7畳半

2011年11月30日(水) 影響されやすい性格なもので

「ビリーバット」を読んでたら
無性にコーラが飲みたくなって
近くの自販機に直行
なんか泡多いな。

最近酒への興味も失せてきた。
や、興味はあるの。
でも飲めない。
ウイスキーが身体に入らない。
メシのほうがうまい。
ので、禁酒も苦ではない。

音楽も最近聴いてないなあ。
ACIDMANとかはまぁたまに聴くけど。
あ、久々にブラームス聴いた。
けどやっぱ中間あたりがごっそり抜ける。
クラシック聴く人はやっぱ曲全部覚えてるんだろうか。
なんもしないでじっと聴く集中力と時間がないです。


音楽を皆で作るって難しいよなぁ。
指揮者がいないと特に。


話かわるけど最近無性に他人が許せなくなる時がある。
感情の起伏は特に起こりはしないんだけどね。
大抵いくつか下の人間に対して。
つか、みんな年下か。
世代。かな。長居しすぎたな。
そして俺が社会に出たら
こんな俺が年少になるわけで
考えが若いとか叩かれるんだろうね。


めんどくさ。

それでも俺のことを好いていてくれる人々がいるのは幸せ。

いやね。
書けば長くなるけど、最近人間の生き方とか、
生きてるしくみというものに
つくづく嫌気がさしてきてね。
周辺の人間関係とか超越して、人間全体が。
なんか、考えると切なくてね。しんどくてね。
それでも「いい人」は沢山いる。
それがまた人への未練にもなる。

結局、それって自分の都合のよいように
世界があってほしいというだけなんだけどね
そんな自分勝手な苦しみなんだけどね。
それでも間違ってるよ、って思うなら
本当は戦わなきゃ。そんな気もする。
でもそれもどうでもいい。

だあぁ。
死にたいと思っても実際死ぬ気のないクズなら、
好きな人たちと生きて行けるように
自分をしっかり持たねば。
根拠のない恣意は淘汰されるから
どんなことであれお勉強、研究はとても大事ね。
理不尽というものもありますが。


冬はどうもいかんな。
強くなろう。



2011年11月27日(日) ほめほめ

ストレス溜めないコツの一つに
「人をほめる」(人じゃなきても、プラスの評価をする)
ってのがあって
あぁだから俺はストレスフリーなんだなと思った。
そしてそういう人間は研究者には向かないだろうな、とも。
とはいえ、どんなにストレス溜まっても、
生きていけてるのは
人を褒めるクセと、
褒めさせていただける周りの方々のおかげなのだなぁと。

感謝感謝。



2011年11月25日(金) ふとね

ふとね、
自分に子供ができたら
立派な犯罪者になるかもしれないと
思ってしまった。

俺の枕元に包丁を持って逡巡してる
(多分本当に寝たか確認してる、
あるいはその後の身の振り方を考えてる)
息子ないし娘の姿が浮かんで、
それに気付いてる俺は暫く待ってから
「はやく寝ろよ。おやすみ。」
と声をかける。

というシーンが何度か繰り返される。
その後はわからない。
怒り狂って殺すかもしれないし
確実に事をなすまで待つかもしれんし
まともに育ってくれるかもしれんし

けど、枕元のシーンは将来ありそうな気がする。
何度も退ける自信はないので
一発で目を覚ましてくれるといいのだけど。
てまだ結婚もしてないのになにいってんだ


大丈夫かなぁ、立派な真人間に育てられるかなぁ
子育てってこわいわぁ。
けど、まぁ
仮に猟奇的なものを秘めてたとしても
夜中に死体を埋めに行くとか
そういう勇気は絶対にないから

きっと大丈夫だろう。



2011年11月23日(水) ひたすらに角煮をつくる

とりあえず豚バラブロックが安い日。
半額か100g98円の安売りの時か
そんな日には一パック買って鍋にぶちこむ。
どういう煮方をすればうまくなるか。
日々そればかり。
最近彼女にあってないし彼氏らしいことできてないから
国文研いったついでに立川でハーブティ買って
ついでに中国のおみやげと角煮をつめて送った。
喜んでくれて何より。
塩で煮たやつが食べたいそうなので
今度はそれを作って送ろう。
着払いにしてまで人の手料理が食べたいと。
実は塩のほうが僕の得意とするほう。
彼女もそっちのがおいしかったとのこと。
今は醤油ベースのやつをまだ作ってるから
次だな。
残ったタレどうしよう。
ラーメンにするか蕎麦にするかチャーハンにするか。

そして塩で角煮を作った暁には
コッテリ系の塩ラーメンをぜひとも作って食べたい。


修論・・・やばい今日はなんもしてない。
こんなことしてる場合じゃない。

完全にマジメ系クズだ。
いやもうヒッポロ系ニャポーンだ。
こんなん書いてる場合でもないのだけど、
書かなきゃやっておれん。
多くの知り合いの前で
ぐでぐでいうのもなんだし。
やっぱここは居心地がいいな。

いやだから修論かかんと。
やりきる時間がないのでもう死ぬしかないんじゃないかと思ってしまう。



2011年11月21日(月) 風邪引いた


全国大会終わったら、どうにも我慢できなくなって。
げほげほ、じゅるじゅる。

あー頭いたい。
論文かかなきゃ。
どうしたらいい?

昔からよく寝る前に人の声や音楽が頭の中に聞こえるのだけど、
最近これもしかしてフツーじゃないんじゃない?
とか思うようになってきた。
えっ、フツーだよね?

最近は人の声はあまりきこえなくなってきた。
ただ音楽(天上のものとしかたとえられないくらい、イイ。たまにゆずっぽいのが流れる)
も聴こえないのは残念。
今日は聴けるでしょうか。

それではゆっくり寝よう。
はやく風邪を治さねば



2011年11月01日(火) 修論→俺の「優しさ」

寝付けなくて、
修論についてぼぉっと考えてたら
あぁ自分の優しさって
やっぱ虚無的なものに基づいているんだなぁって
思った。

「実は伝わっていない」っていう聞き手の問題とか
「もはや別に伝わらなくてもいい」っていう発話側の問題とか。


だってさ、
いまさら「地球が危ない」とか言われても
わかりきってることだし
けど今まさに危ないってほどの危機感もないし
映画とかでも見飽きた反面
主張してみると「ハァ何言ってんのアイツ」ってなる。
俺はそう。


それって伝わってないってことだよね。
信じたら信じたで危ないしね。


じゃあこの言葉はどこからきてどこに収束するんだろう。
その言葉の発される現実によって肯定されて
発された現状によって否定されて
もはやどうでもよいものになっているんじゃない?


ま、「地球が危ない」とかに限らず、
そういうあやふやなもんの上で生活してるんね。うちら。



で。
わかりあうとかさ、
伝えるってさ、
正確に伝えようとすればするほど
その内容は焦点化されて、
シャープなもんになるよね。
伝え合おうとすると、
最終的にはシャープな線と線との行き違いになってて、
面には触れてるけど
点(線)同士では合致しないっつうか。
コミュニケーションて
「わかるわかる」と
「ハァ?!」の共存つぅか。

当たり前っちゃ当たり前だし、
だから「僕」と「君」なんだけど、
なんかそういう寂しさが
きっと自分の
「優しさ」みたいなのの根底にあるとしたら

これもまた失礼なもんだなと。


「寛容」という名の
拒絶というか。
あぁ虚しすぎるよそりゃあ。
そういう意味じゃあ狭隘とか批判という形での
受容とか関心もあるわけだが。
まぁそれも全くないわけじゃない。


せめて共有しあえるところは共有しあおう。
それはとても幸せなことだよ。



つってもな、共有できる程の価値観やら趣味やらしか持ち合わせていないわけだが。
マジメ系クズなんだと思う、俺。
こんなことぐだぐだ考えてる時点でアホ。



もう5時(AM)か。
小腹空いたな。
マン マン マンゾク… 一本マンゾク、ねよ。


 < 過去  INDEX  未来 >


万田 倫 [MAIL]

My追加