歯医者さんの一服
歯医者さんの一服日記

2008年04月30日(水) いい男は目つきが違うよね

ゴールデンウィークに入った今週ですが、皆さん如何お過ごしでしょう?中には長期休みを取られている方もいるでしょうが、うちの歯科医院はカレンダーどおり。すなわち、日曜、祝日は休みでそれ以外は診療ということになっていますが、休みの日に休むことができるのは有難いことだと感じています。僕にとってこの4月はいろいろと雑用が多かったものですから、連休は貴重な休み時間です。この“歯医者さんの一服”日記も連休モードで更新したりしなかったりすることになるとは思いますが、何卒ご容赦のほどを。

昨夜のことです。あるテレビ番組を見ながら嫁さんと話をしていると、嫁さんがふとこのようなことを言いました。

「いい男は目つきが違うよね。」

嫁さんが言ういい男というのは、姿格好が良い、イケメンの男性というではありません。何かに打ち込み結果を出し続けている男性のことです。結果を残し、なおかつ、過去のことに拘らずうぬぼれずに現在も仕事に励んでいる人というのは、言葉に表れないオーラのような力がある。その力が最も現れるのは目だというのです。

世間でよく言われる目力というものでしょうか?嫁さんの言うこと、僕にもよく理解できました。僕が今まで世話になってきた先生や先輩、後輩の中で魅力的な人たちは、顔の美醜に関わらず自信に満ち溢れています。彼ら彼女らはそのことに気が付いていないかもしれませんが、何気なく振舞う仕草や態度が何かに裏打ちされたものを感じたものです。そんな彼ら彼女らのことを思い出せば、例外なく目が魅力的でした。

目から入る情報というのは非常に圧倒的なものがあります。視覚情報により得られる周囲の状況、相手の人となりは自分の行動、言動を決める有効な判断材料となるはず。相手の目が魅力的ということは、常に何かの情報を吸収しようとする貪欲さ、力強さがあるのかもしれません。このことは、自分を常に前進させ、結果を出し続ける必要最低条件のように思えてなりません。

目つきが違う男ね?いつかは僕もそんな男になってみたいものです。



2008年04月28日(月) 歯医者が考える理想の歯医者像

幼少の頃、僕は母方の祖父母と一緒に暮らしていた時期がありました。当時、父が大学を辞めて開業した時に重なっていました。父の開業を母も手伝っていたのですが、幼かった僕や弟の面倒は祖父母がみてくれたものです。中でも、専業主婦であった祖母は四六時中、僕や弟を世話してくれていました。父や母がいない中、親以上に僕や弟を育ててくれたのは祖母のおかげだと今でも感謝しています。

そんな祖母がよく言っていた口癖の一つに
「自分が嫌だと思うことを人にしてはいけないよ」
という言葉がありました。
自分が嫌だと思うことは、同じように人様も嫌だと感じるもの。たとえ、他人から嫌なことをされても同じことを他人にしてはいけない。自分がされて良いと思うことを他の人にもしなさい。そのような意味だったと思います。

この言葉、歯医者として患者さんの治療をしている僕のモットーとしている言葉の一つです。正確には、この言葉の逆です。“自分がして欲しいと思うことを人にする“ということです。
もし、自分が歯を悪くした時、その歯を治療してもらうにはきちんと治療ができる、信頼できる歯医者に診てもらいたいもの。大切な自分の体ですから、自分の健康を維持するためには、自分が安心できる人に体を観て貰いたい。

僕が患者さんの治療をしていつも考えることは、患者さんの状態がもし自分の口の中だったらということです。やはりきちんと問題のある場所はきちんと治療をしてもらう。治療を終えてからはどうしてそのように悪くなったのか説明を受け、二度と悪くならないためにはどんなことに注意すべきかアドバイスしてくれる。不幸にして再発した場合には親身になって付き合い、治療につきあってくれる。そんな歯医者を望むのではないかと思うのです。それならば、立場が逆でも僕自身、常に目の前にいる患者さんに対してそのような気持ちでいよう。患者さんの区別無く、自分自身が受けたい治療をしていこう。そうすることが、結果的に患者さんに気持ちよく診療を受けてもらい、結果的に信頼を得ていくのではないだろうか?

そんなことを思いながら治療をしているつもりです。実際、患者さんが僕の診療や態度に対してどのように感じられているのか、本当のところはわかりません。直ぐに答えが見つかるわけもありませんが、少なくとも地道に時間をかけて自分が受けたい治療を実践していくことで、多くの患者さんから信頼を得られる歯医者になりたい。そのように考えながら日々患者さんの治療を行っているつもりです。



2008年04月25日(金) 放置するほど医療費がかかる理由 

最近、治療を受けたくても経済的な理由から治療を受けず、我慢している人が数多く存在します。日本は国民皆保険制度ではあるのですが、保険料を支払うことができず保険証が発行されない。保険証が無いと、医療費を全額支払わないといけないが支払うことができない。保険料が払えないくらいですから医療費の全額負担は不可能です。そのため、必要な医療を受けたくても受けられないケースが後を絶たないのです。
これは大きな社会問題です。なぜなら、現在の医療費負担は症状を放置すればするほど医療費がかかるからです。一時的に症状を我慢していて医療機関にかからず、放置していると、一見すれば医療費を節約しているように見えますが、こうした場合、必ず病状は進行し、我慢できないほど悪化する場合が多いのです。そうなると、医療費がかさばってくるものなのです。

歯科においてもこのことは同じです。たかが一本のむし歯だと思って放置すればするほど治療費がかかるようになっているのです。今日の日記では、この治療費に関するシミュレーションを行ってみます。
ちなみに、今回の治療費は保険診療の点数を下に算定しています。保険点数は1点につき10円です。点数×10が実際にかかる治療費であることをご理解下さい。
また、初診料、再診料といった基本診察料は含まれていません。薬代も含まれていませんし、他の疾患の治療が重なっている場合の治療費も含まれていません。様々な経費を含めれば、更にアップすることを含んで欲しいと思います。
実際に窓口で支払う金額は、大半の方が3割負担ですから、上記の額の3割を支払えばいいことになります。
実際の治療は様々な状況、診断、診療パターンといったものが存在します。以下にあげることはあくまでも一例のシミュレーションとして見て頂ければと思います。

前歯の一本がむし歯になったとしましょう。小さなむし歯であれば
120点+100点+11点=231点  合計2310円
大きなむし歯であれば
120点+148点+28点=296点  合計2960円

かかります。

前歯のむし歯が深くて歯髄(神経のことです)を処置しなければいけない場合
神経の処置には
220点+30点+68点+118点=436点  4360円
むし歯によって開いた穴が小さければ更に
80点+148点+28点=256点  2560円必要です。
合計6920円

むし歯によって開いた穴が大きい場合、歯に被せ歯をしないといけません。そのためには、歯が折れないように金属性の心棒を入れてから被せ歯をセットします。
心棒代として
20点+179点=199点 1990円
被せ歯をセットするまでに
630点+30点+60点+14点+1394点+45点+16点+100点=2289点 22890円

神経の処置からの合計金額は、 合計29240円となります。

前歯のむし歯が根っこまで進み、やむを得ず抜歯しないといけない場合、
抜歯には
150点 1500円

抜歯した場所をカバーするために両隣の歯を削りブリッジにする場合、
790点×2+275点+70点+50点+100点+100点+4点×2
+1394点×2+1345点+150点+300点+16点×2=6798点
67980円 
ブリッジセットするまでに必要な治療費は、抜歯費用も加えて
合計69480円

といったように歯が悪くなればなるほど治療費がかかるようになってきます。治療を途中で中断したり、悪い歯を放置してくると更に治療費はかかる結果となります。

歯が悪いまま放置すれば、治療回数も治療費用もかさばってくることがわかると思います。そのようにならないためには、日頃からの歯の健康維持が大切であることは言うまでもありません。
多くの調査から、定期的に歯科医院を受診し、歯の検診とメンテナンスを受けている人はそうでない人に比べ歯を失う確率が格段に低くなっています。結果的に歯にかかる治療費も少なくなるわけです。歯医者は痛くなってから行く場所であるというイメージが世の中には強いですが、積極的に痛くなくても歯医者を利用することの方が、結果的には歯の健康を維持でき、治療費もかかりません。
少なくとも、歯に何らかの異常を感じれば、放置せず、我慢せず、症状が小さいうちに歯医者に行って適切な治療を受けて欲しいと思います。



2008年04月24日(木) 学生時代と変わっていないなあ!

昨日はうちの診療所は休診日ではあったのですが、僕は休みではありませんでした。4月から始まった某専門学校の講義日で、5月中旬までは午前と午後、2校の専門学校の講義を担当しています。しかも、この2校とも教える科目が違いますので週末は講義の準備で1日中潰れてしまうくらいです。せっかくの休診日ではあるものの、僕にとっては普段の診療以上に気を使い、体力を使う一日です。

昨日、午後からの某専門学校での講義が始まる前のことでした。講師控室で講義の最終確認をしていると、突然僕の背後より懐かしい声が聴こえました。

「よう、久しぶりだね。」

僕が振り向くと、そこには懐かしい顔が見えました。僕の学生時代の先輩で一時期に世話になっていたH先生でした。大学卒業後、H先生とは年賀状のやり取りは続けていたのですが、直接お会いするのは大学卒業以来。17年ぶりの再会でした。

実は、H先生は母校の大学に残って研究を続けていたのですが、諸事情があり今年の春から某専門学校の部長として赴任してきたのです。僕もそのことを知っていました。世話になった先輩ですから先に挨拶をしないといけないと考えていたのですが、僕の講義日にH先生は所用があり不在であった日が続いていたのです。ようやく昨日、しかも、H先生自身が挨拶に訪れたというわけです。
講義前の時間だということで話をする時間はあまり取れなかったのですが、H先生は僕を見て

「そうさん、学生時代と変わっていないなあ!」
と言われてしまいました。

その日の講義が終わり、帰宅している最中、僕はH先生が言われた“学生時代と変わっていない”という言葉を思い出しました。
既に僕の学生時代からは17年という歳月が過ぎています。1年や2年まえではありません。20年近くが過ぎているわけです。僕自身もそれなりに紆余曲折があった17年。そんな17年の月日を経て再開したH先生の脳裏には僕の学生時代のイメージしかなかったのは理解できますが、今の僕の姿が17年前と変わっていないということをどう考えればいいのか?学生時代と同じような雰囲気があるというように解釈すべきか?学生時代とあまり進歩がないように考えるべきか?

表面上の僕は学生時代と変わっていません。少なくとも身長、体重は学生時代と同じレベルをキープしています。若干髪の毛には白髪が混じるようにはなってきていますが、見た目はあまり変化がないかもしれません。
おそらくH先生とすれば、このことを、それなりに気を遣って言われたのだと思うのですが、少なくとも僕の大学卒業後の17年は何も変化がなかった17年ではありません。いろいろなことがあった17年です。それが見た目でわからないということは褒められていいのでしょうか?それとも、反省すべきなのでしょうか?そんなことを自問自答しながら、家路を急いだ歯医者そうさんでした。



2008年04月23日(水) 見直しは大事

今年4月に小学校4年生になった上のチビ。小学校4年生になるや否や学校でテストがあったようです。4年生になってからの上のチビの目標はテストで見直すこと。これまで上のチビは小学校で受けたテストでケアレスミスが結構あったのですが、本人に確認してみると、内容が全くわからなかったミスではなく、見直していれば防ぐことができたミスが多いことがわかりました。せっかく問題の内容がわかっているのにケアレスミスで間違ってしまうのはもったいない。4年生に進級した時点で、この見直しを必ずするように注意しております。うまく親の言うことを聞いて、ケアレスミスを少しでも無くして欲しいものです。

さて、どんな仕事においても見直すことは大切だと思いますが、歯の治療においても同様です。僕は、短期的にも長期的にも自らの治療を見直すことを常としています。

短期的な一例として被せ歯を作る時を挙げたいと思います。僕は患者さんの被せ歯を作る際には、必ず仮歯をセットして様子を見ることにしています。被せ歯を作る場合、歯を削って歯型を取るわけですが、僕は歯を削って直ぐに歯型を取ることはめったにしません。必ず歯を削ってから仮歯を作り、次回以降に歯型を取るようにしているのです。
歯を削る時、僕は決して手を抜いているわけではなくきちんと削っているつもりです。ところが、時間を置いてみると、うまく削れなかったところ、修正しないといけないところ等が客観的に見えてくるものなのです。時間を置くことで熱くなった頭を冷やし、今一度冷静に見直すことができるとでも言うべきでしょうか?“急がば回れ”、“急いてはことを仕損じる”ではありませんが、見直すことをすることにより自分の至らなかったところを知ることができるのは非常に大きなことです。

長期的な見直しとして挙げたいのは、過去に作ったカルテや写真、レントゲン写真や模型の再確認です。どうしてこの患者さんは歯を失っていったのか?あの患者さんは健康な口の中を維持しているのか?決して教科書からは得られない生の情報が長期的な見直しによって貴重な情報として得ることができるのです。ただし、長期的な見直しには時間を要します。必要な資料を取り溜めておかないと検証できないからですが、それでも我慢強く根気強く集めていると、いろいろと興味深いことがわかってくるものです。

これら見直しを重ねることによって少しでも歯医者としての力量を高めていきたいなあと考えています。見直しをすることは自分の現在位置を冷静にみつめ、明日への糧へと導く道しるべだと信じています。
チビには見直し大切さを今から学んで自分のモノに欲しいですね。僕自身、そのことを常日頃から実践していくことで親として見本を示していきたいと考えています。何せ“子は親の背中を見て育つ”と言いますからね。



2008年04月22日(火) 青田刈り 青田売り

「Kちゃんの就職がほぼ決まったみたいだよ。」

昨夜、一日の診療が終わり食事をしている時に我が家の食卓で話題になった話です。Kちゃんとは僕の従妹のことで、今年大学四年生です。大学の最終学年ということで来年が企業への就職という年なのですが、既に某企業から内定をもらったというのです。

今年の正月、Kちゃんと話をしていた時、Kちゃんは結構焦っていました。
「既に友達が何社かと就活しているらしいのよ。私は出遅れているからこれから追い込まないと。」

正月の時点でKちゃんは大学三年生です。就職活動は早めに活動する方がいいとは思うのですが、それにしても既に大学卒業一年以上を前にした大学三年生から就活(就職活動のことらしいですね)に励んでいるのだとか。最近、景気が減速気味ではありますが、かつての就職氷河期と言われていた時とは異なり、正社員を雇用しようとする企業は多いのではないだろうか?それなのにどうして大学生は早くから就活をしているのだろう?現在の大学生就職事情を理解していなかった僕はそんな疑問を持ちました。

かつて、企業による新規大学卒業生を採用しようとして早めに内定させ、囲い込むことを青田刈りと言っていたはずです。青田刈りはかなりの批判を受け、企業間同士で早期の就職活動の自粛を申し合わせていたはずではなかったのでしょうか?それが今では大学を卒業するはるか前から卒業生に目星をつけ、テストをし、採用内定を出すということが公然と行われている事実に僕は驚きました。

インターネットで現在の大学生の就職事情を調べていると、必ずしも就職が楽ではないのが現状のようです。企業が青田刈りするというよりは、むしろ学生側が早くから就活を行っている場合が多いのだとか。かつての就職氷河期の後遺症が残っているのかどうかはわかりませんが、これでは青田刈りというよりも青田売りといった方が適切かもしれません。

僕の場合、某歯科大学を卒業しましたが、卒業後の進路は大学5年生あたりからぼちぼちと考えてはいましたが、実際に卒業後の行き先を決めたのは最終学年の後半でした。そんな僕からすれば、今の大学生の就活は非常に早い時期から行われ、しかも、4月の入社式が終わった時点か、その直後くらいには既に来年の就職先が決まっていることが信じられません。

大学生の就職活動がこれほど早くから行われていることに驚きを感じざるをえなかった、歯医者そうさん。就職するのは楽ではないですね。



2008年04月21日(月) 歯医者はキャンセル料が取れない

長年歯医者をやっていると時にはどうしても感情的になってしまうこともあるものです。こちらに落ち度が全くない場合、怒りを何処に向ければいいのか悩んでしまうこともあります。

そんな例の一つがキャンセル問題です。多くの歯科医院では治療時間の確保のために予約制を敷いています。突然の歯痛、腫れ、入れ歯のトラブル、歯の破折といった場合は予約外で診療することになりますが、何回も治療がかかる場合、患者さんと相談の上で一定の日、時間に治療時間を確保し、治療を行うのが予約です。
この予約に対し、やむを得ずキャンセルをしなければいけないケースがあります。歯医者の都合でキャンセルしなければいけないケースもありますが、多くが患者さんの都合によるキャンセルです。誰しも予想外の、予定外の出来事があるものです。仕事上の問題、家庭の問題、体調の調子等、当初予定していたことをキャンセルしなければいけないことはあるもの。歯科治療の予約をしていてもそうしたキャンセルはありえます。僕もキャンセル自体は仕方のないことだと思いますし、理由がはっきりしていれば十二分に理解しているつもりです。事前に連絡があれば、当該患者さんの予約時間を他の患者さんの治療枠に振向けることが可能です。しかしながら、ドタキャンであったり、無断キャンセルであった場合、歯医者としては非常に困惑します。単に予定していた治療時間が無駄になっているだけではないからです。予定した治療時間にはそれなりの経費が掛かっているのです。治療時間と治療にかかる経費は、すべて治療費で賄われるわけですが、これら治療に関わる経費である人件費、光熱費、材料費、技工料などは、患者さんのドタキャン、無断キャンセルによって全て歯医者の持ち出しとなるのです。これは開業歯医者であれば誰でも一度は悩んでいる問題なわけで、歯医者に損害を与えることになるのです。

ところで、多くの業界ではキャンセル料を請求している場合があります。様々な商品の売買や旅行経費等々、一般社会ではキャンセル料といった概念が契約約款に記載されていることが多いもの。
以前、歯医者仲間同士で、ドタキャン、無断キャンセルをした患者さんに対してキャンセル料を請求することができるか話をしたことがあります。その際、いろいろと調べた限りでは、保険診療においては契約概念がはっきりとしたものではないため、キャンセル料を請求することは困難であるようです。また、厚生労働省もこの立場に立っており、キャンセルが生じた場合のキャンセル料請求には否定的な考えをしているのだとか。

結局のところ、医療、特に保険診療においては、キャンセル料を患者さんに請求することは現時点では難しい、はっきりいえば無理であることのようです。ということは、患者さんのドタキャン、無断キャンセルによって生じた損害は歯医者自らが被らなければならないということです。
ほとんどの患者さんはきちんと通院されますし、キャンセルせざるをえないような場合には事前に連絡を入れてくれるのですが、ごく一部の患者さんに非常に意図的なドタキャン、無断キャンセルがあるのが事実です。なるべくこうしたことは行って欲しいのですが、時には患者さんにドタキャン、無断キャンセルをされると、歯医者は感情的になったり、むなしく感じたりすることもあるのです。



2008年04月18日(金) 御棺に入った総入れ歯

歯科医院に来院する患者さんの中には、治療途中でありながら何らかの事情により来院しなくなる患者さんがいます。家庭の事情、仕事の都合、体調の関係、経済的な理由等々、歯科医院に来院しなくなる理由には諸事情あるわけですが、何らかの詰め物、被せ歯、差し歯、ブリッジ、入れ歯といった補綴物(ほてつぶつ)などを作っている最中に来院しなくなるケースが往々にしてあります。中にはこれら補綴物をセットする直前に来院しなくなることもあるものです。こういった場合、補綴物を患者さんにセットしたわけではありませんから、通常通り保険請求できるわけではありません。それではどうするか?

今の保険診療制度では、患者さんが任意に診療を中止した場合、装着予定日より1カ月待って請求を行うことが認められています。これを未来院請求といいます。未来院請求は、せっかくセットしようとした補綴物が各歯科医院の持ち出しにならないようにするための制度です。患者さんにセットしたことと同じような保険請求はできませんが、材料費を中心にした費用は保険請求できるようになっているのです。

僕もこれまで何度か未来院請求をしたことがありますが、正直言って、せっかく一生懸命作製した補綴物がセットできないまま未来院請求することは、非常に心残りであり、残念な気がしてなりません。せめて補綴物をセットするまで来院して欲しかったなあと思うことが何度もあったものです。

ただし、これは来院できないのも無理は無い、仕方がない理由もあります。今から数年前のことです。僕は近所に住んでいたYさんの総入れ歯を作っていました。総入れ歯作りは何かと苦労があるものですが、Yさんの場合は極めて順調に治療が進み、次回の来院時にセットというところまで来ていたのです。ところが、セット予定日、Yさんは来院しませんでした。“どうしてだろう?”と思っていたところ、その日の夜、我が家にある連絡が入りました。その連絡とはYさんが突然亡くなったという訃報でした。何でも総入れ歯セット予定日の朝、いつも早起きだったYさんがいつまで経っても起きてこないことを不審に感じた家族の人たちがYさんの寝室に様子を見に行ったところ、Yさんは冷たくなっていたそうなのです。前日まで何の具合の悪い所もなく元気に過ごしていたYさん。寝ている間に突然息を引き取られたそうで、突然死としかいいようがなかったのだとか。

Yさんが来院しなかったのはYさんが亡くなったからだったのです。その後、Yさんの家ではYさんの葬儀がしめやかに行われましたが、近所に住んでいる者の一人として僕は御通夜と告別式に出席してきました。その際、遺族の方に手渡したのがセットを待っていたYさんの総入れ歯でした。家族の方は総入れ歯に驚きながらも、今は亡きYさんの形見の一つとして丁重に受け取られました。

後日聞いた話では、Yさんの総入れ歯はYさんの亡骸とともに御棺の中に入れられたそうです。食べることを何よりの楽しみにしていたYさんがあの世でも美味しく食べられるようにして欲しいという家族の方の願いからだったそうです。未来院補綴物の一つであったYさんの総入れ歯ですが、きっとあの世では未来院補綴物ではなくきちんとセットした状態であったことでしょう。あの世でもどこでも作った総入れ歯が無駄にならずに済んだのであれば、それでいいかもしれない。同じ未来院補綴物でも時にはむなしく感じなくても良いものがあるものだと感じた、歯医者そうさんでした。



2008年04月17日(木) 保険証を持参しない患者への対応

皆さん既にご存知のことと思いますが、日本は国民皆保険制度の国です。原則として誰もが何らかの健康保険組合に加入しているはずです。保険診療の場合、体のどこかが悪くなって医療機関を受診する際には、必ず受付で自らの保険証を提示し、健康保険組合の組合員であることを証明しなければなりません。そうすることによって医療費を全額負担することなく、患者は医療費の一部を支払うだけで済むのです。

ところが、患者さんの中には保険証を持ってこなかった、持参することを忘れて来院するようなケースがあります。このような患者さんの場合、医療機関ではどうするでしょう?
基本的には、医療にかかる医療費は全額自費で支払うことになります。保険証を持っている場合、ほとんどの方は医療費の3割を自らが支払い、残りの7割が所属する健康保険組合から支払われる。これが保険診療であるわけですが、保険組合の組合員であることを示す保険証の提示が無い場合、保険組合に所属しているかどうかを調べる術がありません。そのため、保険証の持参のない場合、医療費は全額自己負担しなければならないのです。

ところが、実際のところはケースバイケースで対応しているのが現状です。例えば、交通事故などに遭い、救急車で救急病院に運ばれるようなケース。この場合、救急病院に搬送された人が保険証を持っていない場合の方が多いことでしょう。むしろ、絶えず保険証を携帯している人の方が少数派かもしれません。こういった場合、医療機関では、保険資格の確認をせずに保険診療が行われることが認められているのです。

また、何度も何年も通い続けている患者さんの場合はどうでしょう?公立病院の場合は、上記の原則を貫くことになります。保険証の提示が無い限り、全てが医療費の全てを自らが負担しないといけません。
これが個人開業医の場合ではどうでしょう?公立病院と同様、個人開業医でも対応は同じではあるのですが、長年通い続けている患者さん、顔なじみの患者さん、お隣ご近所の患者さんなどは心情的に診療費の全額を負担してもらうことを伝えにくいものです。本来はいけないことではありますが、長年の付き合いのある患者さんや近所の患者さんの場合は、後日保険証を提示することをお願いし、確実に提示することを約束して保険診療の自己負担分のみを支払ってもらうようなケースがあるのではないかと思います。

これは開業医にとってリスクのあることではあります。いつまで経っても保険証の提示がなかったり、患者さん自身がどこかへ雲隠れしてしまい来院しなくなった場合などは、結果的に開業医の持ち出しとなるからです。
筋を通すべきか、心情を優先すべきか?開業医では、保険証を持参しない患者さんに対する医療費の請求は対応に苦慮することもあるものなのです。



2008年04月16日(水) 明治は遠くになりにけり

うちの歯科医院の近くに某老人保健施設があります。うちの歯科医院はこの老人保健施設の協力歯科医院として定期的に往診に出かけ、施設に入居している高齢者の歯の治療や口腔ケアに当たっています。
老人保健施設は自分で生活をすることが困難な病気や障害、家庭的な事情により入居している高齢者ばかりなのですが、最近、これら高齢者の診療をしていて感じたことがあります。それは、明治生まれの方が少なくなったということです。少なくなったというよりもほとんど見かけなくなったと言った方が正しいかもしれません。その代わり、昭和生まれの高齢者が多くなってきたように思います。

冷静に考えてみれば当然のことかもしれません。手元にある年齢早見表をみれば、今年明治40年(1907年)生まれの方は101歳になられます。明治の最終年である明治44年(1911年)生まれの方で97歳。大正元年(1912年)生まれの方では96歳なのです。一方、昭和元年(1926年)生まれの方では82歳です。

現在、日本人の平均寿命は男性で79.00歳、女性で85.81歳です。すなわち、男性は昭和4年生まれ、女性は大正11年から12年生まれの方が平均寿命の対象年齢ということになります。

総務省の統計によれば、2007年10月1日現在の明治生まれの人口は約28万人程度のようです。日本国の人口が約1億2千7百万人ということを考えると、日本の中の0.2%程度しか明治生まれの人はいないことになります。既に明治生まれの方は日本の中でも少数派になってしまったということは、これらデータを見ても明らかなことだと言えるでしょう。

ところで、僕が幼少の頃、おじいさん、おばあさんのイメージといえば明治生まれの人でした。今から30年以上前であれば当然そうではあったのですが、僕はその当時のイメージをそのまま持ったまま今に至っています。ついつい今の高齢者もついつい明治生まれだと思ってしまいます。ところが、現実は異なっています。時間の経過により僕がおじいさん、おばあさんと感じていた人たちは、既に明治生まれが少数派となり現在では、女性では大正時代後半生まれ、男性では昭和一桁生まれの方が主流になっているのです。

そういえば、昭和6年生まれのうちの親父も今年77歳。そろそろ日本人の平均寿命に近づいてきています。僕にとっては親父ですが、僕のチビにとってはおじいさんそのもの。平成生まれのチビにとって、おじいさんとは昭和一桁生まれということになります。
時代に流れに逆らうことは誰もできませんが、僕にとって優しい人たちであったおじいさん、おばあさんが明治生まれではないという現実。心のどこかで寂しい気がしてならなかった、今年42歳のおじさん、歯医者そうさんでした。



2008年04月15日(火) アルコールを止められない患者

毎日患者さんの治療をしていると、麻酔の注射をして膿を出したり抜歯をしたりすることがあります。これら処置は専門的には観血処置と言われるものです。観血とは読んで字の如く、“血を観る”ということ。出血を伴う処置であるということです。

出血するという状態は通常の体の状態ではありません。何らかの傷が生じて体の中の血管が裂けて血が体外へ出て行く状態を指します。明らかに異常な状態であるわけです。
また、体の中は菌が無い無菌状態です。もちろん、内臓の一部や粘膜、皮膚には雑菌が繁殖しているものですが、ほとんどの体内は菌が存在しません。ところが、体に傷がつき出血すると、出血部位から雑菌が進入する可能性があります。
幸い、人間には出血しても止血できるような体のメカニズムが備わっています。軽い怪我くらいの傷であれば知らない間に止血されるものです。また、体には体外からの異物に対してこれらをやっつける免疫が備わっています。一時的に出血部位から菌が血液に入り込んだとしても免疫の働きによって菌が殺菌されるものなのです。

口の中の治療の場合、観血処置の一つである抜歯では、自然に止血しない場合があるのです。このような場合、傷口にガーゼを当てて強く噛んだり圧迫する、場合によっては傷口を縫合糸で縫合したり止血材を抜歯痕に填入したりします。口の中は雑菌の宝庫ともいってもいいくらいの多数の雑菌がいます。口の中で出血すればこれら雑菌が血液に入り込んでしまう可能性もあるのです。
そのため、抜歯を行った後は必ずといっていいほど、患者さんには抗生物質を服用してもらいます。これは免疫で対応しきれない血液に中に入り込んだ雑菌を殺すために、免疫を補助するために飲んでもらう薬なのです。その他にも炎症止めの薬や鎮痛剤が処方され飲んでもらうこともあるのですが、口の中の観血処置には薬は欠かせないといっても過言ではないでしょう。

この薬ですが、薬を服用してもらっている間にはアルコールは控えてもらいます。その理由はアルコールを服用することによって薬の薬効以外に思わぬ副作用が出る可能性があるためです。例えば、下痢が生じたり全身に湿疹、蕁麻疹が現れたりすることもあるのです。

ところが、アルコールについて患者さんの中にはどうしても禁酒できない人たちが少なからずいます。そんな患者さんからは必ずといっていいほど

「今日は酒を飲んでいいですか?」
と質問を受けます。
僕は患者さんの体のことを考えると、薬を飲んでいる間、アルコールは避けて欲しいと願います。薬を出す期間はケースバイケースですが、歯科治療の場合は3日間前後であることが多いもの。少なくともこの服用期間中はアルコールを控えることができないものかと思うのですが、アルコールが好きな方はなかなか休肝日を作ることが苦手なようです。患者さんの中には、僕に黙って薬を飲みながらアルコールを飲んでいる人もいるようです。

僕は歯医者として薬を処方し服用している間はアルコールを飲まないで欲しいと必ず言います。しかしながら、僕の言うことを理解し実行するのは患者さんです。患者さんがどうしてもアルコールを止められないというのであれば僕はどうすることもできないのが現状ですが、薬とアルコールを一緒に飲んで何か体に異常が生じたとしても、僕は責任を取ることはできません。こればかりは患者さんの自己責任ということになるでしょうね。



2008年04月14日(月) 日記書きスランプ

僕は日曜日を除く週6日日記を書いていますが、最近、日記を書くのが遅々として進まない日々が続いています。また、日記を書くことを休む日もちょくちょくでてきました。これまでも日記を書けないことが度々ありました。何が原因で書けないか?理由はいくつかあります。

一つが日記ネタです。僕の日記は、歯科治療、歯や口を中心にした健康に関すること、歯医者の実態、歯医者として日々思いついたこと、歯医者の家庭の話などをネタにしてきていますが、足掛け5年8ヶ月の間、日記を書き続けてくると、一通りのことは書きつくしたように思います。これまで書いてきた日記のタイトルはノートに書き記しているのですが、日記を書くにあたり過去に取り上げたネタであるかどうかを確認しているのですが、最近思い浮かぶネタに関しては以前に取り上げたことがあるネタが多いのが実情です。
同じネタでも時間が経過すれば見方も感じ方も変わってくることもあります。読者の皆さんに是非知ってもらいたい大切な歯や口の健康に関する知識は、何度取り上げてもいいのですが、短期間に同じネタのものを取り上げると、日記に新鮮味が欠けるのも事実です。この辺り微妙なバランスが必要なのですが、日記を書き続ければ書き続けるほど難しく感じてくる今日この頃なのです。
ネタに関しては、これまで思いついたものの封印しているものもいくつかあります。オフ会などでは話が出来る内容のものでも、実際に文字にしてしまうと変な誤解を生みやすいことがあるのです。“これは面白い“と思いながら書いた日記でアップ寸前になって取りやめたものもあります。日記にできるネタ、できないネタというのがあるため、せっかく思いついたネタでも
僕は日記にできそうなネタは手帳に書くようにしているのですが、最近思いつくネタは自分で見ても面白いと感じるものが少なく、ボツにしてしまうものが多いのが現状です。

二つ目が日記を書くためのストーリーです。物語には起承転結があるように、インターネットに公開する日記を読んでもらうためにはそれなりの話の展開がなければ面白くありません。僕自身、日記を書く前にどういった話にするか思い浮かぶ場合は楽ですが、僕の乏しい頭ではこういった場合は少なく、実際に書き始めてからストーリーが思い浮かぶ場合が多いのです。基本的には日記をアップする前日にある程度書き上げ、翌日にアップする前に読み返し、若干の手直しをしてからアップしています。
最近は、ワープロソフトを使用して原稿を書いていますが、これは非常に有用です。なぜなら、最近のワープロは誤字、脱字や不適切な表現などに波線などの印がついてくる昨日があるからです。以前、僕の書く日記は誤字脱字が多く、度々読者の方から指摘を受けたり、お叱りを受けたりしたのですが、最近は少しはましになってきていると思うのですが如何なものでしょう。
それはともかく、日記を書くためのストーリーが思い浮かばないのです。自分としてそれなりの枕があって導入部があり、展開してから最後にオチがつくという落語か漫才のようなストーリーの日記が理想なのですが、なかなか僕が理想と感じる日記を書けずにいます。

最近の傾向としては、まとまった日記書きの時間が確保できないのが悩みの種です。40歳を過ぎてからというもの、僕は公私ともに仕事、雑用が格段に多くなってきました。かつて忙しいということを言うのは言い訳に過ぎないと書きましたが、今でもその思いはあります。ただ、日記を書くにはある程度まとまった時間が必要で、その時間が結果的に夜の寝る前か朝起きて診療が始まる前しか取れないのです。例え日記を書く時間が確保できても、一日の仕事の影響で睡魔に襲われ日記を書けずに眠ってしまったことも度々です。

日記を書き続けることの難しさを日々感じる今日この頃です。



2008年04月11日(金) 担任の先生は歯周病

昨日は日記を休ませてもらいました。一昨日から某専門学校の講義が始まったこと、昨日は下のチビの小学校の入学式に出席したこと、地元歯科医師会の雑用が重なりました。そのため、日記を書く時間的余裕、精神的余裕が無くなり日記を書くことを休んだわけです。悪しからずご容赦のほどを。

さて、昨日の下のチビの入学式でのこと。下のチビは上のチビと同じ小学校へ入学したのですが、3月まで幼稚園の年長生だったとはいえ小学校では一年生。出迎えてくれた小学生の高学年のお兄さん、お姉さんと比べれば大人と子供の違いがあるくらい幼く見えました。着ている制服が大きく余裕があったり、体よりもランドセルの方が大きく見えたり、小学校の机が体に比べ大きかったりなど、周囲のものが下のチビにとってサイズが大きいように感じます。これから6年間かけて体も大きくなり、大人になるための基礎となる体力、知識を身につけていくのでしょう。僕自身の小学校入学当時を思い浮かべながら、講堂や教室の後ろで下のチビの姿を見ておりました。

ところで、小学校に入学した子供を持つ親が最も気になることの一つが担任の先生ではないでしょうか。下のチビの場合はベテランの女性の先生が担任を受け持つこととなりました。学年主任も兼ねているという先生。下のチビと相性が良ければいいのになあと願わずにはいられませんでした。

下のチビの一連の入学式行事が終わり、帰宅しようとした時のことでした。下のチビの教室の隣の教室から知っている顔の先生が出てきました。その先生は昨年まで上のチビの担任Y先生。上のチビが“担任でよかった”と常々言っていたY先生。縁あって、上のチビが小学校に入学してから3年間、上のチビの担任であり続けたY先生は今年から新たに新一年生の担任を受け持つことになったのです。そのクラスが下のチビの隣のクラスだったわけで、僕と嫁さんはY先生に挨拶をしました。Y先生に上のチビが担任で無くなったことを寂しがっていることを伝えると、Y先生は笑いながらも“大丈夫ですよ、彼ならしっかりとやれますよ”と声を掛けてくれました。

上のチビが大変世話になったY先生ですが、僕はY先生と話しながらもY先生の口元を見てしまいました。思わず考え込んでしまいました。それはY先生が歯周病が進んでいる状態だったからです。詳細を書くことは控えますが、歯医者が一目見て歯周病が進行しているとわかるくらいの口元だったのです。
学校の担任を受け持っていることから毎日が非常に忙しいことはよくわかります。上のチビの話を聞く限り、Y先生はいろいろと自分の生徒に対し心細やかな気配り、指導を行っていたようです。その裏には相当の準備、人目には見えない努力があったはずです。その代償が口元に来ているのかもしれません。自らの歯が歯周病が進んでいることはある程度自覚しているのではないかと感じました。
けれども、実際は歯周病が進行したままで、これ以上歯周病が進まないような手を打たれていないのも確かなようです。毎日忙しい日々を過ごされているY先生ではありますが、人間というもの体が資本です。歯が歯周病で悪くなってくると体力を維持するための食事が満足に取れなくなってきます。また、最近では歯周病が生活習慣病として様々な死に至る病の前兆として注目されつつあるくらいです。歯周病を治療し、これ以上進行しないようにすることは先生としての仕事を務めていくためにも必要不可欠なことのはず。そのためには仕事の合間をぬって歯医者に通いながら我慢強く歯周病の治療を受け続ける必要があるのです。

昨日は、Y先生に余程このことを伝えようと思ったくらいでしたが、せっかくの入学式。結局のところ、Y先生には言えないまま学校を後にしました。帰宅してからY先生に歯周病のことを伝えなくてよかったのかなあと自問自答してみましたが、体の管理は自分自身で気が付き、実践するべきもの。他人からの指摘で変わるほど簡単なものではありません。
世話になったY先生が一日も早くかかりつけの歯科医院へ通い、これ以上歯周病が進まずないように治療を受けられることを願わずにはいられませんでした。



2008年04月09日(水) 歯医者の味見

僕は患者さんに治療をする際、いろいろと声を掛けることを心がけています。ただでさえ治療に対し不安に感じている患者さんです。かなりの精神的ストレス、緊張があるものです。そんな精神状態の時に何の心の準備もなく、自分が思いもしなかったことを口の中で行うことは患者さんにとって恐怖心さえ感じることがあるのではないかと思うのです。
少しでも患者さんの不安と緊張を緩和するため、僕は事前に何をするか説明するよう心がけています。

この説明ですが、僕はなるべく自分の実体験に基づいて説明するようにしています。
例えば、入れ歯の修理を口の中で行うとします。この際、用いるレジンと呼ばれるプラスチックですが、当初は液と粉を混ぜ合わせた泥上のものです。時間が経過すると共に固まっていくわけですが、固まる最中、物性上発熱します。口の中に入れていると熱く感じることがあるのです。また、このレジンは非常に化学的な刺激があります。口では表現しにくい刺激なのですが、決して良い味とはいえない刺激です。入れ歯を修理を行う患者さんには、必ずこのことを伝えると、ほとんどの患者さんは我慢してくれます。

先日、ある患者さんに表面麻酔薬を塗布する前、僕は説明しました。

「この薬はイチゴの味がします。少し苦めのイチゴの味なのですが、甘いと思っていると段々と痺れてきますから注意して下さいね。」

治療終了後、その日行った治療の説明をしたのですが、その患者さんは僕に尋ねてきました。

「最初に塗られた薬は先生が言われていたとおり苦いイチゴの味がしましたよ。先生はよくわかっていますね。自分で試されたことがあるのですか?」
「そうです。僕は患者さんに使用する材料、薬は前もって必ず自分の口の中で試すことにしています。どんな味がするのか、どんな物性があるのか等を前もって体験しておくんです。そうすることで、患者さんに使用する際、何に注意をすればよいか、身をもって知ることができますからね。今回使用した表面麻酔薬もそんな薬の一つだったのですよ。自分の舌先で舐めているとイチゴの味がするけども、少し苦いなあと感じているうちに30秒くらいすると舌先が痺れてきたのですよ。“しまった!”と思ったのも後の祭り。結局10分程度麻痺していて、話そうとしていても何だか舌がしびれて舌足らずな話し方になってしまいましたよ。」

治療で用いる薬や材料の物性などは知識としては知っているつもりですが、いざ自分で使用してみると思わぬアクシデント、失敗があるものです。自分で失敗する分に関しては自分で責任を取れば良いわけですから気分的には楽ですが、時には体を張って仕事をしているなあと感じる時もありますね。



2008年04月08日(火) 受話器の向こうから聴こえる声

先日、アメリカ大リーグのニューヨークヤンキースに所属する松井秀喜選手が結婚し、婚姻届を提出したというニュースを耳にしました。齢33歳になった松井選手ですが、シーズン開幕前のキャンプ中に結婚式を挙げ、シーズン突入直後に婚姻届を出したということで春から縁起が言い訳ではないでしょうが、そこそこの成績を残しているようです。

この松井選手に関するある記事を目にしました。その記事を書いた記者は松井選手とは古くからの友人でもあったそうですが、記者の仕事とは関係なく何気なく松井選手の自宅に電話をかけたところ、受話器の後ろから食器を洗う音が聴こえたそうです。そこで、この記者は松井選手に
「彼女がいるだろう?」
と尋ねたところ、
「お前はそういうところは鋭いなあ」
と言いつつ、彼女の存在を認めたのだそうです。

何気なく電話をかけた相手の受話器の向こう側に関しては、僕もいくつか思い出があります。その一つは以前付き合っていた彼女との電話です。
今のようにファックスや携帯電話、メールが普及していなかった僕の青春時代、彼女との連絡といえば専ら固定電話でした。彼女が家にいる時間であまり遅くない時間に電話をかけたものですが、多くの場合、電話に最初に出てくるのは彼女のお母さんであったり、妹、弟といった兄弟姉妹であることが多かったですね。最初に電話に出てくる人にドキドキしながらも、彼女が出てくるまでの間、彼女が出てくることを今か今かと待ちながらも、受話器の後ろから聴こえてくる物音には興味がありました。なぜなら、何も見えない電話の受話器から聴こえる物音には彼女が生活している空間の一部が垣間見える、いや、垣間聴こえていたからです。物音しか聞こえませんから想像を働かすしか仕方がなかったのですが、それでも彼女の家で発せられる音には彼女の生活臭がするような気がして、それはそれで楽しいものを感じたものです。
そのことを当時の彼女に話をすると、彼女も僕の家に電話をかけてきた時には同じようなことを感じていたとのこと。ついつい長電話になってしまう彼女との電話でしたが、その電話は彼女を待っている間から始まっていたものです。

ところで、受話器の向こう側から聴こえる音には強烈なものもありました。ある大学時代の親しい友人に久しぶりに電話を掛けた時のことです。ある会合のことで彼に出席をするか尋ねてみたのですが、彼が僕の言った内容を繰り返し言っていると、受話器の向こう側から大きな怒鳴り声が聴こえたのです。

「あんた、その日は家族で旅行をする日だと前から言っていたでしょ!もう忘れていたの?いい加減にしてよね!」

何だか親友が怒られているのではなくて僕が怒られているような錯覚を覚えました。怖かったですね・・・。親友が恐妻家であることを身を持って知った瞬間でした。

その時以来、僕は友人に連絡をする時は仕事場である歯科医院か携帯電話、携帯メールにするようにしています。彼の自宅の固定電話には二度と掛けたくありません。受話器の向こう側の声が怖いですから。



2008年04月07日(月) 歯痛収監者に一刻も早い治療を!

歯痛というのは体で感じる痛みの中でもトップ3に入る強烈な痛みの一つです。僕自身は歯痛の経験はほとんどありませんが、歯医者として17年仕事をしてきて、歯痛で苦しむ患者さんと接していると、皆さん一様に歯痛の痛さを訴えられます。歯痛を我慢しようといろいろと自分なりに試行錯誤するものの、痛みは治まらない。歯医者嫌いだが、どうしても歯痛を治して欲しい。そんな思いで歯科医院に駆け込む患者さんは少なくないのが現状です。
さて、先週末、このようなニュースが流れていました。
以下、この記事からの引用です。(朝日新聞2008年04月05日)

法務省の西日本入国管理センター(大阪府茨木市、収容者数約100人)で3月19日、収容中の外国人が歯痛の治療を求めて抗議のハンガーストライキを呼びかけたのをきっかけに、入国警備官らと収容者の計数十人がもみ合いになる騒動が起きていたことがわかった。米国人男性1人と警備官3人が首などに軽いけがをした。センターはもみ合いがあったことを認めたうえで、「職員が暴力を振るった事実はない」としている。
 仮放免された収容者や支援者らによると、この日までにモロッコやバングラデシュ国籍の男性計5人が歯痛を訴えた。モロッコ人男性は3カ月前から外部の歯科医院での治療を求めたが認められず、右ほおが腫れていた。センターには内科医しか常勤しておらず、痛み止めを処方されただけだった。
 午前11時過ぎ、モロッコ人男性ら5人がほかの収容者にハンストを呼びかけ、計約35人が参加した。廊下に座り込み、センター側との話し合いを要求。センター側は「部屋に戻らなければ応じない」とし、収容者は座り込みを続けた。午後2時過ぎにヘルメットと革手袋を装着した警備官や職員計25人が現れ、米国人男性の肩をつかんで部屋に戻そうとしたことをきっかけに小競り合いになったという。
 双方合わせて数十人が約20分もみ合った後、警備官が収容者を制圧した。センター側はその2日後、モロッコ人男性ら2人を歯科医院に連れて行ったという。
 一方、センター総務課は、騒動の直接のきっかけは収容者の1人が禁煙の廊下でたばこを吸って警備官に注意されたことだった、と説明。このトラブルに合わせて、外部の歯科医院での受診を求めていた収容者を含む25人が待遇改善を求めて座り込みを始めたとしている。
 もみ合いになった経緯については、部屋に帰るよう促した職員に収容者8人が体当たりしたり、殴りかかったりしたためだと説明している。制圧後に昼食を出し、「ハンストにはなっていない」という。法務省入国管理局によると、待遇改善を求めるハンストは各地のセンターでたびたびあるが、これだけ大規模な騒動につながったのはまれという。
 センターは外部病院での歯科治療について、収容者から申し出があれば1週間をめどに受診させるが、付き添いの警備官の都合で2〜3週間後になることもある、としている。モロッコ人男性のケースについて、センター総務課は「個別の事例に答える必要はない」としている。


このニュースの信憑性がどれくらいなのかは判断がつきかねますが、二つの点を考えなくてはならないと思います。
一つは、入国管理センターに収監されているような外国人は歯の状態が芳しくない可能性が極めて高いということです。入国管理センターに収監されるような外国人を差別するわけではありませんが、彼ら彼女らが入国管理センターへ収監される理由の一つは、正規の手続きを取らなかったり、犯罪歴や前歴がある可能性が高いものと思われます。まともな生活を営んでいない外国人である可能性が高いのではないかと推測します。
歯の健康状態というのは、生活習慣に左右されるものです。規則正しい生活を過ごせば歯というものはさほど酷くはなりにくいものですが、歯の健康管理を二の次にしたり、無関心であればあるほど歯の状態は酷くなるのです。
入管管理センターに収監されるような外国人の場合、歯に多くの問題を抱えているようなケースが多いのではないかと思います。何かのことがきっかけで歯痛が起こったり、歯肉や顔面が腫れるような可能性は充分に考えられることです。
ところで、入国管理センターには歯科医師は常勤していないとのこと。内科医しか常勤していないそうですが、残念ながら内科医は口の中や歯のことは知識としては知っていても、いざ治療をしようとしても痛み止めや抗生物質程度しか出すことができず、実際の歯の治療を施せることはできないのです。収監者の口の中や歯にトラブルが生じた場合、入国管理センターでは対処できないのが現状なのです。

入国管理センターでは歯にトラブルが生じれば申し出れば歯の治療を受けられるとコメントしているようですが、付き添いの警護官の都合で治療が2〜3週間後になるとのこと。
これは非常に大きな問題だと思うのです。
先に書いたように歯痛というのは痛みの中でも非常につらい痛みの一つです。我慢しようにも我慢できない痛さなのです。常に拷問されているような苦痛を伴うと言っても過言ではありません。歯痛を感じれば一刻も早く適切な処置を受けなければいけないのです。ところが、入国管理センターでは歯痛の場合、場合によっては2〜3週間後に治療となる可能性があるということをコメントしています。これでは歯痛に悶絶してしまいます。歯痛で苦しむ収監外国人がハンガーストライキをしたというのは、彼ら彼女らの真摯な訴えだと僕は感じるのです。

確かに収監している外国人を歯の治療に連れて行くには警護の問題が多々あることでしょう。治療費の問題もあることでしょう。治療費は公費となりますから。けれども、収監している外国人にも人権があります。彼ら彼女らが歯痛で苦しんでいるなら、直ぐにでも歯痛だけは止めるような処置、歯科医による応急処置を施す必要がありますし、そのための態勢作りが必要ではないでしょうか。



2008年04月05日(土) 女親には勝てない男親

昨日の4月4日、上のチビが10歳の誕生日を迎えました。この日は僕にとっても特別な日でもありました。なぜなら、僕が初めて子供の父親になった日だったからです。

今から10年前の4月4日土曜日の明け方でした。嫁さんが破水を訴え、直ちに病院に連れていき緊急入院。
既に予定日であった4月1日を過ぎていました。4月1日に生まれれば究極の早生まれということで、“何とか4月2日以降に生まれてくれたならねえ”なんて会話をしているうちに4月1日を過ぎました。“今度はいつになったら生まれるのだろうか?”と勝手に不安になってきた4月4日の早朝でした。
陣痛促進剤などを使用しながら上のチビと初対面したのが4月4日の夕方。初めて上のチビを抱いた時の写真を見てみると、僕の顔はうれしいながらもどのように赤子を抱いてよいかわからず、肩に力が入り、ガチガチになっていたことがよくわかります。
それから、3年後には下のチビが誕生し、我が家は二人のチビと共に家庭が築かれていきました。今や子供のいない生活は考えられないくらいなのですが、僕もいつのまにか父親としての生活が次第に長くなってきているのを自覚する今日この頃。

そんな二人のチビの父親の僕ですが、母親である嫁さんには勝てないなあと思うことがあります。それは、下のチビが何気なくする行動にあります。
現在、6歳でこの4月から小学生になる下のチビですが、家の中で兄弟で遊んでいる時、何気なく遊び場を離れ、母親である嫁さんの懐へ来る時があるのです。嫁さんの懐でしばらく抱かれると何事もなかったかのように元の遊び場の方へ戻るのです。
僕は下のチビに尋ねました。

「どうしてママの所へ行ったの?」
下のチビは言いました。
「わからないけど行きたくなったの。」

実を言うと僕も同じような経験があります。家の中で弟と遊んでいると何気なく寂しい感じになる時があったのです。そこで僕は働いていたお袋の下へ抱かれに行ったのです。そして、しばらく抱かれると落ち着きもう一度弟と遊ぶ。そのようなことをしていたように記憶しています。

当時の僕の行動を思い浮かべてもどうして僕がそのようなことをしたのか、よくわかりません。おそらく、下のチビもどうして嫁さんの下に行こうとしていたのか、その理由はわからないままでしょう。
ただ、言えることは幼少の頃の僕も下のチビも抱かれると落ち着いたということ。このことが何を意味するかわかりませんが、愚考するに、子供というのは、特に男の子は女性親に対して何かを求めたくなる時があるのかもしれません。

僕は下のチビに尋ねました。
「どうしてパパの所には来ないの?」
下のチビは即答しました。
「パパは嫌だから・・・。」

男親である僕ですが、女親にはいつまで経っても勝てそうにありません。



2008年04月04日(金) 確実に過剰歯科医を減らす方法

昨日、某歯科業界新聞を見ていると今年の歯科医師国家試験合格率が掲載されていました。3月27日に厚生労働省から発表された合格率は平均で68.9%。過去10年で最低の合格率だったそうです。
内訳は、受験者数は3295人、合格者が2269人で不合格者が1000人を超えたのです。

どうして今年の歯科医師国家試験の合格率が下がったのでしょう?歯科医師国家試験を受験する学生の質が下がっているわけではありません。歯科医師国家試験の問題が難しくなったわけでもありません。それでは一体何が原因だったのでしょう?

その謎を解くにはある合意があります。一昨年、当時の厚生労働大臣と文部科学大臣との間で確認書が交わされました。その内容とは、
・歯学部定員については、各大学に対しさらなる一層の定員削減を要請する
・歯科医師国家試験の合格基準を引き上げる
といったものだったのです。
すなわち、歯科医師が過剰になったために今後歯科医師になろうとする人たちを減らすよう、歯科医師を養成する大学に定員削減を求め、さらに、歯科医師国家試験の合格基準を引き上げるということが国策となったのです。

かつて歯科医師不足の時代がありました。多くの人が口の中の状態が芳しくなかった時代でもあったため、限られた歯科医院に来院する患者数は非常に多かったのです。朝8時から診療をはじめ、診療が終わったのが真夜中だったというような歯科医院が珍しくなかったのです。このような状況を打破するため、国は全国各地に歯科医師を養成する大学の設置を進め、現在全国に29校の大学歯学部、歯科大学があります。その結果、歯科医師不足は解消されたのですが、間も無く歯科医師供給過剰に至り、現在に至っていたのです。余りにも急に歯科医師要請大学を作りすぎた結果、歯科医師不足を補うよりも歯科医師過剰になってしまったのです。

これまで国は各大学歯学部、各歯科大学に対し定員削減を要請し、実際に削減されてきたのですが、それでも歯科医師過剰は収まりません。何せ全国に29校もの歯科医師要請大学があるのですから。そこで、国が打ち出した方針が国家試験の合格基準をあげるというものです。

国家試験の合格基準を上げるとは具体的にどうするのでしょう?歯科医師免許を与えるための試験というのは歯科医師としてふさわしい知識を確認するための試験です。そのため、あまりにも重箱の隅をつつくような問題を出すことはできない所があります。問題を変えることができない状況で合格基準を上げるとなると、合格とする点数を上げることになります。これまで60%の正解率で合格にしていたものを70%、75%に上げるということになります。
今回の歯科医師国家試験では、必ず正解しなくてはいけない問題を入れ、更に合格するための正解率を70%ぐらいまで上げたという話を伝え聞いています。

おそらくこの傾向はしばらく続くことでしょう。現状では、歯科医師の中で最も多いとされている所謂団塊の世代の層が後10年経つと70歳代に突入する。その結果、最も多い世代が歯科臨床の場から引退するか診療患者数が一気に減少することが確実視されています。歯科医師国家試験の合格基準を上げ、新規歯科医師数の数を減らしながら後10年経てば現役で最も多い歯科医師が現場から去る。そうなると、歯科医師過剰状態は一気に解決する時代となってくるかもしれません。

ちなみに、同じ時期に行われた医師国家試験の合格率は90.6%でした。歯科医師国家試験の合格率と比較すると、医師不足解消を目指した国策的な側面があるように思えてならなかった、歯医者そうさんでした。



2008年04月03日(木) 後期高齢者患者用カルテが無い!

4月1日から始まった後期高齢者医療制度ですが、突如として名前が長寿医療制度と名称が変更になりました。ただでさえ新しい制度で混乱し、医療側も患者側も対応で必死になっている最中の名称変更。一体国は何を考えているのだろう?と思いたくなりますね。後期高齢者というネーミングが悪いということで長寿と名前を変えたのだという話のようですが、名前を変えても中身は変わらないわけです。今後、高齢者の懐に直に影響してくることでしょう。大変な医療制度ができてしまったものです。

この後期高齢者医療制度ですが、僕は初日に思わぬことに出くわしてしまいました。それは後期高齢者保険証を持っている患者専用カルテがないことです。

通常の保険診療で使用するカルテですが、歯科では患者さんが属する保険の種類によって3種類のカルテがあります。社会保険被保険者用、社会保険被扶養者用、そして、国民健康保険用です。保険診療では歯科医院に来院する患者さん用のカルテはこの3種類のカルテを使わなければならないことになっているのです。



これが社会保険被保険者用カルテです。拡大はこちらです。見ての通り、青紫色の文字と枠で囲まれたカルテです。



これが社会保険被扶養者用カルテです。拡大はこちらです。赤色の文字と枠で囲まれたカルテです。



これが国民健康保健用カルテです。拡大はこちらです。緑色の文字と枠で囲まれたカルテであることがおわかりかと思います。


これまで保険診療の場合、この3種類のカルテで事足りたわけです。ところが、今回の後期高齢者医療制度、長寿医療制度では、75歳以上の方は全て都道府県単位の広域連合の保険に加入することになります。各事業所の社会保険組合や各国民健康保険組合とは全く違う保険組合に属することになるのです。
従来であれば、社会保険組合の組合員の場合、被保険者と被扶養者の二種類のカルテ、国民健康保険組合であれば被保険者、被扶養者の区別無く一種類のカルテというように属する健康保険組合ごとにカルテが分けられていたのですが、後期高齢者が加入する広域連合組合用のカルテが無いのです。

早速僕は周囲の歯医者仲間に尋ねてみましたが、僕と同じ悩みを持っている歯医者が多かったことに気がつきました。歯科医師会の担当者にも尋ねてみましたが、現在関係省庁に問い合わせ中とのこと。思わぬアクシデントです。

カルテは患者さんの保険証情報や治療内容を記録する大切な用紙であり、公文書扱いされる文書の一つでもあります。そんなカルテに不備があってはいけないことなのですが、保険制度の改正によって思わぬカルテの不備が露見してしまったようです。

僕はやむを得ず国保カルテを代用していますが、この問題、一日も早く国には対策を立てて欲しいと願わずにはいられません。



2008年04月02日(水) 発展途上人間ができること

幼少の頃、周囲の大人を見て僕は、

“体格が大きいし、力も強い。自分の知らないことを数多く知っているし、頼りがいがあるのではないだろうか?”
と感じたものです。その思いは小学校に入学した時の上級生や中学、高校入学時の先輩、某歯科大学入学時の先輩やOBの先生にも感じたものです。さすがに某歯科大学時代には体格に関することは感じなくなりましたが、それでも自分よりも専門家として活躍しているOBの先生の姿を見ていると、

“何だか凄そう“
と感じたことがしばしばでした。

実は3月31日に僕たち夫婦は12年目の結婚記念日を迎えました。何が何だかわからないうちに結婚記念日を迎えたわけですが、12年前を思い起こすと、僕は某病院の臨床研修医でした。12年前ということは、僕が結婚したのは30歳の時になりますが、当時僕が世話になっていた指導教官の先生方は僕よりも10歳上の年齢でした。ということは、当時40歳代前半の先生だったわけで、中には今の僕の年齢である42歳の指導教官もいたことになります。臨床研修医だった僕にとって当時の指導教官は、時には厳しく、時には丁寧に思いやりをもって指導してくれたかけがえの無い先生方ばかりで、今もって恩に感じるのですが、12回目の結婚記念日を迎えるにあたり、僕は自分が当時の指導教官の年齢に達していることに改めて気がつかされました。

幼少の頃をはじめとして生徒時代、学生時代に憧れだった人たち、臨床研修医時代に世話になった先生たちの年齢に自分が達してみて感じたことは、確かに体は大きくなったし、歯医者としてもそれなりの経験を積んではきたけれども、後輩から憧れるほど自分は熟していない、まだまだ未熟で頼りない、学ぶべきこことがたくさんある、もっと経験を積みたい、歯医者としてもっと実績を積みたいということです。周囲から見れば、歯医者として見られるのかもしれませんが、自分の内面を冷静に見つめれば、こんなことでいいのだろうか?という不安、あせりを感じざるをえないのです。

そんな僕も4月からは週1回再び某専門学校で教壇に立ちます。歯医者としての仕事の合間に講義の準備をしているわけですが、後輩に教えるということは、自分の持っていた知識、技術を再確認することにもつながるなあと感じます。今もって僕は発展途上人間であることは間違いないのですが、発展途上の年数が長い分、少しは後輩たちに発展途上の中に得られたことを伝えることができるのではないだろうか?
自分の未熟さを考えると、人様に教えるということは恐ろしくてできないのが本音なのです。けれども、未熟者には未熟者なりの苦労があり、その苦労で得られたことを下の世代の人に伝えることは決して無駄ではないのではないか。そう割り切りながら、今年も某専門学校での講義に臨もうと考える、歯医者そうさんでした。



2008年04月01日(火) ブログを始めました

やっと重い腰を上げたとでも言っていいのかもしれませんが、僕もブログを始めることにしました。
思い起こせば、歯医者さんの一服日記を書き始めた6年前はホームページビルダーを使用してサイトを立ち上げ、テキストスタイルの日記を書いていました。一昨年の12月からはエンピツで日記を書き始めたのですが、時代は既にブログ全盛時代。いつかは僕もブログを書こうと思いながら月日は流れておりました。キリの良いところでブログを始めようと思い、年度始めである本日からブログを書き始めることにしたというわけです。

ブログといっても内容はエンピツで書いていることと同じです。エンピツのバックアップと言ってもいいかもしれませんが、気分一新ということでブログも書いていくつもりです。
ブログの方はまだまだ不慣れで設定の方法も充分に理解していませんが、少しずつ慣れていけばなあと思っております。

ちなみに、歯医者さんに一服ブログはこちらです。

これからは歯医者さんの一服ブログの方も、宜しくお付き合い下さい。


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