My life as a cat
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2007年09月29日(土) かつての棲家

シティのシェアハウスへ遊びに行った。わたしが住んでいた部屋にはアフリカ系ニュージーランド人の大男が住んでいて、仕方なく残してきたマーヴの大きなベッドを「助かってるよ」と言いながらとてもきれいにメイキングもして使ってくれていた。オーナーのステファンはこの一等地を売り払ってそろそろリタイアメントの準備にかかる予定だと話していた。あれこれあれこれ話したけれど、マーヴのことには触れてこないさりげない大人の気遣いに感謝した。トロイは一時期飼いたいという人が現れてダウンサウスへもらわれていくことになっていたのに、結局お迎えが来なくて、このシェアハウスの家猫のようにソファに寝転がってブランケットをかけてもらっていた。忙しく人間が入れ替わるせいでわたしのことなどすっかり忘れたらしい。気持ちがぼろぼろになってしまって逃げるように出てきてしまったのに戻ってみたら何もなかったように静かな時間が流れていた。

午後はダリアとアレックスとスビアコへ行ってパブのソファで寛いで過した。冬が終わったばかりのまだまだきりりと冷たい春の風の中、元気にビールを飲む二人が羨ましい。匂いは好きなのにやっぱり苦い。しかしビールが飲めたらあと5パーセントくらいは人生の楽しみが増えるのではないかとよく思う。


2007年09月28日(金) 春のパースへ

またCOMOに戻ってきて、アレックスが頼んでおいてくれたダリア&ゲイリーカップルの家にステイさせてもらうことになった。初めて住んだのはWaterfordで、カーティン・ユニを拠点に転々として結局サウスにしか住んだことがない。土地勘があるから暮らしやすいし、アレックスの家にも歩いていける、マーヴ兄の家は川を挟んで向かい側、夕方の散歩はスワンリバー沿いのサイクルパスを行けばいい。パーフェクトなアコモデーションが見つかってラッキーだ。

パースには春がきていて近所を散歩しながら人の家の庭に咲く花を見て歩くだけでも楽しい。

仕事でノースにいたアレックスもロング・ウィークエンドのために戻ってきて、着くなり連夜のどんちゃん騒ぎとなった。何も知らない彼らは今回が最後のパースになるかもしれないと言ったら、ここで結婚すればいいよと無邪気に色んな人を紹介してくれようとする。ハンサムでリッチなのがいいなどとふざけていても、わたしが会いにくるのを指折り数えていたマーヴがひとりで寂しい夜を過しているのがいつも胸につかえて思い切り笑うことができないでいる。早く会いたい。


2007年09月25日(火) それさえあればいいのです



















The most terrible poverty is
loneliness and the feeling of being unloved
              - Mother Teresa


2007年09月19日(水) たとえ"One of them"でも

通勤途中にこつこつと早川良一郎著「さびしいネコ」を読んだ。1919年生まれの著者がサラリーマン生活を全とうし定年退職してから綴ったエッセイ。運命に激しく抗うこともなく、しかし意思にそぐわないものには染まりきらず、置かれた状況の中で静かに眼前を見据えてユーモラスに書かれた文章に腹の底で小さな笑いが沸き起こる。

春に帰国したばかりの時、京葉線に乗って外を眺めていた。鉄道橋の上を走っているから一軒家なら上から見下ろすことになる。東京駅も近くなってくると新興住宅地が見えて平行に敷かれた何本もの通りにぴったりと同じ住宅が等間隔で整然と並んでいるのが見えて、それは軍隊の行進を彷彿させて咄嗟にぞっとした。わたしはあぁいう無表情にピタリと揃えられたものが恐い。きっとその中のひとつひとつには個性があってあの家々の中にはそれなりの幸福があるに違いない。ただその時、英語でいう"One of them"のような漠然とした代わりはいくらでもあるような表現で示されるような存在になりたくはないと強く思った。

隣近所もみんな違った顔つきをして違った習慣で暮らしているパースでは自分がOne of themと感じる機会はないけれど、ここではあらゆることで整列させられてしまう。サラリーマンやOLという職業を形容するとき前に"フツーの"とつけられることが"フツー"だ。わたしはこの著者のように整列させられて真直ぐ前を向かされても誰にも気付かれないように口元だけニヤリと笑っている人でいたい。


2007年09月16日(日) 一瞬の駐在員妻

パースの友と銀座のある寂れた雑居ビルの中にあるマレーシアン・レストランでチャークワイテオを食べていた。ラッフルズでラクサを食べようとマロニエゲートで待ち合わせたものの三連休とオープンしたばかりなのとで、人・人・人でごったがえし、それを見ただけでものぐさなわたし達はあっさり諦めて、味はイマイチだが、静かで待たせないのがウリ!?のそのレストランに落ち着いた。

わたしがいつか住むことになるのかもしれない"スリランカ"という国を話題にわたし達は結構大声で喋っていた。するとふと隣のテーブルから
「スリランカですか?」
と声をかけられ、見ると4人の40代前半くらいの女の人達がいた。その人達はにこにこしながら
「行かれるんですか?いいところですよー。わたしは3年、この人なんて7年いたのよー。」
と言う。周囲にはスリランカという国の場所さえ知らない人のほうが多いくらいで急にそんな人が現れたって何を聞いていいのか解らない。咄嗟にそうなんですかぁとにこにこ笑い返すことしかできなかった。しかし後から後から色んなことが気になりだして、わたし達は耳をダンボにして盗み聞きした。わたし達のテーブルは東南アジアの屋台のようなのに対し、あちらは豪華な晩餐のようなのを見てNGOとか海外協力隊とかじゃぁないね、駐在員妻だなっ、などと相談した。

帰り際に聞いてみたらやはりその通りだった。しかし
「いいとろこですよー。」と言われた時は漠然とした期待に胸が高鳴ったのに、
「何が魅力なんですか?」
と聞いたら
「コロンボなら便利で何でも手に入りますよ」
という答えで聞く相手を間違えたと気付いた。日本人村を築いて安い労働力を使って家事を任せ、現地人とは関わらず、現地人とはかけ離れた暮らしをしているのであろう彼らにとってはスリランカでもアフリカでも南米でもそれがどこであれそう変わらないのではないか。

少し会話が聞こえていたのか、しかし、わたしがシンガポールに住むことになった駐在員妻と勘違いしたらしい店員に
「物価はマレーシアより高めらしいですけどいいところらしいですよ。がんばってください」
と激励されてしまったので、
「えぇ、がんばります。おほほほほっ」
と哄笑しておきました。


2007年09月14日(金) カレーパン

ランチは毎日昆布と炒りゴマの自家製おにぎり一つと、駅前のフランス語の名前のついた垢抜けないパン屋の何の変哲もないカレーパンと決まっている。この量がおなかにちょうどいい。程よく満足だけれど居眠りせずに午後の仕事ができるから、もう毎日これだ。今日は理由は知らないが100円セールなどと言って安く買えた。しかし、これが落とし穴だった。肉のエキスなどが入っているだろうことは薄々わかるが、舌に触るような肉の塊やひき肉が入ってはいなかったからそれでよしとしていたのに、今日は舌に変な感触があった。恐る恐るもう一度噛んでみるとそれが豚肉だということがわかった。もう解ってしまうと気持ちが悪く噛まずにゴクリと呑み込んだ。けっこうショックだった。

キャンベラに中国人がやっている小さな日本食屋があってその入り口が売店になっていて手作りの軽食を売っていた。その品揃えは外国人の目で捉えた「日本食」でなんとも愛嬌があった。卵とマヨネーズのサンドイッチにカレーパン、カツサンド、クリームパフェなど。カレーパンを食べたかったけど、古い油を使ってるんじゃなかろうかなどと疑って結局一度も食べなかった。

帰国してカレーパンを見るたびにそれを思い出してついつい買う。おととい渋谷のスペイン坂の"人間関係"で食べたインドカレーパンは辛めで美味しかった。雨降りで寒かったせいもあるのか、「絶対温めたほうが美味しいですよ〜」と店員が言うのでそうしてもらったら本当だった。駅を降りるだけで頭痛に見舞われてしまう渋谷まで行ってそれが唯一の救いだった。


2007年09月09日(日) お久しぶり

「冷えは万病のもと」と起き掛けに基礎体温を測り始めて一ヶ月たった。高体温が14日続いたのでそろそろかと思ったら今朝に体温が下がっていて生理がきた。体がちゃんと機能しているのをグラフにつけていくのはなかなか楽しい。36.7度は「美人体温」だと聞いて、朝に「今日も美人」と確認するとやる気がでる。体がちゃんと温かいと精神も安定するし肌の調子もいい。

夕方に友人のアレックスに電話をかけた。4月にパースを去る寸前に彼の家で開いたパーティ以来だ。スワンリバーを臨む心地よいキッチンで準備をしていると料理の出来ない彼なりに手伝おうと頑張るのだが、やがて役に立っていないのが解ったのか、遠く離れてたまにこちらを伺っていた。夜にやってきた彼の友人達と騒いで、中国式の茶道できちんと入れてくれたお茶を飲んだ。マーヴがいなくなってから夜の過し方が解らなくなっていたからこんな友人の存在が心底ありがたかった。パースで緩やかな時間を共有した友達とは長く音信が途絶えてしまっても再会すればすぐに過去のような空気を取り戻せてしまう。パースに戻ることを告げると年下なのにしっかり者の彼はすぐに必要なら空港へ迎えに行くとか、友達に空いてる部屋がないか聞いてみると言ってくれた。


2007年09月05日(水) 歯は命

歯医者さんでちゃんと歯型をとって作ったマウスピースができた。しかし、その本命よりもわたしの心を動かしてしまったのは「あっ、ついでにこれもあげとくわっ」と何気なく手渡された自分の歯型の石膏。自分の奥歯の内側がこんな風になっているのかとしみじみ眺めては感心し、裏から見ると自分の咽喉から口内を眺めているようだとわくわくした。家に帰って見せびらかしてみたけれど、家族はヒンヤリ、誰も興味を示さないどころか、自分がいつか入れ歯になる日を想像したのか、そんなものどっかにしまってきなさいっ!と怒られた。マーヴは市販のボクシング用のマウスピースをして歯と唇の間をぽこりと盛り上がらせて小猿のような顔で寝ていたからこれからはわたしも仲間入りかと思ったが、オーダーメイドのはちゃんと歯にピタリとはまっているので、そんな顔にならず、綺麗な寝顔(勝手な妄想)を保つことができる。ちょっと噛み合わせが悪い詰め物をされただけで平衡感覚を失って頭もぼんやりしてしまうのだからやっぱり歯は命、ここは絶対おろそかにできないところ。

昔から男の人のルックスで絶対譲れないのは歯がキレイなことだった。元々丈夫でキレイならパーフェクト、虫歯になってもちゃんと治療してあれば大丈夫、歯をないがしろにする人は全てにおいてだらしなく、あらゆる価値観が自分とは合わないのだと決めつけてきたが例外は見たことがない。と、こんな風にちゃんと理屈が言葉で説明できるのだが、どこかで「野生動物は歯がなくなってしまったらもう獲物もとれないからそれは即ち死を意味する」という記事を読んで、いや理屈ではない、こんな「不自然」の暮らしに身を置く自分のような人間でも「本能」でちゃんと獲物を運んでくるオスこそ生活に必要だと知っていたのではないかとその力強い自然の摂理を思って感慨にひたった。


2007年09月03日(月) 年をとること

スタジオの片隅のデスクに向かって黙々と仕事をしていると、イヤでも背後のモデルとカメラマンのつまらない会話を聞く羽目になる(といってもわたしは別にイヤじゃないんだけど)。20才そこそこ、髪も肌も爪も全身ピカピカ、その美貌が失われていくことなど想像もできないほど先の話である女の子に怖いものなどない。鼻にかけたアニメキャラ(しかも人間じゃなくて動物の)のような声で絶え間なくおしゃべりに興じケラケラと笑う。「きゃぁ〜!確かにわたし20才過ぎたけどまだ大丈夫ですよぉ。まぁ30才過ぎたらもう無理でしょうけど。」というのは服の話かなんかなのか、背後で繰り広げられている会話に振り返る暇も価値もない。が、それにピクピクと反応してしまったのは隣のキクチさん、35才。どうしてそこまで他人を気にして生きなければならないのかというくらい神経を張り巡らせて些細なことに胃を痛めながら生きている。ガリガリに痩せているのにもっともっととランチにはダイエット食品を齧り、年をとることを何よりも恐れている割に着ている服もドブ川に落ちたんじゃないかというくらい全身濁った色ばかりで、表情も暗くとても老けて見える。人の評価を過剰に気にしてそればかりに気をとられて仕事が捗らず、逆に評価は下がるばかり。本人のストレスも頂点に達しているようだ。後ろを振り返って一瞥すると「この会社はそういうところなのよ。30才過ぎた女は人間じゃないと思ってる。」などとぶつぶつ言っていた。本当にそうだったらキクチさんは雇われてないと思うが。

しかし、モデルにしてもキクチさんにしても、「年をとる」ことをポジティブに考えている人が少ないようだ。体の器官も弱ってくるし皺も白髪も増えてくるけれど、わたしはそういう「自然」に勇みこんで抵抗しようとは思わない。くたびれて見えないような色の服を着ることくらい。年齢を隠したがる人も多いが、何年生きてくることができたかという輝かしい栄光なのに、と時々、わたしと一緒に30才はおろか成人することもできなかったふたりの幼馴染の儚い命を思う。


2007年09月01日(土) それでもボクはやってない

周防正行監督の「それでもボクはやってない」という映画を観た。就職の面接へ向かうフツウの若い男の子が電車内で痴漢の疑いをかけられ、逮捕されてからの拘置所の様子や裁判の行方を描いた話。認めてしまえば5万円の罰金、裁判で無罪を訴えるのならば長い拘置所生活か高額な保釈金を払って塀の外で判決を待つかという疑われた時点で刑務所に入ったも同然のような理不尽な仕組み。無罪判決を出すことは国家権力に楯突くことになるからと左遷されてしまう平等な裁判官。どこにでもいそうな普通の人々の普通の感情や普通の正義感がいとも簡単に蹴飛ばされていく。「疑わしきは有罪」などと言って簡単に人の人生をくるわせてしまえる人々と被疑者、どちらが悪なのか。

知人に財布からクレジット・カードを引き抜かれて使いこまれたことがあった。防犯カメラに姿がうつっているのにも関わらず、警察は捕まえる気など全くなかった。それを批判するとイヤイヤ本人を呼び出し「事情を聞きましたが、やってないそうです。結婚間近に控えているそうで幸せそうでしたよ。」などと報告されてしまうのだから、それが電話じゃなければ一発殴ってしまったかもしれない。オーストラリアで強盗に入られた時だって彼らが来たのは強盗が出て行ってから1時間半後だった。警察なんて頼りにならないとわたしは思っているが、きっと警察も検察も裁判官もピンキリだ。しかし、人の名誉を一生に渡って左右してしまう人々がピンキリなんて気まぐれなものでいいのか。

ひたすら「やってない」と訴える主人公にマーヴを重ね合わせてしまう。昨日までマジメな学生だった人がある日突然容疑者になってしまう。メルボルン事件の本多千香さんはコアラを見ることを楽しみにしてきたただの旅行者だったし、鈴木英司さんは東南アジアで女を買うただの呑気な日本人男だった。ひとごとではない。明日は我が身かもしれないと思うと身の毛がよだつ。でも今わたしにできることはマーヴをしっかり信じてあげることだけだ。


Michelina |MAIL