My life as a cat
My life as a cat
DiaryINDEXpastwill


2018年10月21日(日) Fête de la Châtaigne

"栗の森"があるとの情報を得て、また山に登った。山登りも少しずつ板についてきた。ハンターに撃たれないように派手な色の服を着て、お弁当とカフェを持ち、暗くなる前に下山できるように計算して昼前に出発した。




ゆっくり登ること2時間。そこから教わった小径に踏み込んでいった。歩いても歩いても同じような木の森が続いて、本当にこの径でいいのかと不安になってきたころ、栗の殻を地面に見つけた。歩いていくと殻が沢山落ちている。あぁ、もう他の人に拾われてしまったのか、と思いきやそんなのはただの入口でこの先に拾っても拾いきれないほどの栗の森が広がっていたのだった。




栗を見つけた場所でリュカはシャンピニョンを発見。和名ではカラカサタケというもので、この辺りではよく見かける。椎茸と同じくらいの強さのかおりがある。リュカはシャンピニョンをわたしは栗拾いに没頭。離れ離れになってしまわないようにたまに名前を呼び合う。売り物でもなかなか見ないような大きな栗。夢中で拾った。拾っている間にも頭上からぽろんぽろんと落ちてくる。この日の収穫はカラカサタケ6本と栗3.6圈















ふたりとも大満足で山を下りると、町の広場で"Fête de la Châtaigne(栗祭り)"が開催されていた。フランスのあちこちで開催されるお祭りで、熱い赤ワインと焼き栗で秋を愛でるもの。一日中歩き回ってもうおなかがぺこぺこだった。ワインは遠慮して焼き栗を食べた。栗ってどうやっても美味しい。薬局へ行ってシャンピニョンが食べられることを確認し、隣のピッツェリアへ駈け込んで黙々とピッツァを頬張った。山歩きの後の食事がこの上なく美味いことはいうまでもない。

2018年10月12日(金) 一山超えた

結婚しても、人の本質は変わらない。新しいものには興味があるし、日々あらゆるものに心を魅かれる。結婚して変わるのは、その対象が異性だった場合、まっすぐそれを追いかけていってはいけないという決まりができることだ。手に入らないから余計欲しいような気がしてくる。いっそ手に入れてしまえばおなかを満たした野生動物がもう他の獲物に興味を示さないように、すっと気持ちが退くかもしれない。でもそれとひきかえに一番大事だと信じてきたものを失う可能性も高い。

その人は国際感覚があって英語を話す。ここではまだ言葉の壁があって、文化や風習に対する理解もまだまだ。相手のジョークが理解できないなんてことは多々ある。だから、そこへすんなりと自分の言葉で会話を進められて、年も同じで、本や映画や美味しいものが大好きで、そんな人に会ってすっかり気を許してしまった。はじめは話していて楽しい、それ以上は思わなかった。でも相手は独身で身軽で、真っすぐこちらに向かってきた。偶然会うことが多くなって、話すことが多くなって、そのうちよく会うのは偶然なんかじゃなかったと気付く。日に日にその人のことが気になるようになって、このままではいけない、なんとかしなければと焦るから余計その人が心を埋め尽くすようになって・・・。

結婚したばかりでこの調子なの?動揺する。でもリュカに対する気持ちは変わらないし、この先もずっと一緒にいたい。じゃぁ、その人とは何がしたいのか?もっと知りたい。でもその次は?その先は想像がつかない。そもそも相手はわたしと何がしないのか??そんなことを話したらこの関係がもっと別の方向へ進んでいってしまいそうでとてもそんなことは口に出して聞けない。

いつか読んだ江國香織の「真昼なのに昏い部屋」という小説を思い出す。うろ覚えだが、自分がきちんと丁寧に生活することを何よりも重んじている主婦が、散歩の途中で会うイギリス人と少しづつ親密になっていって、ある日全て捨てて一緒に逃げてしまう話。でもこの話は決してハッピー・エンディングなんかじゃなかった。その男が興味を持ったのは籠の中の鳥のような人で、自分の意志で自由に飛ぶその人を見たら何か違うような気がしてきたというオチ。

自分が独身の時、既婚の男性を好きになったことがあった。結局はフラれた。わたしはフラれたことでその人のことをもっと"家族を大切にする人""約束したことをちゃんと守る人"だと尊敬するようになった。

色んな思いを巡らせて、心のどこかで悩みながら夏が終わった。そしてふとした瞬間に結論に達した。わたしは彼と話しているととても気持ちが良くなる。とても魅力的な人だから、これからも何かしら関わっていたい。彼が好きなのは今のわたしであって"家族を裏切る人"ではない、と思う。何よりも自分が彼にどう見られたいか。"心の良い女の人"だと思われたい。そこまで来て答えが見えた。

「あなたと話していると本当に楽しい」

そう伝えた。

「同じ気持ちで嬉しい」

と言ってくれた。そして、そこに"話す"以外のことは絶対起きません、というメッセージが含まれていると受け取ったのだろう、少しがっかりしたようだったけど、やっぱり相手も悩んでいたのか、ふっきれたように握手してくれた。

これでよかった。それからもよく会う。他愛ない世間話をする。わたし達の間に流れる空気は軽い。


2018年10月09日(火) おやつの時間

フランス人はあまり間食をしない。午後3時のカフェ・テラス。ワイン、カフェ、喫煙、たいていそのどれかだけで焼き菓子やケーキなんかを食べている人は見かけない。何人かのフランス人に聞いてみた。

「間食?あぁそういえば、、、、確かにしないかもね」

みんなこんな反応だった。"間食はしない主義"なんていうストイックなものではないようで、単に習慣づいていないだけのようで、お菓子を持って訪ねれば、みんな嬉しそうに食べる。それでは一歩街へ出ればわたしを誘惑するあのパティスリーのお菓子はいつ食べるのかといえば、食後のデザートらしい。事実、フランス人と食事にでかけると、食後はちゃんとデザートまで食べる人が多い。だから間食にまで甘いものを食べては砂糖の摂りすぎとなってしまうのだろう。それではポテト・チップスなどのスナック菓子はいつ食べるのだろう。

「あぁいうのはパーティーの時食べるものかな」

確かにパーティーでは時々見かけるが、それ以外でスナック菓子を食べている大人を見たことがない。大人がアペロ(これはちょっとした間食になるのか?)の時につまむスナックといえばナッツやオリーブなんかのほうが主流のようだ。じゃぁ、市販のビスケットやクッキーは誰が食べるのか。

「あぁいうのは子供のおやつかな」

つまり育ちざかりの子供以外は間食はしないということなのか。

わたしも滅多に間食はしない。これも主義的なものではなくて、食べたら歯を磨かないと嫌なので、お菓子なんかがあれば食後にまわす。ともあれ、本当に空腹で仕方がなければ食べる。何を食べるか。フランスに来てからとっても気に入っているお手軽おやつがある。フランスの習慣などについて書かれた本(90年代に書かれたものでちょっと情報が古い)で、フランスの子供達はおなかが空けば食事で残ったバゲットに板チョコを挟んで食べていると書かれていた。この文章を読んで、わたしの脳裏を過ったのは大好きなジョエル・ロブションで売られていたミニ・バゲットだ。バゲットに薄切りにしたバター、板状のミルク・チョコレートとブラック・チョコレートを挟んだもの。バゲットとバターの塩味とチョコレートの砂糖味、バゲットの皮と板チョコのパリパリ感とバゲットの白い部分のもっちり感と口の中で溶けるバターと・・・口の中であらゆる味とテクスチャが複雑に混じりあってたまらなく美味しいのだ。ジョエル・ロブションもこんなおやつを食べて育って、そこに着想を得たのじゃないか、なんて想像した。それ以来わたしの間食といえば、バゲットにバターと板チョコを挟むというちょっとだけリッチな子供のようなものが定番になった。


Michelina |MAIL