蜂蜜ロジック。
七瀬愁



 BLUEBIRD(後)

ふとが覚めた目を擦り、王女は体を起こした。

月明かりの眩しさが、白く辺りを照らす。
夜明けまではまだ少し時間があるのだろう。
火はかなり、小さくなっていた。

王女は立ち上がり、男がやっていたように、木を火にくべる。
からん、という木と木が当たる音が、炎の中でした。

黒衣を纏った男は、最後に見た時と同じ様に岩壁に背を預け、やや俯いて眠っているようだった。
ふらり、と歩み寄り、王女は目を閉じる黒衣の男を覗き込む。
何かをしようと思っていた訳でもなく、只その整った容姿を観察してみたくなっただけだ。
睫の一本一本までくっきりと見える距離に、顔を寄せていく。
子供が虫を観察するような、好奇心に近い感情である。

それくらい王女は異性というものを、これだけ近くで見た事がなかった。
さらりと額にかかる黒い前髪、通った鼻梁に薄い唇。白い肌が妙に艶かしい。
今までに会った王子達ですら、こんな美しい容姿はしていない。
――触れたらどんな感じだろう。

「――っ」

そこまで考えて王女は、さっと身を引いた。
思わず赤らむ頬が、疎ましい。

「何を考えてるの。馬鹿馬鹿しい」

腹立ち紛れに口に出して見るものの、然したる効果はない。

「ああもう」

意味のなさない事を口の中で呟き、王女は緩やかな風に揺れる草を踏みしめてその場を少し離れた。
そして青臭い草の上にに、すとん、と腰を下ろしそのまま後ろに倒れ込む。
空の端に見える白い月が、空と大地を照らす。

「姫さま、もう起きてしまわれたのですか」

掛けられる侍女の声に、王女は自分の頬に手をあて何でもない事を確認してから、振り返った。

「うん」

侍女のサラが心配そうに駆け寄って、王女を起こす。
人の動く気配で目覚めたらしい。

「まあまあこんな所で横になられては枯れ草が…」
「…起きてたの?」

慌てたふためく王女に侍女は、にこり、と笑みを返す。

「いいえ、私は何も見てませんから」
「何もって。ちょっと待って、私は何もしてないわよ」
「ええ、ですから何も見ていません」

あくまで侍女は微笑んで、王女の髪に付いた草を払う。
緩く曲線をかいた美しい長い髪が、それを覆う布から零れている。

「あ、そう」

憮然とする王女を宥めるように侍女はまあまあ、と手を広げる。
そうして内緒話でもするように、声音を落として王女に囁きかける。

「お綺麗な方ですものね」
「そんなんじゃないわ」

抗議の声は、本人を気にしてかどうしても小声になる。

「でも姫さま、軽率な行動はお止め下さいね」
「だから違うって言ってるでしょう」

姉妹に近い間柄故に、二人の時はどうしてもくだけた話し方になる。
侍女もまた主と言うよりは、妹に接するような態度と口調になってしまうようだ。

「起きていたのか」

男は目覚めたらしく、灰の瞳で王女達を眺める。
それから彼は荷を片付ける為に、身を起こした。
聞かれてはなかっただろうが、王女は敢えて侍女を横目で軽く睨んでから立ち上がり、白馬の様子を見に行った。

「もう発つの」

馬は主達の気配に、敏感に起きていた。
その顔を撫でてやると、白馬も擦り寄るような仕草をする。

「そろそろ日が昇りだす。それに今日中には街に着きたい」

王女の問いに一度だけ振り返り、そのまま男は荷を馬へと運び出した。

馬に跨る頃になっても、まだ朝日は大地を照らしてはいない。
この分だと早々に着けそうだ、と王女は思った。
先頭を進む黒毛の馬。
それを追うようにして、王女は白馬を進めた。

男の馬に並ぶ頃、不意に彼は口を開く。
森の中に入った事もあって、もうゴーグルなどの視界を妨げるものは付けておらず、露になった灰の瞳が王女を見た。
その眼差しに王女は、ずくり、とした何とも言えない感情が心を支配するのを感じる。

「シャフリヤール王はあんただけに来い、と言ったのか?」

王女はその眼差しに、思わず目を伏せた。

「そうよ。大事な話だから目立たないように来て欲しい、と手紙にあったわ」
「それであんたは向こうの言うとおり、危険も顧みずに一人で行く訳だ」

男は可笑しそうに、喉奥で抑えた笑い声を上げた。
端正ではあるけれど、表情があまりない。

「危険だと言うの?」
「王女が単独で動くという事が安全だとでも?」
「……シャフリヤール王は立派な人だと、あなたが言ったのよ」
「そうだな。だがそれは民衆に対して、という意味だ。あんたに対して立派な態度を取るのかどうか分からない」

男の知るシャフリヤールという王は、他国の王が暗殺されようとしていても、わざわざ律儀に教えてやるような人間ではない。
ましてや同盟国でもない国の王であれば、尚更だ。
男が気に掛けるのは、シャフリヤールもまた、この王女の持つ妙薬を狙っているのではないか、という一点のみである。

昨夜、王女達が寝静まった後、こっそりと荷を調べたもののそれらしい物は見つからなかった。
肌身離さず持っているのかどうかは分からなかったが、シャフリヤールが王女一人を呼び出した、と聞いた時からそれは常に身に付けている物なのだろうとは推測している。

だが王女は男の意味する所が分かる筈もなく、首を傾げ行く先を見やる。

「でも私をどうにかして、シャフリヤール王に何の得があるって言うの?」

二日目、という事もあり慣れたのか気がせいているからなのか、街へは夕刻には着く事が出来た。
男の言う通り、盗賊の類には出会う事は無かった。

「ここまででいいんだろう?」
「ええ。帰りの傭兵はこちらで準備してくれるそうだから」
「なるほど」

男は少しばかり王女を眺め、頷いた。

「ありがとう、助かったわ」
「じゃあ俺はこれで」
「――待って」

歩き出そうとする男の腕を王女は掴み、引き止める。

「何か用か?」

問う台詞に返す事無く、王女は彼の黒衣の胸元を掴んで引き寄せる。

「用なんて、ないわ」

そうして躊躇う事もせずに、男の唇に口付けた。

「姫さまっ」

驚いた侍女の声が背後でしたが、王女は気に掛ける様子もなく唇を重ね合わせる。
男は驚いたようだったが少しだけ目を細めて、されるがままに動かない。
彼にそんな気は全く無かったとしても、彼女の柔らかな桃色の唇は至極良い感触だったからだ。

それでも王女が自らそのような行動に出た事は、いたく彼の気を引いた。
薄く開いた唇からそっと舌を差し入れても、拒絶する気配すらない。
男は王女の華奢な肢体に、腕を回したい衝動に駆られはしたものの、さすがに手を伸ばすことは無く、自分の胸元を掴む王女の手に触れて唇を離した。

「旅の礼か?」

胸元に置かれた手に触れたまま、黒衣の男は口端を歪めた。

「そうよ」

理知的な瞳が男だけ映して、答える。
真っ直ぐな眼差しに似合わず、その声は震えていた。

「ありがたく受け取っておく」

男は王女の手を、自分から引き剥がす。
白く柔らかな細い指が、一瞬だけ男の指に絡んだ気がした。

「ええ」

王女はそう言い、男の傍を離れた。
伏した目からは表情を読み取る事は、出来なかった。

「行くわよ」

王女はそのまま向き直り、唖然としたままの侍女を連れ、振り返る事無く城の中へと入って行く。
男は何も言わず、その後姿を見送る。
そうして王女の姿が見えなくなると、くしゃり、と一つ髪をかき上げ、踵を返して街の中へと消えた。


【END】

**********
浜崎あゆみさんのBLUEBIRD、から何となく浮かんだ話の一部でした。
盗賊とお姫様って好きです。
これはもう何度言っただろう。
もろにアレですね、ロマサガ(笑)
グレイさんとクローディアは、私の中の永遠のベストカップル。
でもグレイさんは盗賊ではありません。どちらかというとジャミルが近いのかな?でも彼だと迫力不足は否めませぬ。
殿下愛も強いですが。
今でも二次熱は冷めてなかったりします。グレクロ好きだー。

2009年02月01日(日)
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