My life as a cat
My life as a cat
DiaryINDEXpastwill


2013年04月28日(日) A river runs through it

亀山へ行って来た。小さな小さな町で、温泉宿も二つしかない観光地とも言えないようなところ。GWのざわめきも、ここでは無縁のようだ。この辺りは黒湯といって琥珀色の温泉が湧き出ていて、何度か浸かったことがあるが、肌がつるつるになって夜もよく眠れる。温泉に浸かり、ボートを漕ぎ、山歩きをして、春の山菜料理を楽しんだ。空気の澄んだ新緑の眩い山の中、ただただ静かな時間に身を委ねる、なんて贅沢な時間でしょう。

貸しボート屋のおかみさんは、返却時間をオーバーした分の料金をチャージせず、

「いいわ。おまけする。その代わり秋の紅葉の時期も見ごろだから、また帰ってきてね」

と言ってくれた。











2013年04月26日(金) 三鷹の森

三鷹でデート。ランチをしようとエレファント・キッチンという小さな小さなタイレストランに立ち寄った。タイ人のおじさんと日本語がいまいちままならない小柄なタイ人の女の子が二人でブリキ人形のような動きで働いている。席について、注文を済ませて、ふと気付く。店内に流れているのはイタリア語のオペラ。やるねぇ!葉野菜のサラダが来る。ミックスハーブの苦味が利いていてうまい。メインはラクサを。これまた濃厚。タイ米のごはんをくれるので、麺を食べたら最後はごはんを投入して、カレーライスにした。東南アジア系のレストランにありがちな、衛生的に客に不安を与えるようなことも全くなくて、とても清潔、味もよく、店内の雰囲気も愛らしく、なによりタイ語のポップミュージックとかで客に頭痛を与えない良いレストランだった。食べログ的には星4つ半(笑)。

食後は三鷹の森を散歩して、ジブリミュージアムへ。これ夢の城だね。アニメに登場するスピリットとか住んでそうだもの。大根の亡霊とか、油ババとか、トトロとかマックロクロスケとか、釜じいとかね。しかし、宮崎駿の蔵書の数の膨大さには脱帽だ。古今東西あらゆる世界の景色や生き物や童話からインスピレーションを得て、その全てが組み合わされてあの独特の世界が出来上がったのでしょう。彼の世界には"典型的な"と表現することのできないものばかりなのが頷ける。日本でも海外でもウケるのはやはり、何を描かせても、そこには日本的な湿度が立ち込めているというところだろうか。そもそもスピリットというものは湿気なしには引き立たないけれどね。

このミュージアムが井の頭公園の裏手にあるというのもよく出来ている。ジブリミュージアムをでて、新緑の生い茂ったこの公園を歩けば、茂みからトトロとか飛び出してきそうな気になるもの。


2013年04月25日(木) The Crow

夕方のニュース番組でカラス被害についての特集が放送されていた。野生動物は増えると駆除、激減すると保護の対象となる。それもこれも弱肉強食のピラミッドの頂点に立つのは人間なのだから、自分よりも弱いものが自分の領域に入ってきたら退治するのが極めて自然なことなのだと言われたらそれまでだが、ひとつ反論するなら人間ゆえにもっと頭を使って共生の道を選んでもいいじゃないかということ。動物を駆除する映像はいつも目を背けたくなる。カラスはずば抜けて利口で人家の軒先のワイヤのハンガーなどを取ってきて、それで枠を組み、そこに集めてきた動物の毛などを巻きつけてうまく巣を作る。カラスが生まれてくる雛のために作ったマイホームだ。それをポイとごみ袋に入れてしまう。中にはすでに雛の孵っている巣もある。食料を携えて帰ったら、懸命に築いたマイホームも雛も消えていたって・・・・ヒドイじゃないか!と抗議したくなる。しかし、カラスに町を荒らされいる人々に対して、解決策を持たずして声をあげることはできない。悲しい気持ちで最後まで見守っていたのだが、最後にカラスに直接危害を与えない駆除の方法が発見されたということに救われた。それはカラスの止まる大きな木を全てネットで覆ってしまうこと。そこに近づいてネットにからまった仲間などを見ると警戒して、もうその木にはやってこないとのこと。そうやって町からカラスを退かせることに成功したところもあるようだ。

カラスがもたらす町への被害という実質上の問題もさながら、"黒い生き物"というのはなぜか嫌われる傾向にあるようだ。町の人へのインタビューでも年配の女性が何の気なしに話していた。

「真っ黒でね、夜になると気持ち悪いのぉ」

移民の国で暮らした経験によるところなのか、先日南アのアパルトヘイト時代の悲惨な映画をみたせいか、こんな言葉に敏感に反応してしまう。個人的には黒い動物が好きだ。愛猫は黒衣(クロエまたはChloe)というくらいで、黒猫など大好きだし、黒豚や黒い牛、黒のラブラドールなど最高にクールだと思っている。浜田真理子の歌に"The Crow"というのがある。こんな詩だ。

There's a crow
There's a crow in the air
He's watching me all day long
There's a crow
There's a crow in the air
But I can not see him

Can't see him
I can't see him in the air
Bu I konow he is there, I feel it
Can't see him
I can't see him in the air
But he is watching me

One day when
I was playing the guitar
With my black, black notes
Suddenly
The crow showed up before me and said
That he liked my guitar

He likes my guitar
My guitar and songs
Because he likes black, black things
Together
We sing together
With our black, black notes

When the night

When the night visits me
It's time for him to leave
Disappears
Then he disappears
And I can't see him again

There's a crow
There's a crow in the air
He's watching me all day long
There's a crow
There's a crow in the air
But I can not see him

自然の中には色んな色彩があったほうが美しいから、人も動物も色んな色に作られたんじゃないのかなぁ。何色でも大きくても小さくても、自然の営みを愛でて、共生できたらいいですよね。


2013年04月20日(土) 苺の季節

寒い雨の一日。春のあたたかい日が続いた後に突然やってくる寒い日はなぜか気持ちが沈みがちで、ふと哀しかった出来事を思い出したりする。元気付けにケーキを焼いてみた。苺とホワイトチョコレートのチーズケーキ。ゲンキンなもので、キッチンに砂糖で煮詰めた苺ソースの香りが漂った瞬間、哀しい気持ちはふっとんだ。

ティータイムにキャンドルを灯してみる。この日記に何度か登場したひとめぼれ君が地震で停電になっても困らないようにと買ってきてくれたもの。灯をともすとハートが浮かび上がるのがなんとも愛らしい。そして久々に"The encyclopedia of the cat"を開いてみた。この本はオーストラリアに引っ越して間もなくのこと、強盗に押し入られて、その時の恐怖が消えずにしばらく放心状態となって、気付くと涙をポロポロと流して過ごしていた数日の間に、元気付けに散歩でもとシティに連れ出してくれた当事のボーイフレンドが買ってくれたものだ。そして、膝にかけたブランケットは"皇帝ペンギンのように強く生きたい"などとほざいて、冬でも寒い部屋で過ごす変わり者の娘を心配した母が買ってくれたものだ。過去の恋人からもらったプレゼントは捨ててしまうという人もいるようだけど、母がくれたものと同様わたしはそれらも捨てられない。人に親切にしてもらったことはずっと覚えておきたい。人との関係って、結末がどうであれ、その過程で自分を思いやってくれたという事実は消えることがないもの。そしてそんなあたたかい思い出をこんな寒い日を凌ぐ糧にするのもいいでしょう。

そんなことを思いながら午後を過ごした。夜にskypeでデート。2時間も喋ってしまった。


2013年04月19日(金) 森崎書店の日々

「森崎書店の日々」という映画を観た。失恋したいたってフツウの女の子が、古本の町・神保町で暮らすことになって、その町と人々のあたたかさと本の中の先人の言葉などによって傷を癒していくというような、淡々とした展開の静かな映画だった。映画全体の基調色は"生成り"で、登場人物の洋服やら部屋のインテリアも、陽に焼けた古本の色である生成りと融和するような色合いになっていて、視覚的にもほっと落ち着いて観られるものだった。お互いに懸命に頑張って、それでもうまくいかなかった挙句の失恋というのは、辛くても悪い後味を残さない。だから諦めた途端、あっさり歩き出せる(女はね、少なくとも)。でも一方的にもて遊ばれたみたいな失恋は、その苦い後味が消えるまでなかなか一歩を踏み出せないものなのかもね。まったく読書しなかった女の子が、古本屋を手伝うことになって、次第に読書好きになっていく姿は好もしい。本はいつでも色んなことを教えてくれて、生きる道しるべを示してくれる。わたしの人生もいつも本に支えられてきた。古本って買い取りも販売も二束三文みたいな値段しかつかないものばかり。でも、みんなやっぱり本には書いた人の魂が宿ってるみたいで、捨てにくいから古本屋にだす。それをまた売って魂を生かしてくれる人がいるってありがたいことだ。古本屋なんて本当お金の匂いのしない商売だ。好きという気持ちだけでしかなかなか成り立たない。映画の中で、本好きのおじさんがでてきて、奥さんが捨てただの、捨てたからまた買えるだのという会話がでてきて、あぁ、これって"本好きの凡人"に共通する尽きない問題よねぇ、と苦笑した。この映画、静かな中にもほろ苦くて、あたたかい、不安で、でも希望がある、そんな揺れ動く色んな感情が詰まっていて、わたしの春の気持ちにしっくり染み入ってしまった。

(写真:ヤドカリのクロエちゃん)


2013年04月13日(土) 宇宙に徳を積む

久々に気持ちよく終日晴天の週末。朝にデート相手と成田空港まで、初めて日本にやってくる彼の弟夫婦を迎えに行き、午後はあけぼの山農業公園のチューリップ畑を散歩して過ごした。たっぷりと陽を浴びて、よく歩いた日の夜は本当によく眠れる。

佐藤伝さんの「夜の習慣」に続き、「朝の習慣」も読んだ。その中にこんな言葉がでてきて、それはずしりと心に響いた。

"宇宙に徳を積む"
・・・・  一時が万事。小さなことを継続して実行できる人は、大きなことも成就するものです。大きな事(夢)の実現を加速するいい方法があります。知りたいですよね。それは、自分の靴だけでなく、その場にある人の靴もそろえてしまうことです。そのときに、「わたしがやっておいてあげるから」とか「靴をそろえておいてあげたよ」などとひとことも言わないことが大事。黙々と実行するのがコツです。銀行にお金を積むことも大事ですが、宇宙に徳を積むことはもっと大事です。

他人の靴を揃えることについての是非はともかく(他人に靴を揃えられたら、自分の教養の乏しさを指摘されたような恥ずかしい気持ちになる人もいるのではないかな)、宇宙に徳を積むとはなんと素敵な言葉でしょうか。わたしの座右の銘にしよう。

このところ何があったというわけでもないけれど、なんだかとても幸せだ。本当は何がなくとも何でもある。"何でもある"ことを当然として"何もない"といえることがどんなに恵まれたことなのか、あらためて物事のひとつひとつに感謝すると幸せな気持ちになる。


2013年04月11日(木) Musée du Louvre

そのままカタカナ読みするとまずフランス人には理解されない"ルーブル美術館"のお話(フランス語は"R"の正しい発音がキーなのでしょうか)。パリの旅行記には書かなかったが、実は足を運んだのです。11月下旬の寒いパリは観光客も少ないのでしょう。"混んでる""並ぶ"といったルーブル美術館の噂は嘘のように並びもせずチケットを買い、すんなりモナリザの前まで行けました。しかし、ここ今回のような短期滞在では行かなくてもよかったかなというのが感想。本当にしっかり楽しもうと思ったら3日は欲しい。それくらい巨大な美術館で、歩くだけでも疲れてしまって、絵の前に立って感慨に耽るような余力もなくなってくる。ここは疲れにくい靴を履いて、荷物は軽くして、1日3時間くらいで3日くらいかけて周るのがよかろうね。歴史と宗教に精通してないと楽しめない作品が多いから予備知識をきちんとつけていくのがよかろう。価格は€10くらいだから、展示されている作品数と知名度を考えれば安いと思う。

先程テレビで"超混雑"などとやっていたので、"わたしのルーブル美術館"体験記を書いた。再訪があるとしたらそれはパリの住人になっている時でしょう。


2013年04月07日(日) L'amoureux de Paris

やっと2度目のデート実現。新丸ビルでランチして、午後は皇居前の広場の芝生に寝転がって、走りまわる子供や犬を眺めて過ごした。隣合った色んな種類の桜がちょっとずつ時期をずらして開花しているという風景もなかなか他にはなくてユニークでいい。

女性の年の話題になった。わたしは"人として"年をとることは誇らしいことなのだと思っているが、"女として"となると、将来子供が欲しいなどという男性に35歳を過ぎている自分の年齢を教えるのをためらってしまう。だってそれは感情じゃなくて実質的な難しさを提示してるわけだから。彼も年下で、わたしが年上だということは気付いているのだろうけれど、実年齢は知らない。そんなことをぼそぼそと話していたら、彼がなにくわぬ顔でさらりとこんなことを言った。

「僕の国にこんなことわざがあるんだ。日本語に直訳するとこう。
"チキンは年をとればとるほど美味くなる"」

はははっ(笑)。まぁ、彼のような人格の成熟した男性は、女性を年齢だけでジャッジしたりはしないのでしょうね。

陽が落ちて、風が冷たくなったのでカフェに移動した。AUX BACCHANALESのテラスに腰掛けると気分はたちまちパリ。昨年11月のパリ旅行が脳裏に甦る。ここ、目の前にある小学校もエレガントな佇まいで、何よりパリならどこにでもある大衆的なカフェという雰囲気が好きだ。胡桃のタルトをシェアしながら、カッフェを啜り、気付いたら次回のデート、その次のデートの計画まで練っていた。4月になってあちらのスケジュールは落ち着いたようで、次回のデートはすぐにやってきそうだ。今日はぐんと距離が縮まったように感じた。


2013年04月03日(水) 朝・昼・夜がある理由

夜な夜なちびちびとベッドの中で佐藤伝さんの「夜の習慣」を読んでいる。集中して読めば1時間もあれば読破してしまうような、字が大きくて、簡潔な言葉だけで書かれた本だが、ゆっくりゆっくりかみ締めながら、夜のありかたをしみじみと考えたりして、何日もかけて読んでいる。
「宇宙はうまくいくようにできている」
という著者の言葉どおり、朝と昼の光と夜の闇に、それぞれの役割があって、ちゃんとそれに準じて生活することことこそが、気持ちよく生きるコツなのでしょうね。わたしも年を重ねるに連れて「朝に目が覚めること」や「一日を平穏にやり遂げて眠りにつくこと」に感謝できるようになった。命の儚さを知るにつれ、それは"当たり前"ではないのだと解る。そうやって感謝の心が持てるようになると、やっぱり自分は運の良い幸せものだと思えるようになる。人間だから悩みから解放されるなんてことはない。一生悩んで生きるんだろう。でもそう簡単に心が折れたりしない。宇宙のリズムに乗って暮らしていれば、ほんのちょっとやそっとのことでは折れない強い精神が培われるのでしょうね。

この本に書かれていることで、もう自然と実践できていることもあるけれど、改めて意識してみると、自己改善に繋がりそうなことも多々ある。例えばこれ。

−不安要素について考えるリスク管理は、日中、お日様の光のもとでやりましょう。夜の闇は、苦しむためにあるのではなく、一人静かに「自分時間」を楽しむためにあるのです−

きっと夜が暗闇なのは、一日働いて、考えて、悩んで、疲れた体と脳をゆっくり休めるためなのでしょう。あたたかい暗闇にしっぽりと身を包まれて、素敵な明日のためにじっと目を瞑って良い事に思いを馳せて過ごすものなのでしょう。昨日は一日中雨降りだったから、夜寝る前に、
「漆黒の夜空に満点の星と月が輝いているような夢をみたい」
と願って眠りについた。結局、見た夢はアイスクリーム屋さんで働いてる夢だったけれど、やっぱり寝る前に素敵なことを願っていると目覚めも気持ちがいいものだ。


Michelina |MAIL