My life as a cat
My life as a cat
DiaryINDEXpastwill


2011年06月24日(金) やっと言えた

きっかけは、久々に訪ねてきた母にこんな話を聞いたことだった。

「アフリカから来たなっちゃん(妹)のお友達がね、ビジネスで中東に行くと行って日本を出て以来連絡が途絶えてね、なっちゃんは心配して何度も電話したけど、連絡がとれないまま1年経ってしまったの。諦めた頃、家に手紙が届いたの。彼は刑務所にいたの。話があるというから、なっちゃんは刑務所に会いにいったのよ。」

彼の話によれば、中東で彼の友達に渡された荷物を持って帰国したところ、成田空港で大麻所持で逮捕されたという。他のアジア諸国と比べたら格段に大麻に対する刑の緩い日本で1年も刑務所にぶちこまれているとなると、一体どれだけ大量に持っていたのか。妹は彼の話を信じて、助けたいと思っているらしいのだった。わたしは咄嗟に憤慨した。これが日本人の20代前半くらいの若者かあるいは50代以降の年配者だったら本当に騙されたのかもしれないと思っただろう。日本という国では、そうとう見る目のない人でない限り「友達」を信頼して、痛い目をみることはないだろうし、その「友達」から渡された荷物をそのまま持って国外にでてしまうくらい危機管理のない人が多いし、事実そんな危機感を持たなくても暮らしていける。それがこの国と人々の良さだ。しかし一歩国外にでればたちまちそのままでは生きていけなくなる。彼がアフリカのどこから来たのか知らないし、"アフリカ"とひとくくりにしてしまうほどわたしの知識は薄弱でも、その男が危機感を持たずにのんびり生きてこられたとは考えにくく、まして彼は中東や日本と海外を渡り歩いていて、そんな幼稚な手にひっかかったというのは信じがたい。わたしでも他人から頼まれたものでも中身をしっかり確認せずして運んだりしない。

わたしは思ったまま母に言った。すっかりその男の話を鵜呑みにして信じていた母はそれを覆されて何かに苛立ったに違いなかった。話は一転し、二転し、妹の病気のことにまで及び、口論となり、母は隣の部屋でクロエちゃんと遊んでいた妹を連れて怒りながら帰っていってしまった。虚ろな目で母に手を引かれて去る妹がわたし達の口論をどう受け止めたのか気になって、その夜は眠れなかった。母はわたしの気持ちを全く理解していなかった。わたしが妹に厳しいことを言うことを冷酷だと避難した。母は甘やかすことで愛情を示していたが、わたしは正反対だった。子供の頃から姉のわたしは、
「お姉ちゃん出来るんだからやってあげなさい。」
と何でも"出来る"と決め付けられ、結局"出来る"ようになるしかなかった。一方5つ年の離れた妹は、
「なっちゃんは出来ないからお姉ちゃんにやってもらいなさい。」
と"出来ない"と決め付けられ、自分で"出来る"ことまで"出来ない"と思い込んでいた。大人になってもそれを引きずって夢や希望を持っても妹は自分は何も出来ないと思い込み、挑戦することすらしないできた。それが妹を鬱病に導いたのではないかと思わずにいられない。人間は夢や希望があって、それに向かって走って一喜一憂しているうちは鬱病などにはならないのではないかと思ったりする。妹がこんなふうになってわたしだって悲しんでいる。かつてはよく一緒に旅行にでかけたのだから。わたしが妹を救い出したいと発する言葉は母親に非難される。
「なっちゃんは病気で"出来ない"のにどうしてそんなこと言うの!」と。

一晩どっぷり悩んで落ち込んで、翌日妹に電話をかけてみた。うちの近くのカフェで話さないかと誘ったら、近頃は車の運転が出来るようになったらしくそこまでやってきた。妹と正面から向き合って話すのは何年ぶりだろう。車の運転ができるくらいになっただけあって、以前よりも目の焦点が定まっていた。アフリカ人の男のことや現況やらこれからのことをあれこれと話した。わたしは妹の話を聞きながらひとつひとつに自分の意見を返した。

「会社の外国人達にも聞いてみたけど、やっぱり他人から頼まれた荷物の中身を確認せずに運んでしまうような人は海外では相当な世間知らずしかやらないと思うんだ。その人はあなたにはよくしてくれたかもしれないけど、それはやってない証拠にはならないでしょ。」

「半信半疑なんだ。生活ぶりは至って質素だったからそんなことと関わってるって信じ難くて。」

「でも助けたいっていうなら確信をもってからだよ。」

「どのみちわたしはその件に関しては無力だから。」

「で、体のほうはどうなの。」

「一度カフェで働いたけど、1時間くらい歩き回ってると目がまわってきた。」

「薬は飲んでるの。」

「増えてる。」

「でもそれは効いてるの。」

「気休めなのかもしれない。」

「医者の言うことは100%正しいとは限らないよ。70%くらいは正しいかもしれないけど、あとの30%くらいは自分が自分の体に聞いてみないとわらないことが多いよ。気休めかもと思うなら、少し減らしてみれば。それで大丈夫だったら序々に減らしていくとか。」

「そうだね。やってみようかな。」

「で、これからどうするつもりでいるの。親ももう定年退職してるし、今度は逆にわたし達が面倒みなきゃいけなくなるんだよ。体調のことは置いといて、やりたいこととかないの。」

「漠然とだけど、結婚して子供が欲しいな。でも今付き合ってる人のことは本当にこの人で正しいのかって考えちゃう。」

「やりたい仕事とかはないの。前にフライトアテンダントになりたいって言ってたじゃない。あなたは接客なんかさせると客の欲するものを瞬時に読んだりする能力があるから、すごく向いてると思うよ。」

「でも、身長や年齢がね。。。。以前、**航空の社長とやらを知人が紹介してくれたんだけど、身長と年齢がだめだって言われた。」

「そんなアジアの見た目重視の航空会社じゃなくて、欧米系のでもいいじゃない。それほどステイタスは高くないけど、自分が飛行機に乗るのが好きだっていうんならその希望には叶ってるわけだし。」

「でも、お母さんはわたしが海外に住むなんて許さないよ。」

「だったらお母さんに"わたしが病気でずっと親元離れず寝ているのと、海外で生き生き働いているのとどっちが幸せか"って聞いてみなよ。ねぇ、お母さんはあれが出来ないこれが出来ないと出来ないことばかり挙げてて、もちろん本当に出来ないことは沢山あるよ。でもあなたが今考えなくちゃいけないのは、じゃぁ今何が出来るかということだよ。"出来ない"というばかりじゃひとつも前に進まないでしょ。"出来る"ことから始めなければ、一生進歩しないよ。好きなことを見つけて始めたら楽しくて楽しくて病気も治っちゃうかもしれないよ。」

わたしは母を通して聞くよりも直接本人から聞いて、もっと妹の状態を理解したし、妹はわたしが彼女を心配して少し厳しいことを言っているという真意を理解したようだった。海外の見知らぬ町を歩き回って、へとへとに疲れてはカフェで一休みして、地図を広げて次はどこを目指そうかと相談した。そんな記憶がふと甦って、いつかまた元通りになれるだろうかと想像した。

帰り際、妹が何故か"これあげる"とOREOを鞄から出した。口をあけてないOREOのファミリーパック一袋。家に向かって歩きながら何年も何年も心に留めた気持ちを全て吐き出した心地よさにむせび泣きそうになった。涙を封じ込めるようにOREOを口に放り込むと、たちまち食べている間にも虫歯になっていそうな甘い甘い味が口いっぱいにひろがった。


2011年06月22日(水) 雨空が青く見える日

久々に気が向いてパンを焼いた。全粒粉と強力粉を半々、砂糖と油脂を一切使わない代わりにドライ・フルーツとナッツ(いちじく、レーズン、ブラジリアン・ナッツ、胡桃)をたっぷり入れるとてもシンプルで簡単なレシピを試してみた。読書に熱中している間にぷっくり膨らんだ生地を形にしたら二次発酵させて、オーブンで20分焼く。

健やかにのびのびと育っている植物に水をあげるとき、クロエちゃんの体をマッサージするようにブラッシングしながら一日の出来事を話して聞かせる時、好きな本と映画に、キッチンにたちこめる焼きたてのパンの芳ばしい匂い、近頃、ほんの些細な日常の一齣に言い知れない幸せを噛み締めてしまうのは、毎日ニュースでそんな些細な日常の幸せを奪われた人々ばかり目にしているからだろうか。

パンはとてもいい具合に焼けた。焼きたてにクリームチーズを挟んでかぶりついた。


2011年06月15日(水) I can't take it anymore! I quit!

仕事にあまり感情的になってはいけない。やってもやっても掃けないことに苛立ったり、他人に押し付けられる理不尽な雑用もいちいち深く何かを感じたりせず、淡々とこなすくらいの神経を持たなければこの会社ではもたない。わかっているけれど、たまにぷっつりときれてしまいそうになる。

ランチタイムにインディアン・ガイとアメリカン・ガイにこんなことを打ち明けた。
「アメリカのドラマなんかでよく"I can't take it anymore! I quit!"ってきれて会社を去っていっちゃたりするシーンがあるでしょ。わたし最近自分もある日突然そうやってこの会社を辞めちゃったりすることがあるような気がするの。この間ふとそんな想像をして、思わずそう口走っちゃったら、もたもた荷物詰めるのも恰好悪いから、すぐ去れるようにって、気付いたら持ち物を整理してたの。」

二人は、"referenceに響くから穏便に退社したほうがいいよ”などとアドバイスをくれたが、日本にはそんな制度はない。

その数日後の朝、突然デスクをばちんと叩く音がして、怒鳴り声が聞こえた。

"I can't take it anymore! I quit!" 

辺りが一瞬にして凍りついたように静まりかえった。

その声はわたしのものではなかった。しかも英語じゃなくて"もうやってらんねぇよ!辞めてやる!”という日本語だった。斜め前に座っている男性だった。大学を卒業して以来この会社入って、この道25年。養わなければならない大家族持ちだ。毎日彼を攻めたてるボスにとうとうきれたのだ。言いたいことをひととおり言うと彼はそのまま去っていった。斜め前で日頃穏やかな彼がボスに攻め立てられては呼吸が荒くなるのを、びくびくしながら聞いていたのだが、とうとうこんなことになってしまった。

マネージャーが追いかけて説得したが、もう本当に嫌気がさしてしまったようだ。たった数年しか働いていない独身のわたしと彼がやるのでは全く重みが違う。彼の人生の労働時間を全て捧げた会社をそんなふうに辞める気持ちはどんなだろう。わたしが冗談半分で話していた"I quit"などという言葉では計り知れない複雑な感情が渦巻いているに違いなかった。


2011年06月14日(火) モロッコインゲン

モロッコから来たの?見た目もダイナミックでなかなか恰好いいじゃないっと興味をそそられて買ってみた。調理の仕方もよく分からないから、粗塩をまぶして、ひとまずじっくりグリルしてみた。その上に甘〜いプチトマトと新玉ねぎ、にんにくを酢とオリーブオイルで和えて乗せてみた。

お味は。。。。見た目どおり大味でこういうシンプルな野菜料理には不向きかもしれない。カットしてカレーかなにかに入れるにはそう悪くないかもしれない。



2011年06月11日(土) El Buono Pizza

昨夜、頑張って仕事を区切りのいいところまで片付けた甲斐あって、すっきりと迎えた週末は朝から暴風雨。家に篭るしか選択肢のないこの天気も悪くない。パバロッティをプレイして、ムショウにピッツァの生地でも練って、人差し指に乗せて宙でぐるぐる回したりしてみたい衝動に駆られながら大掃除をした。この時期は水周りの掃除をこまめにしないとすぐに汚れる。テレビで見た占い師によると、水周りを汚くしていると恋愛運を逃すのだそうだ。そんなの占いじゃなくて、全うな社会人として全うな美学があるかどうかの問題だろうとつっこみたかったけれど、言ってることは間違いないだろう。水周りを不潔にして"良い恋愛してます"なんて想像できない。

雨もすっかりあがった夕方、ダミアンと美味しいピッツァを食べられると評判のレストランに行ってみようと、電車に乗って品川まで出た。JRは節電などという言葉はもう忘れたのか、冷房がガンガンにきいた車内で凍りついた。品川駅の品川プリンスに滞在するような外国人観光客に、日本の豊かな電力と豊富な電子機器を見せ付けるかのように無駄に同じ画像を映し出している多数のモニターは、彼らがぱったり姿を消した今では無用の長物にように見えた。そして、皮肉にもそのモニターに映し出されていたのは原発関係者らが生活を奪われた町の人々に謝罪している姿であった。

ピッツァは両隣の席の客が"モチモチしてて美味しい"と表現していたとおりの食感だった。窯焼きは自宅で出来ないから本当に香ばしくていいけれど、わたしはもっと歯ごたえがあってクリスピーな生地のが好きなのだ。本場イタリアのは知らないが(ダミアンに言わせると、わたしが欲しているものの表現のほうが本場のに近いという)、日本ではまだ自分好みのピッツァに出会えていない。パースにあったピッツァの世界チャンピョンとかうたっていたシシリアン親父の作るピッツァはわたしの中のベストだ。生地はおそらくセモリナ粉から作っていて、そして周りに上新粉ではなく黄色いコーン粉をまぶしてから焼いている。何がコツなのか分からないがわたしはこのコーン粉ではないかと踏んでいる。今日のレストランは空豆とフレッシュトマトのパスタがとても美味しかったのでまぁいっかというところだが、やっぱりわたしもダミアンもまたピッツァにはがっかりだった。そして、"本格イタリアン・レストラン"で本場の人がやらないスプーンの上でパスタをくるくるしたりするのは誰もやってなくてちょっと憚られるのだけれど、そのほうがソースがよく絡むので許して欲しいな。


2011年06月06日(月) "Saving Private Ryan"

久々に重圧に心に響く良い映画と出会った。ハリウッドから生まれた戦争映画なんてどうせアメリカン・スーパーヒーローの話なんじゃないのかと高をくくっていたのだが、まったくもってそんな単純明快なものではなかった。

墓場に佇む一人の老人。その老人を背後で見守る家族。過去を振り返り遠い目をする老人の回想かのように1944年6月6日(たまたまだが今日からちょうど67年前だ。たった67年前。。。)"D-day"と名づけられたアメリカ軍によるノルマンディ上陸作戦シーンが映し出されストーリーが始まる。ロバート・キャパという戦場カメラマンの"Slightly out of focus"という小説に挿入されたD-dayの写真を見たが、まさにその写真から想像したとおりの凄まじい光景だった(キャパの写真も手振れしたものしか残らなかったようだ)。そしてそのシーンのあまりにもの長さが兵士の精神を蝕む長引く戦争を象徴しているようだった。

その数日後、この上陸作戦を生き抜いたキャプテン・ミラー(トム・ハンクス)は新たな任務を命じられる。それは4人兄弟の中で唯一ひとり生存しているであろうジェームズ・ライアンという兵士を探し出して、母親の元に返すことだった。兄弟の中で他が全部戦争でなくなった場合、生き残った一人は家族の元に返すという決まりがあったのかどうかはわからない。この映画の兵士達は祈る時も死ぬ時も家を思うときもいつでも口にするのは"Mama"で、"Dad"はない。一瞬不思議に思ったが、考えてみればDadは戦死して既に天国にいるという人ばかりで、この世で自分の帰りを待っているのはMamaだけなのに違いなかった。キャプテン・ミラーと部下の8人はドイツ軍が潜む危険な地をジェームズ・ライアンたった一人を探すために突き進むことになった。彼らは最初はこの任務を"Fubar(この映画では兵士達の間で作られた言葉あるいはスラング"fucked up beyond all recognition"の意味)だと嘆いていた。わたしもその通りだと賛同して観ていた。道中の銃撃線でひとりふたりと命を落としたところでジェームズ・ライアンを見つけた(ライアンはわたしの愛する"若きマット・デイモン”だったことに驚き胸が高鳴った)。

キャプテン・ミラーがライアンに兄弟の死を知らると悲しそうな表情を見せたものの、彼を連れ戻そうとするとそれを拒否した。
「もし君が死んだらお母さんになんと説明するんだ。悲しむよ。」
と説得するが、
「僕は戦場での兄弟を最後まで見捨てず戦ったと言えば母さんは解ってくれるよ。」
と頑なに拒んだ。
キャプテン・ミラーと部下の心は揺れ動いた。任務を強行に遂行することもできただろうが、自分達も仲間を見捨てて帰ることが果たして正しいのだろうか、もしライアンと共に最後まで戦い、また彼を無事帰還させることができたら、"whole godawful mess(この滅茶苦茶な戦争)"の中でたった一つだけでも良いことをしたと胸を張って故郷に帰れると。当時の日本の兵士を描いた映画などでは決まって「お国のために命をかけて」などと忠誠を誓っているが、口にすることはできなくても実際このアメリカ兵達のようなFubarと思う気持ちはあったのだろうか。キャプテン・ミラーは故郷では国語の教師だった。そんな平凡な一市民がこの地獄絵の中で必死に自分の信念を見失うまいとする。彼らにとって戦争に勝つことは目標ではなかった。たった一つでもライアンを救ったという"人として良いこと"をしたと誇れることが欲しかった。ライアンをただ連れ戻して任務を終えて故郷に帰ることは"Saving"ではない。ライアンは残りの人生を"戦場に兄弟を残して自分だけ帰還してしまった"という罪悪感に苛まれて暮らすことになってしまうのだろう。そして6人はライアンと残って戦う道を選んだ。

ライアンを探しだす道中、この任務に意義がないなどと抗議する部下にキャプテン・ミラーが言った。
「意義のある任務などあるかっ」
彼らにはお国のためにという精神はなく、任務だから仕方ないという姿勢だ。既に彼らはこの戦争に意義などないと悟っていた。この生き地獄で平凡な一市民である自分の良心を必死に守った彼らはわたしの心の中では真のアメリカン・スーパーヒーローだった。


2011年06月05日(日) 楽しみすぎてごめんなさい




















パースの友と銀座で再会。休日が合わなかったり予定が合わなかったりで3人で集まるのは実に1年ぶり。三越の裏のル・ブランというカフェでガールズトークを存分に楽しんだ。このカフェ、憂鬱で不気味な色合いのインテリアでハイソな雰囲気を出していて、従業員の制服も顔色の悪く見える色で、あまり居心地良いとは言えないのだが、オーダーしたミックスベリーのレアチーズタルトは、ベリーの味がワイルドで酸味が強く、それがまろやかな甘みのレアチーズと調和していてとても美味しかった。隣席の人が食べていてサンドイッチも美味しそうだったな。あぁだこうだと何時間も話して、つくづく、みんな年を取ったと思う。刺激を恐れながらもどこかで刺激が欲しいと思っていて、しかしあらゆることを既に経験してしまって腰が据わっているため、並大抵のことでは刺激を受けない。

楽しい時間を過ごしてちょっと遅く帰宅したら、なんとクロエちゃんが激怒していた。いつもならドアを開けるとおなかを見せて早く触れと催促するのに、今日はぷいっと顔を背けて触ろうとすると逃げる。ごはんをあげても機嫌は直らず、おもちゃをだしてきても寄ってこなかった。仕事で遅くなるのは許せても、遊んで遅くなるのは許せないとでも言っているようだ。機嫌を損ねるとケーブルを噛み切られるので恐ろしい。光ケーブルを噛み切られたこともある。いい気分で帰ってきたのに、激怒され、浮気して帰って妻にキレられた旦那のような気分でうろたえてふとんをかぶってそのまま寝てしまった。

しかし、夜中のうちに機嫌を直したのか、朝になったらいつもどおり隣に横たわって喉をごろごろ鳴らしていた。

(写真:朝のクロエちゃんとカリフォルニアローズ)


Michelina |MAIL