My life as a cat
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2016年09月25日(日) イタリアかぶれ

イタリアでほんもののミルク味のするティラミスを知ってしまったのことは幸運なのかはたまた不幸なのか。東京のそこそこのレストランやカフェのものにもがっかりしてしまう。がっかりするのは味ばかりではない。エスプレッソとティラミスのでてくるタイミングだ。イタリアではどこの店でも一緒に出すかどうかと聞いてくれた。コーヒーに甘いお菓子が必要で、甘いお菓子にコーヒーが必要であるわたしは、同時にでてこないと許せない。東京では一度もタイミングを聞かれたことはない。デザートだけが先に来てしまうのはまだよくあることだが、先日コーヒーだけが先に来て、待てど暮らせどデザートがこない。コーヒーがすっかり冷めた頃、大きな皿にちょこんと乗った小さなティラミス、そしてその周りに小さく切った色とりどりのフルーツがきれいに飾られたものが運ばれてきた。凝ったお飾りを付けてくれるよりコーヒーと同時にサーブしてくれるほうがよほどありがたいのにな。行くまでは良いイメージをもっていなかったイタリアとかイタリア人を一瞬にして信頼するようになったのはこの自分のこだわりのツボをギュッと掴まれたせいだろう。だいたいそこにこだわる人が多いから聞くのだろうな。過剰包装とか過剰装飾は余力がある時のおまけでいい。わたしにとっては美味しいものを美味しく食べられるということが最優先なのだが。

日曜日、久々に太陽が顔を出した。雨続きだし、腰痛でよたっていたこともあって、たまりにたまった家事を一掃した。根腐れするのではないかと心配だった農園の野菜達はたくましく生き延びていた。

夕飯は肉なし回鍋肉。このところキャベツがすごく安いが、味が薄い。春キャベツは甘いのに、秋キャベツは同じようにはできないのだな。持て余していたのを全部刻んで適当に作った肉なし回鍋肉がとても美味くできた。刻んだにんにく、しょうがをいためて、豆板醤を投入。少し炒めたら油揚げと野菜投入。キャベツとピーマンを入れた。酒をふりかけて、水を少々。蓋をしてしばらく蒸す。しょうゆに味噌、みりん、酒かすを入れて混ぜたら出来上がり。冷蔵庫にあったものだけで適当に作ったものが美味しいと嬉しいものだ。


2016年09月20日(火) 父の茹で卵

ひねってしまったのか、腰痛で動作が鈍く、夕飯の支度も億劫になっていたところに、母がひょっこり茹で卵を持って現れた。理由は知らないが、父が茹で卵に凝って沢山作るらしかった。父はたまに気が向くと犲分のために猯鼠したりして、分けてくれたが、記憶の中には何ひとつ美味しいものがなかった。むしろ食べられないくらいまずかった。母は料理など嫌いだったが、それでも人目や世間体に気を配ったり、一般常識を疑わない性格で、猯鼠の基本爐砲眞藜造世辰燭ら凝ったものはなくてもそこそこの美味しいものを出してくれた。ところが母とは全く性格が違う世捨て人のような父の料理は全てが自己流だった。基礎がある上での自己流、Naked Chef"のようなわけにはいかず、何もないところの自己流で舌が受けつけない不味いものばかり生み出した。それでも当人は自分が作っただけに愛着を持って嬉しそうに食べていた。ひとくち食べてあからさまにもう二度と箸をつけないわたしの横で、狡賢い妹が大して食べてないくせに、おいしい、おいしい、と心にもないことを言って父を喜ばせているのが少し腹立たしかった。DIYなども全て料理と同じだった。完全自己流、機能しないものばかり生み出した。

そんな家族の風景が蘇る久々の父の料理だが、さすがに茹で卵となるとまずくなりようもなかった。冷蔵庫に残っていたポテトサラダとトーストに乗っけてみた。キャベツとコーンの冷製スープもつけて、まずまずの夕飯にありつけたのだった。暴れん坊のわたしが腰痛で思ったように身動きがとれず、精神的に弱っていたせいもあるが、この年になってはじめて父の料理とも言えない創作物にしみじみ感謝した。


2016年09月16日(金) The Water Diviner

男に生まれてたらこんなふうに生きたい。ラッセル・クロウの演じる役柄にはそんな風に思わせられるものが多い。中でも"American Gangster"のリッチーが好きだ。手荒くて野性的、絶対の正義でもないが、決して悪徳ではないコップ。缶詰めだのチップスだのろくなものを食べてないけど、これだけ仕事に打ち込んでいたらおなかもすくね。何を食べても最高にうまいに違いない。

そんな憧れのラッセル初監督で主演もしてる映画The Water Diviner爐魎嫋沺どこまでも巨大な空、自分で掘り当てた地下水でコーンを作り、馬で大地を駆け抜ける男。良い絵だ。わたしが愛したオーストラリアそのものだ。やっぱりラッセル好き!とときめきながら観ていたのだが、それもほんの数十分で終わる。戦地で死んだはずの息子の遺体を探してイスタンブールに渡って、宿の美しい女主人の登場で、すっかり萎える。もうこのふたりが恋に落ちる以外ないじゃないか。どうして、オーストラリア人だのアメリカ人だの(ラッセル・クロウはキーウィー)はこういう世にも単純明快なのが好きなのか。わたしは単純な人間性の人が好きだが、映画にはそれを求めていないのだよ。後半はただの少年の描いた狠砲離侫.鵐織掘辞爐澆燭い覆海箸砲覆辰討い拭戦争で夫を失ったばかりのイスラム教徒の女が簡単に宿に泊まってる白人の男に恋するか?仮に恋したとしてもコーヒー占いだかなんだかと言葉巧みにアプローチするか?ガンを持った敵が迫ってきているというのにあの落ち着いた逃げ方はなんなんだ?と、つっこみどころ満載だ。出だしがよかっただけに、ひとめぼれした人への気持ちががたがたと崩れていくような侘しい感覚だけが残った。がっかりだよ、ラッセルさん。監督として期待を裏切らないハリウッド・スターはイーストウッドだけかね。


2016年09月11日(日) Brikka!

コーヒー味ならインスタントだってハッピーなのだが、イタリアでホンモノのコーヒーを味わって以来、もう少し家で飲むコーヒーにこだわってみたくなった。エスプレッソはクレマができれば美味しいわけではない、とツゥの人が説いていたのだが、やっぱりクレマがあると見栄えもいいし、美味しい気がするのだ。あれはちょっと良いエスプレッソ・メーカーでなければできないのだろうか。ここ10年くらいビアレッティ(Bialetti)のモカ・エキスプレス(Moka Express)を使ってきたのだが、これではプレッシャーが弱いのでクレマはできない(それでも紙のフィルターなどでやるドリップコーヒーよりはよほど濃いものができるが)。どうせ買うならもうこの際全自動のもののほうがいいのか。そうなると予算は5万円から10万円くらいだ。慎重にあれこれサーチして辿り着いたエスプレッソ・メーカーはこれ。

"Bialetti Brikka"

全自動で探してたのに、結局、全手動。ビアレッティにも愛着あるしね。しかし、現状のと違うのはこれ、吹き出し口にプレッシャーヴァルヴが付いているのだ。だからもっとプレッシャーが強くかかって、それでクレマのあるコーヒーが作れるとのこと。小さいので置き場にも困らないし、なんといっても機械じゃないから故障はなくて、便利さと一緒に余計なストレスを買わずに済む。数年に1度パッキンやフィルターを交換すればいいだけだ。価格も2カップ分は6千円程。これに決めた。

そして早速エスプレッソを淹れてみる。できた、できた、あのイタリアでステイした町のバルのおじさんが、朝にカウンターで出してくれたみたいなコーヒー。業務用のエスプレッソ・メーカーからコーヒー豆をグラインドするのとプレスするのとですごい轟音がして、数秒後にカウンターに置かれるやつ。意外にもこのブリッカちゃんは静かだけど、見た目も味も店のコーヒーにひけをとらない。

とあるイタリア人が、

「ドイツが戦争に負けたのは戦車にイタリア製のボールベアリングを使用したからだ」

というのを聞いてあながち冗談とは思えないほどイタリア製をあまり信頼できていないのだが、コーヒーとなると話は別だ。美味しいものが淹れられないエスプレッソ・メーカーなどイタリア人が受け入れるわけがない、と思っているのだが。良い物に出会ったな。ブリッカちゃんはとても優秀だ。


2016年09月08日(木) The life and times of the legendary VENICE landmark

アリーゴ・チプリアーニ著「ハリーズ・バー 〜世界でいちばん愛されている伝統的なバーの物語」を読んだ。

原書は英語で、イラストレーターで無類のバー好きの故安西水丸さんが翻訳を手掛けたものだ。20歳そこそこのわたしが2200円で価格に比例するように重いハードカヴァーの新書を購入したということは覚えているが、本の内容といえば何一つ覚えていない。数年前からコツコツと書棚を整理して本を売りはじめたが、この本は売れなかった(データベースに登録もなかったのだ。それくらいマイナーで日本語版は売れた様子がない)。捨ててしまうのも惜しく、また書棚にひっそり眠ることとなった。

それがイタリアを旅行してから、その魅力(ほぼ食べ物のことだが)に憑りつかれて、再度ページをめくりはじめたのだった。

著者はヴェニスの伝統的なバーの2代目オーナーだ。数ページ読んで、すでにユーモアのセンスに魅了される。同時にどうして20年前のわたしの記憶に何も刻まなかったのかわかった。このユーモアを理解するには世間知らず過ぎたのだ。理解できないまま読み進めて本を閉じ、そのまま書棚に眠らせておいた。

バーに現れる珍客、ふりかかる難問、料理についての哲学などが語られている。バーの暖簾分けや経営権などのことについては海を跨いでまで揺れ動いたりするものの、ヴェニスにあるそのバーの中はいつも同じ景色がある。真新しいことはやらないかわりに忠実に猯匹き爐隼廚錣譴訌悩爐鮖箸辰匿新にカクテルや料理を拵える。そんな日常風景の中で今では誰もが知る爛ルパッチョ燹△修靴6月から9月の間だけ売られる生の白桃のピュレをプロセッコで割った爛戰蝓璽豊爐生み出された。

1970年代に出現した一種のヌーヴェル・キュイジーヌに対して、こんな愉快な批判を書いている。

1970年代は、スノビズムが最高潮に達した10年だったと記憶している。たまたま料理界では、伝統的なイタリア料理とフランス料理からの脱却が試みられはじめたのと同じ時期だった。マクロビオティックス(*東洋思想に基づいた自然食による健康法)が流行していて、大さじ山盛り2杯か3杯の不気味なフスマ(*小麦の殻で家畜の飼料)を飲み下さなければ、腸が十分に機能しないと言われていた。このフスマというのは、実に抜け目ない農夫が、納屋の床からかき集めてきたもので、ビニールの小袋に詰められ、便秘薬として販売されていた。フスマ教を信じ込まされた被害者たちは、あきらめ、ほとんど悟りきった笑顔を浮かべてすわり、彼らの心棒するいわゆる健康食品のおかげで、ほとんど立ち上がるだけの元気もなかった。その料理というのはふつう、マコモの実2粒と醤油味のソバ一盛だった。

予想どおり、まもなく美食界の暴君、すなわち料理評論家が魂を売って、挑発的な見出しを掲げ、この「ヌーヴェル・キュイジーヌ」に承認の印を押した。そしてすぐに、どこのレストランも右へならえをした。やがて、おしゃれなレストランでの食事というと、次のような料理を意味するようになった。

プルーン・ソースのかかったサヤエンドウ2枚と、ごく薄く切ったハンガリーのガチョウの肝臓。そしてモージュの高級な別皿にうやうやしくのせられた、ホウレンソウの生の葉っぱが2枚・・・・。

「素晴らしい!」

スノッブは叫ぶ。しかしサヤエンドウとホウレンソウを食べていれば、一週間に37回もセックス可能なスタミナがつくと喧伝する、当時の健康教のカリスマ、チャン・ツィ師の教えのとは裏腹に、その夜かれらはベッドに倒れ込み、昏々と眠りにつくのだ。チャン・ツィ師はその後間もなく、通りを横断中に疲労で倒れ、気絶したところを車にはねられて死んでしまった。

1970年代の流行を目にした私は、結局のところ、地球上で人間ほどだまされやすい生き物はいないと悟るに至った。原始時代から雑食性だった人間は、たとえば肉と魚は食べた直後に死をもたらす恐ろしい毒だと言われれば、簡単にそう信じ込んでしまう。しかしライオンに、ヌーの肉は消化に悪いと言って、蜂蜜とヨーグルトだけ食べさせるのは、至難の技だろう。


人間ほど変わり身の早い生き物はないものだ。よく言えば無限の可能性を持っているということでもあるけどね。青汁、玄米、雑穀、チアシード、バターコーヒー、ココナッツオイル。。。最近なら酵素か。。。とこれさえ食べてれば健康になれるというような喧伝には懐疑的だ。いちいち踊らされる人々に精神の平安はあるのだろうか、とそのほうが気がかりだ。

このバーが根強い人気を保ち続けて、狹租的なバー爐箸覆蠧世燭里話者と創設者である父上の冷静でぶれない、悪く言えば頑固な性格によるものだろう。わたしの叔父も寿司屋を経営しているが、開業して40年以上一切メニューを変更していない。犹代遅れ爐鳩鼠討気譴詁はこないであろう犲司爐箸いΕ船腑ぅ垢鬚靴燭修離札鵐垢そもそもよかったのだろう。ずっと安泰だったわけではない。閑古鳥のなくような時期もあり、食中毒などが世間を騒がせたりするとたちまち生ものは敬遠される。そんな時も新しいことはせずただじっと季節の移ろいを見守るかのように淡々と店を守っていた。だから常連客達は新しいものに一度は挑戦して冒険し、疲れるとまた叔父の店に帰ってくる。このバーはヴェニスの運河のすぐ近くに位置するのだから文字通り犁△觜銑爐里茲Δ並減澆覆里もしれない。

生真面目な著者がのらりくらりのイタリア人の同胞の改装業者の職人たちを観察し、半ば呆れながらその仕事ぶりを描写しているパートはおもしろかった。当人たちは決して怠けようという気はないらしいが、ひたすら空気がぬるいのだった。

巻末には気前よくバーで出している定番のレシピが付いている。もちろんベリーニとカルパッチョも。白桃の季節もそろそろ終わってしまう。急いで買いに走った。プロセッコはスパークリングワインで代用だ。自分で作ったベリーニは・・・。
あぁ、忘れてた。そもそもスパークリングワインがあまり好きではないのだよね。大好物の白桃を入れても劇的においしいものに変わるわけではなかった。いつかヴェニスでホンモノを飲んでみたい。食べ物の味なんてその場所の空気や湿度や風だけですっかり変わるものだものね。その時は自家製マヨネーズを使ったエビのサンドイッチとクリーム・クレープも付けてね。


2016年09月03日(土) 壊れたコーヒーカップ

早朝、女の怒鳴り声で目が覚めた。声の主は下の階に住む中国人の奥さん。口の悪い男から日本語を教わったのだろう、その辺のチンピラのような言葉使いだ。旦那と中学生の息子は至ってまともな言葉使いなのだが、彼らは日本人で、状況によって使い分けが出来るだけなのかもしれない。怒鳴り声とドスンドスンという音は一向にやまない。1時間くらい経ったころ、さすがに気になってガウンを羽織ってドアの外に出て下を覗いてみた。ちょうど旦那が逃げるように車で出ていくところだった。その背中に奥さんが怒鳴り続けていた。

「アタシの何がいけないって言うんだよ!言ってみろ!バカヤロー!!!」

一旦は静かになったが、しばらくすると大きな声をあげて泣き啜りながら中国語で誰かと話すのが聞こえてきた。スカイプでもしているのだろう。こんな時に泣きつける家族はみんな中国だし、見たところ日本に友達もいない。主婦である彼女は朝は早くから洗濯をしているし、わたしが会社から帰る時間はせっせとゴマ油の良い香りを漂わせて中華料理の夕飯を作っているのだ。わたしも含めてこのあたりの人々は窓は四六時中開け放っていてお互いの生活はつつ抜けだ。それは周囲の様子がわかって非常に安心感に繋がっているのだが。言葉使いこそ乱暴だが、彼女はせっせとよく働く愛情深いお母さんなのだろうというのはまっすぐよく育った息子を見ればすぐにわかる。朝から中国語の音楽を大音量でかけて起こされたりすることは多々あるが、鼻歌が好きな陽気な人で、どこかにくめなかった。

わたしが入居してすぐの頃は彼らの喧嘩する声をよく聞いた。そのたびにクロエちゃんが飛び上がって窓から身を乗り出して、彼らの家の様子をうかがっていた。それでもその頃はふたりでゲラゲラを笑う声もよく聞いた。それが次第に彼らの声は聞こえなくなり、代わりに奥さんがスカイプで中国語で話す声だけが響くようになった。そして半年くらい前から家の外で旦那さんが小声で電話で話しているのをよく見かけるようになった。家族に聞かれたくない会話なのかもしれない。一見静かに落ち着いたように見えた家庭には実は何か黒いものが蠢いていたのだろうか。

昨夜、外でぼんやり煙草をふかす旦那さんを見た。煙草を手にしているのを見るのは初めてだったせいか、何か悪い予感がした。

どちらが悪いなんてないのかもしれないが、泣き喚いている奥さんが心配になった。こういうのって詰ったほうが詰られたほうよりよほど大きな傷を負ってしまうものだ。

夜になって旦那さんが車で帰宅した。しかし、いつもの中華料理の夕飯の匂いは漂わず、家は真っ暗で静まり返っている。


久々にパンを焼いた。ローズマリーのフォカッチャ。暑すぎたせいだろう、過発酵となってやや失敗だった。暑すぎるとイーストが糖を食べつくしてしまうので味の無いパンになるそうだ。まさにそれだ。イワシのフライとマヨネーズを挟んで食べた。残ったパンは乾燥させてクルトンにしてスープに溶かしてしまうことにしよう。

クレオパトラもよく食べたというモロヘイヤ。スープにして毎日のように飲んでいる。バターでにんにくを炒めて、スープストックと刻んだモロヘイヤを入れるだけ。火を使う時間も短いし、夏はするっと体に入るのでうってつけ。若き日は美貌と知性を武器に男達を巧みに操ったクレオパトラ。だがその魅力も年を取るにつれて後退した。男達はもう彼女には操れなかった。とうとう39歳で毒蛇に自分の体を噛ませて自殺した。呑気に40歳になったわたしは、猗肌効果!爐覆匹噺世い覆らせっせとモロヘイヤを食べている。

夜にふらりと母が愛犬を連れてやってきた。彼は典型的な小型犬で落ち着きがない。クロエちゃんは爐舛腓辰閥貅蠅覆笋牒爐らいな冷ややかな視線を送るのみだが、相手は遊びたくて仕方がない。無理やり擦り寄っていって煙たがられている。ちょっと目を離した隙に隣の部屋でガッチャーンという音がした。わたしのお気に入りのポルトガル製のマグカップが割れていた。高いものではないが、もう手に入らないものだ。やれやれ。


Michelina |MAIL