My life as a cat
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2017年01月29日(日) Dragon fruit

春のように暖かい日。食べようと思って買っておいたにんにくが突然一斉に芽を出した。せっかくだから土に埋めて栽培することにした。散歩がてら農園まで歩いていった。穴を掘るとミミズが

「せっかくいい気分で寝てたのに。なんで起こすんだぁ」

とでもぼやいているかのように体をくねらせていた。悪いことをしたような気になってさっさとにんにくを穴に入れまた土をかけた。また寒くなるのだろうから、と干し草を上に乗せておいた。春になったら収穫できるだろう。

帰り道、お店でヴェトナム産のドラゴン・フルーツを買った。東南アジアのどこかで何かに入っているのを食べたような記憶があったが、丸ごと買うのははじめて。旬でない食べ物を口にすることは極力しないが、ヴェトナムだって北のほうは結構涼しいし、と言い訳しながら食べてみた。皮は固くなくて、ナイフですっと切れて、身もするりと剥がれる。味は酸味も甘さも控えめのキーウィみたいだ。キーウィが生るのは日本でも秋から冬にかけての涼しい時期だものね。そう納得した通り、後で何度もトイレに行ったり体が冷えてきたりすることはなかった。




半分食べて、残り半分は農園で摘んできたガーデンサラダにトッピングしてみた。

味は可もなく不可もなく、食べなくてもいいけど、食べてもいい、というようなものだったが、Wikiで見たら健康、美容にはとてもいいみたいだ。












2017年01月28日(土) シルクロードのパン

中国西端の新疆ウイグル自治区あたりで食べられているというナンを焼いてみた。インド人の食べてるのとは違うのね。イーストを使わず、一晩暖かいところで猗醗酵させる爐判颪れていたので、ベッドの中に入れて寝た。起きたら少し生地が緩んでいた。おぉ、これを猗醗酵爐噺討屬鵑世福△版柴世靴董⊃ばしてゴマを振って濃い塩水をたっぷり塗って焼いた。熱々にバターを塗って完成。材料は粉と水と塩、砂糖をひとつまみだけ。「草原の実験」というロシア映画に出てきたどこまでもだだっ広い平野、何もない小さな家で焼かれたあまりにも素朴なパンを思い出す。行ってみたいな、あんなところ。どこまでも空が青くて、人恋しくなるくらいだだっ広くて、夜になると星がくっきり見えるところ。パンのお味は想像した通り。素朴、のひとこと。歯ごたえがあるのでゆっくりゆっくり噛みしめた。

昨夜、テレビ番組で70年代に騒動になったという爛ぅ┘垢諒舟爐箸い宗教団体のことが取り上げられていた。わたしが生まれたころであり騒動のことは知らない。当時親元を飛び出して逃亡しながら共同生活を営んでいた10代から20代そこそこの少女達のその後を追っていた。37年経ち、中年女性となった彼女達はなんと今も変わらず共同生活をしていた。だが、その事実よりも目を奪われてしまったのは彼女達の容姿の若々しさ。みんな50代くらいだろうが、ぶよぶよとだらしなく太ってしまった人はなく、体は丈夫そうで、顔つきだってしゃきっとしている。生活を見ると食べ物はバランス良く健康的だし、共同生活故にサイクルが規則正しいのだろう。そして何よりも聖書という強く信じるものがあり、それに寄り添って生きているということが心にハリを与え、肌を潤わせるに違いない。とにかく、彼女達はそこらへんの爐ばちゃん爐箸楼貔を画しているのであった。高価な化粧品とかコラーゲンのサプリとかじゃない。いつまでも若々しくいたければ、バランス良く食べて、規則正しく暮らし、そして信念を持ってそれに寄り添って生きること。これに尽きるのだね。


2017年01月22日(日) シルバースプーンでりんごのリゾットを

昨年の秋、ふらりと訪れた蔦屋六本木ヒルズ店で衝撃的な出会いがあった。夏にイタリアを訪れて以来その美食に魅了され、もっともっと食について知りたくて、料理の本を物色していたのだが、どーんとディスプレイされた赤い本がふと目に入った。

爛轡襯弌璽好廖璽 ― イタリア料理のバイブル

とある。2圓呂△蹐Δ、分厚いバイブルだ。イタリアで60年前に初版がでてから何度も改訂され、愛され続けているらしい。伝統的なものからモダンなものまでレシピの数実に2000以上。全部ではないが、写真も大分載っている。料理の本が大好きで、書店を見かければふらりとのぞいたりするが、この本は見たことがなかった。5分ほど眺めて買うことを決めた。価格1万円。会計に持っていき、ディスプレイされたものはけっこう劣化していたため、新品があるかと尋ねた。ない、という答え。すぐにネットで取り寄せられるかと調べてくれたのだが、市場にもう出回っていないという。自分でも調べてみたが和訳は市場で最後の1冊のようだった。アメリカの英訳版は問題なく手に入りそうだったが、何せ単位がやメジャーが違うし、All purpose flourなんかを材料に使われるとこれまた日本の小麦粉とはグルテン量が違うので嫌な予感がする。ここはやはり和訳を手に入れようと決めた。

「かなり劣化してるんで値引きしてくれませんか」

してくれないだろうと思っていたが、言うのはタダなので一応聞く。しかし答えは意外だった。

「申し訳ありません。和書は一切値引きができないんです。洋書であればできる場合もあるんですけど」

へぇ、そうなんだ。後で友人にこのやりとりのことを話すと、

「六本木ヒルズの蔦屋で値切るなんてあなたって本当に面白い人ね」

と笑われた。

重いバイブルを抱えて電車に乗って広げてみた。めくってもめくっても終わらない。

そして今日やっとレシピに初挑戦してみた。家に材料が揃っているというだけの理由で選んだのがりんごのリゾット。日本人には塩っぽい料理に果物を入れるのを嫌う人は多いが、わたしはこれが大好きだ。白ワイン、バター、チーズ、材料はりんごと相性の良いものばかりだしね。

完成したお味は想像していたのとは少し違った。思っていたように甘くはなく、りんごのさわやかな酸味は白ワインと一体になり、違和感がない。バターとチーズのプレーンなリゾットに焼いたリンゴをプラスしたようなものだった。やさしいお味だ。

























2017年01月19日(木) からだの自然治癒力をひきだす食事と手当て

「からだの自然治癒力をひきだす食事と手当て」大森一慧著を読んだ。森羅万象全ては陰陽の相反する力を持っていて、体の不調はその自然から遠のいたことによって生じるというアイディアのもと、あらゆる不調の食事療法が書かれたものだ。20代の前半に「東洋の智恵は長寿の智恵」を読んで人間は自然の中の一部分であり陰陽で説明のつく存在なのだということを知って開眼した。それから自然の摂理に従って生きれば天寿を全うできると信じてそのように努めた。人間の歯の構成に従い、米、雑穀や野菜が8割、動物性食品(肉は食べず、魚、卵、乳製品で摂る)が2割という食生活だ。夜は10時に寝る。体が弱く生まれたわたしが、大人になってから大病もせず、風邪で寝込んだのはたった1日、薬とは一切無縁で40歳を迎えることができたのは食生活と規則正しい生活の成すところではないかと思っている。

土に蒔けば芽を出す玄米は生きた米。いっぽう胚芽が取り除かれて発芽しない白米は死んだ米だという。玄米は胃腸虚弱の人には向かないのだと思っていたが、本書によればよく噛んで玄米を食べることで逆に胃腸が丈夫になるとのこと。今まで白米に1/4ほど混ぜていた玄米を1/2に増やしてみた。よくよく噛んで食べると脳がたくさん食べたように錯覚するのだろうか、少量で満足する。

塩は精製されたものではなく自然塩を使ったほうがいいとも強調されていた。精製塩と自然塩の見分け方を調べてみた。以下の表記がおおかたの目安となる。

精製塩:塩化ナトリウム9*パーセント、イオン幕、溶解、立釜
自然塩:平釜

何年も使い続けている大好きな塩がある。大袋に入っていてお高いものではないのだが、この塩で握ったおにぎりなんかは格段に美味しい(気がする)。妹もわたしが握ったおにぎりが何故だかとても美味しいと言っていたっけ。どこにでも売っているわけではないので、唯一売られているお店で沢山買い貯めしてある。パッケージの裏を見て思わず感嘆した。猜審爐諒源が書かれていた。お店にいって全ての塩を見てみたが100g単位の小袋に入れられた高級ラインの塩以外は大方精製塩だった。わたしが買い続けていたものだけが自然塩だったのだ。自然塩というのは精製塩より格段に美味しいものなのだろうか。犲然爐任△襪らこそ、犲然爐らやってきたお米や野菜とよく馴染んで料理を引き立てるのかもしれない。


2017年01月13日(金) エスプレッソの出涸らし

食器洗いは基本的には水でしているのだが、バターなどの動物性の脂肪が着いたものはお湯でないと落ちない。が、お湯はすぐに出てこない。バスルームには大きなバケツを置いて、お湯がでるまでの冷水を貯めておいて洗濯に使っているが、キッチンでたった一枚の動物性脂肪の着いたお皿を洗うためにお湯を出すのは億劫だ。ふとキッチンの隅で消臭剤の役割を果たしているエスプレッソの出涸らしが目についた。もしや?とスプーン一杯ほどをお皿に乗せて指で馴染ませてみた。お皿がぴかぴかになった。三角コーナーに出涸らしを捨てて、水で流しておしまい。エスプレッソ1杯ほんの数口のために大量に排出される出涸らし。消臭剤としてもかなり優秀なのだが、新たなリサイクル方法が発見できてよかった。

たまたま「下剋上受験」というテレビドラマを見た。初回だったのでストーリーがちゃんと解り、最後まで観てしまった。実話を書かれた本をテレビドラマ化したもので話題になっているらしい。中卒が故に社会にでて苦労しているお父さんと良い大学を目指して中学受験する娘の話だ。コメディタッチで笑いながら観られるのだが、テーマはなかなか重くて考えさせられる。社会での成功や幸福度とは別に学歴が高いほど社会にでてから経済的に裕福になれる率が高いというのは本当だと思う。日本で言えば大学に行くのは高くつくから、就職してから給料を高くもらって出費した学費分取り戻せなければ割に合わないが、それを差し引いても牴饉勸爐箸覆譴舒貔己に換算すると学歴だけで大きな差がつくところが大きいだろう。しかし、それは老後の楽のために十代の楽しい時期をひたすら机に向かうということでもある。勉強が大好きという子供でない限り、それは犠牲的な時間となってしまう。大学に入学したら遊んでばかりいるようになってしまったというのは犠牲を払った人々だろう。本当に好きなことがあって、それを勉強したくて頑張って大学に入ったならば、そこではもっと勉学に励めるはずなのだから。わたしは情緒深い人間を学歴というものさしだけで測るような牾慘鮗匆餃爐箸いΔ里蝋イではないな。ある人は机に向かって勉強するのが好き、ある人は体を動かして感覚で物事を覚えるのが好き。みんな好きなことが違うのに、机に向かって勉強しない人が将来お金に困ってしまう社会の構造はおかしい。そしてドラマの中でお父さんが言っていたように、犲磴いΔ舛冒瓦討決まってしまって、人生は気付いて途中から方向転換なんてできない爐箸いΔ里呂△泙蠅砲眸瓩靴ぁ狄誉犬呂い弔らでもやり直せる爐箸いΔ韻譴鼻∧向転換するには相当な精神力が必要となるのが実情だ。しかし社会が牾慘鮗匆餃爐任覆なってみんなが勉強を辞めてしまえば、それはまた困ったことになるのだろけど。

里芋をいただいたので、葱と胡桃の味噌合えというのを作ってみた。しょうがが良いアクセントになっている。これ、今まで試した里芋レシピでいちばん好きだ。


2017年01月08日(日) 暴風雨の夜の熱々ディナー

お正月にいただいた食べ物が家にどっさりある。何はなくとも、食べる物が狢りている爐箸い状態で新年を迎えられたことに感謝だ。しかもいただいたものは各家庭の手作りばかり。手をかけて育てられた野菜、突いた餅、庭の果物など。これは嬉しい。いただきものっていただかない限り自分ではなかなか買わないものだったりして、食べ方を調べながら美味しくいただいている。

今日は母の友人が栽培したほうれんそうをいただいた。彼女は庭で家庭菜園程度にはじめたのだが、研究熱心なのだろうな、無農薬だし、何を作ってもとにかくうまい。見た目も味も絶品なのだ。今では、野菜の直売所なんかに持っていくようになり、お小遣いまで稼ぎ出すようになったくらいだ。

こぐれひでこさんの「フランス的野菜の食べ方」という本にあった爐曚Δ譴鵑修ζりチーズボール爐箸いΔ里鮑遒辰討澆襪海箸砲靴拭フランス料理の本に載ってるようなものは食べられないものが多いのだが、この本はひとまず食べられるものばかりだ。ただしバター、卵、チーズなんかをやたらたっぷりと使うので、月に1度くらい食べればいいかというかなりのこってり系だ。この本のレシピに挑戦する時はワインを買って挑む。さて、足りない材料のカッテージチーズを買いにいったのだが、なんだか高い。高いので牛乳から作ることにした。牛乳を火にかけて60℃まで熱して、牛乳の10パーセントの量の酢を入れて軽く混ぜる。分離したところをガーゼで絞りとって採れたチーズの量の1パーセントの塩を加えるだけ。バターでソテーしたほうれんそうとカッテージチーズに小麦粉や卵なんかを入れて団子状にして茹でてから更にチーズやバターを乗っけて焼く。バターもチーズもレシピの30パーセントくらい少な目にしたが、それでも野菜人間にはちと激しいレシピだ。卵を買い忘れたこともあり、つなぎが小麦粉だけとなったので、茹でるのは省略してそのままオーブンに入れてしまった。焼くこと10分。ジュワジュワ〜っと沸き立つ熱々ディナーの出来上がり。パンに塗りながらいただいた。赤ワインでちょうどおなかが良い具合に落ち着く。食後にエスプレッソとおはぎを食べた。朝、サラダを食べて以来のおなかぺこぺこで挑んだディナーはなにはともあれ最高に美味かった。外は暴風雨。こんな日は家で美味しいものを拵えて映画を観ながら過ごすのがいいね。


2017年01月07日(土) 遅刻のシュトレン

クリスマスが過ぎ、正月が明け、やっとシュトレン(stollen)が完成した。思い立ったのがクリスマス3週間前でレシピを見ると、ドライ・フルーツを酒に1か月浸けておくと書かれている。短縮してやることもできるのだろうけど、こういう類のものはじっくり時間をかければかけるほどまろやかに熟成されていく気がするから、ここはしっかりとレシピに従うことにした。酒は高かったのに普通に飲むには口に合わない洋梨のコニャックを使用。

シュトレンはあれこれと材料を揃えるのが大変、ドライ・フルーツを酒に浸ける時間がかかる、それ以外は作る工程で特に難しいことなし。日頃からパンを焼く人ならちゃちゃっと出来てしまう。1か月待って出来上がったのに、今度はまた1週間くらい寝かせたほうが美味しいと書かれている。確かにケーキなんかは焼きたてより数日寝かせたほうが味が落ち着いて美味しいものね。と、また待つ。そしてやっとやっと口に入ったのだった。コニャックが効いてて一切れ食べると体がぽかぽかと暖かくなる。お味は、こんなに贅沢にフルーツやナッツが入っているのだもの、美味しくないわけがないわ。


2017年01月05日(木) バベットのいない晩餐会

パスポートの更新へ行ってきた。混むときなんかは数時間待たされるという話も聞いたことがあるので、2冊本を持って挑んだが、朝の受付開始時刻と同時に行ったのがよかったのだろう、15分で終わってしまった。しかし、噂には聞いていたが、写真については本当に厳しい。取り直しさせられている人が何人もいる。パスポートセンターの前には写真屋があり、おばちゃん達が店の前に立って声を張り上げて営業している。

「はい、は〜い、パスポートの写真撮れますよ」

価格1500円だって。酷い話だ。今時、証明写真はコンビニで200円でプリントできるのに。ところが、わたしも危うく写真を撮り直しさせられそうになった。ちょっと髪が枠からはみ出てるとか、写真が微妙に小さいなどと言って、頭上のスペースを定規で測ったりしてる。いつからそんなに厳しくなったの?

撮り直しなんてあり得ない。だってちゃんと規定(頭上の余白サイズ、顔の微妙な影も不可、髪のボリューム、顔に髪がかかっているのも不可などとにかく厳しい)を読んで髪を綺麗に整えて自分で写真撮影して、コンビニまで走っていってプリントアウトしてきたのだ。

「この写真でお願いします。今朝1時間もかけて作ったんです。それでこの強風の中歩いてきて髪がこんなに乱れたところで撮り直しなんてあんまりです!」

と訴えた。受付の優しい女性は、

「1時間もかかったのですね」

と笑いながら、受理してくれた。あぁ、よかった。


夕飯は鱈マヨグラタン。ソテーした鱈、ガーリックと玉ねぎ、ミルクで溶いたマヨと重ねて、周りにマッシュポテトを絞って焼くだけ。これは最近買ったポルトガル料理の本にあったレシピだ。高カロリーなものをあれこれ使うわりに意外にあっさりしている。ポルトガル料理はバカリャウという干し鱈をよく使うのだが、これ彼らにとっては精進料理のつもりなのだそうだ。昔、敬虔なローマ・カトリック教徒達がキリストの肉食を控える精進の日(年に90日もある)に鱈を食べたとか。そういえば爛丱戰奪箸糧媚漸餃爐箸いΕ離襯ΕА識撚茲任盞負覆淵廛蹈謄好織鵐箸了佶紊呂い弔盍海恵を水で戻して夕飯を作っていた。干し鱈は宗派とは関係なく、広域でキリスト教的精進料理として食されていたのかもしれないね。





2017年01月02日(月) 月と星の宴

いつもよりちょっと夜更かししていたら、むしょうにドーナツが食べたくなって買いに出た。ロウカーボなんかが流行して(というかこれは流行では終わらないかもしれないね。だって、現代人の日常の運動量ではどう考えてもロウカーボダイエットしてるくらいがちょうどいいのだから)アメリカでもドーナツ・ショップはぱたぱたと倒れてしまっているらしい。太ったアメリカ人ががドーナツをダース買いしてオフィスや自宅で食べる映画のシーンなんかは20世紀の風景となってしまったのだね。あぁいう脂肪の多い暮らしはしたくない、と思いつつもそういう風景はどこか無垢で憎めなくて好きだったんだけど。ドーナツ好きとしては年に数回むしょうに欲する時のために存続していてほしいものだ。

外にでて夜空を見上げると月と星が宴をはるかのように仲良く並んでいた。今年の目標は、と聞かれて咄嗟に答えられなかったけど、これを見て思った。心静かに暮らしたい。それだけかな。映画"Il Postino" のマリオみたいに、波の音、風の音、草の音がちゃんと聞こえてくる暮らしがいい。聞く心を持った人にしか聞こえない音。ぼんやりしていると、そんな音はすぐに無益な雑音にかき消されてしまいそうだけど、見慣れ過ぎた退屈な場所にも美しさを見いだせる心を持って暮らしたい。


2017年01月01日(日) Bigなビックリ

陽射しの暖かい良い元日。恒例のぜんざいを煮て食べた。昨夜はじめて知った妹の妊娠。もう5か月だって。あぁ、びっくりした。色々事情があって父親となる人とのことはこれからどうなるのかわからないが、家族も親戚もみんな来年新しいメンバーが増えることはウェルカムだ。来年はお年玉をしっかり用意しておかなくちゃ。

カナダとフランスで留学生が殺害されてしまった事件。こうなるとすぐにその国の治安が、とか、日本人は無防備だとかそんなことを言い出す人達がいるけど、それは違うと思う。日本だってこんな事件は起きているし、人は全てに疑いを持って常に気を張って生きていくことはできないのだ。余裕な顔で見下すように勝手なことを書き立てている人だって今まで起きなかっただけで、これからのことはわからない。有為多望なふたりの若者が失われて、残された家族の傷口に塩を塗るような誹謗中傷の言葉を見ると、とても居たたまれない。自業自得なんかではない。自分は絶対にこんな事件に巻き込まれないと息巻く人がいたら、その人は誰とも関わらず自分に固く鍵をかけて生きている人なのだろう。


Michelina |MAIL