My life as a cat
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2013年06月29日(土) 生きる知恵

「子供を作りなさい。家族を作ってその地に根を張りなさい」

これはテレビ番組でみた、国際結婚をして、アラブの小さな村に嫁いでいった日本人女性の祖母が彼女にかけた言葉だ。違う文化と宗教と風習をもつ土地へ、たったひとり大切な人を追って、両親の許しも得られず半ば駆け落ち状態で移り住んだのだった。あらゆることにすぐには馴染めず、日本が恋しくてたまらなくなった時、祖母がそんな生きる知恵を授けてくれたのだという。

自分の一番好きなものを追って、いつの間にか見知らぬ土地に辿り着いてしまう。自分の一番好きなものは手元にあるのに、そこにいない誰かが恋しくて、そこにない何かが恋しい。そういう感情はきっと消せはしない。でも、その土地に大事な物がひとつ、ふたつと増えるにつれ、恋しさは和らいでいく。

わたしは今までの人生で"住処"の問題は一番悩んだことのひとつだ。自分の意志で移り住んだ場所もあれば、意志に反して辿り着いてしまった場所もある。だからこの祖母の言葉にはっとした。いかにその場所を愛せるかは、いかにそこに根を張って大切な物を作り出すかにかかっているのだろう。

その女性は5人の子供を授かった。どの子も国に表彰されるような優秀でいい子に育った。不便な砂漠の真ん中の秘境にいても、その人の表情はとても満ち足りていた。

(写真:やっぱりごはんの後はカウチで映画でしょっ by クロエ)


2013年06月25日(火) 鍵泥棒のメソッド

「鍵泥棒のメソッド」、文句なしに面白かった。内田けんじと堺雅人やっぱりハズさないねぇ。この独特のテンポ、好きだわ。鈍くさいようでいても、確実に笑いを取るれるんだから、ホントにうまく出来てる。堺雅人が演じるのは35歳定職なし、貯金なし、家族なしみたいなダメ男。金儲けで成功した男の鍵を盗んで、その男になりすまして、高級マンションに暮らしてみても、その辺にカップヌードルのゴミを置きっぱなしにしたりしてる。一方、香川照之演じるのは几帳面でやり手な男。記憶を失ったが故にダメ男が借りていたおんぼろアパートに住むことになっても、やはりきちんと整理整頓ができていて、あっさり美味しい手料理を作ってくれる女の人を見つけてしまったりする。デキる男とダメ男はもう生活に対する姿勢と性質の根本がまるで違うのだ。広末涼子の演じる真面目で真直ぐな女の子もいいわぁ。勉強は出来るけど、自分の感情を感知する能力は鈍いみたいな。でも好きだなぁ、あぁいう人。盛り上がってる合コンで、金持ちの男達が貧乏人を見下すんです。

「金もないのに、愛してる、なんて笑っちゃうぜ」

みたいなこと言うんです。で、ね、そう思うでしょ?ってふられて、

「わたしはそう思いません」

なんて正直に言って、その場を凍らせちゃう。そんな低俗な金持ち達を楽しませる義務なんてないものね。凍らせとけばいいのですよ。

しかし、個人的に一番印象に残ったシーンは、記憶を失った香川が、自分のことを聞き出そうとアパートの住人をノックして回るところ。一人暮らしの女が戸を開けて、その足元には猫がいる。早とちりした女は、猫を抱き上げて、

「あの、猫のことですか? わたしこのコがいないと生きていけないんです。どうか大家さんには言わないでください」

なんて言いだす。あぁ、解るね、解る、解る(笑)。わたしも誰かが猫の苦情とか言いにきたら、絶対同じこと言うね(笑)。

仕事で荒波に揉まれて、帰宅して、家事を終えてシャワーを浴びて、一日の終わりに、クロエちゃんをブラッシングしながら、その日のことを会話する。ただただ隣にいてくれる小さな温かい体にどんなに癒されていることか。わたしも、

"このコがいないと生きていけないんです"

絶対言うね。


2013年06月21日(金) 梅雨に暮らす

雨続き。そこかしこに咲いた紫陽花に心がときめく。どんよりとした灰色の空にこの落ち着いたトーンの紫や青の紫陽花の似合うことよ。会社に行くのが面倒なこと以外はいい季節だ、そんなことを思っていたら、数年前イギリスに去った同僚が突然出張でやってきた。よくつるんで飲みに行っていた仲間のひとりで本当になつかしい。彼の見事な生粋のブロンドヘアとコバルトブルーの瞳も、またこの雨空に映えて妙に美しくて、ときめいた。

ドイツ人の真似をして、酢水を少しだけ布に含ませてカビやすいバスルームを拭いた。布はもちろんもう着ないTシャツだ。これはオーストラリア人の真似である。酢水で拭くことによって汚れがよくおちて、しかもカビ防止にもなる。酢というのは本当に万能だ。わたしは他にもドイツ人に色んな酢の活用方法を教わった。例えば熱湯に酢を加えて、そこにスプーンやフォークを浸して乾いた布で拭き取るればピッカピッカになるとか、ポットの中の黒ずみも酢を注ぎ入れて半日放置しとけばきれいさっぱり落ちる。除菌・除菌と得体のしれない薬品を含んだスプレーをあちこちにふりかけるテレビ・コマーシャルをよく見かけるが、自分が住んで、呼吸する場所なのだ。口に入れても安心なものでの掃除を心がけたい。

少し喉が痛くなったので、塩水で日に何度かうがいした。もう翌日にはすっきりだ。塩というのも酢に劣らず万能だ。


2013年06月16日(日) 誰かと日々をシェアする

日頃は、外で何があろうとも、フィードバックのないクロエちゃんに一方的に話しておしまいだが、言葉のキャッチボールができる"人間"と日々の些細な出来事をシェアすることの良さも切々と感じている今日この頃だ。自分ではその時々は"辛い"とは思わず、胸の内に秘めて終わりにした出来事を、ふと他人に蒸し返されて、事の一部始終を話してみたら、すっと心が軽くなったりする。口に出して、文章にして他人に話して聞かせて、そこで初めて気持ちの整理がついて、あぁ、これはこういうことだったのか、と思うこともある。それについて意見をもらうのも貴重だ。他人の視点は新しい。

一番仕事で近くにいる男の子に八つ当たりされたことを、女としてどうでもいい存在だからそういうことをするのだろう、ヒドい、ヒドいとひたすら気に病んでいたが、友人の一言でその出来事の印象ががらりと変わってしまった。

「甘えてるんだよ」

え?甘えてる?そんなにカワイイの?・・・・しかし、思い返してみれば、わたしが一番近くにいる存在で、他の女の子には言わないような相談もわたしにしてくるのだ。だから家族には安心しきって、しょうもないワガママを言ってしまったりするような、そんな類のことなのかもしれない。そう思ったら、わたしにそんなに親近感持ってたのねっ、なんて相手がカワイく思えてきた。

こんな風に視点を変えてみたらあっさり解決できちゃったりすることってあるんだ。自分ひとりで何でもできるなんて思い込まないで、もう少し人と積極的に関わっていったら、それは人生にもっと豊かな彩りを添えてくれることでしょう。

(写真:友人からの頂き物の"リンツァトルテ"というドイツのお菓子。ベリーの入ったタルト。甘さが極控えめで自然風味だった)


2013年06月09日(日) ジェノベーゼ

窓辺で育ったバジルを摘んで、ジェノベーゼのパスタにした。農園で採れた新じゃがも入れて、焼きたてのグレインブレッドも添えたら初夏の空気に似合う美味しい夕飯の出来上がり。自分で育てた野菜や酵母のパンは格別だ。

数日前からノラのお母さんが夜通し姿の見えない子猫を探して鳴いていた。4匹の子のうち3匹が姿を見せなくなってしまった。前の家のおじさんに聞くと、誰かが連れて行ったのではないか、という。このおじさんはわたしとは生活のリズムが違うようで、たいていわたしの知らない時間の猫達の様子を知っているのだ。しかし、あんなすばしっこい子猫がどうやって3匹も捕まえられたのか。多分、もう帰ってこない。声が涸れても我が子を思って鳴き続けるお母さんの声が、夕暮れに染まるこの静かな町に響きわたる。あまりにもせつなくて、涙がでてしまう。もう窓からあの天真爛漫な子猫達とお母さんのただただ幸せな風景はもう見えない。それでも残った一匹はただただ見るもの全てが新しくて、走り回って遊んでいる。この子だけがお母さんに残された希望なのか。いなくなった3匹は心の優しい人に拾われて、どこかでちゃんと食事にありつけているのだ、と信じたい。


2013年06月05日(水) これから万年よろしく

適当に安いペンを買ってはインクがなくなると捨てる、ということに嫌気がさして、10年以上も前に買ったRotringの万年筆を出してきた。とても気に入って何年も使っていたのに、何かのきっかけでいつからか使うことをやめてしまって、ずっと古いペンケースにしまったままだった。

Mont Blancのミッドナイトブルーのインクをセットして、文字を書いてみる。うわぁ、これだ。お世辞にもうまいといえないわたしの字もすっと背筋が伸びたように見える。世の中は買い替えたほうが安いものが多くて、万年筆だってインクのカートリッジよりよほど安価なペンがある。しかし、物をぽいっと捨てなくてもよい心地良さと、書き物の見た目の美しさを買ったのだと思うことにしよう。そして何より自分の掌で握り続け、あらゆる文字や言葉を書き綴った万年筆は歳月とともに愛着が沸いていつしか良いパートナーとなるのでしょう。

そういえば、行動習慣マイスターの佐藤伝さんが、物に名前をつけると、それがよく機能してくれると書いていた。一見おまじないのようだが、本当は物に名前をつけることでもっと愛着が沸いて大事に敬意を持って扱うようになるからなのでしょう。特に異性の名前をつけるといいのだそうだ。そうねぇ、じゃぁ、ドイツからやってきた書くことが好きな・・・って言ったらもうこれしかない。ゲーテ!(ヨハンと言いたいところだが、だって平凡すぎるんだもの)我が心の恋人の名前をこの万年筆に捧げましょう。


2013年06月04日(火) 21世紀の動物愛護

夕方の報道特集で"迷惑動物の捕獲"というタイトルを挙げて、文字どおりあの手この手で捕獲するまでの一部始終を放送していた。石垣島に人間の勝手で持ち込まれて、捨てられ、野性化して繁殖したイグアナ。生態系を脅かすと捕獲に乗り出した。次々と捕獲されては環境省に引き渡すという。"環境省に引き渡す"ということは何を意味するのか。イグアナが住むべき場所に放してくれるわけではないのだろう。野良犬や野良猫のように"処分"する以外考えにくい。イグアナがうろうろとしていたという小学校の職員や父兄にマイクを向ける。

「これで安心した」「このまま減るといい」

とみんな口を揃える。ショックだった。子供をを教育する立場の人がこう言うのだから、子供もそう教わるのでしょう。奈良公園のシカさんは可愛いね、おせんべいをあげましょう、でも岩手の山のシカは迷惑だから、"処分"しましょう、動物園のイグアナは面白いね、でも校庭のイグアナは"処分"しましょう。人間の管理下に置かれた愛らしい動物と自分達の暮らしを脅かす動物は別物、だから迷惑だと思ったら"処分"すればいいと。

野生動物の被害を被ることもないところに住んで、動物の捕獲に反対!と一概に声をあげるのはフェアではない。自分の土地を荒らされたりする心配のある人もいるのだろう。でも未来を担う子供には"迷惑なら処分"などという時代遅れな発想ではなく、動物愛護という視点で、どう共生できるかと考えるように促したいところだ。21世紀に入って20世紀の夢だったテクノロジーはもはや夢ではなくなった。動物愛護だってもっと進化を遂げてもいいじゃないか。


2013年06月03日(月) 焼きたてパンのある暮らし

出来た!これこれ、これが欲しかったの。マルチグレインと全粒粉の食パン。こういう食事に適した食物繊維の豊富な茶色いパンが欲しかったのだ。オーストラリアのスーパーでは、食パンだけでも軽く15種類くらいは売っていて、その大半をグレインの入った茶色いパンが占める。リンシードとかサンフラワーシードとか、コーンミールとか、あらゆる雑穀を練りこんであるのだ。このグレインが芳ばしくて、サンドイッチなどにするとまた美味い。スイスチーズ・ヤースベルグチーズ・カマンベール・クリームチーズ・マリネードオリーブ・マリネードフェタチーズ・マリネードサンドライトマト・・・なんかを乗せて、ミルで挽いた三色胡椒と岩塩を振りかけてサンド。これ、もう最高。

冷蔵庫にはぶくぶくと育った天然酵母の中種があって、週末には焼きたてのパンを味わう。仕事が忙しくったって、物事が思ったようにうまくいかなくたって、パンを焼いて、頬張れば、そんなことはすっかり忘れちゃうもんね。シアワセだ〜。



2013年06月01日(土) Bottle Brush

試験は終わったものの仕事が山積みの忙しい週の終わり、やっとやっと一息ついて、のんびりと美味しいものを食べて散歩などする時間ができた。

お台場にやってきたら、なつかしいボトルブラッシュの木があった。パースでは10月になるとあちらこちらで、赤い線香花火のような花が開く。わたしが始めてパースを訪れたのも10月で、移り住んだのも10月だった。どこを歩いても赤いボトルブラッシュがその風景の中にあった。オーストラリアの植物は熱と乾燥で起こる山火事によって種子が飛んで芽を出すものが多いのだが、ボトルブラッシュもそのひとつだ。以前テレビで横浜在住の男性が、自宅の庭にオーストラリアの植物を咲かせるために奮闘している模様が放映されていたが、彼は種をヘアドライヤーであぶってみたり、熱湯に漬けたりしていた。あんな不毛な土地に根付いた植物が、山火事にあってはじめて種子を飛ばして子孫を残す。ただじゃ死なないのだ。力強い自然の美しさを思ってはまたじーんと胸が熱くなってしまうのです。婚約破棄となって、着の身着のまま家をとびだしてひとり暮らし始めた親友が泣き暮らしているのが近頃の心配事で、人間もこのくらい強く生きられたらいいのに、としみじみ思った。



Michelina |MAIL