My life as a cat
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2003年09月30日(火) シャンプー作りと環境保護

アメリカ 148個
ドイツ 53個
日本  1841個

これゴミ焼却場の数。日本とドイツの経済規模は同等なのにも関わらず。一つの焼却場の規模がわからないからなんともいえないけれどそれにしても日本、多すぎるのでは?しかし一歩外にでると過剰包装の嵐。果物や野菜もパックに入れられ、さらにラップでくるんである。揚げ物はパックに入っているにも関わらずさらにレジでビニールに入れてくれる。デパートでも何か買うと綺麗に袋に入れて更に丈夫な手提げ袋に入れて渡される。この数字にも頷ける。

そしてテレビを見ていると気持ちが悪くなるほど洗剤の強い効果をうたった宣伝文句。「ぬめりに触らず吹き付けるだけでぬめりとり」とか「油汚れをさっと落とす」とか「水垢にふきつけるだけ」。恐ろしい。こんなものは川を汚し使う人の人体にも浸透していく、結局クリーンになるのは自分の家だけだ。

今日は無添加で界面活性剤の入っていない液体石鹸にアロマオイルを数的入れるのみのシャンプーを作った。アロマオイルは殺菌作用のあるグレープフルーツ。ほんのりした香りとやさしい泡立ちが心地いい。


2003年09月26日(金) すっきりした〜

オージーのBFと東京に戻ってきたパース仲間のナエちゃんから突然お誘いの電話がきた。今会わないと次はいつになるかわからない、そして彼女に相談したいことが山積みだったわたしは電車に飛び乗り新宿に向かった。

BFのデニスは気をきかせて、一人で買い物してるから二人でお茶でも飲んでくれば?と言ってくれたので二人でカフェに入った。ビザのことや将来に対する悩みを打ち明けてそれだけでだいぶ気が楽になったが、さらに彼女からも的確なアドバイスをもらい少し力を取り戻した。

わたしが少し回復したところでデニスも合流してイタリアンレストランへ夕飯を食べに行った。デニスは「日本のイタリア料理はパースのより断然おいしい」と言う。確かにパースにはアルデンテはないからね。しかし話しているとつくづくデニスはガイジンだ。いつでも予定は未定、思いつきですぐに行動、そして諦めも早い。今日もデニスは「僕はプロのテニスプレイヤーになる」「30歳でリタイアする」などと語り彼女を心配させていた。

沢山喋ってリラックスして、わたしの気持ちも和らいだ。今度二人に会えるとしたら場所はシンガポールかな。

帰宅してパソコンを立ち上げるとマーティンからメールが来ていた。ビザのことをきちんと調べてくれたようだ。先がみえずもやもやしてた気持ちもすっかり晴れて10月の渡豪を決断した。


2003年09月24日(水) 迷う日々

10月にパースに戻ることを8割型決めた。けれど依然悩みはあって、本当に行くべきなんだろうか、これがわたしが望んだことなんだろうかと自分に問いかけている。でも10月にまた戻るならばやらなければならないことが山積みになっているから、迷いながらも動いている。

今日は市役所に行き、色々な証明書などを取り寄せてきた。市役所でてきぱき働く人たちを見てはなんだかそんな生活からは遠ざかって、ましてパースに戻ったら一段と社会復帰から遠のく自分が心配になった。

でも何故か夕方には悩むよりも前進だ!と前向きな気持ちが湧き上がりNHKラジオのビジネス英会話のテキストを買ってきた。こんなUp&Downの繰り返し。


2003年09月23日(火) 羊の輸送

オーストラリアからでた船で輸出された57000頭の羊のうち4000頭が皮膚病感染し、受入先のサウジアラビアが拒否したいうニュース。死んだ羊を海洋投棄していることまで指摘されている。毎回こんな風にギュウギュウに詰めては皮膚病になったり窒息死したりして死なせているのに全く改善されない。なにがあろうともまず利益。羊は人間と同様、痛みを感じる生き物だということにいつか気付くだろうか。


2003年09月21日(日) みんなのいえ

三谷幸喜監督の作品「みんなのいえ」を鑑賞。若い夫婦が家を建てることになった。設計を奥さんの後輩の売れっ子デザイナー(唐沢寿明)に、建設を大工である奥さんのお父さんに(田中邦衛)に依頼する。古い西洋の建築様式を取り入れつつモダンな洋風デザインをしたい売れっ子デザイナーと型にはまった家しか作ってこなかった大工のお父さんの意見はすれ違い、もめながらも新しい家が少しずつ建てられていく様子が面白い映画だった。結婚することってきっとこんな風にほんの少しの自分の意見を通すことと、ほんの少し自分の意見を諦めることで成り立っていくのね。そして立派ないえが建つのだわっ。


2003年09月19日(金) 猫を許した父

猫は一週間旅行に行っただけで人間を忘れてしまうほど薄情な生き物だと思っていたけれど、わたしの黒猫ミュンは1年離れていたわたしを微かに覚えていた。証拠にマーティンと帰国し、彼が触ると速攻逃げるのにわたしが触っても逃げなかった。涼しくなってきたこの頃、ミュンはわたしのベットに一緒に寝ていて、朝になると一階に下りていってご飯を食べてまた戻ってきて喉をゴロゴロならしている。

一年前はミュンしかいなかったのに、わたしがいない間にミュンが二匹子供を生み、一匹は母の知人に貰われて行き、残った一匹がリンちゃんというシマ模様の猫でこの家の子となった。そしてもう一匹、母と妹が犬の散歩の途中で捨てられていたところを保護したのがクーちゃんという茶白の猫。父は猫が嫌いで一匹でも嫌だと言っていたのに今は三匹もいる。さぞかし嫌がってわたしがいない間も文句言ってたんだろと思っていたのに、それどころか父のお得意の日曜大工で猫が自由にいつでも出入り出来るためのドアが作られている。そして猫のことについて一言も文句を言ってこない。どうしたことかと母親に尋ねてみると面白い答えが返ってきた。父が職場の同僚に「うちはみんなで猫拾ってきたりして嫌になっちゃうよ。今は三匹もいるんだ」と愚痴を言うと「いいじゃないか。奥さんは捨てられた猫を見捨てられない優しい性格なんだよ。だから**さん(父)が年とって倒れたりしてもきっとちゃんと面倒見てくれるよ」と言われ、「年とって倒れたら」なんて言う言葉にズキッときてしまったようなのだ。父は重い不調はないものの健康そのものといった感じでもないし自然と老いも感じているのではないだろうか。ともあれ長年猫を拾っては文句を言われていたわたしとしては父の同僚、いいこと言ってくれた!という感じ。先日猫用のドアが壊れたので父に言うと黙ってトントンと治していた。


2003年09月17日(水) 青春のバイブル

探し物があって、部屋を漁っているとでるわ、でるわ宝の山。雑誌の切り抜きやアートギャラリーのパンフレット(笑)。わ〜なつかしい〜。中でも一番胸がキュンとなったのはティーネイジャーの女の子向けの雑誌"Olive"の切り抜き。大人になって部屋に物が増えるにつれいくら薄っぺらなOliveでも全てキープすることができなくて、気に入った表紙や記事だけを切ってスクラップしていた10代のわたし。高校生の頃、薄っぺらですぐにフニャフニャニなってしまうこのか弱い雑誌を鞄に入れて暇さえあれば眺めていた。ファッション、音楽、本、アートのことからまだ見ぬ外国の話、将来の道について考えさせられるような話、、、。いちばん好きだったのは堀井和子のサンデーブランチやパリ通信。色々な話題が詰め込まれていて「あぁ働くようになったらこんな服を買おう」とか「ここへ行こう」と夢をみたり、「こんな職業もあるのか」とか考えさせられたり。世界は果てしなく大きくて夢は決して枯れない泉のようだった。

大人になるにつれ自然とこの雑誌を買わなくなり、いつのまにか廃刊となって2,3年前にもう一度復活しているのを見かけた。その時になつかしくなり手にとってみたけれど、自分はもうティーネイじゃーではない。良くも悪くもその頃よりも色々なことを吸収してしまったから素直に楽しめるものではなかった。わたしはもう既に海外を沢山見ていたし、欲しい服も手に入れられる、化粧だって人並みにできる。少し淋しいけれどそれが大人になるということなのね。

ともあれOliveはわたしの青春のバイブルだった。それ以来毎月買うような雑誌にもキープしておきたい雑誌にも出会っていない。


2003年09月16日(火) 失われた約束

夜に黒木瞳と豊川悦司、広末涼子主演の「失われた約束」という神戸大震災をテーマにしたドラマがやっていた。東京から神戸へ出張へでていた夫(豊川悦司)が妻(黒木瞳)に電話を入れおみやげに彼女の好きなチョコレートを買う約束をし、直後震災にあい遺体すら見つからないまま8年が過ぎてしまった。夫は死んだものだと思って再婚してしまった妻が出張先の京都で死んだはずの旦那にそっくりな男を見かけるところからストーリーがはじまる。切ないストーリー。そしてそれを演じるトヨエツと黒木瞳の表情がまた儚げで引き込まれてしまう。

人間などその存在自体が自然に呑まれてしまう儚い存在だ。


2003年09月11日(木) おうちでエステ

先日京都から帰る間際に立ち寄った書店で見つけた小幡有樹子さんの「おうちでエステ〜手作りコスメ編」と言う本。身近にあるもの、例えばキッチンにあるもので家でエステのようなことが出来たり基礎化粧品(化粧水、乳液、クレンジング)からメーク落とし、リップクリーム、パックからシャンプー・リンス、ヘアワックスまで色々な物が手作りできてしまう。

早速いくつか試してみた。まずは緑茶スチームで毛穴の汚れを流す。そしてキッチンにあるものでできる化粧水作り。ハチミツなんかも入れるのでけっこうべとつくのでは?と思ったけれど大丈夫、案外さっぱりしていて今の季節にピッタリ。

これはいい。と大満足しながら昼のワイドショーを見ていたら「いくつになっても美しい女優」を巣鴨で聞くという特集をやっていた。名前があがったのは吉永小百合、岸惠子、三田佳子、野際陽子、岩下志麻など。対照的に巣鴨でアンケートに答えている人たちも恐らく50代〜70代。この女優さん達と同年代なのね。しかし根本が違うというより施しようが違うと見た。錆びないように年を重ねたい。


2003年09月09日(火) パースから無事の報告

昨夜、熱がでて意識朦朧としながら、成田を発つマーティンを見送り、帰宅するなり倒れるように寝てしまった。朝起きて念のためニュースをチェック。一番大きいのはブリジストン火災のニュース。とりあえず飛行機は落ちてないんだねと思っていると本人から無事着いたとの電話が入った。出発前に買ってバッグにしのばせておいた日本酒を飲んですぐに寝てしまったので恐くなかったそうだ。


2003年09月08日(月) マーティン帰国

今夜Mが成田を経つ。珍しく、昨日のうちにパッキングを済ませてあり、「僕はスロバックパスポートで疑われるだろうから成田には3時間前に行くからね」と言っていた。

今日は妹がバイトがお休みのようで何故か勝手にわたし達と一緒に遊ぶと決め張り切っていた。3人でうちの近くのショッピングモールに行きたこ焼きを食べた。それからしばらくうろうろした。わたしはMがとても日本の文字(漢字やひらがな、カタカナ)に興味を示していたので漢字練習帳を買ってあげた。そこに妹が色々な文字を書いてMにあげた。Mはパースでも携帯電話を持っていないんだけれど、うちの家族が持っているカメラ付き携帯などにとても興味を示し、「これでゲームも出来る?」などと聞いてきて、電話なんか使わないくせに「僕もパースに帰ったら携帯買おうかな」と言い出した。

それからMが行きたがっていた大多喜城に行った。前回は通っただけだったのだけれど今日はちゃんと近くまで行った。Mはすごく楽しんでいる様子だった。わたしはここで急に熱がでてきて、フラフラになってしまった。頑張って車を運転して家に戻った。途中でMが飛行機の中で飲む冷酒も買い込んだ。

家で2時間くらい寝て、成田に行かなくてはならないので薬を飲んでしのいだ。普段薬を飲まないせいかとてもよく効き、あまり辛くなくなった。5時過ぎに成田空港に向けて父の車に乗り家族で出発。Mはここに来たときよりも落ち着いていたけれど車の中でしきりに過去の飛行機墜落事故について話していた。空港につくとちょっとそわそわし始めて、ナーバスになり、わたしが何か言うと「落ち着け、落ち着くんだ」と怒られた。わたしは落ち着いてて、落ち着いてないのは Mなんだけどなぁ。案の定チェックインカウンターでは年に数回しか見ないであろうスロバックパスポートに戸惑っていた。またMはドイツ名で書くときとスロバック名で書くときに名前のスペルが変わってくるのでそれも混乱の元なのだ。色々尋問されたようだった。
「もう少ししたらヨーロピアンパスポートがとれるからそれさえ取ればどこでもすんなり行けるのに」
ですって。

それから空港のレストランでみんなで食事をした。ドライバーなので飲めない父の目の前でMはおいしそうにビールを飲み、大好物のジャパニーズカレーライスを食べていた。それから飛行機を見たいというので展望所に連れて行きMを置いてわたしと妹、父と母に分かれて、空港の中を散歩した。わたしと妹は書店でMに漢字を英語で説明してある本を買った。母親は何か猫の置物のようなのをMに買って来て渡していた。

さてそろそろゲートに行かなくちゃと移動している時に妹が「お母さん達はおねえちゃんが別れ際にどうやって分かれるのか興味深々だから気をつけたほうがいいよ」と耳打ちされた。ちょっと緊張が走った。昭和20年代生まれの両親の前でどうやって別れればいいのかと悩んだ。毎週日曜日「ウルルン滞在記」を欠かさず見ている父はMが来た時からずっと「ガイジンがうちに来るなんてウルルン滞在記みたいでいいな〜」なんて言っていたので父が泣いてしまった時はMも泣いてくれるようにお願いしてあった。ゲートに入る入り口のところで背中に両親の強い視線を感じながらハグして分かれた。両親とMは握手しいた。Mがゲートの入り口をくぐって見えなくなるまでわたし達は見ていたけれどMは振り返らなかった。「なんだよ、そっけない奴」という妹の言葉とともにわたし達も帰る方向に向かった。

後で父親に「よく泣かなかったね」と言うと「前の日にウルルン見てたら寝ちゃってさぁ、いまいち感情が高ぶらなかったんだよね」と言うので笑ってしまった。後で母に聞いた話ではわたしとMがハグしている時、父は恥ずかしがって目をつぶっていたそうだ。

Mは飛行機の中で席に着くなり買っておいた日本酒を飲み、ワインも飲み、寝てしまったようで恐怖を感じずに済んだようだった。


2003年09月07日(日) マーティンのお別れ会

今日も家の近くでのんびりした。以前Mとパースのイタリア料理と日本のイタリア料理どちらが美味しいかと言う話で対立したのでわたしの家の近くのイタリアンレストランに連れて行くことにした。パースのイタリアンはイタリア人が作っているのだけれど、オージーに合わせているのか、アルデンテなんてないし、ピザも生地ばかりがすごく分厚かったりする。中には美味しいお店もあるのだけれど全体的に日本のほうが美味しいなぁとわたしは思っていた。日本のも日本人にあわせているのかなぁ?

わたしはこのレストランはけっこう常連。色んな人とこのレストランに来た思い出があり、とても懐かしく感じた。Mはブルーチーズリゾットを、わたしはコースをオーダーした。コースはちょこちょこと色々なものがついてくるので楽しい。前菜4種類とパスタは野菜のトマトソースパスタを選び、デザートも3種類盛り合わせとコーヒー。これで1500円。とても満足。Mにどう?と聞くと「フツー」と言っていた。

Mがうちの近くのスモール秋葉原に行きたいというので連れて行った。またまた何やら買い込んでいた。こちらで売っているヘッドホンはパースで売っているのよりすごく安くて質が良いのだそうで、「僕は、また電化製品買いに日本に来るんだ」なんて言っていた。ミケの面倒をみてくれているエリックにもここでお土産を買っていた。「もっと日本!っていうお土産を買ったら?」と聞くと「でもエリックがヘッドホンが欲しいって言った」と言う。結局写真印刷用の紙などもお土産に買い込んでいた。

夕方わたしとMが出かけようとすると母がMが今日は最後だからMの大好きなシーフードを沢山買ってきたと言うのでちょっと出かけて急いで帰ってきた。

父はどこで教わってきたのか、滅茶苦茶な英語を喋っていた。Mと喋ろうと思って誰かに聞いてきたようだ。年をとって犬と仕事とインターネットだけの毎日を送っていた父親にはいきなりやってきた自分と同じような酒好き、魚好きのガイジンはとてもよい刺激だったようだ。うちの家族はMのお別れ会だと思ってゆっくり飲もうと思っていたのだけれど、Mはパソコンをいじりたかったようで、食べ終わるとさっさと2階に上がってしまった。M本人がパソコンを選ぶなら仕方ないけれど、淋しそうに一人で飲む父親を見てちょっと気まずい気分になった。


2003年09月06日(土) スカンジナビア×日本交流

Mihoさんが婚約者のフレッドさんとの新居に招待してくださった。総勢11人でお茶会ということになったのだけれど、「よく集まったなぁ」と普通では考えられないくらい日本人女性と北欧のパートナー達が勢ぞろい。Mihoさんとスウェーデン人のフレッドさん、Kaoringoさんとノルウェー人のイエンツさん、Shizuさんとフィンランドと日本の血をひくMikiさん、Wakbunさんとノルウェー人のQPさんそしてわたしとドイツ人のマーティン。そしてそしてノルウェー人の彼がいるというNaoeさんは遠距離恋愛ということで一人での参加だった。あぁこうやって説明してるだけでも混乱。ということでスカンジナビア×日本交流会ということにする(Mは違うけど)。このメンバーの半数近くがベジタリアンということで安心して参加できた。行く前にMにそんな話を説明してから出かけた。M以外の男性達は日本在住で日本で働いているということでMは「どうやったら日本で職を見つけられるか」を聞くつもりだったようだ。

駅で待ち合わせてぞろぞろとMihoさん宅に向かった。う〜ん、異様な雰囲気。Mihoさん宅は手作り製品がちょこちょことあって白いカーテンがかかっていて二人の新居と聞いていたせいか真新しい生活がはじまったばかりの新鮮な空気が流れているように感じた。座って会話が始まってすぐにMの声がすごく大きく感じた。パースの人は日本人と比べると声が大きいのだ。わたしもパースに行ったばかりの時は大きな声で喋らないと届かないことにとても疲れてしまったが最近は自然と声が大きくなったようなのだ。自分の声もすごく大きいのかもしれないと思ったらなんだか恥ずかしくなった。でもそんなことを気にしていたのも束の間で自然と会話にも入れた。Mihoさんとフレッドさんが次々に食べ物を運んできてくれる。手作りのリンゴとクランブルのお菓子、ポテトグラタン、生野菜とディップ、チーズ、サングリア、Kaoringoさんのノルウェイ土産のサーディンなど。ワインを頂きながらご馳走になった。わたしとMは離れて座っていたのだけれど、Mの方をふとみるとすごくよく喋っている様子。Mはけっこう人見知りが激しいし、子供のようでのらないと全くしゃべらなかったりするのだ。そのMがすごい勢いで喋ってる、話題はやっぱりアレしかないなぁと踏んだ。(後で聞いてやはりEUの話をしてたと知った) 途中から女性と男性にきれいに別れてしまい、男性は政治関係の話、女性は結納の儀式や海外に住む日本人の輪、海外の珍味な食べ物などについてしゃべった。3時に集合したのにふと気づいたら9時。またまたぞろぞろと駅へ歩いた。

帰りの電車の中でMに「仕事のこと聞いた?」と聞いてみると「うん。難しいって」とがっかりしている様子。「日本の会社にアプライするのはやめたほうがいいって」と言っていた。確かに日本語が流暢にできなければそれは辛いかも。やっぱりMは京都で人力車かな?(←なにせ自転車好きジャーマンですから、本人すごくやりたがっていた) でもMは今日の会を楽しめたようで「パースに来ることがあったら寄ってってみんなに言ってね。ワイン一杯でも、、、、」と言っていた。わたしはMihoさんとフレッドさんが時々フランス語で会話するのを聞いてなんだか日本人の口から発せられるフランス語の音というのがとても神秘的に感じてそのことにまだ胸がそわそわしていた。

ふとMに「それにしても11人中5人がベジタリアンっていうのも滅多に無いよね」と言うと「え?そうなの?そっか〜。だから食卓にお肉がなかったんだね。今解かったぞ」と言っていた。来る前に散々言ったのに。やっぱり人の話全然聞いてなかった、、。


2003年09月05日(金) さよなら京都

朝チェックアウトをして京都駅に向かった。京都駅でお土産を買いんだ。バスの中で飽きないように本も買い込んでお昼に千葉に向かった。住んでいたわけでもないのに、故郷を離れるような寂しさを京都には感じてしまう。マーティンは今日は妙に元気がよくて、静かなバスの中でずっと喋っていた。

4時ごろ富士山が見えてきた。彼は初めて見る本物の富士に感動してバスの中から無理やり写真を取って「ビューティフル!」と連発していた。

7時過ぎに東京に到着。東京駅を大荷物で抜けるのはとても大変だ。わたしはもうへとへとだったんだけれど、彼は元気一杯で、動く歩道にぐったり乗るわたしを「横着者!」と言い、その脇を走っていた。なんかこの人は変なところでいきなりすごい体力を発揮するんだよなぁ、、、。

うちの近くの駅まで母が迎えに来てくれて、わたし達をみるなり「どうしたの?太っちゃって」と言った。確かに京都では飲んで、食べてだったからなぁ。妹に会うと妹にも同じことを言われて二人で「痩せようね」と誓った。


2003年09月04日(木) 最後の京都の熱い夜

朝からなにやら色々な料理が用意されていた。小魚の佃煮、温泉卵、京漬け、、、。普段朝ごはんを食べないからとてもヘビーだったけれどランチのつもりで食べた。しかし京漬けは美味しい。今日は京都駅の周辺に帰る。そこで一泊し、明日に千葉に戻る。荷物をまとめて、保津川下りで嵐山まで帰り、そこから電車で駅周辺に帰ることになった。今日もいい天気。朝はまだ暑くなくて、川の風がとても気持ち良い。屋根つきのボートに乗って、山の間の川を下りて行く。途中でサギをたくさんみた。川べりで釣りを楽しむ人、ボディスーツを着て素もぐりで魚を捕る人などもいる。船頭さんが「これは***石」とか「ここから**百年前に猿がジャンプしました」などと説明してくれる。それをマーティンに訳してあげると「そんなの、どうやって知るの?きっと嘘だ」などと言う。性質の悪い客だ。激流はすごい勢いで悲鳴があがると聞いていたけれど、そうでもなかった流れが速くてスルッと行くくらいにしか感じない。1時間半も3人交代で漕いでもらってやっと嵐山に到着した。嵐山もちょっと見たかったけれども荷物を持っていたので次のホテルに向かった。














ホテルに荷物を下ろし、周辺を歩いた。六角堂はすぐ近くにあった。ここでも彼はカメラを持って鯉の写真を撮るのに夢中だった。そんなに沢山鯉の写真を集めてどうするんだろう。そのうちお腹が空いたというので近くの小さな洋食屋さんに入った。昔ながらの味という感じのコロッケやカレーなどを食べた。その間置いてあったテレビでは1:30からの奥様向けメロドラマがやっていて彼は「グエッヘッヘ」とそれを見ながら笑いどおしだった。

そしてなんだかんだとうろうろして、夕方東本願寺へ歩いていって見学をし、その足でまた賀茂川周辺に行った。

















おとといのお店でまた飲もうということになり、そこに行った。店員さんはみんなわたし達を覚えていてくれていたようであちらから「ビールですか?」と聞かれてしまった。恥ずかしい、、、。また今日も彼はグイグイ行っている。「今日は京都最後の夜だからね、飲まなくっちゃ」と。最後に限ったことじゃないけどなぁ。わたしも日本酒を。彼がガツガツ食べるので料理が来て3分後にはすぐに何も無くなってしまう。きっと店員さんにまた笑われるだろうなと思いつつ二人で何度もチャイムを鳴らし、オーダーしまくった。案の上すごい数の伝票を見て店員さんに笑われた。京都を振り返ってあれこれ話した。「なんで清水寺で見かけた舞妓さんと写真撮ってもらわなかったの?」と聞くと「だってピエロみたいだから嫌」と言っていた。

店をでるころには彼は珍しく酔っていた。ホテルへの帰路を歩いている間ずっと大きな声で世の中の不平に対する愚痴をいっていた。京都には英語を理解する人がけっこういるのでどうか聞こえませんようにと願った。たちの悪い彼を連れてホテルに着くと急に生き返ったように「あっ僕ネットするから先に上に上がってて」と言われた。全くなんなんだ、この人はと思いながら寝てしまい、京都の最後の夜は更けていった。


2003年09月03日(水) 亀岡の高級旅館に泊まる

一泊だけちょっと高級な旅館に泊まってみようということになっていた。高級と言ってもわたし達にとっての高級。今日はこの 3泊お世話になった激安旅館を出てそちらに移動した。今回の宿泊先の予約などはすべてパースでネット上で行ったため激安旅館はちょっと心配しながら来たのだけれど、これが普通の旅館だったのでとても気に入った。また今度来る時もここを利用しようと思った。朝にここをチェックアウトしてバス停で京都駅に向かうバスを待った。バス停の脇のゴミ箱を先日見かけたホームレスが漁っていた。マーティンがうずうずしはじめた。彼は現金を持っていないのだ。わたし達の乗るバスが見えた時、「お願いだからあの人に少しだけ恵んであげて」と頼んでくる。1000円札を渡すと「本当にありがとー」と言って嬉しそうにそのホームレスに渡しに行った。わたしは彼のそういう純粋に心の優しいところがとても好きだ。

今日ステイするホテルは亀岡にある(嵯峨野方面)。駅で荷物をロッカーに置き、大きな京都駅ビルを散策した。彼の大好きな地下の食品売り場に行くと京野菜が売っていた。関東のマーケットで売っているものと違うので見ているだけで楽しめた。とても時間が余っていたのでネットカフェにも行った。そして3時ごろ電車に乗って亀岡に出発。京都から離れるとすぐに山に入る。京都って山に囲まれた都会だというところがとても魅力的。トンネルをくぐって山の間を電車が走る。その景色はとても綺麗で感動した。

夕方旅館に到着。ホテルの送迎車に乗ってホテルに着いたところで玄関に着物を着た従業員の人たちが総勢でお迎えしてくれて彼はその時点で「ん、ゲーー」と驚いていた。旅館の中はピカピカ。わたしはネットでこの旅館の写真が「千と千尋の神隠し」に出てきた物と似ていたので泊まってみたくて選んだのだけど、本物も写真どおり。「本当にSpirited Awayみたいだね」とはしゃいだ。早速温泉に入った。雰囲気がとても良くっていつもこんなお風呂に入れたらどんなにリラックスすることかと考えた。

そして食事。これは部屋で摂ったのだけど、コースのようになっていて、食事の途中で何度も人が入ってきて食事を運んでくる。これが落ち着かなくてわたし達は嫌だった。食事は京懐石だったのだけど、得体の知れない練り物なども多く、これと言って「美味しい!」と感嘆するようなものはなかった。でも京懐石を食べてみるというのも良い経験だ。薄味なのはとても良い。

食事を終えてホテル内を散歩した。「奥座敷」と呼ばれている旅館だけに周りは山だけなので外に出ても何もない。フロントの人が「9時以降は外から人が入れません。出るのは自由ですが入れない決まりとなっております」と説明した。ここで彼はとても怒ってしまい、またまた「僕は囚人じゃない、なんで門限まで決められる必要がある!」と。確かに日本形式は融通きかなくて決まりごとが多くってわたしにもちょっと面倒。部屋に帰ってお風呂のドアを開けたらビックリ。ヒノキ風呂が部屋に着いていたのだ。思わずもう一度お風呂に入ってしまった。良い香りだなぁ。
















2003年09月02日(火) 祇園・清水寺

いよいよ京都見学。早めのランチをホテルの近く(三条)で摂ろうということになり、結局おとといちょこっと行った回転寿司に行った。朝の賀茂川は清々しい。橋を渡りお寿司を食べたら、清水寺に向かってのんびり歩いた。












途中の小さな着物屋さんでマーティンが電車の中で着ている男性を見て以来欲しがっていた甚平を買ってあげた。古い町並みを写真を撮りながら歩いた。

知恩院に着くと大きな門があり階段を登った。


















この時点でわたしは暑さにだれて座り込んでしまいまった。マーティンはもう興味深々なので早く見に行こうという。「待ってる」と言ったら一人で奥まで見学に行った。涼しい建物に入り待ってると30分経っても戻ってこない。40分経って嫌気が差してきた頃、姿が見えた。まだ気がすまないようで「鯉を見つけたから写真取って来る」と言う。一体本当の目的地清水寺に着くのは何時になるんだろう。円山公園を通って八坂神社の脇を通った。ここでアクシデント。わたしが前を歩いていて、出口付近で振り返ると、後ろから着いてきているはずのマーティンがいない。来た道を戻ってみたけれどいない。八坂神社の中にまで入って探したけれどいない。不安になってまた出口に戻ってみたらなんとそこにいた。

「カメラの電池入れ替えてたら君の姿が見えなくなっちゃったの。だから周辺の写真を撮ってきたよ、僕からはぐれたら君はホテルに帰れないから気をつけてね。」

,,,,,,,あのあの、日本語出来ないのはどちら様ですか?













清水寺は近いと聞いたのになかなか着かない。細い道をとことこ歩いた。途中高価な清水焼ばかりを扱っているお店に入った。今回の旅行で初めて知ったのだけれどマーティンは過去に陶芸を習っていてその筋のdegreeを持っているという。なので驚いたことに「これを作るのは難しいんだ」とか説明されてしまった。缶ジュースの蓋も開けられないような指で陶芸とは驚きだ。清水焼の特徴は元々お茶の為の焼き物として発展し、京都の四季を彩るように四季がわかるようなモチーフをあしらった物が多いのだそうだ。土も京都産ではなく他の地から入ってくるもので作っているのだそうだ。とこんな話を聞いていたら、その横でマーティンが超高価な湯のみを購入しているではないか。一言ぐらい相談してくれてもいいのにな。いつかお母さんにあげるらしい。
















清水寺近くになるとお土産屋さんが多くなる。マーティンがトイレに行きたいというので素通りして清水寺まで急いだ。なかなかトイレから出てこない。おなかでも痛いのだろうか?と心配になりトイレの外から「大丈夫?」と聞いたら「うん」と言ってトイレのドアと目隠しの間でズボンを履いている。なにやってるんだろ?と思って聞いてみるとこれが彼にとって初めての和式トイレ。ズボンが濡れてしまうのではないかと不安になり、トイレの戸の前で完全にズボンを脱いでしまい、用をたしたようだ。「ちょー恐い」と言いながら出てきた。はぁそれはご苦労様。

清水寺はすごい。京都の町が一望できる。ここで「交通安全」のお守りがあったので買ってあげようかと思っていると健康のお守りがいいというのでそれを購入。ぐるっと一周してまた下りた。

















「八坂神社の方があんまり人がいなくて好き」と言う。八坂の塔などを見ながら祇園まで来た。もうわたし達は汗だくでわたしは祇園で冷やし善ざいでも食べたいところだったが、彼は和菓子(あずき)が好きでないのでやめておいた。薄暗くなって夜の明かりが灯り始めた賀茂川沿いを四条駅から三条駅まで歩いた。

旅館についたらぐったり。今日は本当によく歩いたなぁ。

シャワーを浴びて夕飯を食べに行こうということになった。汗を洗い流したら疲れが少しとれた。腹ペコなわたし達はまたまた賀茂川沿いのお店に入った。そこでオーダーしてみるとまたまた何もかもが本当に小さい。なんだか落胆してしまい、一杯飲んで普通の居酒屋風のところに移った。ここはサイズは普通。やっとお腹を満たすことができた。料理もとても美味しくて彼も気に入ったようだ。また今日もガブガブ飲んでいる。テーブルの上にあるチャイムを初めて鳴らして店員さんを呼び日本語で「ビールください!」と言った時はとても得意気な顔をしていた。彼があまりにもよく飲むので店員さんは苦笑していた。

酔っていい気分でホテルに帰り、わたしはもう一度大浴場に行ってお風呂に浸かってから熟睡した。


2003年09月01日(月) 大阪まで行ってみる

今日も京都は蒸し暑くていい天気。わたしはけっこう湿気が好き。パースの夏じゃ乾燥しすぎて肌がからからになってしまうけれど、日本の夏は肌がプルプル。

今日は大阪まで行った。マーティンが挑戦したがってたので、わたし達のステイしていた三条から京都駅までとことこ歩いて行いた。けっこうある。30分以上は軽く歩いたなぁ。

京都から大阪へは近いものだ。まずは梅田に向かった。実はわたしにとっても初めての大阪。ボックス席に座った。京都からちょっと離れると田園風景が広がっている。マーティンに先日買った京野菜で作るベジタリアンイタリアンの本に書いてあったことを説明していた。そのうち彼がふざけておかしな行動をとっていたらその隣に座っていたわたし達と同年代くらいの見た目の日本人の男の子がこらえ切れず笑い始めた。彼は
「僕高校の時にリスニング2級取ったんですけどあなたの言うこと大体わかるんですけど彼のいうこと聞き取れないんです。」
と言っていた。確かに日本人の舌で話す英語は日本人には聞き取り易いんだろうな。わたしもネイティブトングになりたいな。彼は練習のようにマーティンに英語で話しかけ始めた。
"Can you speak japanese?"
"Yes!!"
と動物や虫の名前を列挙していた。3人で喋りながらあっというまに梅田に着いた。駅を降りてまず駅前の大きなデパートに入ってみた。日本のデパートはクーラーが強すぎる。外から汗かいてきた人は風邪ひいちゃうんじゃないかなぁ。そのデパートは大型電器屋と繋がっていて、彼はもうそっちに興味深々。わたしは激安でなかなか可愛い雑貨屋さんを見学し、彼は電気屋さん見学と別行動となった。それからここまで来てネットがやりたいというのでそのデパート内にあるネットカフェへ。ここはスターバックスのような感じのCafeと繋がっていて、明るくてわたしの実家の近くにあるような陰気な雰囲気のネットカフェとは大違い。

そして3時頃みなみと言われるところへ移動。今日はパースつながりであるHachiさんと6:30に蟹の下で待ち合わせをしているのだ。といっても蟹がたくさんいて驚いた。以前阪神優勝したり負けたりすると橋の上から飛び込む人がいると聞いたけれど、本当に橋の上には「橋の上から飛び込むのはやめてください」と看板が立っていて、さすが関西人と思った。阪神タイガースのユニフォームを着た人形とかを店先に飾るところもあったけれど、試合当日は人形は家にしまっちゃうんだそうだ。確かに、何をされるかわからないからな。なんだか関西人は本当に日本人離れしてると思って可笑しくなった。























道頓堀をふらふらした。あるドイツ料理屋さんの料理の見本のオブジェクトの前で立ち止まり写真を撮っている。
「ママに送らなくっちゃ、こんなドイツ料理見た事ないもん、この中で知ってる料理は二つだけ」
と言う。彼が知らないだけか本当に無いのかは謎。それから彼はおじいちゃんの誕生日だから国際電話をすると言ってカードを買って電話をかけた。

夕方蟹の下で約束どおり仕事帰りのHachiさんと会った。大きなタコが自慢のたこ焼き屋さんに連れて行ってもらい彼の大好きなタコを楽しんだ。ここも店があまりにも寒くて短時間で切り上げて有名な?外国人バーに連れて行ってもらった。最初外国人バーと聞いたらわたしはすぐに19歳の時に友達に連れて行かれた六本木の不良っぽいのが頭を過り、ちょっとビビッてしまったが行ってみたらテレビが置いてあってみんな普通に喋りながら飲んでいるようななんとも普通のバーで安心した。Hachiさんとわたしは半年ぶりくらいに会うのだけれど、お互いの HPを行き来してるためこれといった近況報告もなく、「例の**」とかで通じてしまうところがなんだか面白かった。彼は昨夜「明日はHachiさんに会うよ」と言ったら「え?」と嬉しそうに一生懸命髭を剃った甲斐があってとても楽しんでいた。以前Hachiさんが彼に「真亜珍」という漢字を作ってくれたのだがその意味を説明するととても喜んでいた。「僕はそうなりたかったの。真に珍しいくらい才能のある人になりたいの」と言っていた。わたしは「本当におかしなマーティン」という意味合いで捕らえていたんだけど、、、。

地下鉄で爆睡しながら京都に帰った。


Michelina |MAIL