキはやはり間に合わないようで、デパートでカキを購入するように洋食屋さんにお願いしました。
仕方がない……。

と思っていた矢先。

「間に合いました。カキ、送りました。8日に届きます」

こんなメールが届きました。

さて、明日。
洋食屋さんのマスターがジューシーに揚げたカキフライを、知人はどんな顔をして食べるのでしょう。

楽しみです。

おやすみ。


いよいよ

2010年10月07日(木)

さぁ、いよいよ明日は新月です。

でも、まーーーったく気配、なし!


待ってる

2010年10月06日(水)

今日も友人が「お灸」をしに来てくれました。
このところ、週に1度はたずねてきてくれる友。
けっして近いところに住んでいるわけではないのに、とてもとてもありがたいです。

いわゆる「年賀状友だち」だったころもあるけれど、どれだけ離れていっても互いの気持ちにあるかぎり「友」って続いていくんですね。

「たとえどんなに離れていっても、いつかきっと帰ってくる。
 君の心に生きているかぎり、君の帰りを待っている」

そんな思いをこめて。

ありがとう。


失敗

2010年10月05日(火)

しばらく家をあける準備の一貫として、冷蔵庫の食材を増やさないようにしていましたが、とうとう空っぽ。
食べる物がなくなったので、今日は買出しに行きました。
控えめに……を目標に。

買い物を終えた帰り道。
目標変更しました。
冷凍できるものは冷凍し、食べきれるものはせっせと食べきる!

今日が近所のスーパーの大安売りの日だということをすっかり忘れていたのでした。

あぁ、失敗。

おやすみ。


ペット

2010年10月04日(月)

ヤフーのトップページに「会社を辞めても大丈夫〜1日いくらあれば暮らせる?〜」などのような特集がありました。
さて、私は1日いくらくらいを必要としているのでしょう。
ふと、そんな興味にかられてサイトへ移動。
二者択一方式でサイトの質問に答えていきました。
結果はというと……。

「1日500円以下。
 DNAの中に、節約遺伝子がしっかりと刻み込まれているあなたは、ペットよりお金のかからない女かも!? エラい、エラすぎる!」

………。
…………………。

なんだかあんまり褒められているような気はしませんが、どんなにビンボーでも強くたくましく生きていけるということでしょう。

さ、冷蔵庫の余りもので夕飯でも食べよっと。


なに?

2010年10月03日(日)

今月の満月は23日。
そして新月は8日。

何かが起こります。

おやすみ。


こんどは

2010年10月02日(土)

万博公園に散歩に行きました。
木陰に座り、途中で買ってきたホカ弁を食べ、そして本能のままに惰眠。
散歩に来たつもりだったのに、ほとんど散歩せず閉園時間になりました。

入場料250円の万博公園。
今度、来るのは来年の春くらいかな。

おやすみ。


自負

2010年10月01日(金)

まさに暦の上だけの残暑の長月が終わり、今日からやっと10月です。
ようやく過ごしやすい気候になりました。
今年のあの私を苦しめた「猛暑」をおそらく一生忘れないでしょう。
いえ、けっして大げさではなく。

カレンダーをめくるたびに、その月のことを思い返します。
今年は、なんて変化の多い年だったことでしょう。
今年……というよりも、毎月何かのイベントが発生していたように思います。
社会的にも身体的にも精神的にも。

変化を乗り切る力は持っていると自負しています。
その力がまだまだ続いていきますように。

そんなことを思う私って、ホントはちょっと疲れているのかも?

深く考えず、おやすみ。

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