My life as a cat
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2006年11月26日(日) 哀しい予感

ここ一週間原因不明の頭痛に見舞われ続けているマーヴは、朝早く検査の為医者であるお兄ちゃんに連れられて病院へ行った。「昼頃には帰ると思うよ。」と軽く言うのに、ハグをする腕にはこれから戦場へでも出かけるような重みがあって心細さに襲われた。

昨夜一緒に出かけた日本人ばかりのパーティは思いがけずカラオケ・パーティーのようになっていて、ただひとり日本語の出来ないマーヴの為にひとつ頑張って英語の歌を唄った。その帰り道、カラオケってクールだね、とか、君の声はビューティフルなどと少し興奮気味に言って、シェア・メイトにまで”She is a good singer”などと触れ回って赤面させられた。彼にとって家族やGFは世界一なのだ。そんな純朴さや一番身近にいる人に一番優しくできる誠実さが大好きだと噛み締めながら眠りに着いた。大好きな人ほど失ってしまうのではないかと不安になる。

「病気にならない生き方」をひっぱりだしてきてもう一度読んで自らの食や生活習慣を省みて日中をやり過ごした。もう日が暮れたのにマーヴはまだ帰ってこない。

(写真:冬の終わりに咲いていた花)


2006年11月19日(日) Lake Monger

暑い、暑いと呟きながら日中をやり過ごし、陽が傾きかけた頃レイク・モンガーまでドライブ。途中で気まぐれなデイヴィスの腹ごしらえのためジェラーレに寄って、バナナ・スプリットを普段にもましてあどけない表情で幸せそうに食べる彼をぼんやり待った。バナナ・スピリットを見るたびに頭の中でプレイされるのはトニー・ベネットの”Banana split for my baby”。

Banana split for my baby,
A glass of plain water for me.
Banana split for my baby,
Glass of plain water for me

Dispenser Man, If you please
Serve my gal a mess of calories

Banana split for my baby,
A glass of plain water for me.

Flip back the lid, scoop everything in sight,
Make it a rainbow of red, brown and white
Chocolate chip and everything thats nice,
Tutti Frutti and spumoni twice

Banana split for my baby,
A glass of plain water for me.

Spread the whip cream for at least an hour
Pile it as high as the Eifel Tower
Load it with nuts, about 16 ton
Top it with a pizza just for fun

Banana split for my baby,
A glass of plain water for me.

Stack her up with crazy goop
Cause thats the stuff she likes to wade through

Banana split for my baby,
A glass of plain water for me.


Now addthe cherries, the kind she likes to munch,
Skip one banana use the whole dran bunch
Drown it in fudge, 6 or 7 cans,
giver her two spoons, she'll use both hands

Banana split for my baby,
A glass of plain water for me.

Seperate checks, It must be
Charge the split to her,
the water to me

Banana split for my baby,
A glass of plain water for me.
I ain't got no money
A glass of plain water for me

イタリア男の憎めないケチさが可笑しくて噴出してしまう。お金無くても女の子連れまわして、かっこつけちゃうのにオチつきなところもね。

一周3.5kmの湖はのんびりと散歩するのに最適。足の長いマーヴとデイヴィスは先に行かせて、わたしは後からゆっくり鳥を見ながら歩いた。ここの鳥は人間慣れしていてなかなか積極的で怖い。2kmくらい歩いたところで靴が足に重く感じて裸足で芝生の上を歩くことにした。ひんやりしていて気持ちいい。肌が自然と直に触れるというのはどうしてこんなにリラクゼーション効果があるのか。空気が美味しくて体が浄化されているよう。体がほどよく疲れて、帰りの車ですやすやと眠った。


2006年11月13日(月) Caged, stressed sows

朝のカフェにて、側に置いてあった新聞にふと目をやり、そのまま釘付けになった。”Caged, stressed sows feed $800m industry”という大きな見出しの下には身体をターンすることも出来ないような狭いゲージに押し込まれたお母さんブタとその檻の間に挟まれて動けなくなってしまったかのようになっている子ブタ達。記事の内容は妊娠しているブタのゲージが小さ過ぎると非難する動物愛護団体とこれは他国のスタンダードよりよほど大きいサイズなのだと言う畜産業界。ゲージを大きくするのも、ましてやFree range(放牧)などコストが上がる、となると今度はオーストラリアよりもスタンダードの緩いアメリカやカナダなどからの輸入が増えるだろうということ。しかしどうやら今のところは愛護団体のほうに不利な状況となっているようだ。

ベーコンのたっぷり乗ったOZブレックファストをほおばりながら、新聞を眺める人々にこの記事はどのように響くのだろうか。それとも何も響かないのか。ミルクの入ったカプチーノが苦く感じた。それならあっさり乳製品を絶てばいい。けれど、それは殆ど解決に繋がらない。そしてそれはベーコンを食べ続けるのと変わらない。最近はベジタリアンであることなど、何も特別だと思わなくなった。それでも”みんな中流”の日本と違って貧富もエデュケーションも比較的はっきりと差がでているここでは食に対する意識も然り。肉を食べる人の中でも、ベーコンやサラミ、ハム、ミンスなどの得体の知れない物を混ぜられていそうなものは食べない人も沢山いる。意識する人が増えることでしか変わっていかない。

しかし、野生の舌は健康だ。庭をうろうろしている野良猫のトロイは”いい肉”しか食べない。生の赤い肉などもらうとかぶりつくのに、ベーコンなどだとよほど空腹の時にチェッ、という顔でやたら時間をかけて食べている(笑)。


2006年11月07日(火) 相変わらずの家

日本に一時帰国していたシェア・メイトがお願いしていた雑誌を買ってきてくれた。”ku:nel”,” coyote”。イラストとか写真とかレイアウトとか日本語の小ぶりで控えめな繊細さや美しさに息をのんで、こんな時ばかりは日本人であることを自慢したくなる。

実家では母がここ数年夢見ていたリフォームをしたようで、わたしの部屋はしばらく物置小屋と化しているらしい。60歳近い母が夜な夜な老眼鏡をかけて眉間に皺を寄せながらインテリア雑誌と睨めっこしては、「ここにキッチンを置いてね、ここは寝る部屋。でね、この壁を打ち貫いてね、、、、これがお母さんの夢なの。」と視線を宙に浮かせて語っていたっけ。彼女が「夢」などと口にすると、疲れてしまったみたいにすっかり縮こまってしまった両親の背中にまた魂が宿るみたいで、家の中が活気帯びた。わたしはその度にしばらくは「孫の顔が見たい」なんていう希望は忘れているだろうとほっとしたものだ。

平和としか言いようのない家庭でも緩やかな時間の流れが少しずつ変化を運んでくるけれど、やっぱり今度帰った時にまた家族だけは「相変わらず」でいて欲しい。


Michelina |MAIL