歯医者さんの一服
歯医者さんの一服日記

2009年01月30日(金) 掲示板閉鎖を考える

歯医者さんの一服日記を開始して以来、設置していた掲示板、歯医者さんの一服BBS。僕の駄文を読んだ方にいろいろな考えや提案、意見や批判などを書いてもらえるように設置した掲示板で、これまで大変多くの書き込みがありました。一時期、掲示板の不調があり、一部の発言が消えてしまうトラブルはあったのですが、概ね正常の機能し、過去の発言もほとんどが過去ログとして記録に残っています。この書き込みは僕にとっては財産以外の何物でもありません。僕の駄文を読んでいただけるだけでも有難いのに、掲示板にまで書き込んでくださる読者の方の熱意にいつも感謝、感激しています。

そんな掲示板ですが、現在存続させるべきか悩んでいます。どうしてなのか?それは掲示板に変な書き込みが多発しているからです。掲示板にはスパム書き込み対策がなされています。そのため、表面上は何も変化がないように思いますが、管理者モードで見てみると、一日に大変な数のスパム書き込みがあるのです。
歯医者さんの一服BBSに書き込まれるスパム書き込みには大きく分けて2種類あります。一つはプログラム投稿と呼ばれるもので、これはブラウザーを用いずに何らかのソフトを用いて不特定多数の掲示板に投稿するタイプのもののようです。
もう一つがご丁寧に掲示板に書き込んでいくタイプの書き込みです。ここでは書けないような非常に猥褻な内容の文章とともに、どこかのアダルトなURLを書き込んでいくタイプのものです。最近、増えているのがこのタイプの書き込みです。

プログラム投稿に関しては、掲示板が完全に対応していますので問題ないのですが、困っているのが書き込みタイプのものです。一応、それなりの対策を取り、書き込もうとしても書き込めないようにしているつもりですが、それでも書き込んできます。だいたいどんな輩が書き込んでいるかわかっていますし、記録は取っていますが、非常にうっとおしく感じるようになってきました。これではせっかく掲示板の意味がなさない。変な書き込みをされることにより僕のみならず掲示板を読んで下さる方にも迷惑がかかる。それなら、いっそうのこと掲示板を閉鎖した方がいいのではないかと考えるようになりました。

以前、日記書き友達と話したことの中に掲示板の設置をするかどうかを話題にしていたことがありましたが、多くの日記書き友達が掲示板の設置に頭を悩ましていました。その理由は、僕が今悩んでいるのと同じ理由からで、何人もの日記書き友達が掲示板を閉鎖してきたのを僕は知っています。
最近のブログではコメント欄にもスパムな書き込みがあるようですが、ブロガーと呼ばれる人はこのような書き込みにどのように対策を立てていいか、頭を悩ませていることでしょう。現在のところ、ブログでは変な書き込み、宣伝目的の書き込み、トラックバックに対しては一つ一つ消去するしか手がないと思いますが、せっかくの日記に対する日記書き、ブロガーと読者との交流場所の一つである掲示板に変な書き込みが多発するのは、何か神聖な場所を冒されている、汚されているような気がしてなりません。



2009年01月29日(木) マニュアルを読まない人

昨日、仕事で使うある器械のマニュアルを見ていました。何気なく見ていると、ある場所に目が留まりました。その場所とは器械のメンテナンスに関する場所だったのですが、僕はメンテナンスのある工程を全く無視し、行っていたことがわかりました。

正直なところ、僕はマニュアルを読むのが苦手です。器械や器具を初めて用いる場合、一応解説が書いてあるマニュアルを見ようとはするのですが、それよりも先に器械や器具を触りたい欲求が強く、マニュアルを見ること無に使用してしまうことが多いのです。
実際のところ、専門の器具、器械を購入する際、必ずといっていいほど担当者が来院し、一通りの説明をしてくれます。非常に丁寧に教えてくれるものですから、僕もいろいろと質問をしたり確認をしたりすることに時間を費やしてしまうくらいです。操作の仕方を教えてもらうと、担当者の前で自分で使用する。疑問点や不審な点があれば、直ぐに担当者に質問をする。そのようにしながら新しい器具、器械を自分のモノにする。これが僕が新しい器具、器械を使う時に行うやり方だったのです。
一度使用していけば、マニュアルを見ることなく、そのまま使用してしまいます。そのため、器具や器械に付属していたマニュアルは梱包箱や保管箱に入れたまま放置してしまうことがほとんどです。
昨日はたまたまある器具の保管箱を見る機会があり、中を見ていると埃の被ったマニュアルを見つけたのです。埃を取り除きながら何気なくパラパラとマニュアルの中身を見ているうちに、自分の過ちに気がついたというわけです。

最近の機械モノはマニュアルなど読まなくても直ぐに使用できるよう、操作が簡略化され、容易に取っ付きやすい機能に特化されています。そのため、最初からマニュアルを詳細に読まなくても、感覚で動かすことができるようになっているものがほとんどです。僕自身、自分がズボラな性格であることも手伝ってか、多くの仕事で使用する器具、器械はマニュアルを見ることなく使用していました。それで事足りていたつもりでしたが、実際にマニュアルを見ていると、本来しなければならないメンテナンスのある工程を怠っていたことがわかり、ショックでした。このまま使用していれば、この器械の寿命は確実に短くなるところでした。反省しきりの歯医者そうさん。
これから、新しい器具、器械操作は、一度はマニュアルに目を通さないといけないと堅く誓ったのでした。



2009年01月28日(水) きれいな字を書きたい

人は声でお互いの意思疎通を図っていましたが、長い歴史の中で文字を発明し、発言内容を記録したり、より多くの人に伝承する手段として用いるようになりました。その根本は人が書く文字でした。その後、印刷技術の向上により活字が生み出されましたが、それでも字は人が書くものだったのでした。ところが、ここ10数年のパソコンやインターネットの普及は字を書かなくても文を伝えることができる劇的な変化となっています。
かくいう僕もこうやって“歯医者さんの一服”日記を“歯医者さんの一服”日記はパソコンを通して書いています。書いているというのは正確ではないかもしれません。パソコンを用いて文字を打ち込んでいるといった方が正しいですね。

僕の日常生活を振り返ると、僕は一日の一定の時間、文字を書いています。それはカルテに記入することです。最近では電子カルテといってパソコン上にカルテがあり、キーボードを利用して打ち込んでいくタイプのカルテが主流になりつつありますが、カルテに関して僕はまだまだアナログ派です。限られた診療時間内で必要なことを書くには、まだ手書きのカルテの方が使いやすいのがその理由です。今後のカルテのデジタル化の世の流れから考えると、僕も今後はカルテも電子カルテ化していかないといけないかもしれません。

いつも書いているカルテですが、自分のカルテを見る度に幻滅することがあります。それは自分が書いている字が年々下手くそになってきていることです。
元々、僕は字が上手ではありませんが、上手でないなりにそれなりのバランスを取り、他人が何とか読むことができる字を書いてきたつもりです。ところが、その文字が徐々に崩れてきているように思うのです。限られた診療時間内に患者さんの治療内容を書くことは結構大変なことではあります。そのため、どうしてもカルテに書く文字が殴り書きになる傾向にあるのです。
ただし、いくら書く時間が限られているからといってもカルテは自分の日記ではありません。僕のみならずスタッフも読みます。そして、患者さんの求めがあれば患者さんにも公開しないといけない公文書の一種でもあります。それを他人が読めないような乱雑な字で書かれているとすれば、大きな問題です。
そういった意味で僕は字をきれいに書く人がうらやましく思います。人が書く字はそれぞれで個性があるものですが、僕の知人の何人かは実に丁寧なバランスが取れたきれいな字を書かれます。字が汚い僕からすれば実にうらやましい。どうしたら字がきれいになるのだろう?

そんなことを思っていた昨日のことでした。我が家にある郵送物が届きました。送り主は僕が某歯科大学学生時にお世話になったベテラン歯科衛生士Kさん。Kさんは、僕が某歯科大学の臨床実習時に何もしらない僕をいろいろと手取り足取り世話をしてくれた恩のある歯科衛生士でした。このKさん、実は歯科衛生士以外に別の顔を持っていました。それはプロの書道家。歯科衛生士をしながら書道も行い、何度も個展を開くぐらいの実力の持ち主だったのです。Kさんとは某歯科大学卒業後も交流があったのですが、そのKさんから送られてきた郵送物の中身にはペン習字の教則本が入っていました。書いたのはもちろんKさん。

“この度、初めてこのような本を書きました。字がきれいだと得をすることが多いもの。お忙しいとは思いますが、是非活用して下さいね”

Kさんが書かれた手本の文字がたくさん書かれているペン習字の本。見ているだけで心が洗われるような美しさです。これくらいきれいに文字が書ければ楽しいだろうなあ。ここまでかけなくても、少なくともお手本にして少しでも乱れた自分の字をきれいにしたい。これは是非ペン習字を始めないと罰が当たるなあ。そんなことを感じた、歯医者そうさん。Kさんに感謝です。



2009年01月27日(火) もっと勉強しろ!

「先生、もっと勉強せんといかんわ!」

先日、ある勉強会で某先生から言われた言葉です。専門分野のあることで某先生に質問していたのですが、僕がある基本的な質問をした際、某先生思わず口にした言葉でした。
正直言って、久しぶりに強烈な刺激を受けた言葉でした。某先生からすれば今頃になってこんな基本的なことをわかっていないようではプロとして失格。もっと勉強、研鑽を積むようにというお叱りと激励の意味で強く言われたのでしょう。
僕自身も自覚していました。自分がこの程度のことを知らずに質問をすることが如何に自分が勉強していないことを曝け出すことになるかを。ただ、聞かぬは一時の恥、知らぬは一生の恥という諺もあります。恥を忍んで尋ねたわけです。

自分が勉強不足であるとは思いながらも、他の専門家から改めて指摘を受けると、思わず考え込んでしまいます。自分の肝っ玉が小さいこともあるでしょうが、その反面、自分自身にどこか気の緩みがあることを指摘されたような感じがしました。
今年の4月で僕は歯医者になって18年になります。世の中、新陳代謝が激しいのと同様、歯科においてもいろいろな面で変化があるもの。基本は変わらないのですが、新しい知見、所見が次々と出てきます。僕が学生時代に習ったことが今では通用しない、否定されているなんてことが結構あるものです。また、新しい技術、材料、製品、器械が考案され、今では歯科業界のスタンダードとなっていることもあります。常に新しい情報には真摯に耳を傾け、取り入れ、患者さんに還元しないといけないのですが、時にどこか慢心が出てきて、“これでいいだろう!”と安易に考えてしまっていたのかもしれません。

そういった意味で今回のお叱りは改めて僕の目を開かせてくれたと感謝しています。まだまだ学ぶことは多いもの。これって歯医者である限り、一生続くのかもしれません。けれども、そんな変化があるからこそ僕は歯医者稼業が面白く感じるのかもしれません。



2009年01月26日(月) 閉口した美容師の口臭

先日、僕はいつも髪の毛をカットしてもらっている美容院へ行きました。そこでは、僕はその美容室の店長にカットをしてもらっているのですが、洗髪は若手のスタッフが行っています。先日もいつもと同じように店長にカットをしてもらい、その後、洗髪をしてもらうことになっていました。
店長によるカットが終わり、洗髪をする直前のことでした。何となく不快な臭いに僕は気がつきました。その臭い、明らかに洗髪をしようとしていたスタッフから発せられた臭いでした。明らかに口臭でした。洗髪担当のスタッフは僕をリラックスさせようといろいろと世間話をしてくれながら洗髪をしてくれたのですが、その都度、僕はこの臭いには閉口しました。

ところで、口臭というのはいくつかの原因がありますが、最も多いのが口の中の汚れが原因となっているものです。未治療のむし歯や歯周病、口の中に残った食べかすや歯に付着した歯垢などにより臭気が口の中から発せられるのです。
しかも、困ったことには口臭は発した本人が気がつかないことが多いもの。人間の嗅覚というのはそれなりに繊細なものではあるのですが、ずっと同じ臭いを吸っていると、その臭いに慣れてしまい、同じ匂いを感じにくくなる性質があります。他人からすれば異質な臭いである口臭も同様で、同じ口臭を発していると、口臭を発している本人はその臭いに気がつかないのです。
僕自身、かつて口臭に苦しんでいたことがありましたが、その最大の理由は自分の口臭を自覚することがなく、いつも周囲から指摘されてきたことにありました。幸い、僕の場合にはお袋が僕の口臭をいつも指摘してくれましたが、きちんと歯を磨いているのにどうして口臭がするのか悩んでいました。後年、僕の口臭の原因は歯と歯の間に溜まった歯垢であることがわかり、歯間ブラシを丹念に使用して取り除くことにより、口臭がなくなったそうです。これも僕は自覚が無いのですが、お袋や嫁さんが指摘してくれています。

僕自身、そんな経験がありましたし、自分が歯医者でもあるので口臭があることを指摘した方がいいか考えました。しかしながら、口臭を指摘するにはそれなりに気を遣います。誰しも“お前の口は臭い”と言われれば、気持ち良く受け取る人は無いでしょう。結構精神的にショックを受ける場合が多いと思います。僕自身、家族からでは他人から口臭があると言われ、非常に精神的にダメージを受けた記憶があります。
ですから、この洗髪している担当者に口臭のことを言っていいものか?悩みました。
口臭に接しながらどうすべきか考えた結果は・・・
美容室から帰宅する直前、店長にこの洗髪をしてくれたスタッフの口臭のことを耳打ちしました。
口臭があること、その原因は臭いの種類からすれば歯周病があること、今は直ぐにでも歯磨きをしておいた方がよいこと、そして、一度かかりつけの歯科医院で歯周病の治療を受けた方がいいことを話しておきました。店長は頭を下げていましたが、人と間近に接する職業の人は口の息の臭いにも気を遣わないといけないものだと改めて感じた、歯医者そうさんでした。



2009年01月23日(金) 同じユニ○ロを着た人

ユニ○ロと言えば、今や知らない人はいないことでしょう。世界的不況の嵐の吹く中、多くの企業が業績を悪化させる中、一人勝ちしているといっていいほど製品が売れている企業です。一定の質があり、デザイン性もあり、何よりも安価であることから多くの人がユニ○ロの服を購入しています。我が家にもいくつものユニ○ロの服があり、僕も愛用しているシャツ、パンツがあります。

そんなユニ○ロですが、よく売れているが故に困ったことがあります。それは、自分が着ているユニ○ロと同じユニ○ロを着ている人に出会うことです。
先日、僕は某所で買物をしていたのですが、僕の目の前を通り過ぎた男性が着ていたシャツは僕が着ていたものと全く同じでした。思わず“ユニ○ロ”と叫びたくなるくらいでした。
この話を知人の歯医者に話すと、同じような経験があったというのです。この歯医者、あるショッピングモールで友人と待ち合わせていたそうですが、目の前に現れた友人を見てびっくりしたのだとか。その訳は、友人がシャツもパンツも自分と全く同じ組み合わせのユニ○ロを着ていたのだそうです。全くの偶然とはいえ、申し合わせたかのようなのユニ○ロ同士の姿をみて、赤面してしまったそうです。

よく売れている製品は多くの人が購入しているのは当たり前のことですが、それにしても全く同じユニ○ロを着ている人に会うというのは、それくらいユニ○ロが非常に多くの人に気に入られている証拠かもしれません。
ただ、目の前に現れた人が全く同じ服装というのも奇異な感じがするもの。
おそらく、全国各地で同じユニ○ロを着たユニ○ラーが生息していることでしょうね。



2009年01月22日(木) いつまでも生え代わらない乳歯

僕は時々自分の子供の口の中を診ることがあります。僕の子供は10歳と7歳なのですが、さすがこの年齢になると自分で歯を磨くようになっています。けれども、この年齢は乳歯が永久歯と生え代わる時期。長い人生の中でも最も大きな変化の時期とも言えるでしょう。特に永久歯は生えてきた時はまだ未完成で、むし歯になりやすい時期でもあります。また、歯並びのチェックも必要で場合によっては歯の矯正治療が必要な場合もありえます。僕は親として自分の子供たちの歯には責任を持ちたいと考えていますので、定期的に彼らの口の中をチェックするようにしています。

ところで、乳歯が永久歯と生え代わる時期ですが、概ね小学校の間で生え代わるものです。もちろん、個人差はあります。中には、特に女の子の早熟な子の場合には既に小学校の4年生くらいで全ての乳歯が永久歯と生え変わっているようなこともあります。
その一方、高校生になっても乳歯が残ってまだ永久歯と生え変わっていないような子もいます。親御さんの中には子供の永久歯への生え代わりが遅く、心配される方がいらっしゃいます。このような場合、現状を知るにはレントゲン写真が一番です。永久歯がどのような位置にあるのか一目瞭然なわけですから。乳歯の真下にあり、間も無く生え代わる位置にあるのか、骨の中で埋もれたままか、生え代わる位置がずれているのか、それとも、永久歯が存在しないか?各々の状況に応じて対策を考えていけばいいでしょう。

先日、60歳代の患者さんが来院されました。定期検診を希望で来院された患者さんだったのですが、口の中を診ていると、僕はあることに気がつきました。それは、上の歯の一本に乳歯が残っていたからです。第二乳臼歯と呼ばれる乳歯で、本来なら第二小臼歯という歯と生え代わる歯なのです。僕はレントゲン写真を撮りました。結果は本来生え代わるべき第二小臼歯が存在しませんでした。すなわち、この患者さんは生まれつき第二小臼歯が作られなかったのです。
このようなケースは時々あります。生え代わるべき特定の永久歯が無い方はまれにあるのです。このような場合、どうするか?基本的には乳歯はそのままにしておきます。状況によっては乳歯の根っこが小さくなり動揺が激しくなってきたりしますが、患者さんが気にならず、機能として問題なければ、なるべく乳歯を残しておくのが基本です。
今回の患者さんは自分の歯の一本が乳歯であることは全く気がついておられませんでした。僕は現状を説明した際、この事実を伝えましたが、患者さん曰く
「私はこんな年齢になっても優柔不断なところがあるのですが、今日その理由がわかりましたよ。乳歯が残っていたからなんですね。ハハハハハ・・・・。」

口の中の管理が行き届いていたこの患者さん、乳歯にはむし歯一つ無く、根っこもしっかりしており、治療を必要としない健康そのものでした。おそらく一生この乳歯とお付き合いすることになることでしょう。



2009年01月21日(水) 米国大統領就任式報道への違和感

今朝未明、アメリカ合衆国の首都ワシントンではオバマ新大統領の就任式が行われたようです。ワシントンの連邦議会議事堂前には200万人とも言われる多くの人がアメリカ中から集まっていたとのこと。4年に1度のアメリカ合衆国大統領の就任式ではありますが、いろいろな意味で世界の中でも超大国であるアメリカ合衆国の最高責任者である大統領。今回、選挙で選ばれたバラク・オバマはアフリカ系アメリカ人初の大統領でもあることから、この度の大統領就任式は歴史的瞬間であると評する人も多いのだとか。昨年始まった金融危機に端を発した不景気に苦しむアメリカで、新大統領が如何に国を好転させるか、今後の政治手腕にも注目が集まっているようです。
日本でもこの大統領就任式を生中継していたそうですし、多くの新聞やテレビ、ラジオでもトップニュースとして取り扱っています。

確かに未だに世界に多大な影響を与える超大国であるアメリカ合衆国の大統領が就任する就任式は世界中の人々の関心の的であることは間違いないとは思います。特に自国であるアメリカ合衆国では一種のお祭りみたいな雰囲気があることは否定できません。

ただ、日本はアメリカ合衆国ではありません。日本にとってアメリカ合衆国は切っても切れない関係にある国であるとはいえ、外国の一国に過ぎません。そんな国の大統領就任のニュースをどうして日本のマスコミがこぞって大きく取り上げるのか、僕には理解できません。
良い意味でも悪い意味でもアメリカ合衆国が及ぼす影響は計り知れない大きさがありますが。オバマ新大統領がどういった政治を行うか、日本に対してどのような関係を築くかは日本の将来に大きな影響を与えはすることでしょう。ジョージ・W・ブッシュ前大統領が行った日本への対応とは変化する可能性はありますが、それも今後の話。
アメリカ新大統領が就任して喜ぶのはアメリカ合衆国国民だけで充分ではないでしょうか。どうして日本で、それも大統領就任式を生中継までして放送するのでしょう?他国の大統領就任に浮かれている暇があったら、もっと日本国内の諸問題に目を向け、解決に寄与するようなニュースを報じた方が得策ではないかと思うのです。何だか他国の大統領の就任式なのに騒ぎ過ぎのように思えてなりません。

なかなか明るいニュースが少ない中、今回のアメリカ合衆国新大統領就任のニュースはおめでたいニュースかもしれませんが、同じ明るいニュースなら、アメリカ合衆国の話題よりももっと日本国内の明るいニュースに比重を大きくして報じるべきではないだろうか?

今朝のアメリカ合衆国新大統領就任のニュースを見て、違和感を覚えた歯医者そうさんでした。



2009年01月20日(火) 麻酔嫌い歯医者

先日、某所で大学時代の後輩と話をする機会がありました。この後輩、僕と同じようにお父さんが歯医者です。現在、お父さんの歯科医院を継ぎ、診療をしています。

「1週間前、親父が僕に言ってきたのですよ。『右下奥歯の歯肉が腫れたから診てくれないか?』ってね。一体何事か?と思い、親父が言っていた右下の奥歯を診ると、確かに歯肉が腫れていたのです。原因は歯周病だったのですが、応急処置として腫れた歯肉を切って膿を出さないといけませんでした。そこで僕は麻酔をしようとしたんですよ。親父の口の中に麻酔注射器を入れ、いざ歯肉に注射針を刺そうとしたその時でした。とんでもないことが起こったんです。」
「とんでもないことって?」
「親父の両手が突然僕の手をつかみ、僕が持っていた注射器を取り上げようとしたんです。『こらっ、一体何をするんや!』って僕は大声をあげたんですよ。そうしたら親父何を言ったと思います?」
「何て言ったんだろう?」
「『親に痛い思いをさせる気か!』って言うんですよ。僕は信じられませんでした。なぜなら、腫れた歯肉を切って膿を出す前に麻酔をして痛くないように痺れさせる処置は、歯医者なら常識の処置です。しかも、親父は何十年も歯医者をしてきた身。今まで多くの患者さんの腫れた歯肉を切って膿を出してきたことがあるんです。当然のことながら麻酔をすることはわかりきっているはず。それなのに、自分が麻酔をされる立場になるや否や嫌がるんですよ。」
「お父さん、相当の怖がりだね。」
「そのとおりですよ。僕は言いました。『腫れた歯肉を切って膿を出すには麻酔は絶対に必要だろう。それを嫌がるということは膿を出すことを拒絶することを意味するぞ。もし、麻酔が嫌なら麻酔無しで腫れた歯肉を切って膿を出すしかないぞ。これは痛いぞ。それでもいいんだったら歯肉を切って膿を出してやる。』」
「お父さんはどんな選択をしたの?」
「親父はしばらく沈思黙考しましたよ。その結果出した結論は『麻酔無しで歯肉を切る』でした。呆れてものが言えませんでしたよ。何度も親父に念押しをしましたけど、親父の考えは変わりませんでした。」
「本当に麻酔無で歯肉を切ったの?」
「切りましたよ。切ったと同時に大声で『痛い』と言いましたね。『痛くないように麻酔をしようよ』と何度も言いましたけど、最後まで拒否しました。処置が終わってから親父は痛み止めの薬を飲みましたけど、しばらく切った歯肉の側の頬を押さえて、目に涙を浮かべて我慢していました。」
「これって、親に対する虐待みたいにならない?」
「親が望んでやってくれと言ったことを僕はやったまでのことです。どんな結果になるかどうかはわかっていたはずですよ。それでも、麻酔だけは嫌と言うのですからどうしようもありませんよね。ちなみに、腫れた歯肉の原因となった歯周病の歯は、抜歯しないといけないかもしれません。その時は無理やりでも麻酔をして抜歯しないといけないと思いますね。歯医者でながら極度に麻酔を怖がる親父は情けないですよ。人にあまり知られたくないですね、こんな親は。」

ごめんなさい。こんな親を日記ネタにしてしまいました。



2009年01月19日(月) 五代目の医者

僕自身、歯医者の二代目ですが、なぜ歯医者になったか?と問われれば直ぐに思い当たる理由が無いのです。こんなことを書くと叱られるかもしれませんが、敢えて理由を書くとすれば、“何となく”でしょうか?

親父は自宅の一部を診療所に改装して歯医者を開業していました。僕は幼少の頃から歯医者の環境で育ってきたのです。昼間、自宅では患者さんの声や診療所の機械の音が始終聴こえていたものです。親父が白衣を着て家にいたことも覚えていますし、親父の白衣からは歯医者独特のにおいがしていました。
今から思えば親父が何も言わなくても歯医者という環境が僕の頭を洗脳し、いつの間にか“大きくなったら歯医者になる“という思考回路が形成されていたように思います。

現在、僕には10歳と7歳のチビがいますが、二人とも何気ない会話の中に将来は、歯医者になるということを漏らしていることがあります。僕はチビたちに一度も歯医者になれと言ったことはありませんが、それでも歯医者になるということを言うということは、僕と似たような道を歩む可能性が高いと思います。子供が育つ環境が将来の職業選択を左右することがあるものです。

ところで、昨日、某新聞を読んでいると俳優の佐野史郎のインタビュー記事が掲載されていました。興味深く読んだのですが、この記事の中で佐野史郎は父親が医者の四代目であることや弟が医者の五代目として跡を継いだことなどを語っていました。

医者の五代目。正直言って医者の五代目というのはたいしたものだと思います。僕の周囲を見渡しても、僕の後輩で四代目の歯医者というのはいたのですが、さすがに五代目となるといませんでした。おそらく五代目の始祖というのは江戸時代終わり頃に医者になった人だと思われます。
僕の先輩歯医者の一人が言っていたのですが、医者、歯医者は三代続けば上等で、それ以上続けるのは非常に難しいとのこと。その理由としてはいくつかあるようですが、同じ職業を継げば継ぐほど独特の伝統というものが生じ、伝統の精神的圧力に後世の者が耐えられなくなり、他の職業を選択するようになる説が有力なようです。

僕の子孫がどのようになっていくのか?歯医者を続け、四代目、五代目となっていくのか?それとも否か?今のチビたちが歯医者になるかどうかもわからないままこのようなことを書くのもおかしな話ですが、行く先を僕は三途の川の向こう岸で見守ることになるのでしょうね。



2009年01月16日(金) 僕はメールが嫌いです

他人と連絡を取る方法にはいろいろとあります。直接会って話をしたり、手紙を書く方法。電話をかけたり、ファックスを送る方法。インターネットが普及した今ではメールが重宝されています。少し前までメールと言えばパソコンが無いとできませんでしたが、携帯電話のメール機能によりいつでもどこでも気軽にメールを送ることが可能となりました。若い人は起床してから寝るまで欠かさずメールを送り続けている人もいるようですし、大の大人も大阪府知事のように府政をメールで運営するようなケースもあるくらいです。

僕にとってもメールは今や必要不可欠な意思伝達手段の一つです。メールを送らない日はないくらいでが、メールをいくら使っても僕はメールが好きになれません。便利なツールだとは感じているのですが、心底好きなツールではないのです。

その理由は単純です。メールは文字、テキストしか書かれていないからです。人間同士が意思疎通をはかる場合、目的である伝えたいことの裏側には様々な感情、気持ちがあるはずです。冷静沈着を装っていても怒り、喜び、悲しみ、諦めなどの感情、気持ちに左右された精神状態に支配されているのが人間です。人間は、言葉では表すことができない空気、雰囲気というものを発しているはずなのです。
面と向かって話をしていれば、そのあたりの状況はわかります。同じ言葉を話していても、話す相手の口ぶり、顔の表情、態度、体の動きなどから伝えたい言葉以外のことも何となく伝わるものです。
ところが、メールでは言外の心情、空気を込めることができません。最近は顔文字、絵文字などを含めて書く場合も多いようですが、実際のメール送信者の気持ちをメールの文字に込めることは相当至難の業といっていいでしょう。果たして、それが良いことなのか?

僕がアナログ人間であると言われればそこまでかもしれません。単純な予定、確認などを行うツールとして用いるならメールは非常に有意義なものです。ただ、人と人との会話の間で成り立つぬくもり、信頼感、愛情などはメールで得られるものか?僕は常に疑問に感じます。普段、顔と顔を見合わせて話をしている中でのメールのやり取りは許せるものの、単にメールだけに終始する意思伝達方法に、僕はいつまで経っても違和感を取り除くことができません。僕はメールが好きになれません。僕はメールが嫌いです。



2009年01月15日(木) 富裕な国保保険料滞納者

昨夜、今年初めての地元歯科医師会の会合がありました。仕事が終わってからの寒い夜、正直言って会合に出かけるのは億劫になるのですが、何とか出席してきました。

新年早々の会合ということでまずは先輩の先生方と新年の挨拶を交わしていたのですが、その中でベテランのY先生が話していたことは考えさせられることでした。
Y先生は地元行政が運営する国保組合のモニターをされています。直接運営には参加はしていないのですが、国保組合の活動を外部から見つめ、定期的に意見を述べる立場なのだとか。
昨今、全国の市町村国保組合では保険料の滞納が大きな問題となっています。僕が住んでいる地元市の国保組合でもこの保険料の滞納が深刻な問題になっているとのこと。特に最近目立つのは生活の困窮者からの滞納よりも、明らかに生活に余裕がある人からの保険料滞納が増えているというのです。
地元市の国保組合は組合員が10数万人いるそうですが、この中で年収1000万円以上ある人からの保険料滞納が増えており、昨年では100人近い滞納者があったというのは驚きです。ここでいう年収とは基準が前年の年収とのこと。一昨年の年収が1000万円以上あっても昨年はそうではないケースもありうるわけですが、それにしても100人近い滞納者があるということは、保険料滞納が生活苦ではない場合が確実にあると考えてもおかしくないでしょう。実際には、保険料を支払う余裕があるのに敢えて支払わない輩もいるようです。

年齢を重ねれば重ねるほど、思わぬ事故に遭遇したり体調を崩すことが増えるもの。健康保険はいざというときのため、多くの人たちの助け合い、共助の精神で分担金を出し合い、医療費を支えあう制度です。今は自分は関係ない、医者にかかる必要はないと思っていても、長い目でみれば誰もが医療の世話にならざるをえないのです。その時のための蓄えの一つが健康保険です。多くの国保組合の場合、組合員の保険料のみならず多くの税金が投入されているのは言うまでもありませんが、基本は組合員の保険料です。
国保組合の保険料の高騰で保険料を支払いたくても支払えない人が増えてきているのは事実ですが、その一方で、生活に余裕があるはずなのに意図的に保険料の支払を拒んでいるというのは如何なものかと思うのです。
社会保険や共済保険の場合、保険料は給料から天引きです。多くの国保組合の場合、自らが保険料を納める形式を取っていますが、悪質な保険料滞納者の場合、財産の差し押さえなどの強引な処置を講じないと保険料を支払わないのかもしれません。非常に情けない話ですが、世の中にはどうも医療保険の本当の意味を理解しようとしない輩がいるようです。悲しいことです。



2009年01月14日(水) 遺灰からの貴金属回収について

昨日、ネットのニュースを見ていると、このようなニュースが流れていました。以下、このニュースからの引用です。

朝日新聞1月13日付
公営火葬場から出る遺灰に含まれた貴金属を自治体が回収して換金したり、遺灰そのものを売却したりして、一部の自治体が収益を収入に組み入れていることが分かった。名古屋市は年間約1千万円、東京都も約300万円の売却益があった。こうした処理は遺族側には知らされていない。
 火葬し、収骨されたあとの遺灰には歯の治療や人工骨などで使われた金、銀、パラジウムなどの貴金属が含まれている。
 朝日新聞が東京都と政令指定都市など20の自治体に取材したところ、都と名古屋市が遺灰の中から貴金属を回収し、売却していた。新潟、前橋、群馬県高崎の3市は遺灰そのものを業者に売却していた。福岡市は業者が売却した貴金属の収益を市に納めさせることを08年度から始めた。その他の政令指定都市は「回収はしていない」としている。
 東京都では、遺灰を引き取った業者が遺灰を(1)貴金属(2)硬貨(3)残骨灰に選別。金とパラジウムは延べ板、銀はパチンコ玉大の球状にした後、都に納めていた。07年度は金700グラム、パラジウム500グラム、銀1900グラムを回収。都は市況を参考に売却し、約320万円の収益を上げた。また、ひつぎには硬貨も入れられることがあるが、都は07年度、計約9万円の硬貨を回収し、収入に組み入れた。
 炉数46基と国内最大級の火葬場を抱える名古屋市は07年度、金2キロ、銀7キロをはじめプラチナ、パラジウムなど計12キロの貴金属を回収。金属加工会社などに売却し、1019万円の収益を上げた。
 福岡市は、業者が回収した貴金属の売却益を市に納めさせるようにした。07年度の実績だと約340万円の収入になるという。また、前橋、高崎市は遺灰を売却し、07年度に約400万円の収益をそれぞれ得ていた。新潟市は06年度まで売却し、720万円(同年度)の収益があった。
遺灰の所有権をめぐっては、収骨前は遺族の所有、収骨の後は市町村の所有とした1939年の大審院(現在の最高裁)の判決があり、多くの自治体は「遺族が持ち帰らなかった段階で所有権は放棄された」(名古屋市健康福祉局)との立場をとる。遺族側への説明について「時々質問はあるが、こちらから積極的にしていない」(東京都瑞江葬儀所)という。
 貴金属の回収や遺灰の売却が始まった時期は、はっきりとしないが、名古屋市は「記録に残っているのは約20年前から」、都は「かなり以前から」という。「売上金を市町村の雑収入にしている」と明記した戦前の大審院の資料もある。
 回収する理由について同市の担当者は、遺灰は市の財産で業者が売却して利益を得るのは好ましくないとし、「年間約1千万円の収益があり、回収しないともったいない話。市の財源になっている」と話す。
 一方で、貴金属の回収や遺灰の売却をしていない自治体の中には、遺族感情への配慮や所有権の問題などを理由に挙げるところもある。
 北九州市は「人体を換金するのは不遜(ふそん)」と市民から反発の声があがり、91年度以降、売却をやめた。市の要綱で「残灰は遺体の延長で敬虔(けいけん)に処理する」と定めている。神戸市は「財産権もからむので、売却しない」としている。


歯医者をしていると、患者さんが被せ歯、差し歯が取れた。入れ歯が割れたということで来院される方がかなりいます。口の中の状況によりますが、これら取れた被せ歯、差し歯をそのまま使うことができず、作り直すことがあります。その際、僕は必ず患者さんに取れた被せ歯、差し歯の処理をどのようにするか確認します。患者さんが自分で持っておきたい希望があれば患者さんに手渡しますし、患者さんが不要だと言われれば、僕は特定の回収箱に回収し、専門業者に処理を委託します。被せ歯、差し歯の貴金属が利用できる場合は再利用する場合もあります。
いずれにせよ、僕は必ず被せ歯、差し歯の処理をどうするかは患者さんに確認を取ることにしています。いくら取れた被せ歯、差し歯でも患者さんの持ち物であり、体の一部であったわけですから。これは当然のことだと思います。

今回のニュースで書かれているように、公営火葬場から出る遺灰の貴金属の中には被せ歯、差し歯、人工骨で利用された貴金属が含まれていることがあるのは事実です。これらの処理については、法的にも判例があるようですし、この判例に則って処理をすれば問題はないはずです。すなわち、遺灰に含まれる貴金属の処理は、火葬をして収骨をして残った貴金属に関しては市町村の所有であることに問題はないはずです。それなのにどうして今回のようにニュースで取り上げて、問題視するような報道のされ方をされるのか、僕は理解できません。人体を換金するのは不遜という意見もあるようですが、それならば、収骨の際、遺族が全て回収するべきなのです。遺族が収骨した後に残された貴金属に関しては、市町村に処理を委託することを遺族が認めたと考えるのが自然ではないかと思いますし、その貴金属を換金するかどうかは行政である市町村の自由だと思うのです。

ただし、遺族の故人に対する感情を考慮すれば、遺族には火葬後に残された故人の貴金属に関して、どのような処理を希望するか?充分な説明と処理を確認する義務が市町村にはあると思います。これは歯医者での取れた差し歯、被せ歯の処理と同じです。遺族に充分な情報提供をし、処理方法を尋ね、処理を委託された場合、市町村は故人の貴金属を換金してもいいのではないかと思います。

ご遺体から換金することには賛否両論あるとは思いますが、僕はご遺体からの換金は遺族の了承さえあれば許されるのではないかと考えます。ほとんどの市町村は赤字に苦しんでいます。限られた税金からの財政をもとに、如何に広く市民に行政サービスを提供するか、日々悩んでいるはずです。遺族の了承が得られた場合、市町村へのご遺体貴金属からの換金は、ご遺体からの貴重な寄付行為として解釈することが許されると思うのです。亡くなった方は戻ってはきませんが、ご遺体の貴金属が残された遺族を含めた多くの市民がより良い生活、行政サービスを受けるために使われるのであれば、故人も納得するのではないかと信じたいのです。



2009年01月13日(火) まだ大人になっていない僕

幼少の頃、僕は時々考えたことがあります。僕が大人になったらどんな大人になるのだろうか?と。小学校、中学校、高校、大学を卒業し、仕事に就く。結婚して、家庭を持って子供ができて親になる。

幼少の頃の我が家は大家族でした。僕は母方の親家族と一緒に住んでいたからです。母方の祖祖母に祖父、祖母、母の弟である叔父、母と親父、僕と弟。合計8人が同じ屋根の下で暮らしていました。例えるなら漫画のサザエさん一家のような感じとでもいったらいいでしょうか。家族の年齢構成が一桁から10歳代、20歳代、30歳代、40歳代、50歳代、60歳代、70歳代が一家にいたなんて時期もあったくらいです。幼少の僕にとっては、男女の違いはありますが、将来年齢を重ねるとどのようになっていくかということがどんなものか、目の前にちょうどよいサンプルで囲まれていたように思います。そんな家族を見ていると、大人になるということは、自分よりも年齢が上の家族になることを実感していたつもりでした。

現在、僕は42歳。この2月をもって43歳になります。20歳になってから既に22年、23年が過ぎています。結婚をして12年、二人の子供の親にもなりました。既に人生の半分以上は20歳になってからの人生。世間からみれば、充分にオッサンの年齢ではあります。
ところが、今もって僕には“本当に僕は大人になっているのだろうか?”という疑問があります。年齢を考えればかつて自分が憧れていた大人の年齢に達したのは事実です。しかしながら、僕がかつて想像していたしっかりとして信頼のある、頼りがいのある大人に僕はなっているかと問われれば、僕は到底“Yes”とは答えられないのです。

幼少の頃、僕は大人は何でも知っているようなイメージを持っていました。実際に自分が大人になってみると常に悩みに囲まれ、誰かに助けを求めたくなるような気持ちが常にあります。体格は大人になり、僕の髪の毛には白髪も混じってきました。確実に体はオジンになりつつあります。かつて2〜3日徹夜しても平気だった体力は1日睡眠不足でも疲れを感じるようになってきました。その一方、僕の精神はいつまでも大人になりきれていない。
これが今の僕です。

他の大人はどうなのか?僕は詳しくはわかりませんが、多かれ少なかれ、大人って、偉そうに見えていても実は不安な毎日を過ごしているのではないでしょうか?
大人になって22年の僕の、正直な大人の感想です。



2009年01月09日(金) 子供の名前に当て字は如何なものか?

「目の玉が飛び出るくらいびっくりしたわよ。世も末かなとも思ったわ。」

嫁さんが僕に言ってきた言葉です。一体何事だろう?と思い尋ねてみると、何でも嫁さんが驚いていたのはあるテレビ番組で取り上げていたことのようでした。
街頭インタビューで16歳でママになって若者に子供の名前を尋ねていたそうですが、その際、子供の名前が“苺”という漢字で“ベリー”と呼ぶのだとか。
これには僕も驚きました。どう考えても“苺”で“ベリー”とは呼ぶことは非常に困難です。英語で苺はstrawberryですが、百歩譲っても“苺”から“ベリー”を想像することができるでしょうか?僕にはできません。

子供の名前に当て字を使うことは以前から少なからずあったように思いますが、最近はその傾向に拍車がかかっているように思います。僕自身、歯医者として小学校の定期検診や就学時検診、幼児の3歳児検診や1歳半検診に出務することが度々あるのですが、子供の名前を確認するのに必ずフリ仮名を見ないとわからないようなケースが多くなってきました。身内をみても、僕の従妹に子供がいるのですが、この子供の名前も当て字でして、漢字からは一体どういう名前なのか想像することは、おそらく誰もわからないと思います。

子供の名前は、親や親族が決めるもの。親や親族の子供へ託する夢、思いが名前に込められるのではないかと僕は理解しています。この夢、思いが漢字に当てはまらない場合があっても僕は構わないとは思います。
けれども、子供の名前を強引に漢字に当てはめようとする当て字は僕には理解できません。同じ当て字にするなら、ひらがなやカタカナにした方がいいのではないかと思うのです。ひらがなやカタカナにしたなら格好が悪いというのは、名づける者のワガママに過ぎないのではないでしょうか。
子供には自分の名前を決めることはできません。親が決めた名前で一生生きていく運命です。(法的には例外もあるようですが。)子供の名前に恥ずかしい名前は無いと信じたいですが、どうも当て字の名前には品格が無いものが多いように感じるのは僕だけでしょうか?当て字の名前に品格があるかどうかは、人それぞれ。価値観が違いと言えばそこまででしょう。ただ、同じ子供の名前をつけるなら、誰もが読むことができる、愛される、品格のある名前を名づけることを目指すべきではないのか?僕は子供の名前の当て字を見るたびにその思いを強くします。

こんなことを書くと、僕は既に古い世代の人間だと言われるかもしれませんね。



2009年01月08日(木) 歯医者ならではの自動車ナンバー

昨日、僕は所用で某所へ出かける用事があり自家用車で出かけました。ある交差点で信号待ちのため止まったのですが、ふと横を見てみるとそこには消防署がありました。何台もの消防車と救急車が止まっていたのですが、何気なく自動車ナンバーをみるとほとんどの消防車が119であることに気がつきました。消防車の自動車ナンバーが119番、何ともわかりやすい取り合わせなのだろうと感心しました。

以前、某自動車会社のディーラーに勤務している友人から聞いた話ですが、最近、自動車ナンバーは無作為ではなく自分が希望する自動車ナンバーを申請し、取得することができるようになったとのこと。人気のある自動車ナンバー、なかでも1111とか2222といったゾロメ番号は多くの人が申請するため、なかなか取得するのが困難だというのです。ディーラーも顧客の希望に副うには結構苦労しているんだなあという話をしていると、その友人、僕にあることを尋ねてきました。

「歯医者さんのお客さんに車を売ったことが何度かあるんだけど、不思議なことにある共通した自動車ナンバーを希望するんだよな。これってどういうこと?」

彼が僕に言ってきた自動車ナンバーとは8020。

既に『歯医者さんの一服』日記でも何度となく取り上げ、世間でもかなり普及してきた8020。8020とは読んで字の如く、80歳で20本の歯を保とうという国民運動の一つです。男女とも平均寿命が80歳に達している今、80歳の時点で20本の歯を持つようにする。そうすれば、一生入れ歯に頼ることなく自分の歯で食べることが可能である。そのためには、若い頃からの歯の健康管理、予防に関心を持ち、定期的にかかりつけ歯科医で口の中のチェックをしてもらうことが大切である。
といった意味合いのキャッチフレーズが8020なのです。

ディーラーの友人にこのことを説明すると、
「ということは、8020の自動車ナンバーを見れば車の持ち主は歯医者であることを宣言しているようなものだね。」

まさしくその通りです。某所での用事が済んだ後、自家用車に乗り込もうとした時、僕の目の前をある車が通っていったのですが、その車の番号は8020。車の中には僕の歯医者仲間が奥さんと共に乗っているのが見えました。自家用車の自動車ナンバーを通じ、8020のキャンペーンをしている訳ではではないでしょうけども、それにしても最近の歯医者は自家用車に8020の自動車ナンバーをつけることが多いようです。



2009年01月07日(水) 歯医者が恐れる患者とは?

「ということで、○○さんという患者の歯の治療、宜しく頼むわ。」
発言の主は愚弟です。愚弟はうちの近所の某病院で内科医として働いています。内科と言ってもいろいろな専門がありますが、愚弟の専門は循環器。心筋梗塞や狭心症、不整脈などの心臓の病気を専門に治療しているのです。
現在、心臓の病気はガンについて第二位の死亡原因疾患です。厚生労働省も2010年までの健康目標として健康日本21という目標を立てているのですが、その中に10の重点項目の一つに心臓の病気があるくらい、心臓の病気に対する対策は国の急務となっているといっていいでしょう。しかも、昨今の医師不足。世間では、救急医や小児科医、産科医、麻酔科医の不足が取沙汰されていますが、循環器内科医も大変な不足です。うちの近くの病院を見渡してもここ数年で循環器科の閉鎖が相次いでいます。そのため、愚弟が勤務している病院では心臓の病気の患者さんが集中し、非常に忙しい日々を過ごしているようです。

愚弟は、時折僕に患者さんを紹介してくれます。冒頭の発言もそんな愚弟からのものだったのですが、患者さんを紹介してくれるということは歯医者にとって非常に有難いと思います。何せ、医師不足ではありますが、歯医者は過剰です。多くの歯科医院では年々患者の減少に悩まされ、経営を圧迫する結果となっているのです。うちのそんな零細歯医者の一軒なのです。それ故、愚弟からの患者さんの紹介は有難いのですが、紹介されてくる患者さんは皆、心臓の病気を持っているという事実。

愚弟からの紹介状を読むと、必ず心筋梗塞や狭心症、不整脈といった心臓の病気の羅列があります。やはり健康な患者さんに比べ、心臓の病を持っている患者さんの治療はそれなりに緊張します。もし何か起こったらどのように対処すればいいか?ということを常に考えておかないといけないからです。
その反面、僕は安心するところがあります。その訳は、これら患者さんは、愚弟がしっかりと管理してくれているからです。愚弟は僕に紹介してくれる患者さんは、基本的に症状や病状が落ち着いている、歯の治療に耐えられると判断した患者さんのみを紹介してくれるからです。常に備えはしておかなければなりませんが、愚弟が心臓の病気をしっかりと管理してくれている患者さんは、ある意味、不安なく歯の治療をすることができます。非常にわかりやすい患者さんでもあるのです。

最近、一定の年齢以上の患者さんであれば、何か薬を常用していることが多くなってきました。糖尿病、高脂血症、高血圧症といった生活習慣病でかかりつけ医にかかっている人は多くなってきています。その一方で、これら生活習慣病に全く無自覚、無関心であったり、知っていても医者にかからない人もいます。どちらが歯医者にとって怖いかと、もちろん後者です。
歯医者は治療を行う前には必ず問診をしますが、何らかの医者にかかっている人は歯医者としても安心です。目の前の患者さんがどんな病気があり、どんな治療を受けているか、必要な医療情報を持っているからです。医療情報を持っていれば、ある程度の心構え、備えができます。ところが、患者さんが何らかの病気があるのに医者にかかっていないような場合、歯の治療中に突然、何らかの症状を起こす可能性があるのです。突然、気分が悪くなったり、けいれんが起こったり、胸が痛くなったりなんてことがあるのです。

歯の治療中に歯以外の病気による症状が起こっても、専門医の治療を受けさせるまでは、患者さんの体の管理は歯医者が行わないといけません。事前に何も聞いていなかった患者さんが突然何かの歯以外の症状を訴えることほど、歯医者にとって怖いものはないのです。



2009年01月06日(火) 物言わぬ人は怖い

かつて、僕の先輩の一人がこんなことを言っていました。その先輩は歯医者で、ある治療法に関して歯科業界では名前が通っている人です。何度も歯医者の集まりで講師として講演をしたり、実地指導をしたりしている方なのですが、その方がこんなことを言っていました。

「僕はかなりの数の講演をしてきたけれども、未だに講演の前は緊張する。なぜなら、講演を聴講する人の中には、いろいろな人がいるけれども、知識も経験もある人が必ずいるもの。そのような人は物言わずして僕の話をじっくりと聞いている。このような人を相手にいい加減な話はできない。物言わぬ聴衆は一番怖い存在なんだ。」

最近の傾向として、自分の意見を率直にダイレクトに言う人が増えている人が多いように思います。確かに何も物を言わないと意思疎通ができない側面もあることでしょう。何かと世知辛い世の中、自己主張をしていかなければ自分の存在が軽んじられ、無視されれば生き残っていくことは難しい。そのように考えて仕方のないところも否定できません。

ただ、能ある鷹は爪を隠すとも言います。何も知らない振りをしていて、実は相手をじっくりと観察する。真に知識、技術、経験があればどんな状況においても落ち着いて、冷静に対処する術をわきまえている人が確実にいるように思います。
これは考えてみれば非常に恐ろしいことです。黙っているからといって見くびっているつもりが、実は相手から見下されている、相手にされていないなんてことがあるものなのです。
何でも口に出して言わないと何も相手に伝わらないと思いがちですが、真の実力を持っている人ほど、思わぬことを観察しているものです。何気ない振る舞い、言葉遣いから相手の出身、性格、思考、習慣、知識、技量までも見切ることできる。

そのようなことを考えれば、僕はいつでも、どこでも、誰に対しても謙虚にならなければならないなあと思うのです。いつ何時自分が試されているかわからない。世の中はおくが深い。もっと畏れ多い人が数多くいることを常に意識しなければならないのではないかと考えます。
うぬぼれている暇はない。これは自分に対する戒めです。



2009年01月05日(月) 年末ジャンボ宝くじの結果

今日から新年の仕事始めだという人が多いのではないでしょうか?僕もそうで今日が新年の仕事始めです。
また、『歯医者さんの一服』日記も日記書き始めです。改めまして本年もよろしくお付き合いのほど、お願い申し上げます。

さて、昨年の年末の話になるのですが、僕は生まれて初めてあることをしました。それは宝くじの購入。いつも年の瀬、大晦日に当選を決める年末ジャンボ宝くじを某所で購入したのです。

これまで僕は宝くじには興味も関心もありませんでした。宝くじが嫌いというわけでもなかったのですが、特に宝くじを買いたいというモチベーションがなくこれまで生きてきたような気がします。
そんな僕が突然、宝くじを購入したきっかけは某所を歩いていた時でした。ある用事で某所を歩いているとふと目に入ったのが宝くじ売り場だったのです。これまで何度も宝くじ売り場を見たことはありました。当初、”こんな場所で宝くじを売っているのだなあ”とだけ思っていたのですが、そう思った瞬間、無性に宝くじを購入したくなったのです。半ば発作的に購入したといってもいいかもしれません。どうしてこのような気持ちになったのか、今から思ってもよくわからないのですが、宝くじを買いたいと思うや否や僕は宝くじ売り場の前にいました。宝くじ売り場には何種類かの宝くじを売っていたのですが、僕が購入したのは年末ジャンボ宝くじでした。一枚が300円の宝くじを20枚購入したのです。

購入した宝くじには1000万枚当たり1本が2億円の1等で、1等の前後賞が5千万円で2本、2等の1億円が2本などなど記載されていました。1000万枚でわずか1本、2本の低い確率で億単位の当選金が当たるという事実。

”こんなことで3億円を手に入れるなんてことは絶対にないだろうなあ”

それでも不思議なもので、宝くじを購入すると“3億円当たったらどうしよう?”といういろいろな仮定の想像がいろいろと湧いてきます。確率は非常に低いとはいえ、宝くじを購入すれば当選金をゲットできる可能性があるからです。

今ある借入金を返済するか、診療所を改造するか、新しく建て直すか。
そんなことをすれば近所からは変な目で見られるからとりあえずは貯蓄するかな。
株の投資は、今はしない方が無難だな。
そんなことよりも思い切ってどこかの団体に寄付した方がいいか?そんなことしたら家族に顰蹙かな。
宝くじが当たったことは絶対に周囲には漏らしてはいけないな。急に親戚が増えるようなことにもなりかねないし。家族に口封じをしていても誰か家族が漏らしたら、それこそ大変な騒ぎになる。3億円当たったばかりに人生がめちゃくちゃになってしまう・・・

なんとも小市民的な妄想です。書いていて自分で呆れている始末。

そんな年末ジャンボ宝くじですが、結果はどうだったかといいますと・・・
一応当たりました。6等3000円が1本と7等300円が1本。今回の当選番号では、6等と7等の下一桁の番号が同じなので、実際には6等1本と7等2本が当たったことになるそうで、当選金額の合計は3600円。6000円の宝くじを購入して3600円が当たったことになりました。すなわち、2400円の持ち出し、マイナスの結果となりました。
人生そんなに甘いわけではないわけですね。知人にこのことを話すと、6等が当たっただけでも大したものだと言われましたが、
実際は損をしています。

ただ、妄想とはいえ、ちょっと夢は見させてもらったように思います。“もし宝くじに当たったら?”という夢は、宝くじを買わないとわからないということがよく理解できました。宝くじがよく売れる理由もわかったような気がします。宝くじを購入しても高額な金額は当たる確率は非常に低い。けれども、宝くじを購入しなければ当たる可能性もない。夢を求めて多くの人は金を払って宝くじを購入しているのだなあと実感しました。

夢求め見事に砕け散った昨年の年の瀬の歯医者そうさんでした。



2009年01月01日(木) 新年の挨拶

新年明けましておめでとうございます。当地では外の景色がうっすらと白く雪景色となった元旦ですが、皆様の所は如何でしょうか?

2009(平成21)年で『歯医者さんの一服』日記もネット上で公開してから7回目の新年を迎えることになりました。歯医者の何気ない日常を中心に歯や口の健康に関することを書いてきました。今年もこの姿勢は変わりありません。地道に日記を書き続けていこうと思います。

読者の皆さんにおかれましては、今年も宜しくお付き合い下さいます様、心からお願い申し上げます。


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