My life as a cat
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2004年12月31日(金) よいお年を

スマトラ沖地震の被害があまりにも膨大で実感が沸かないくらい。楽しいヴァカンスの風景は一瞬にして悪夢に変わった。もう世界中の全てを呑んでしまう大きな波がそこまで迫っているような気持ちになる。

シェルターの動物達のために、
工業的家畜動物のために、
孤児院の子供達のために、
家の無い人々のために、
爆音の中で生きなければならない人々のために、
今は平和な場所で生きる人々のためにも、
来年はもっと世界が平和でありますように。


2004年12月29日(水) ほんの少しの変化

マーティンは人との集まりでもビーフを食べることを辞めた。先日の彼の会社のBBQパーティーにはワインとチーズを持参して肉には一切手をつけなかったそうだ。わたしは人にベジタリアンを押し付ける気は無いといいつつも事実、彼はわたしと会ってベジタリアンとしての生活を余儀なくされたので彼が自分の心理からそう変わってくれたことは嬉しい。

以前このHPにわたしがタバコの吸殻を道端にポイポイと捨てていく日本人が目立つことを批判した文章を書いて、それを読んだ女友達が「ごめん。もうポイ捨てしません」と誓ってくれて、それからはちゃんとゴミ箱に吸殻を捨ててくれるようになって、しかも今度は彼女は自分の友達にまで「ちゃんとゴミ箱に捨ててね」とまで注意するようになってその変わり様が可笑しくて、嬉しかった。

自分が周囲の人間や物事からとても良い物を得て変化する時やその逆の現象が起こる時、何かと繋がって生きていることがとても素晴らしいと思う。


2004年12月28日(火) 楽しい夏休み

会社や学校は休みに入り、ショップやカフェもぱったりとクリスマスホリデーに入っていた。マーティンはちょっと具合が悪いので外出する気もなく家でだらしなくTシャツを着て、麦茶をゴクゴク飲みながら都会に住む夏休みの小学生のように一日中グオーーーン、ドピューーンといった感じの轟音を立ててコンピューターゲームを楽しんでいた。わたしはただでさえ暑いのにこの音が余計耳障りで耐えられなくなったので、家からバスでたった10分の友達の住むシェアハウスに夏休みの一泊旅行へでることにした。ちゃんとパジャマや化粧水を鞄に詰めて、シェアハウスに住む人達4人分の夕飯も作って持ち込むことにした。今日の夕飯のメニューは、このシェアハウスのオーナーの韓国人の男の子に対抗して韓国風の人参の炊き込みご飯とシーザーサラダ、カポナータ(ラタティーユのイタリア版のような野菜のトマトソース煮込み)、オリーブブレッド、そしてデザートにクリームブリュレを。

彼らの家は半分地下に潜っている(少し掘ったところに立っている)のでこんな暑い日でもクーラーをきかせてあるように涼しい。扇風機も回してもう快適。このシェアハウスの近くに住む彼らの韓国人の友達も合流し「漢字」の話でもりあがる。近頃韓国では若者はあまり漢字を使わなくなったけれど約500文字あるハングルだけで充分表現できるのだそうだ。

喋り疲れてきたころ、中庭にでて花火をし、それからもう眠たくなったわたしはパジャマに着替えてカードゲームに参加。そのままソファーでぐっすり眠った。

今日もいい天気で海へ行こうと言っていたのに、肝心な運転手から連絡が来ないので予定を変更し、女の子3人シティの年末セールへ。のんびり靴や洋服を見て日が暮れる頃、夏の小旅行はお開き。自宅へ戻った。

自宅はバスルームのセメントを業者が来て塗りなおしたらしく、明日の昼まで使うことができない。気候はいいのでバックヤードへでて大きな月を眺めながら露天風呂ならぬ露天シャワーを楽しむことにした。というのは雪合戦のごとくバケツで水をひっかけあうだけ。。。月明かりの下、バケツに汲んだ水を頭からかぶるなんて原始人ごっこのようで楽しかった(笑)が、外にいたミケは近寄ったら自分も水をかけられると察したのか、レンガの向こうから顔を半分だけ出して恐ろしい光景でも見るかのようにわたし達を覗き込んでいた。


2004年12月24日(金) 真夜中のクリスマス・パーティー

今日は朝から家の周りが騒々しい。何をするわけではないけれどこの雰囲気だけで楽しい。日本とヨーロッパのクリスマスのメインは24日、オーストラリアは25日。こんな風にややこしいのでわたしとマーティンの「クリスマスの日」の認識に誤差が生じ、ミスをした。

てっきり明日クリスマスを祝うのだと思っていたわたしは夕方に友達の家へ行き、彼女達の作ってくれたベジタリアン仕様のトマトソースのグラタンを頂いて(美味しかった!)、シャンパンを飲み、眠たくなってきた頃(すでに10時PM)ノースブリッジへ繰り出すことになった。やはりこちらのクリスマスはみんな家族と過ごすのか、いつもよりも静かなものだった。一杯飲んで、酔った友達はフラフラとケバブ屋さんに入っていってしまい、わたしも仕方なく入っていき、ポテトコロッケのようなものを買った。もうすでに0時を廻っていた。こんな時間にケバブ屋さんにいた見ず知らずのコリアン男性3人と「ヨン様は整形だ」とかそんな話をしながら化学調味料まみれのアンヘルシーな味の揚げ物を食べながら、コカコーラを飲んで、28歳にして不良中学生にでもなった気分だった。そしてハイテンションな酔っ払いの友達が体当たりするかのような勢いで止めたタクシーに飛び乗り家路についた。Niagara Falls出身のドライバーの口から流れるカナダのホワイトクリスマスの話に酔いながらいい気分で到着。ソファーに横になりマーティンに「今夜はここに泊まる」と連絡を入れると電話の向こうでいつもより頼りない声がする。「今から迎えに行く」というので帰ることになった。大酔っ払いの友達に「マーティンはホントに素直で優しくて可愛い人だね」と何度も言われながら見送られたのだけれど、彼女の言ったとおりだった。

家に着いて一揆に目が覚めた。テーブルの上には二人分のランチマットと皿が用意されていて使われなかった1セットが淋しそうに乗っていた。夕飯を作って待っていたのだという(わたし達は二人して携帯電話を持っていないので連絡が取れない)。なので、もうおなかは空いていなかったけれど彼が作ったフライドフィッシュをひとかけだけ食べた。そしてクリスマスプレゼントまで用意してくれたという。小さな箱を恐る恐る開けてみるとサファイアのネックレスが入っていた。クリスマスをすっぽかして飲み歩いてこんな時間に帰ってきたことを心底詫びてから幸せな気分でベッドへ行くと、ミケが寝息を立てて熟睡していた。マーティンがシェルターの小さなゲージの中でないていたミケを救い出してくれたときのなんとも切なくて温かい気持ちが甦って思い出が溢れてきてしまった。それを反芻しながら眠りに落ちていった。


2004年12月23日(木) 堕落天使

ようやくこちらのDVDレンタルショップでもアジアの映画が入ってくるようになった。でも、わたしが5年くらい前に日本で見たものが「新作」となっていて、古すぎる!ともあれ、サイクルの早い日本のレンタルショップではもう置いてなかったりするものが見られるので良しとしよう。最近の新作は1995年(遅!)の香港映画でわたしが大好きで何度も観た映画ウォン・カーウァイの「堕落天使」(邦題「天使の涙」)。懐かしさに浸りながら鑑賞する。

殺し屋(レオン・ライ)と彼に恋心を抱くエージェント(ミッシェル・リー)、彼らのアジトのマンションの管理人の息子モウ(金城武)、モウに町で突然泣きついてきた失恋女、ゆきずりの殺し屋に恋する金髪の女が香港ですれ違いながら一瞬ずつ絡み合う。懸命に恋する気持ちが痛くて切ない。ストーリーも好きだけれど、何よりもウォン・カーウァイの映画はカメラワークが抜群。

この映画で金城武は期限切れのパイナップルの缶詰を食べ過ぎて口が聞けなくなった男の子の役(「恋する惑星」を見ているとこの設定は余計面白い)。この時の金城武が一番魅力的だったと思う。日本で売れすぎてドラマに出るようになってからの役や目を二重にしてからはピンとこない。

ともあれ、どんなに日本で韓国人俳優ブームが起ころうとわたしは断然中国人俳優のほうが好みだ。この映画のレオン・ライは2004年の今見ても格好いいと思う。中国人はあまり髪の色を変えないのも良い。これはちょっとCuriousで欧米育ちの中国系の男の子に一度「チャイニーズの男の子は黒髪を染めたりしなくてわたしはそれがとてもCoolだと思うんだけど、どうして?」と聞いたことがある。すると「中国人は髪を染めるお金があったら何か買って食べちゃうんじゃない?」という答えが返ってきて笑えた。


2004年12月22日(水) 反省してください

夕方のオフィス街のバスストップでは大勢のまっとうな勤め人達がバスを待っていた。わたしもその中に紛れてぼんやりしていると、近くに立ってタバコを吸っていた(こんなに人の集まるところで吸うこと自体マナー違反だと思うが)30代くらいの女性がそのタバコを地面に投げ捨て靴の裏で踏み潰して足をどけた。そして拾われなかった吸殻は風でわたしの足元に転がってきた。彼女の行為をちらちらと横目で見た人はいたけれど、あまり大きなリアクションはなかった。が、その吸殻をわたしが拾ってゴミ箱まで歩き出すとみんな一斉にわたしのほうを振り返り、それから揃って彼女を一瞥した。ゴミ箱に捨ててから元の場所まで戻り彼女の隣に立っていたら彼女は顔を赤らめてわたしの顔をちらりと盗み見てからなんだか落ち着かない様子だった。自分の行為を羞じたのか、単に生意気なアジア人だと思ったのかはわからないがゴミをゴミ箱以外の場所に捨ててはいけないということは幼稚園児でも知っている。ちゃんとバスに乗って自分で家に帰れる人間のやる行為ではない。どうかそういった行為を羞じて反省してください。そしてもうしないでください。


2004年12月21日(火) ついに卒業おめでとう

一番の飲み仲間がパースに帰ってきた。半年振りの再会。そして驚いたことに彼女はもうすぐ結婚する! 彼女とは長々同じような境遇で同じような悩みを抱えていたので昼から夜までカフェでパブでワイン片手にあぁだこうだとくだを巻いていた日々が懐かしい。ついに彼女はそんな悩みから卒業。ビザのことで二人で切羽詰って悩んでいたときに彼が日本語で「ケッコンダ!」と言ったのがプロポーズの言葉らしい(笑)。でもちゃんと辞書を引いて調べておいたのだとわかるのがいじらしくて可愛らしい。結婚することを「落ち着く」と表現するけれど、まさしく日本とここを頻繁に行き来しなければならなく、物を買うことは荷物を作るだけであり、社会保障の面でも不安を抱える日々から解放され、これからは少しは先の計画を立てることができて、それに沿って欲しい物を購入することも出来る。人生の計画を一緒に立てられるパートナーがいることは素晴らしい。夕方、仕事を終えた彼がわたし達が話しこんでいたカフェに来て合流したのだけれど、二人ともすごく幸せそうでわたしまでとろけそうだった。


2004年12月18日(土)

。。。。life is a journey toward the guiding light.。。。。
いつもぼくは導かれる光の方向に向かって、人生という名の旅をしている。光という言葉、ぼくの小説の中にたくさん出てくる。日ごろ、光にいつも強く導かれているからだろう。でも、闇の中にも光はあって、むしろ闇だからこそ、光は意味を持つのだということができる。日中の溢れる光の中にいるのとは違って、暗闇の中で感じる光。そういうものほど、逆に、人に希望を与えるものなのである。

(辻仁成「愛情路線」より)

ショックなことがあった。2週間前に予告のように小さな爆弾を落とされ弱っていたところにとどめをさすように大きな爆弾を落下されて一切の光を遮断された気分。嫌なことをされたわけではなく、だた嫌なものを見てしまっただけだけれど。

辻仁成の小説にでてくる人々のように不器用な情熱だけで人生を旅している人が好き。人間関係に対する大人の賢い計算は嫌い。

クリスマスが近づいていて夜に近所を歩いていると人々が庭の木に飾り付けたライトがあちこちで点滅していてとてもきれい。わたしの内側の暗闇ではまだ鮮明な光が見えません。


2004年12月15日(水) 聞くに耐えないこと

WAに日本人に有名なふざけたオージーがいる。彼の主にワーホリメーカーを狙った日本人女性に対する悪事は新聞で読んだことがあったけれど今日その彼と接触があったという友達から直に彼の話を聞き、わたしは怒りというか諦めというかなんともいえない気持ち悪さに襲われた。彼にだけではない、ワーホリの女の子達にも。彼がワーホリの女の子を狙う理由はもちろんあまりお金を持っていないので仕事を斡旋してやれば着いてくること、彼が悪事を働いても留学生に比べ英語が苦手な彼らは警察には言わないこと、そしてあまり物事に対して危機感を持っていないことなど。彼の自宅はシェアハウスになっていてそこに沢山の日本人女性を住まわせているらしい。ここで何が起きているかなんて想像するだけでも気持ちが悪い。そして彼に気持ち悪いことをされても簡単に許せてしまうわたしと同じ日本人の女の子達がより一層わたしを気持ち悪くする。ほんの小さな一例だけれどある女の子は寝ている時に彼がベッドに忍び込んできて胸を触られたという。でも彼女はそこで警察にも行かず、時間が経ちパースまで移動してきてホームステイをはじめ、そこのホストファミリーにそのことを話すと彼らのほうが憤慨し警察に駆け込んだということだ。まず部屋に鍵をかけて寝なかったのか、仮に家のオーナーである彼が勝手に鍵を開けて入ってきたとしてもそんなことは尋常な行動ではない。そして少なくとも彼女がそれを快く感じなかったのだろうから後にホストファミリーに話したのだろうし、どうして翌日すぐに警察に駆け込まなかっただろうか。やはり英語が苦手だから?

こんな日本人の女の子が多すぎる。それゆえに「日本人の女の子ならばそういうことをしても大事には至らない」と高をくくっている現地人も少なくない。だからホストファザーが夜にベッドに入ってきたなんて泣きながら帰っていく留学生もでてくる。本当に不思議なのはこんな人達は文法的にきちんとした英語を話せないのは恥ずかしいので話さないというようなそういったプライドは高い割に女性としてのプライドが低すぎるように思う。

そして極めつけに今日判明したショックなことはその前文の彼の名前や職業、経歴、年齢、住居、ルックスの特徴から言って全てわたしの知人の女の子が「わたしのBF」と言って語っていた男性と同一人物だったこと。少なくとも彼女のBFはわたしの知る限り彼だけできちんと大事に彼の写真を持ち歩いていてわたしにも見せてくれたのに。。。


2004年12月14日(火) 迷い犬

数日前、日本の妹からメールには小型室内犬を保護したらどうも調子が悪いので獣医に見せると病気にかかっているようだなどということが書いてあった。しかももう老犬らしい。空き地や人目につかない土地の多い実家の近所にはそんな悲しい境遇の犬猫がわんさか捨てられては繁殖し、近所の苦情で保健所に捕獲されある日突然ぱったりと跡形もなく姿を消す。わたしが子供の頃から大人になるまで何一つ変わらず繰り返されてきた。そして縁があった犬猫だけが家で飼われた。だからこんなことは日常茶飯事。でも小型室内犬というのは普通よりも過保護に可愛がられてきた可能性が大きい分、捨て犬となる淋しさや心細さはより大きいものなのではないかと思う。第一自分で狩りをできるような器用な体には出来ていない。人間のペットとして暮らすしか考えられない種類の動物なのだ。この犬も、人恋しさから妹から離れたがらなくてちょっと妹の姿が見えないと必死で探し回るという。病気なので捨てられたのだろうか?それとも勝手に逃げてきたのか?誰かが飼っていた事に間違いない。

が、今日その犬が外に出たがるので庭に放してみんな仕事にでかけて帰ったらいなかったという知らせを受けた。妹が探しているようだけれど、病気の体でひとりぼっちで彷徨っているなんて可哀そう過ぎる。一度人間の愛情を知っているだけに余計。

以前家族である有名な獣医のドキュメンタリー番組を見ていたことを思い出した。この獣医は一風変わった人間のようだけれど、動物に対する愛情はすごくて休みもろくにとらずに動物を診ているのだとか。この人が「動物は絶対に捨ててはいけません。捨てるぐらいなら食べちゃいなさい」と言っていた。捨てられた犬猫を常日頃見ているわたし達は「強烈だけど正論だよね」と共感したのだった。裏を返せば「食べる勇気がないのなら捨てることはよしなさい」ということなのだろうけれど。それくらい責任は重大なのです。


2004年12月13日(月) 野生の町

わたしの住んでいるところは人に「なかなか良いところに住んでますね」と言われるようなところで、特徴としてはシティまでバスで15分、スワン・リバーに面している、白人が多い静かで治安の良い庶民的な住宅地。「なかなか良いところ」と言ったって東京のそれとは全然違う。田舎の中の「良いところ」。午後3時頃に近所のスーパーマーケットまで歩いていると猫達は日陰で死体のように伸びて寝ている。1年中夏休みといった雰囲気の子供達は自転車にまたがり奇声をあげながら前から全力疾走してくる。大人だって裸足で近所を歩いている。男の人はシャツも着ず、半裸族のように庭でうろうろしている。ここはまだ人間が野性的なのが好き。

ふと価値観が都会化されすぎた日本社会を思う。日本ではたまにサラリーマンのような疲れた表情の子供を目にする。親の受験戦争などという殺伐としたところに無理やり放り込まれるような子供は可愛そうだ。20年前にでた大学名を自慢するおじさんも。立派な肩書きと会社名の入った名刺以外に自分の素晴らしさをアッピールする道具を持たない人間も。

陽が傾き始める頃、風も涼しくなってきたのでわたしもサイクリングに繰り出した。うちから坂をビューンと下ってすぐに川沿いのサイクルパスへ入る。スワン・リバーに沈みかける夕陽は素晴らしい!水辺にはペリカンがプカプカと気持ち良さそうに浮いている。何度見ても見るたびにパースの空や夕陽や自然に感動してしまう。


2004年12月10日(金) それは偶然ではなく必然

マイちゃんと半年ぶりの再会。彼女の仕事が終る時間に職場の近くで待ち合わせ白ワインを買って韓国料理屋へ。日本に帰ったら大流行だった韓国ドラマのことや、わたしの短い社会復帰、彼女の職場、生活の中の小さな悩みなどあれこれと話した。

あっというまに時間は過ぎてしまい、2軒目に入ったBarが閉店の準備を始めるころ話していた話題についてはとても考えてしまった。彼女は旦那さんが子供の頃に両親から受けた傷を憎みつつもいつか自分にも同じ傷を負わせるのではないかという不安をたまに感じるという。現在は全くそんな兆候はないし、傍目から見てもとても優しい旦那さんだ。でも彼女の心配はよく解かる。育った環境や親の背中は子供に大きく影響する。

先日読んだ心理学の本で「幸せ恐怖症」について書いてあった。言葉のとおりなのだけれど、幸せに不慣れな人間は幸せを手に入れてもそれが恐くて自ら壊しにかかるというようなこと。

わたしの知人に自称「男運の悪い」女の子がいたが、わたしが思うには彼女は「運」が悪いのではなく、「目」が悪いのだ。選ぶ男性はわたしの感性ではろくでなしで暴力を振るわれ、お金を騙し取られ。。。と。そして彼女の育った環境も良質なものではない。本人の口からでる「理想の男性」とは至って普通の女の子と同じようなものだったけれど、わたしはそんな男性が彼女の前に現れたところでお互いに惹かれるようなことはないのではないかと思った。

わたしの家族はみんながそこそこの幸せとそこそこの不幸の中で平凡に生きているというくらいで圧倒的な裏切りも悲劇も暴力にも無縁だった。わたしが前述の彼女が出会うような男性に出くわすことすらないのは、育った環境から自然と自分の脳の中に暴力的な人や自分をやみくもに不幸に落としいれる人を回避するセンサーが組み込まれているからだと考えている。

良質でない家庭で育った人は良質な人間になれないとは思わないし、逆に良質な家庭で育っても悪質な人間になり得ると思う。同様に親の不仲を見た子供が良質な家庭を作れないと思うわけではないし、良質な家庭で育った子供だって不仲な家庭を作り得ると思う。ただ確率はぐんと違ってくるのではないかと思っている。

彼女の旦那さんが強い精神の持ち主で頭の片隅にでもこびりついているであろうそういった経験に生涯導かれることなく優しい旦那さんでいつづけてくれることを願うしかない。


2004年12月09日(木) アボカドとキュウリ

友達のマイゃんはちょっとしたお嬢様育ちで高学歴でいつも謙遜してるが全く口以上にあれこれと能力を持った人なので年下の彼女を尊敬すらしているのだけれど、この人はわたしとは異次元で生きてきたのではないかと思わずにいられないような言動をする。華奢で小柄で「小さな女の子」といった感じの声と喋りかた、まっとうな道を静かにコツコツ歩いてきましたという雰囲気の彼女がレストランでいい飲みっぷりを見せ、さらに外でたばこをふかしながら可愛らしい声で「たばこが一番の大好物なんだ」と言ったときにはその意外さに驚いたが、付き合いが長くなるにつれて更にわたし達は物事に対する意見を話すときまったくお互いに違う次元から物事を考えているということが判明した。

そして今日彼女と電話で話していたらまた彼女が面白いことを言い出した。

「わたしはカリフォルニアロールにはアボカドの代わりにキュウリを使ったほうがいいと思う」と。

「いや、でもアボカドは恐らくカリフォルニアで良いマグロを仕入れられないor安く仕入れられないorアメリカ人がいまいち生魚を好まないとかそんな感じの理由で身近にあり、マグロのような食感と脂っぽさがあるという点でマグロの代わりのようにつかわれはじめたんだと思うよ。だからキュウリのようなさっぱりした水っぽい野菜とは交換できないと思うよ。」

と言うと、

「えー。そうなの?わたしはてっきり色が似てるからアボカドはキュウリの仲間だと思ってたよ。」

と言われた。

うーん、そう考えたことはなかったな。はっきりしたことはわからないけれど、「恐らくアボカドはキュウリの仲間じゃないと思うよ」と言ったらいつものように持ち前のお嬢様育ち特有の素直さで「そっかー、知らなかったなー」と感心したように納得してくれた。


2004年12月08日(水) Tomato Pilaf

今日の夕飯はヒットでマーティンも気に入ってくれた。

作り方はこつ要らずだけれど、ちょっと複雑。玉ねぎや潰したひよこ豆、にんにく、クローブ、ローリエ、摩り下ろしたジャガイモ、そしてトマトペーストを炒めてそれをローリエと塩と一緒に炊いたご飯の上に乗せてチーズをふりかけナスを乗せてオーブンで焼いてハーブを振る。暑くてどころか熱くて食欲不振といいながら二人ともペロリと平らげた。そしてわたし達はここ一週間くらい毎日二人で3リットルの麦茶を飲んでいる。

ちなみに"Pilaf"ってペルシャ語なんですって。



2004年12月07日(火) ミケリーナのファッションチェック

若い日本人留学生やツーリストで溢れかえったシティを歩いていていつも気になるのは彼らの洋服の色。どうして日本の若者はくすんだ色の洋服ばかりを身につけるのだろう。男の子はそれでも気にならないけれど、女の子は肌も綺麗だし、化粧もうまいのに、濁った色の服を来て、ただでさえ欧米人より彫りの浅い顔が余計にぼんやり見えるのがもったいないと思う。くっきり見えて派手なら良いという意味ではなくて。全身くすんだ色で統一しているなんて人も少なくない。あのすごく細身のパンツとくすんだ色でなんとなく垢抜けなくて貧乏っぽい印象を受けてしまう。

対照的にこちらのお婆ちゃんは普通に赤や青といった原色のワンピースを着て杖をついてバスに乗り込んでくる。でもその服の色だけで実際より少し元気な印象を受ける。実際、鮮やかで綺麗な色を着こなすような老人は背筋が伸びていて、気持ちがシャキッとしていることの現れのように思う。これが全身くすんだモスグリーンなどだったらもっと老いて見えるだろう。

そういえば先日から話題に出している塩野七生の「男たちへ」でも同じようなことが書かれていた。「私は大変な愛国者だが、いや外国住まいが長い人は99パーセント愛国者になるから、これでも月並みなセンを行っているわけだけれど、日本の洋服の色の、なんと言うか鮮やかさの欠ける、つまり汚れているような色にだけは、どうしても愛国心をはっきすることが出来ない・・・・ デザイナーは、女の肉体というものをほんとうにきちんと眺めたことがあるのだろうか。そして、日本の女の肌の色も、また髪の色も」と書かれている。

と、こんな風に客観的に人の服装をチェックしてブツブツと言うわたしもピーコのファッションチェックは受けたくない。


2004年12月06日(月) サンドイッチの時間

朝はミケがマーティンを起こし、マーティンがわたしを起こすことではじまる。おなかを空かせたミケはドアを爪でこすり音を立てることでなんとかマーティンに起きてもらい朝食をもらおうとがんばる。マーティンが目を開けると「やった!」とばかりに勝ち誇った顔をしてやめるらしいのだが、目をつぶるとまた嫌がらせのように始めるらしい。そうやってマーティンが起きてミケに朝食をあげ、シャワーを浴び終わると今度はわたしを起こしに来る。以前はわたしは起き上がらず薄目を開けて「行ってらっしゃい」と言ったものだが、一度つくってあげたら「ミケリーナ!サンドイッチの時間だよ」と言って起こしにくるようになってしまった。市販のパンにマーガリンを塗って、レタスをたっぷりと少しだけマヨネーズ、そしてチーズを挟んだだけのフツーーーのサンドイッチなのに「すごく美味しい」と言ってくれることが不思議だったけれど、なんとなくわかる。わたしも特別な材料を使わない母親の作る玉子焼きは世界一美味しいと思う。砂糖の加減と油の量とか火加減など細かいものが母親の癖で調節されるのでわたしが見て真似してみても何かが違う。理解してしまったら「買えば?」とも言えず、サンドイッチの時間と言われると反射的に起き上がってナイフでパンを二つに割ってマーガリンを塗り。。。と機械的に朝の作業がはじまる。嬉しそうにサンドイッチを抱えて家をでるマーティンはこれから遠足へ行く子供のようなので可笑しい。


2004年12月03日(金) Christmas Party

今日はマーティンの会社のクリスマスパーティ。いつもよりちょっと時間をかけて派手な化粧をするのが楽しい。そして大ぶりでひらひらと垂れ下がる青いピアスをつけた。

ワイン片手に次々と紹介される彼の同僚達とそのパートナー達に目が回ってしまったが、普段は知り得ない国の人と話すのはエキサイティングだ。ボルシチが嫌いで肉の代わりに豆腐を使うのが好きだというロシア人と食べ物の話をしていたらやはり「日本人でベジタリアンとは意外だね。日本人は何でも食べるというイメージがある」と言われた。

軽く1杯、立ったまま飲んだところで着席することができた。世界各国のクリスマスディナーの話題を囲んでコースディナーを頂く。オランダではウサギを食べるなどと言っていて、ウサギをペットとしてクリスマスのケーキボックスに入れて散歩に連れて行った思い出があるわたしとしてはううう・・という感じ。日本ではクリスマスにケンタッキーフライドチキンは予約を取っていると言ったら一同???という感じだった。そしてマーティンの習慣では一日目に鯉、2日目はターキーなのだ。ということで今年のクリスマスもターキーはさすがに買ってこないけれど、鯉を買ってきてわたしのベジタリアン包丁で調理するに違いない。あぁくわばら、くわばら。


2004年12月02日(木) 雨降りの日

マーティンが喉が痛いといって会社を休んだ。が、きちんとごはんは食べられるし、音楽だって聞いている。声がおかしいので喉が痛いというのは事実だろうけれど、どんなにしたって休まず会社に行った父親を見ているせいで、どうしても平日の昼間にTシャツを着て家にいる男の姿に幻滅してしまう自分がいる。彼は日本人ほどではなくてもよく働くほうだ。長い休暇も取っていないし、旅行にも行っていない。だからたまにはこれを機会にゆっくり休むのもいい。そう理屈では思っても感情的にダメなのだ。そっけなく冷たい態度しかとることができない。黙々自分のことをこなしていると向こうから彼がミケに話しかけているのが聞こえた。「ミケ〜、彼女は弱い男が嫌いなんだ。だから喉が痛くて会社を休むような男とは喋りたくないんだ」と。胸が痛いが喋らないことがわたしの精一杯の優しさなのだ。口を開いたらイヤミを言ってしまいそうだった。

夕飯は彼の好きなカリフラワーとポテトをバターで焼いてちょっと醤油を絡めた。香ばしい匂いがなんともいえない。もう「平日の昼間」も終って彼が居ても違和感のない時間になったからか、わたしの機嫌もすっかり治っていた。いつものように食事をしていたら電話が鳴った。彼のお祖父さんが亡くなったという知らせ。それでもスロヴァキアのパスポートを握り締めてここに入国した彼はここを出国して2度と入国できない悪夢をよく見るから恐いのだという。だから帰らないという。日本という恵まれた国に生まれて日本のパスポートを自然に持てたわたしはなんて幸運なのだろう。

腹ごなしに1人で歩いてスーパーマーケットへ買い物へ行き、家に向かって帰る途中雨が降ってきた。けっこう強いので大きな木の下で雨宿りしていた。すると向こうのほうにマーティンの車が見えた。迎えに来てくれたのだった。"Thanks a lot"とだけ口にだして言い、心の中で"I'm sorry"と今日一日のことを謝った。


Michelina |MAIL