My life as a cat
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2019年01月26日(土) 自家製歯磨き粉

人が窮地に立たされている脇でいつも通り幸せ顔で暮らすことは罪なのか。自粛という言葉、日本人からよく聞く。そういうのはよく理解できない。逆に自分が窮地に立っていたとして、周囲の他人や友人にあれこれ自粛して欲しいなんて全く思わないもの。少し手助けしてくれたら有難く感謝して受け取って、あとはその人が今まで通り平穏に暮らしていてくれたらいいと思うだろう。マーガレット・サッチャーの言葉、

"The poor will not become rich even if the rich are made poor"

と同じ。誰かが自粛したって窮地にいる人は這いあがってこない。

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リュカが自家製の歯磨き粉を作った。今欧米でちょっとしたブームなのかな?ココナッツオイルとか重曹とかキシリトール、そしてカカオパウダーなんかをぐるぐる混ぜて。歯医者推奨のレシピだそうだ。家が寒いせいかペースト状じゃなくて、固形石鹸みたいになってるから削って口に入れて磨く。もちろんこれチョコレート味で美味しい。思わず呑みこみたくなる。なんといってもBIOで購入したちょっと高い食材。そう思うと吐くのがもったいない。もともと歯磨き粉など殆ど使っていなかったので良し悪しはよくわからない。


2019年01月23日(水) 寒い夜の過ごし方

「フォンデュをしましょう」

寒い寒い夜、クリスティーヌ宅に集合。フォンデュというものをよく知らないわたしは、軽くパンを持っていくなどと言ったのだが、妙にクリスティーヌが心配そうに聞いてくるので不思議に思っていた。想像では切った野菜やパンをチーズに浸して食べるものだったのだが、いつまで経っても野菜がでてこない。聞けば"Fondu Savoyarde"とはパンとチーズが主役のものだというではないか。ということでパンが重要な位置を占めているのだ。この料理の発祥の地は冬があまりにも厳しく野菜が採れない。だからチーズに雑穀の入ったカンパーニュなどを浸して食べるんだそうだ。付け合わせのパンくらいに考えていたのだが、たまたま気が向いて色んなパンを焼いていったのでおなかを満たすことはできたのだが。カンパーニュは少しだけ、あとはインドのパラタとか中国の花巻とか、マルチカルチュアルなフォンデュとなった。

赤ワインと楽しい会話でたちまち体も温まってきた。どこへいても冬になると日本が恋しかった。コタツ、湯船、温泉、鍋、酒、正月。でも今夜はそんな気持ちも忘れた。ここにはここの冬の愉しみがある。デザートにタルト・オ・ポワールを食べ終えて、クリスティーヌが聞く。

「みんなカフェ飲むよね?」

うん、飲む。

「ドミニクは?」

「夜はカフェ飲まない」

「デカフェもあるよ」

「要らない」

「お茶は?」

「・・・。もっとワイン飲む」

彼のひとこえでさらにもう一本ワインの栓が抜かれ、乾杯しなおしたのだった。

クリスティーヌの小さなサロンで小さなテーブルを囲んで身を寄せ合って過ごす冬の夜は何物にも代えがたい至福の時間だった。


2019年01月13日(日) べべの服

「余った毛糸があるから」

と近所に住む編み物名人のマダムが日本の姪っ子に作ってくれた服。編み物といったら真っすぐ編むだけのマフラーとかニットキャップを子供の時に作って以来というわたしには感激の完成度の高さ。編み目は機械でやったみたいに均一だし、細部までとても丁寧にきれいに作りこまれている。子供は瞬く間に大きくなってしまう。ほんの1年前わたしが日本を発つ時、寝たまま泣きわめいていただけのべべは、この正月スカイプ越しに投げキッスなどくれるまでになっていた。こんな可愛い服をプレゼントしてもらっても、着られるのはほんのワンシーズン。なんとも贅沢なものなんだな。あぁしかしこんな服を着せてもらって、食べてお昼寝してるべべになりたい。でもどうやっても無理だから、目指すはこんな服をさらりと作ってしまえる素敵なマダム。インスパイアされて、さっそくニースへでて毛糸を買ってきた。まずは、手慣らしにまっすぐのマフラーを編む。ひとめかのこ編みというぼこぼこと暖かそうなボリュームのでる編み方に挑戦。ひとつひとつ覚えていこう。幸いこの町には手芸好きのマダムに出会うのは難しくないから躓いたら教わることもできそうだ。


2019年01月08日(火) 日日是好日

良い時も悪い時も、それは人生の中のたった一瞬で、一生続くことは何一つとしてない。出会いの後には早かれ遅かれ必ず別れがやってくる。すぐにまた新しい出会いがあって、忙しい暮らしの中でそうやって泣く泣く別れた人のことも少しずつ小さくなっていく。理屈では解ってても、突然やってくる別れをすぐに受け入れることは難しい。わたしが暮らしの中でいつも気にかけて大事に思っている人なんて両手あれば足りるくらいなのだから、ひとり欠けたら大きな穴があいたように感じてしまう。

突然のことにショックを受けて、感情を失ったようにただ静かに沈んでいたところに、母が日本から送ってくれた本が届いた。いつか人から薦めれれて買った森下典子さんの「日日是好日」というエッセイが入っていた。その中の一節を読んだら急に感情が蘇ってきて涙がぽろぽろと溢れてきた。

会いたいと思ったら、会わなければいけない。好きな人といたら、好きだと言わなければいけない。花が咲いたら、祝おう。恋をしたら、溺れよう。嬉しかったら、分かち合おう。幸せな時は、その幸せを抱きしめて、百パーセントかみしめる。それがたぶん、人間にできる、あらんかぎりのことなのだ。だから、だいじな人に会えたら、共に食べ、共に生き、だんらんをかみしめる。一期一会とは、そういうことなんだ・・・・。

本当、そうなるまで心の準備ができていなくて、あとは少しずつその悲しみに慣れていくしかない人間にそれ以上何ができるのだろう。わたしにできることはまた自分の暮らしの中で大きな存在となっていく人とせいいっぱいだんらんをかみしめることだけなんだ。もういっぱい泣いたからいい。明日はどこかから吹いてくる新しい風に期待をこめて、頬で感じてみよう。


2019年01月01日(火) Fat Sick & Nearly Dead

たまたま見つけたドキュメンタリー映画。ここから鑑賞できるので観てみた。こういうダイエットの類のドキュメンタリーは好きでテレビ番組なんかでもよく観る。この映画はオージー男性ジョーが60日間野菜ジュースだけで生活するというもの。喋りのリズムもよく、構成もテンポよくドラマティックに進むので、語り手が面白みにかけるし、全体的にのっぺりした感じの"Super size me"や"That sugar film"よりも面白かった。何よりもあか抜けない田舎のあんちゃん風のオーストラリアならどこでも見られるだろうジョーが、成功の暁にはなかなかのハンサムで表情もきりりとしてて、見惚れてしまうような男性に変化を遂げているのに"WOW!!!"と感嘆せずにいられない。野菜ジュースだけで生活するようなダイエットは、日本やフランスに多いタイプの良いものを食べてるけどちょっとカロリー・オーバーで太り気味みたいな人には向かなそうだが、オーストラリアやアメリカに多いBBQとジャンク・フードとコークでヘビー級に上りつめてしまったような人には効果的だし、健康面でもそれまでとの比較で十分良いものだろう。好きなものを食べて死ぬなら本望というのはわたしも同じだけど、その好きなものっていうのは彼らはぼってぼってのハンバーグとか山盛りチップスなんかなのに対して、わたしなんかはおにぎりとか卵焼きとか豆腐とかひじき煮だもんな。

さて、この映画を観て強く感じたこと。それは、

人はちょっとした習慣を改善するだけで自分を何倍にでも魅力的に見せられる

ということ。ジョーのように劇的に変化をするのはもちろん大変な精神力を必要とするすごいことだけど、それよりももっと小さな改善の積み重ねのこと。この映画に登場するふたりの女性。ジュース・ダイエットに10日間だけトライする女性とフィルのドクター。共通点は美人というわけでもなく、醜いというわけでもないということ。ドクターがちょっと姿勢が悪いのか、首を据える位置が悪いのか、ちょっと表情が鈍っていてぼんやり退屈したような印象を与えるのに対して、前者は表情豊かで明るくて、一緒にいたら何か良いことが起こりそうな雰囲気。美人でなくても自分を最大限に綺麗に見せているタイプ。喋り方、髪型、身振り手振り、笑い方そんな小さなことのひとつひとつがその人の印象を構成する。自分のことは自分でよく見えないから気付きにくい。これからはもっと鏡をよく覗いて自分というものを観察してみようと思う。


Michelina |MAIL