はぐれ雲日記
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2005年05月27日(金) 赤血球の話

さる医学研究者さまより玉音放送賜る。

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人間の赤血球は、たんに酸素を運搬するだけではない。免疫細胞としても機能している。

この本の読者はたぶん「抗原」とか「抗体」とかいうことばをどこかできいたことがあるでしょう。そして、その機構は知らなくても、それが「免疫」という生体の防御機能に関係しているということはご存知ですね。そのとおり、免疫というのは生き物が外敵の侵入から自己を守る機能です。人間やサルのような高等な哺乳類には、高度で複雑な免疫機能がそなわっていることがよく知られていますが、もっと下等な動物にも免疫機能はある。八目鰻くらいから上の動物は免疫機能をそなえているといわれています。だから、トンボやエビは免疫機能をもっていないが、スズメやニワトリやウサギやブタには免疫機能があるということです。

さて、生体にウイルスとか毒性のタンパク質とかの異物が侵入してくると、生体はそれをまず「非自己」と認識し、同時に「非自己物質」に対する「抗体」を生産し始めます。この、「自己」「非自己」区別する認識能力が免疫の第一歩です。外からなにかが侵入してきても、トンボやエビにはそれが異物なのかじぶんの一部なのか区別する能力がない。高等な哺乳類だと、「自己」「非自己」の認識能力がきわめて高い。

ところで、異物が侵入してきて、それが「非自己」と認識されると生体は抗体を生産すると書きましたが、抗体は数分間でできるようなものではありません。抗体は免疫グロブリンという大きなタンパク質で、それが生産されて血中に出回るまでにはすくなくとも3日くらいはかかります。抗体が血中に放出されると、それが異物である抗原を見つけて結合し、抗原を身動きできないように非活性化してしまう。この、抗原が抗体と結合する反応は「抗原抗体反応」とよばれています。また、抗原と抗体が結合したものを「免疫複合体」とよんでいます。抗体は、ただ一種の抗原だけに結合するのであって、異物ならなんでも結合するわけではありません。抗原と抗体の関係は、よくキーとロックの関係にたとえられるように、きわめて個別的なもので、「特異性」ということばでよばれています。だから、何百という異物が侵入すると、それに応じて何百という抗体が作られるわけです。

専門家でないかたがたにとっては、外敵(異物)が体内に侵入しても抗体があれば、外敵をやっつけてくれるからそれで一安心ということで終わるのですが、抗原に抗体が結合して「免疫複合体」ができるというのは、それでたんに勝利宣言というわけではなく、じつは、その後の複雑な免疫現象を引き起こす出発点にすぎないのです。抗体が抗原の存在を認識してそれに結合し、免疫複合体ができあがったとたんに、複合体は「補体」というタンパク質を活性化します。補体は動物血清ちゅうに存在するすくなくとも11の成分からなるタンパク性物質で、おもに抗原抗体反応が引きがねとなって一定の順序(チェーン・リアクション)で活性化され、いろいろな免疫現象をおこすのです。つまり、免疫結合体が結成されたとたんに、いままで眠っていた一番目の補体(C1)が活性化され、活性化された一番目の補体がつぎの補体(C4)に起きなさいといって起こす(活性化する)、今度は活性化されたC4がつぎの補体(C2)をたたき起こす、起こされたC2がこんどはC3を起こし、そのあとつぎつぎとC9までが連鎖反応で活性化されるのです。補体の連鎖反応は、C1→C4→C2→C3→C5→・・・・C9となると説明すると、ここで、ちょっと待てよとおっしゃる読者がおられるかもしれませね。C1のつぎはC2、そのつぎがC3、C4はそのあとじゃないんですか。もっともな疑問ですね。それは、C1、C2、C3と補体の構成要素とその順序が完成したあと、C1とC2のあいだにもうひとつ要素があるということが発見されたのです。しかし、もう最初の3つは命名しちゃったので、しかたなくC4ということにしたのです。そのあとC9までの順番は変わっていません。

ところで、C1からC2までの三つの補体要素は1対1で活性化されるのですが、活性化されたC2は1個のC3を活性化するのではなく、おどろいたことに、1個のC2は200−300個のC3を活性化します。ここで、活性化が200から300倍に増幅されるのです。補体反応のなかで、C3が最重要な要素なのです。それはたんに数が増えるからだけではありません。活性化されると、C3はC3aとC3bに分割されます。(じつは、C3c,C3dも形成される)。そして、C3bの部分が免疫複合体に結合するのです。ここがいちばん重要なことなのですが、ヒト赤血球の細胞膜にはC3bとだけ結合する受容体(リセプタ)が存在しているのです。つまり、形成された免疫複合体が補体を活性化してC3bと結合し、結合したC3bを介して免疫複合体は赤血球に付着するのです。一般に、リセプタとそれに結合する物質も、抗原・抗体の反応のように特異性が高いのです。赤血球膜上にあるこのリセプタは、C3bリセプタあるいはCR1とよばれています。



それでは、なぜ免疫複合体は赤血球膜面に付着するのでしょうか。生体のもっている臓器(たとえば腎臓)はC3bリセプタをもっています。免疫複合体が血中に多量に存在していて、それば体内を循環していると、免疫複合体がC3bリセプタを介して臓器に沈着する。免疫複合体が沈着すると、臓器に炎症がおき、やがては臓器に機能障害をもたらすのです。せっかく、免疫機能で外敵を見つけて、抗体が体当たりしてやっつけたのに、それが臓器に沈着するようでは困るのです。免疫複合体は、悪い奴(バッド・ガイ)なんですね。一刻もはやく、循環系から除いてしまわなければなりません。そこで赤血球の出番となるのです。赤血球が免疫複合体を(C3bを介して)捕まえ、それを肝臓に運び、そこで複合体を放出します。肝臓は免疫複合体を処理してしまう。そうすると、赤血球はすぐに循環系にもどり、また次の免疫複合体をキャッチして、肝臓に運ぶ。つまり、シャトルバス・サービスのような役わりをはたします。これが、一般には知られていない「赤血球の免疫細胞としての機能」なのです。



赤血球が酸素を運搬するだけでなく、免疫細胞としても機能しているのは、どんな動物についてもいえるのではなく、じつは哺乳類として最高の発達をとげた類人猿とヒトだけなのです。つまりおサルと人間の赤血球だけが、免疫複合体を運搬することができるのです。それでは、もうすこし下等な哺乳類、たとえばウサギの赤血球はどうでしょうか。ウサギにかぎらず、一般の哺乳類の赤血球にはC3bリセプタは存在しません。そのかわり、Fcとよばれる抗体のしっぽの部分が補体を介さないで直接結合するようなFcリセプタが存在しています。補体反応で増幅ができないので、かなり原始的な結合といえます。ヒトの赤血球を、希釈したタンパク分解酵素で、赤血球がこわれてしまわない程度にゆっくり膜の表面をかきとってやると、面白いことにウサギと同じFcリセプタが現れるのです。このことから、太古の昔、進化の過程でウサギとヒトは先祖を共有する共通のDNAをもっていたということになります。しかし、ヒトのほうがさらに進化した哺乳類である。なぜかというと、ウサギの赤血球をタンパク分解酵素で処理しても、ヒトのもっているC3bリセプタは出てこないからです。

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