Kの日記
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2007年04月24日(火) 不機嫌さ

5時 ステ2.5
6時 爆発的に痛みが出そうな予感で目が覚めた。
7時 ナボールSRを飲むことにする。

案の定 天気予報メールで 夕方から崩れる模様。。。近年
大雨の日よりも 不安定な天気の変化がある こんな日が一番つらい。

9時前 父母家を出る
穏やかな先生のようで一安心

今日は再度 採血・採尿検査を受け 触診 
 8日火曜 その結果を聞きにいく 私もつれていってもらおう。
14日月曜 13:30 切開生検査 3cm切開予定 これは父母2人で。

Sの心的負担を減らすこと。

踏ん張ろう。


2007年04月23日(月) 不機嫌さ

今日は岸和田 てこずったらしく電話口の声がいらついている。

「 良性 」 
信じ込みたいのはこちらも同じ 
それ以上だ

母:「・・・悪かったら いろんなところ光るはずやんかっ・・・ 」
そういって 私が最後のトイレも済ませてないのに 布団にもぐりこんだ。
悪い結果の病名だと 腫れに痛みもないことなどが特徴だとつげていないので
痛みも全身症状もなく 異常はPETでの発光のみ。
=良性 母の中ではそうなっている。

なんだか 虚しくて なにを自分が怒らせてのか思い出せない。
たぶん 「 そこだけが光ってるから しっかり治そう 」といった気がする。

母は 家でも現場でも 頭をよく打ちたんこぶを作ったり
ある時は 大きく切って縫うこともあった。
そんなことで 自分が一番心配していたのは頭らしい。

私は 婦人科系と職業柄 砂埃のなかでの作業なので肺
あと 甲状腺を心配していた。

先ほど医院から電話があり 食事制限などきいてみたが
明日は一連の検査の結果と検査の予約を取りに行くことだけになりそうなので
ついていくのを どうしようか悩む。

Sが 来週は振休が取れそうなので 生検日か検査結果当日は
ついていってくれるといってくれた。

歩けたらなあ たつだけでもなあ なーんて
くだらなくて涙もでなくて失笑。

なるようにしかならん。
なるようにしか。
あるがままを受け入れること。
否定しない。


2007年04月22日(日) 休日

今日は姫路へ日当 5時半に起こす
起こしてから 天気のわるさに疲れがどっと出た。

10:30にいったん起きて 横になったら15:00

昨日は母にお風呂に入れてもらう。

洗濯を干している母をみながら
活字中毒の父が 不意に泣き出しそうになる
「。。。本読みたいのに読まれへん どうしたんやろ。。。おかしなったんかな」
と目頭を 小さい子の様にこすりだす。

「一人で泣き みんな一人で泣いて 自分の中で折り合いをつけな」
と突き放すよないいかたで 自分が泣くのをこらえた。

でもおかしい。
良性の可能性があるのに。

昨夜 Sととりとめのない話をする。
Sは大きくどんな病気であっても「病気」にはちがいない
それ以上は考えないことにすると。
私は 虫歯と同様に思うようにしていると。

放置すれば失ってしまう。

・・・疲れたな。


2007年04月21日(土) 疎外感

昨日帰国後間もないMに 母のこれまで経緯のことを話した。
そのことを母には 言っていない。

Mは言ったとおりに 平常を保って昨夜帰国の電話をかけてきた。

そのあと 母がしばらくトイレにこもる ??どうした??

きっといつもの自己嫌悪と疎外感を感じてのことだったのだろう

今日はお休みで ことさら昨夜を引きずっている模様。。。


 
父はMを特別にかわいがっていて(自分の父と瓜二つな面立ちからか)
それを母は自分の調子が悪いときに顕著だか 自分の健康と娘の結婚を
天秤にかけるような言い方をして一人ヒステリーを起こす。

打つ手なし。とゆうより 子として 父と母の繰り返される言動に
Sと泣いてしまうことのほうが多い。ほんとやり場がない気持ちにさせられる。

今回の慶事も 結婚とゆうところから始まってここまできたわけでなく
家族となった36年間のこれまでを 浄化させることに始終時間を尽くした。
精根尽き果てて 放心状態に近く 冷静なのか判別がつかない。
まだ 本当は 母のことを受け止められずにいるのかもしれない。


m(近隣で一人暮らし、思えば18から何もかも一人でこなしている)
に先月半ば S残業週間でへばりかけているので 夕食のヘルプに来てもらった。
とんかつをつくり サラダを彩りよく作り 味見といえないような味見をしながら
「 ほんまに順番違って 最後になったけど安心して 自分の事ようやくできるな 
 姉ちゃん何やりたいん? 」 ときかれて 「 まずは病院いくわ 」と笑った。

なんだかその時の弟がとっても大人に思えて嬉しく やっと報われるような
何かに許されるような ほんとに自分の事を考えられると思えた。


発病したときに 罵声のように浴びせられた あんた業が深いねえって 言葉に
いまなら 当たってると 失笑しながら返せる気がする。


2007年04月20日(金) 今日

とっさんも相当つかれているんだろうな。

起きて早々 入れ歯の掛金具をかける歯が疼いて眠れなかったで
朝一番に歯医者に走る。

神経が剥き出しになっていたようで すぐ処置してもらってケロリと
帰って来た。

その後 いつもの喫茶店でモーニングをとり 昼すぎ日当仕事へ。
日当は日当でも和歌山。。。意味もなく何回も溜息がでた。

躊躇したけど 帰国早々のMに検査の結果を告げる。

泣きに泣く。私も泣く。

まだ病名が確定したわけでもないのにね。

悪性ではないことを願って いろいろと検索


お正月に母はどっぷりと鬱になった。おじいちゃんのこともあったけど
それにしては おかしく 皆が 何度も何度も何かあったのかと聞いた。
聞けば聞くほど イラツキ・自己嫌悪が顕著になる一方で いつしか
そっとしておこうと引いてしまった。

聞けばその頃腫れにきづいたらしい。

手帳を見たら
11月18日結納
11月20日父ノロで嘔吐
11月23日母ノロで嘔吐
11月30日父母インフルエンザ予防接種
12月 6日母3月と同じめまい/処方薬見せ 同じ市販の婦人薬買う
12月12日母風邪気味

12月に入り 
めまい?更年期みたいな症状?が出たことがでたこと
右肩が痛い痛いってゆってシップを毎日張ってたことたこと

めまいは?やけど 
更年期みたいな症状でノボセ見たいな熱がでてたんかも。。。
もしかしたら腫れは首から肩にかけてのカーブのあたりだし
リンパが痛かったかったんかも。。。

熱があり腫れに痛みがあったとしたら炎症が起こってたのかな。

母は落ち着き払っている。
倦怠感/発熱なし・顔色もいい。
体系・顔の相・体調も別段に変わりなし。

検査 いい結果がでることを信じよう。



センターに電話して障害者用トイレを聞いておく
使いやすいところにはないようだ。
覚書:リハビリ棟と採尿室


2007年04月19日(木) ゲシュタルトの祈り

今月は 繁忙期後の空洞月
年々ひどい休み続きがあるのだけど 今年は最悪
日当仕事すら 職人さんが多いので なかなか回ってこない。

だけどそれが災いして まだ売り上げは一桁だけど
メンタル面で よい助けとなってくれているとおもう。

仕事を断ったとむやみやたらに嫌悪されてもこまるばかりやし。
ほんとに助かった。

まだ木曜だ。
もう一ヶ月くらいの時間を使ったくらいの感がしているのに。。。

とんでもなく長い一週間だ。

土曜日 結婚前夜にもかかわらず
両親は仕事・Sは休日出勤・Mは相手方御両親が夕方到着お迎えし新居へ案内
mも残業終わりで 結局みんなが家にそろって食事したのが23:00前
家族写真を撮り終えたのが もう日付が変わったころだった。

日曜日 Mの結婚式
10:00に母セットへいき 準備を始めたころ ぐらぐらと大きな地震の揺れ
何もこんなときにと緊張するが 日々 どうしようじゃなくてどうするか しかない
からと合言葉のように確認しあっていることで Sが自分もびっくりするほど冷静やわと
口にする。 両親のみの出席の式なので Sに促されてM両親にあいさつ。
19:00式が終わって 両親が帰宅。
21:30相手方のご両親を見送りにSと4人でキタへ
初めて旦那さんに選んだ人を見る。
Sと想像していた人以上に 父にそっくりでびっくりだった。
日付が変わるころ就寝。

月曜日 10:30PET-CT検査日
疲れ果てているひまなく 起こす。Sも出勤。
ついたか心配になって 途中 安心なびで確認。
一度いったことがあるに 行き過ぎている父 電話をかけたら
二人とも動揺してる。電話でナビしながらようやく到着10:00。
14:00検査終了した電話あり 幾分ほっとした模様。
画像を持っていき発光を確認。

火曜日 画像詳細説明を聞く(同席)
24日10:30予約 紹介状を書いてもらい帰宅する

水曜日 日当仕事
花冷え とんでもなく寒い一日

そして今日 御休み
10:00まで寝かしておいたが 長く寝ることが出来ない。
それも そうだろな。24時にかえってきても 4とか5時におきてで現場
でかけてるんやもん。10時まで寝たら2日分やわな。
お昼 田舎のK兄ちゃんがメールで 先月両親がおじいちゃんのお見舞いに行った時の
写真を送ってくれたので お母ちゃんもとっさんも笑顔笑顔でたすかった。
休むとどっとあちこちが痛むらしく 二人とも 今 銭湯に出かけている。

仕事用の携帯を忘れていったが 目の前で3回着信。
今は25年分の有給と思っておこう。


わたしは わたしのことをする。
あなたは あなたのことをする。
何度も何度もゲシュタルトの祈りの一遍が頭に浮かぶ。

しがみつかないこと。
これが これから私にきっと一番必要なことだ。


2007年04月18日(水) 今日

朝 本当は寝てたかった また 天気が悪い
朝 5:00プレドニン2.5+ナボールSR を飲んでおいて正解 
なんとか 外出後の疲労もなく痛みもなく 7:00起床

何があっても家にいたくない
workaholic

日当仕事に出かける

お母ちゃんの人生 お母ちゃんが選択すればいい

でもさ

でもさ

まだ 私 皆に迷惑かけるだけの不安の種
ひとりでも生活できるようになるまで
そばにおってほしいわ
お母ちゃん


2007年04月17日(火) 今日

一緒に行けるだろうか

いつもと変わりない口調で

無理強いしないでおこう

17:20記載

*******

時計を何回も見る
案の定 母:現実逃避的に 洗濯物をまわしてみたり ベランダを掃除しだす

冷静に 穏やかに といいきかせながら

私:「 お母ちゃん 煩わしいやろうけど ついていってもいい?
   この前みたいにS不安になったら 疲れた待ってるし 不安とりぞのいたらな なっ。
   私が見たら安心するやろうし。しんどいかな?連れて行くの・・・」

母:「・・・どれ着ていく 冷えてきたし ・・・何時にきてって聞いてくれてんの?」

私:「 最後にってゆってあるから 19:30 」

母:「 今日はS遅いの 」
(母が何かあると Mについていってもらっていたのだけど 今グアムへ新婚旅行中 金曜帰国予定)
私:「 うん 処理があがるまでらしいわ 」

母:「 ほんなら用意しょうか 」

19:30着

診察終了後 3人で検査画像を見る

まずは 一連の検査のことを確認 大便/胃(バリウム)/肺レントゲン/血液検査/全身エコーにて
右首つけ根のリンパの腫れ以外に 異常を認められずとのこと。

次にPET-CT画像を見せていただき 発光部位があることを確認。
右首つけ根のリンパの腫れに当たる部位が あきらかに発光していましたが
頭から足まで その他発光部位は認められないとのこと。

「単独で光っていることや 光の強さが意味するものに関して 正直 僕には
詳しく説明することができません」 とまっすぐにお話してくださる先生。

膀胱と腎臓部位が発光していましたが これは 排出の際の発光であると確認。
腎臓は念のため 昨日再度エコーをかけてくださったとのこと。
前回同様 異常を認められず 問題なしとのこと。

その際 悪性だから光っているのですか?と聞こうか迷ったのですが 父母の動揺を考え
良性や炎症が続いている場合でも 発光が認められることもあるのですか?
と先生に尋ねたところ 

「 炎症/良性どちらも発光することがあります。
 過去に同じくらい大腸に発光している人を診たことがありますが
 大腸がんだなと精密検査を受けてもらったの結果 異常なしと結果が
 出たこともありますし 20代に悪性リンパ腫を発症された患者さんも
 10年目変わりなく生活されていますよ。」

とゆっくり 穏やかに不安をあおることなく さらりと悪性の可能性を示唆されました。

「 吸引より切開で細胞を調べてもらったほうが PET−CTを
 受けた結果と同じくらい不安を払拭出来ると思うので」 と伝えたところ

もう先生は次の検査先に仮予約をしていただいていて
24日O総合医療センター血液内科への受診となりました。

21:00 帰宅 するもSはまだ残業
21:45 S帰宅

私がついていったことで Sは安堵してくれた。
体のきつさがでなくて よかった。

泣かなかったよ 私。
泣きたかったよ 私。 

0418 17:00記載


2007年04月16日(月) 今日

10:30からの PET−CT

一度 仕事でいったことがあるので
余裕もって送り出したつもりが 父動揺を隠せず
道に迷う

10:00 着

14:00 終了

17:00 検査画像を持ってH医院へ
首のリンパに 発光箇所があるとのこと
詳細は明日 電話待ち


まだ 二人で今後のこと倉庫で話してるのかな
帰って来ない

冷静でいられますように。


2007年04月15日(日) 今日

今日嫁ぐ妹を ぼんやりと見て
自分が元気だったら 違ってたかなってね
しかたのないことばかり思う

そこに大きな揺れ
気の休まる暇もなく

うわの空で 両親と妹を 送り出す

幸せいっぱい感じ取れる人生であってほしいと
ただ ただ 願う

送り出した後の
空気は いつもと同じ 疲労の色



擦り切れそうな自分とS

22:00相手方のご両親を見送りにキタへ
18年ぶりのその街は とてもきれいだったけれど
人ばかりが 小さく見えた


カオリ |MAIL

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