My life as a cat
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2016年05月28日(土) C'est bon le Week-end

先日、同僚から庭で採れたレモンを大量に頂いた。この辺りは温暖で、地中海のような食材が普通に庭で採れるらしい。オリーブの塩漬けなんかも頂いたことがあるが、これは輸入されてくるのとは一味違って、肥えた土で作ったような甘さとまろやかさがあって、それはそれは美味しかった。食べ終わった後の種を発芽させて農園の脇に埋めておいたアヴォカドも、冬にはもはやご臨終かと思われたが、春になったらニョキニョキと新芽がでてきた。

いくつかレモンのお菓子を作って残りは塩レモンを仕込んだ。ウィークエンドを焼いたところで母がふらりとやってきて、味見に数切れ持たせたら大絶賛で、もっと!とリクエストがあった。おいしいはずだよ。キャトルキャールの分量で、バターと小麦粉、砂糖、卵をほぼ同量、ベーキングパウダーに頼らず新鮮な卵に空気を含ませてそれで膨らます(新鮮な卵でなければ膨らまないか焼いた後縮む)。レモンの皮とレモン汁、アイシングにもレモン汁を入れて、砕いたピスタチオと薄切りレモンの皮をあしらう。膨らまないなどの失敗はあれど不味くなる要素なし。

母用に一本焼いた。焼き終わってパウンド型を洗いながらふと思った。このパウンド型、15歳の時に母が買ってくれたものだったな、と。初めて焼いたのは堀井和子さんのレシピのアメリカの田舎風キャロットケーキだった。これは今でも定番だ。それから25年、一緒に海すら渡ってきたのだから愛着沸くね。これから″週末に大切な人と食べる″ケーキを持って家族に会いにいく。


2016年05月26日(木) Clafoutis aux fraises

「映画は30分観てつまらなければ、そこでやめる」

とある自己啓発本に書かれていた。続きを見続けるのは時間の無駄だと。水を飲むように毎日映画を観ているわたしとしては、非常にひっかかる言葉でしばらく考えていた。30分で見切りをつけてしまうのはもったいないような気がして、耐えられないほどでなければ最後までなんとか観ることが多い。でもそうやって観た映画が記憶に残っているかといえば、全く覚えていない。大抵の映画は90分で構成されている。その1/3が面白くなければ、残りがどうであれ映画としての価値が低いのではないか。

限られた人生の時間といえども、ぎゅうぎゅうにタイムマネージメントをして暮らすのは味気ない。無駄な時間にもなんらかの価値がある。といえども、むむむ・・と思いながら観ているなら、好きな映画をもう一度観たほうがいい。一生分に換算すればつまらない映画を観続ける時間も膨大なものになる。″映画は最初の30分で見切りをつける″、という小さいような大きいような決め事をした。

苺は終わりに近づくとどんどん粒が小さくなってくる。小さなのが沢山摘めた。本日の苺はクラフティになった。シンプルにカスタードだけにしてみたけど、やっぱり土台のタルトがあるほうが好きだな。


2016年05月22日(日) 細菌と共生する

とある食事の席で、日本人の女の子がフランス人の男の子に言った。

「テレビで観たけど、フランス人ってトイレに入って手を洗わないんでしょ。きたな〜い」

彼女の言葉の節々に、フランス人を見下しているのが感じられ、暗に日本の文化レヴェルのほうが上だと言いたいようで、同じ日本人として居心地が悪く、わたしはひたすら黙って食べていた。男の子のほうは彼女にまったく興味がないといった様子で、そっけなく受け流した。

「えっ、そうなの?知らな〜い」

トイレに入ったら手を洗いましょう、食事の前は手を洗いましょう、と子供の頃学校で教えられた。しかし、日本の都市部の大抵のトイレは朝から晩まで清掃業者がきれいに磨き上げている。そこまで神経質に手を洗う必要があるのだろうか。朝ごはんは食べましょうとか、バランスよく何でも食べましょうとか、カルシウム摂取のために毎日牛乳を飲みましょうとか、それと同じくらい見直してもいい、一般大衆向けのいい加減な教育だと思う。もっとも免疫の弱い子供はちゃんと守るべきなのかもしれないが、大人は自分の判断をしたらいい。除菌、除菌、と神経を尖らせてる人ほどすぐに風邪をひく。すぐに風邪をひくからまた除菌、除菌と神経をとがらせるのか。細菌だらけの世界で体から常に免疫を剥がして無菌でいようとするから体が頑張って熱を出してしまうのではないか、と勝手にわたしは想像しているのだが。風呂に入るのも下着を替えるのも週に一度という上司がいた。無精なのではなく信念をもってそうしているのだ。彼の自慢は″その割に臭わない″ということだった。確かに無臭ではなかったが耐えがたい嫌な臭いではなかった。ある日彼の更に上の上司が言った。

「明日監査だからね。ちゃんとお風呂入ってきて」

仕方なく、臨時風呂に入った彼はまんまと風邪をひいた。免疫が剥がれて体が弱ったせいらしい。

パリ在住のイギリス人作家、ステファン・クラークの著書″Talk to the Snail"にこんなことが書かれている。

― フランス人は石器時代からの食文化を守り続けている。チーズはカビが生えてから売られ、卵はまともに火を通さず食べられる。彼らはおなかの中にバクテリアが生息することをよしとする。

パリの街角でよく見る風景。雑踏の中を裸のバゲットがトロリーでレストランへ運ばれていく。キッチンで、お金を扱ったウェイターがその手でバゲットをカットし、バスケットに乗せてテーブルまで運ばれる。残ったバゲットをかき集め、別のバスケットを満たして、また別のテーブルに運ばれる。

ある日、イギリスの同胞が呼吸困難になり救急車で運ばれた。救急隊が彼女にどうしたのかと聞く。息も絶え絶え彼女が答えた。

「アレルギーのピーナッツを誤って食べてしまった」

それを聞いた救急隊員が一斉に笑い出した。それは″My ketchup was radioactive"と言うのと同じくらい彼らには滑稽に聞こえたのだろう。バクテリアと共生している彼らにはアレルギーというものが存在しない・・・・・

(※以上わたしがかなりいい加減に訳したもの)

この本は半分くらいジョークではあるものの、全く事実に基づいていないわけではない。もっともフランス人の知人は、蚊に刺されて憤慨し、皮膚が腫れたと病院へ行き、″蚊アレルギー″という病名をもらい薬をもらって帰ってきた。

食事が終盤に差し掛かった頃、先に会計をすることになった。先程の女の子が素手で財布からお金を出し、その手を洗わずにまた皿に残ったパンを千切って口に運んでいる。トイレが細菌だらけだというならお金も同じだと思うのだが。どうして学校ではお金は汚いものです、触ったら必ず手を洗いましょう、とは教えなかったのだろうか。

人間の体内はもともと細菌だらけ。血眼になって細菌と戦うより大らかに共生するほうが余程精神衛生上でも健全な気がするのだが。


2016年05月18日(水) ロブションのヒット

ロブションのパンのセンスには毎度唸らされる。バターとミルクとダークの薄い板チョコを挟んだバゲットはひとつのお気に入り。寒い時期限定のシロップ漬けのオレンジが乗ったパン・オ・ショコラ、林檎のクイニーアマン、ブルーチーズと胡桃ときのこのキッシュとか、どれもうっとりなのだが。知ってるフランス人はみんな″ロブションはコマーシャルに力を入れている″とだけ言い、パンのことに言及しない。東京では目を惹くけど、平均値の高いフランスに行けば霞んでしまうのだろうか。

北京出身の同僚に先日の上海旅行の話をした。彼女いわく、

「コーヒーのような外来品はどうしても高いんですよ。中国人はまだまだコーヒーを飲む文化が浸透してませんから。上海の表通りのカフェでコーヒー啜りながら英語話してる中国人は一部のスカしたヤツよ」

ということだ。やっぱりそうなんだね。疑っていたことがはっきりしてスッキリした。日本よりもずっと前から国際都市として発展した上海だが、その租界の外国人と中国人の間に築かれた壁はあまりにも高いものだったのだろう(お金は汚いものとして租界の外国人はやりとりはカードや小切手ようなものしか使用しなかったそうだ)。


2016年05月13日(金) 三匹の猫

不倫したとかしないとか、そういうのは当事者同士だけでやればいいのにな。どうして″世間″に謝罪しなければいけないのだろう。″夢を売る仕事だから″っていうけど、買うほうだって自分の好きで買ってるのだし、彼女は世間に対して何か″約束″したわけじゃないのでしょ?不倫の是非はわからないけど、人の気持ちなんてちょっと風が吹けば変わってしまうような移ろいやすいものだし、何に対してだって″好き″と感じたらその気持ちを大事に育てたくなるのはいたって自然なことだ。それを理性で抑えなければならないのが既婚者に課せられた使命とされている。でも、″結婚″を世間体とか保険くらいにしか捉えてない人は別として、相手をすごく好きになって結婚した人が不倫に走るとしたら、そもそももうその夫婦の関係自体が事実上破綻してるのでしょう。そこにやってきた第三者がそこまで悪いとは思わないな。

テレビをつけたらベッキーさんがぽろぽろ泣きながら、謝罪してた。

「相手の奥様を傷つけてしまいました」

と繰りかえしながら。でも自分だって同じくらい傷ついたのでしょう。すっかり気の毒になってしまった。

テレビを消してクロエちゃんが夢中で見入ってる窓の下を覗くと、二匹の猫が交尾していて、その最中別の猫がちょっかいをだしてWOOOOOAAAAAAAA!!!!と揉めていた。人間なんて、猫と大して変わらないちっぽけなものだと思ったら、全ては茶番のようで今度は可笑しくなってきた。


2016年05月12日(木) La luna rossa

ゴールデンウィークに従弟がピッツァを焼いている店を訪ねた。″赤い月″は半分カルツォーネで中にマッシュルームとクリームソースが入っていて、あとの半分はマルゲリータ。東京で″ナポリ本場″を名乗るピッツァは石窯で高温でさっと焼くせいか、トマトソースとモッツァレラチーズから水がでて生地をベチョっと濡らしていることが多々あって、それが嫌いだった。彼のはあらかじめちょっとトマトソースを煮詰めたのか、それがなくて最高に美味しかった。わたしの中では日本一(ただしそんなに食べ歩いてないから、その競争率は低し)。

学生時代はサッカー一筋、スポーツの推薦で入った大学を出て、一度会社員になったものの、やっぱり父親のように飲食業に就きたいと一年で退社。それからピッツァの道に入った。人生初の海外旅行はイタリアを縦断してサッカー観戦とピッツァを食べ歩く旅。一途なゆえに必ずその道で″成功″と呼んでよいくらいの成績をおさめる。こういうところ親ゆずりなのだろうな。

ゴールデンウィークの思い出は赤い月と半月、じゃなくって半ケツ(一緒にいた友人にしかわからないネタ)に尽きる。


2016年05月05日(木) 旅をする木

星野道夫さん著「旅をする木」を読んだ。アラスカの地で厳格で優美な自然、その中で営まれる生と死に直面して紡ぎ出された言葉のひとつひとつは、風に揺られてやってきてするりと体の中に吸収されるようだった。″身に染みる″ってこういう感覚なのだろうな。当たり前のことなのに文明の中に身を置いて安楽に生きていると霞がかってしまう。生きていることは当たり前ではなくて、むしろこの脆い生命がどくどくと音を立てて呼吸を続けていることは奇跡なのだ。自然に身をまかせ死を常に意識しながら暮らす人々は、また生かされていることも常に意識している。人はみんな幸せを追い求めて生きているのに、そもそも生かされているという幸せを忘れてしまう。

熊に襲撃されて亡くなるほんの数年前に書かれたひとつのエッセイの中に、″Animals of North"という本の第一章にある″旅をする木″という物語について書かれたものがあった。この本は著者の宝物だったという。イスカという浪費家の鳥が、啄みながら落としてしまうトウヒの種の物語だ。地面に落とされたトウヒの種は芽を出し、やがて一本の大木に成長する。長い年月をかけて川の浸食が森を削り、木は川岸に立つ。ある春の雪解けの洪水で川に流された木はユーコン川を旅して、ベーリング海に流される。北極海流はその大木を遠いツンドラ地帯の海岸へと運んだ。打ち上げられた大木は狐がマーキングするするランドマークとなった。狐を追うエスキモーがそこに罠を仕掛ける。最後、大木は薪ストーブの中で燃やされる。灰になって大気中に還ったトウヒの新たな旅が始まる。自身の死について、きっと死んでしまった当人こそがこの物語のように″新たな旅の始まり″と受け止めているに違いない。人も動物も植物も、生と死の間に境界線があっても、永遠に自然の循環の中で旅を続けることが出来るものなのだと思うと、自分がこの世に存在していることはどんなに尊いことか、と思う。


2016年05月03日(火) 恩師を訪ねる

よく晴れた午後、自転車に乗って昨年末にリタイアした恩師を訪ねた。住宅地にあるわたしの家からたった5劼發覆い箸いΔ里法景色はぐんぐんと新緑の色に変わっていく。360度見回しても畦道の脇に田んぼと畑と山と川と空しか見えなくなったところで待ち合わせ場所の″山の畑″に到着した。当人が自慢していた通り、畑の入口には木のテーブルとチェアがあり、その上にはパラソルが開いている。″A year in Provence"の世界である。コーヒーを淹れてもらい、近況を話した。毎日やることがあって何かと忙しくしてても、40年以上も働きつめた会社を辞めて″Lost"のような気持もしているようだ。それは当分しかたのないことだ。熊本には親戚がいて、ボランティアへ行こうかとも考えているが、それもそう簡単にはいかないなどとも話していた。確かにボランティアをするのも色々と規約があって、思いついてパッとヘルプ出来るようなものではない。体も脳もぴんぴんしていて、持て余したエネルギーをどう消費しようか模索中のようだった。彼がこんなに若くいられるのは、″野菜を育てて食べてること″に尽きるのではないかな。

苗や野菜をたんまりお土産にもらって家路に着いた。
(写真:夕飯は採れたてスナップエンドウとフレッシュトマトのファルファッレ。甘くておいしかった)


2016年05月02日(月) 鈴木知子さんに会いに行く

吹きガラス作家の鈴木知子さんが恵比寿の三越で展示会をするというので出かけた。会場では本人が出迎えてくれた。

「今日はこのために来たんです」

たまたま通りかかったわけではないことをアピールするととても喜んでくれた。手作りの作品は、全部大きさも絵柄も色も違う。グラスをひとつ買うのにとても迷う。その間にも色々な話を聞くことが出来た。ガラス作家というのはたいてい窯は自作する。そして点火してそれが安定するのに時間がかかる。だから軌道に乗ったらなかなか止められない。はじめの3、4年は自作の窯に自信が持てず、点火したまま離れるのが怖かった。でも5年、6年となると点火したまま展示会などに出かけられるようになった。

「今も、誰もいないわたしの工房で窯は燃え続けてるんですよ」

大抵は4年に一度くらいの頻度でメンテナンスの為に窯の火を止める。だが、彼女は燃やし続けたまま12年来てしまった。そしてついに今年窯の火を止めてメンテナンスをすることにしたという。

「メンテナンスの間は仕事できませんよね。何かする予定なんですか」

「新たなインスピレーションを得に旅に出ようかと思ってるんです」

「ガラスを吹いて生計立ててるなんて、本当にスゴイと思います。旅に出て気に入った土地があればそこに住み着いてしまっても仕事が続けられるっていうのは作家さんの恩典ですよね」

「・・・・。あんまり考えたことありませんでした。例えばどこに?」

「ギリシャ!」

「え!!!わたし今回の旅先に一番に考えたのがギリシャなんです。どうしてですか!」

「村上春樹さんがギリシャで執筆活動をしてた時のエッセイを読んだんです。観光客もすっかりひいたシーズンオフの静かな孤島でしっかり仕事して生計を立てられるってこういう職業の人しか考えられないじゃないですか」

彼女の作品には大地が必ずモチーフとして描かれる。今まで土や雪の色だったのが、エーゲ海の蒼に変わるのを想像した。

結局、彼女本人が個人的に気に入っているという原っぱで一羽の鶏が遊んでいるイラストの入ったものを選び、グラスの底にわたしとクロエちゃんの名前を入れてもらった。

(写真:恵比寿ガーデンプレイスではピーターラビットの庭をディスプレイしていた。夢に見るような″The English Garden"だね。素敵。)


2016年05月01日(日) Very Berryの毎日

上海から帰ってみると、農園部員の女の子が飛んできた。

「あなたの苺ぼこぼこ生ってるよ。で、朝オヤジ達がみんなで食べてた」

苺はみんなの大好物で、赤くなる瞬間をカラスも鳥もダンゴ虫も蟻んこも、そしてもちろん人間もみんな待ち構えていて争奪戦だ。しかしよりによってオヤジに先を越されるとは。カゴを持って駆けつけた時にはもう1個もなかった。

しかし、1個生るとそれを合図にぼこぼこと生る。毎日摘まないと間に合わない。嬉しい悲鳴をあげながら山盛りの苺を持って家に帰る。今年はオヤジの土作りが良かったのだろう(感謝だ)、粒が大きくて豊作だ。1度にジャムが作れるくらい収穫できた。自家製の苺ジャムは作ってる時からもう幸せな薫りに包まれている。

パリで美味しいジャム専門店を見つけて以来、ジャム作りにはまってあれこれ作った。で、気付いた″パンとジャムの関係″。美味しいパンにはジャムを塗ってはいけない。ジャムを味わうなら安価な普通の食パンやコッペパンがいい。フランス人がよくバターの風味の良いクロワッサンにジャムを塗ったりしてるので、一度真似してみたが、せっかくのバターの風味がジャムの甘味に完全に負けてしまうように思った。しっかり小麦粉の芳ばしい味のするこだわりパンも然り。″美味しいパン″か″美味しいジャム″か、服のコーディネートと一緒で一点豪華主義がバランスが良いようだ。


Michelina |MAIL