月に舞う桜
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昨日は、一番長い付き合いの友人二人と、忘年会ランチだった。 久しぶりに会うから、時間無制限のビュッフェに。
変わっていく環境と、変われない私と。 変わらない関係と、変わってしまう私と。
例えば、ちょうど二十歳のとき、2000年-2001年の年越しを共に過ごしたことを思い出して語れるのは、幸福なことだ。 若くて程よくアホだった私たちは、21世紀の初日の出をランドマークタワーの展望フロアから観るために、何もなくて寒い通路で夜通し喋りながら夜明けを……21世紀になるのを待った。 何でわざわざ年越しにあんなところまで行ったんだろうね。日の出なんて、いつどこで見ても同じなのにね。若かったね。今だったら絶対あんなことしないよね。 そんなことを笑いながら話した。
戻れず、留まることもできず、だから進むしかない日々。 けれど、停滞し、後退すらしていく私。 それでも、あの日々を思い出せることは人生の宝で、今これを書きながら、比喩じゃなく本当に泣けてくるほど愛しい。
少しずつ少しずつ、いろんなことが語れなくなるのは、なぜだろう。
昨日は、友人と忘年会だった。 会うのは、なんと10年ぶりくらい!? この10年でお互いにいろいろなことがあったけど、良い意味で変わっていないところもたくさんあって、そういうところはこれからもきっと変わらない、人間としての核の部分なんだろうなあ。 相変わらず多趣味で行動的で、私にはない良い性質をたくさん持っている友人です。
メニューはモツ鍋をメインに。 鍋と言っても、焼き煮込むタイプで、汁気はない。たっぷりの野菜が甘くなるまで煮込まれていた。 キャベツたっぷりのサラダも、あまおうアイスも美味しかった。
何かの話の流れでToshlのことを「あの人は〜だから」と言ったら、友人に「『あの人』と言うところに愛情を感じる」と言われたの嬉しかったわ。
12月から2月までは冬眠したい私だけど、数年前まではどんなに寒くても膝掛けを使っていなかった。 でも、今は、冬の外出時は膝掛け必須。 昨日も、スカートとブーツにしたかったけど寒さにめげて膝掛けすることにしたので、それならボトムスは見えないから何でもいいわー、となって、何の変哲もないズボンにした。 こうして、少しずつお洒落から遠のいていくのかしら……。
そうそう、この忘年会のためA駅からB駅に行くとき、A駅の駅員さんが「B駅になかなか連絡がつかないので、私が同乗します」と渡し板を持って同乗してくれて、B駅で降ろしてくれた! A駅での本来業務を中断させちゃうからとても恐縮したけど、本当にありがたかったし、めっちゃ神だった!! ちなみにJ〇ではない。
| 2019年12月17日(火) |
ブルーラインの駅員さんの神対応 |
駅のホームドアはありがたい。物理的な安全はもちろんのこと、安心という心理的な効果も大きい。 ぜひ、すべての駅にホームドアを設置してほしいが、一気にというのは無理だろうから、せめて乗降客が多い駅だけでも早いところ付けてほしい。
ところで、横浜市営地下鉄ブルーラインの駅員さんの対応は素晴らしい。 それは前々から感じていたけど、改めて感心することがあった。
高島町からセンター南まで行くときのこと。
・高島町とセンター南の間には、新羽という駅がある ・高島町には、快速が止まらない ・新羽とセンター南は、快速が止まる
・すぐ来る電車は新羽止まり(センター南まで行けない) ・その次の電車は快速(高島町には止まらず、通過する)
この状況で、新羽止まりの電車に乗せてくれて、新羽であとから来る快速に乗り換えてセンター南まで行けるよう手配してくれた。 J〇は、そんな神対応してくれない。もしこれが〇Rだったら当然のように待たされ、新羽止まりの電車は見送り、快速の次の各駅に乗せられるところだ。 J〇の対応が身にしみている私は、たぶん快速の次の各駅電車まで待たなきゃならないだろうと腹をくくっていた。でも、駅員さんのほうから、上記の一番早く目的地まで行ける方法を申し出てくれた。 素晴らしい!
一方、都心でJ〇に乗ると、来年のオリパラ期間中はなるべく外出しないようにしようとの思いが強くなる。 〇Rに乗るたび、大なり小なり、イラッとすることが多いんだよなあ。横浜市営地下鉄に研修に行けばいいのに。
| 2019年12月15日(日) |
双方から追い詰められる |
とあるセミナーに行った。 テーマは「介護保険と障害者」。
現在、65歳未満の障害者は、障害者総合支援法下の障害福祉サービスを受けることができる。 が、65歳になると原則として障害福祉サービスより介護保険が優先されるので、介護保険に切り替えられてしまい、それまで受けていた障害福祉サービスを受けられなくなる。 それでは、生きていけない。 この「生きていけない」というのは、ライブに行けないとか、ちょっとした贅沢な食事ができないとか、そういうレベルの話ではない。 介護保険では、障害福祉サービスの重度訪問介護のような長時間の介助が受けられないし、薬を飲んだり塗ったりするのも手伝ってもらえない。身体介護の範囲も限られる。家族がいると利用可能時間が短くなる。外出支援もない。 サービス利用が細切れになるので、介護保険に切り替わったら1日1食しか食べられなくなるとか、何日も入浴できなくなるケースがある。 本当に、文字通りの「生きていけない」。
で、やってきた役所の人は、よくもまあ、これだけ具体的な中身のない、お題目だけの話ができるもんだわという感じ。 しかも、介護職の人材不足解消策として「学生さんたちに福祉や介護のやりがいをアピール」云々と言っていた。
出たよ、やりがい! その前にカネだよ、カネ出せ! やりがいじゃ、腹は膨れないんだ!
あと「ベトナムや中国の人に横浜に来てもらって〜」とも言っていた。
出たよ、外国人頼み! 低賃金で働いてくれる日本人がいないからって、低賃金で外国人を使おうとするな! 別に、介助してくれるのは日本人でも外国人でも良いんですよ。だけど、介護職はコミュニケーション能力がないと務まらないのだから、外国人に働いてもらうなら、かなりしっかりした教育システムが必要。 でも、たぶんそんな教育システムは考えてない。
去年のセミナーに来た役人は、もっと中身のある話をしてたし、親身に考えてるふうだったのになあ。
それにしても障害者団体って馴染めないなあ。 障害者団体が一般的にそうなのか、昨日の主催団体の特徴なのか知らないけど、やっぱり強い人が多いんだよな。 まあ、今日の主催団体は、ピア相談に行ったら「強くならないとね」とか言っちゃうところだからな。そりゃあ私に合わないはずだわ。
「闘わないと権利は守れない、奪われる」「頑張らないと!」って、それは確かに現実としてその通りなんだけど、そればかり言われると、「ああ、結局、強い人間しか生きられない世界なんだなあ」と再認識して、ドロップアウトしたくなる。
ほんの一言でも、「いつか闘わなくても、そんなに命がけにならなくても、生きていける世の中にしましょう」とか「頑張れるときは頑張って、でも、弱いままでもいい」って発信があればなあ。
「毎日役所に行け」とか言うしさ。
同じマイノリティ属性同士で、弱いことを許さない空気なんだぜ。社会も、社会と闘う人たちも、闘いを強いてくる。 頑張らないと生きていけない者同士で「頑張らないと生きていけないぞ!」と脅迫し、追い詰める地獄絵図である。
たしかに闘わないと奪われるのが現実かもしれないし、現実がそうなんだから闘っていくしか仕方ないんだけど、社会制度的に差別されている側が闘わないと生きていけない、必死にならなきゃ生きられない社会は間違っている。 それを、闘いの双方が認識しなきゃいけない。 で、闘わなきゃ生きられない社会なのは、行政が甘えきってるから。しかも甘えを自覚してない。
65歳までに死んだほうがいいな、マジで。 (「重度障害者は」ではなく、あくまで「私は」です)
何て言うか、立場としては近いのだけど、障害程度や過去・現在の生活環境が他の人たちの中で私だけ微妙に異質なのかもしれない。 立場が近ければ近いほど、微妙な差は大きな差と感じられて、健常者の中にいるときよりむしろ孤独感は増すのかも。 自分に合うコミュニティを見つけるのも、なかなか難しいよね。 同じような障害を持つ人たちと……と思っても、脳性麻痺と言っても障害程度はピンキリだし、車椅子ユーザーで括ったとしてもピンキリだし。 そう言えば、去年のセミナーでも同じような孤独と馴染めなさを感じたんだった。 学習能力ないのか、私!
何かもう、こんなに生きていけなくなる暗澹とした気分になるなら、セミナーじゃなくて横浜アリーナのスピッツのライブに行けば良かったなあ。 (チケットが取れたかどうかは別として)
でも、もしかすると私も周囲から強い人と思われているのかもしれない。それは、相手が勝手にそう思っていると言うより、たぶん私がそういうふうに見せているから。 だとしたら、気をつけなくちゃ。 「あいつは弱くてダメな人間だ」と思われるより、「あの人みたいに強くならないと」と思われるほうが悲しいし、つらい。私の存在が、誰かを追い詰めることになるのは嫌だ。
ところで、パネリストとして木村英子が来ていた。 なぜ選挙のときに重度障害当事者の中でも彼女に白羽の矢が立ったのか、分かった気がした。 話し方とか、話のもっていきかたとか、たぶんうまいんだよね。攻撃的でも扇情的でもなくて。
あ、あともう一つ思い出した。 パネリストの一人(木村英子じゃない)が「我慢して制度に生活を合わせるのは、障害者運動の邪魔」とも言っていた。 この言い方も、私には受け入れがたかった。 闘うのは正しい行動の一つかもしれないけど、それをしない(できない)人たちをなぜ否定し、攻撃するんだ?
| 2019年12月13日(金) |
Cocco Live Tour 2019 “Star Shank” |
東京国際フォーラムで行われたCoccoのライブに行った。 私にとって、今年最後のライブ。
Coccoが「来てくれただけでいい。手拍子してほしいとか手を振ってほしいなんて望まない。楽な気持ちで聴いてください。いてくれて、ありがとう」と言ってくれた。
「いてくれて、ありがとう」
私の存在を無条件で全肯定してくれる、何て素敵な言葉。
あと、ライブ終盤にCoccoが「今日はありがとう」と言ったら、客席から「今日もありがとう」って声が飛んだ。 そしたら、Coccoが「そうだね。今日も、だね。『今日は』と『今日も』は、だいぶ違うね。今日も、ありがとう」と。
言葉に敏感で、言葉を大切にするCoccoが好き。
Coccoのライブは、いつも照明が素晴らしい。曲の世界観を引き立てて、私たちを引きずり込む。 ファンから贈られた花束がステージの数カ所に置かれ、赤や紫、黄色の照明に照らされて歌う、白いドレスのCocco。まるで、この世ではないどこかみたいな空間。 激しい曲も、やさしい歌も、Coccoが歌うと祈りの言葉に聞こえる。 でも、昔とは違って、命を削って吐き出すような曲だけではなく、かわいくてポップな曲も。
ステージ奥のスクリーンに花模様が映し出されたとき、それがCoccoの白いドレスにも投影されて、花柄のワンピースみたいになってかわいかったな。
新アルバム『スターシャンク』に収録されている『フリンジ』で泣いた。
◆『フリンジ』の歌詞 http://j-lyric.net/artist/a04a856/l04daa5.html
Coccoの激しい狂気の曲もやさしい歌もエロい歌も好きだけど、『フリンジ』みたいな、生きてることのどうしようもなさと、それでも消えない愛を叫ぶような曲が好きです。
【セットリスト】 くちづけ 花燗 強く儚い者たち Gracy Grapes Being Young スティンガーZ 夕月 極悪マーチ 2.24 Come To Me 音速パンチ 有終の美 暗黙情事 願い叶えば Raining 樹海の糸 ドロリーナ・ジルゼ フリンジ 海辺に咲くばらのお話
| 2019年12月11日(水) |
【本】『歴史戦と思想戦』 |
山崎雅弘『歴史戦と思想戦 ――歴史問題の読み解き方』読了。
戦時中の思想戦を振り返りつつ、現在の歴史改竄者たちが使うトリックを解説し、彼らの言説に騙されないようにするための助けとなる良書。 歴史改竄者たちのトリック(言説のおかしさ)の解説も分かりやすいのだが、フロムの『自由からの逃走』を引用しながら、権威主義に傾倒する心理に触れた箇所が興味深い。 権威者への自己同一化は孤独からの解放であり、権威に服従すると自分で考えて行動選択しなくていいので、ある意味楽である。 この、権威主義に走る心理は、カルトに傾倒してしまう心理と共通している部分が多いのではないかと思う。 (だいたい、現政権および現政権のバックにいる極右政治団体がカルトっぽいしな)
ただ一点、気になった箇所がある。 「日本人はGHQに洗脳されている」という歴史改竄者の言説に対して、「日本人は『七十年以上も洗脳される』ほど知的能力が低い国民なのか」と反論しているが、洗脳されていることと知的能力は関係ない。 (私も「日本人はGHQに洗脳されている」は否定するが)
”歴史問題”とは別の話ではあるが実際にカルトの洗脳やマインドコントロールが問題となっている中、「洗脳される=知的能力が低い」かのように読者に思わせる書き方は、カルト被害者への偏見を助長しかねない。
とは言え、良書であることには変わりない。おすすめ。
| 2019年12月06日(金) |
障害者差別解消法と合理的配慮に関する講演会の備忘録 |
障害者差別解消法と合理的配慮に関する講演会に行ったので、備忘録を公開します。 実際はもっといろんな話が出たけれど、メモを取りきれなかったり、聞き流してしまったりした部分もあり、ここに書くことが講演の全てではないです。
◆DPI日本会議 崔栄繁(たかのり)氏講演 「何がいったい差別なの? 〜障害者差別解消法と合理的配慮について〜」
★車椅子席は何席ある? ・ヤンキースタジアム 68カ所500席以上 →車椅子ユーザーも席を選択可能 非車椅子ユーザー用の席もあり、一緒に観戦可能(日本のように「付き添い」という扱いではない) 席を高い位置に設置しているので、前の一般席が立ち上がっても観戦しやすい(sight lineの確保)
・東京ドーム 12席(収容人数はヤンキーススタジアムと同じく5万人ほど)
★法体系
憲法に違反する条約は批准できず、批准した条約に違反する法律は制定できない。 障害者権利条約の水準を満たすべく、国内の法整備を行い(障害者基本法の改正、障害者差別禁止法の制定など)、2014年に条約を批准
★障害者権利委員会に初めて知的障害のある委員(NZの男性)が誕生し、様々な支援を受けながら委員を務めている(委員会では主に脱施設化について発言)
★障害者権利条約・・・パラダイム・シフトのための条約 ※パラダイムシフト=社会の規範や価値観が劇的に変化すること
★障害者権利条約の三原則 �ー�己決定、自立 →どんなに頑張っても自己決定が不可能だったり表明できなかったりする場合、周囲は「最善の利益」ではなく、「意思と選好の最善の解釈」をおこなう
�◆併臆辰函縫ぅ鵐�ルージョン
※インテグレーション(統合)は、既存の仕組みを変えずに対応できる障害者だけを受け入れる

�H鷓絞漫別戯絞漫法κ薪� →差別=障害に基づくあらゆる区別・排除・制限
※制限 「親が付き添えるなら、普通校への入学を認める」 「視覚障害者は火事を起こす危険があるので、ガスを使わないことを条件に部屋を貸す」 などなど
※平等 ・形式的平等 ・実質的平等・・・「機会の平等」と「結果の平等」
★社会モデルが正しいことの根拠 国民国家(近代国家)は人類史で最近のこと 江戸時代は知的障害者も子守をしたりして社会参加していた
※国民国家 国家に役立つ人材(戦争に行ける人材)を育てる→障害者排除
★世界にある精神科病床のうち、五分の一は日本にある
★イタリア 障害児がクラスに入ると定員が20人から15人に減り、支援の先生が一人付く →障害児がクラスにいると手厚くなるので、親が喜ぶ
★アメリカ 一つのクラスに、少人数で先生に教わる子、グループ学習する子、一人でパソコン学習する子などが混在している
★障害者への配慮は特別扱い、甘えか? なぜ垂直移動の建物には階段があるのか →歩ける人が多数だから(空を飛べる人が多数なら階段は設置されない)
なぜ講演会でマイクが用意されるのか →全員に声が届くようにするため(聞こえる人が多数だから配慮されている)
⇒多数者が社会のルールを決めていて、多数者には最初から複数のサービスが用意されている
★障害者差別解消法の対象=すべての障害者(手帳所有者と限らない) 第二条で「障害者」の定義を 「身体障害、知的障害、精神障害(発達障害を含む。)その他の心身の機能の障害(以下「障害」と総称する。)がある者であって、障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるもの」 としている。
★合理的配慮は思いやりの話ではない 第一条(法律の目的) 全ての障害者が、障害者でない者と等しく、基本的人権を享有する個人としてその尊厳が重んぜられ、その尊厳にふさわしい生活を保障される権利を有することを踏まえ、(中略)全ての国民が、障害の有無によって分け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会の実現に資することを目的とする。
第八条二項 事業者は、その事業を行うに当たり、障害者から現に社会的障壁の除去を必要としている旨の意思の表明があった場合において、その実施に伴う負担が過重でないときは、障害者の権利利益を侵害することとならないよう、当該障害者の性別、年齢及び障害の状態に応じて、社会的障壁の除去の実施について必要かつ合理的な配慮をするように努めなければならない。
※障害者から社会的障壁の除去が必要であると表明があったとき、建設的な対話を行い、合理的配慮をおこなう
★感想 ・多数派が社会のルールを決めていて、多数派には最初から複数のサービスが用意されている(→障害者が合理的配慮を求めることは、わがままではない)という点に、きちんと言及されたことがとても良かった。
・例えば、聴覚障害者は講演会主催者に手話通訳者の配置を希望して話し合いができるが、あらかじめ申し出るという手間がかかる。健聴者は情報保障に関して何も心配せず、準備もせず講演会に行くことができる。今後は、この不均衡(前もって申し出しないと配慮が得られないことがある)にも、もっと目を向ける必要がある。
・講演で紹介された日本のインクルーシブ教育の例が、どんな場合でも理想的だと参加者に思われると困る。とにかく同じ場所に入れて、すべてを同じように参加させればいいというものでもない。障害児者への配慮云々だけではなく、学校で画一的なあり方を求められる社会の問題が大きいように思う。アメリカの教室の例は、うまくいけばとても良い取り組み。
| 2019年12月01日(日) |
マイクロアグレッションの分かりやすい解説アニメ |
Facebookで紹介されていた、マイクロアグレッション(※)を解説したアニメがとても分かりやすい!
https://www.youtube.com/watch?v=hDd3bzA7450&feature=youtu.be&fbclid=IwAR1DvJSS_u3LGV-dYRpusm4O286FHYheNrOOwl7hu3ufqwue16H1qHFdF6Q
音声も字幕も英語だけど、適宜、一時停止しつつ読むと理解しやすい。
※マイクロアグレッション 大きな問題となるような攻撃的・暴力的な差別とは違い、日常的な、些細で悪意のない差別的言動のこと
あー、あるよね、こういうこと。 アニメに事例として出てくるんだけど、ただ食料品の買い物してるだけなのに、見ず知らずの人から急に ”Everything happens for a reason.” (「あなたが障害を負ったことにも必ず意味があるから頑張れ」の意と思われる)なんて声かけられたら、
「は? 何言ってんの、鬱陶しい! ってか、お前誰だよ!」
ってなるわな。
このアニメをFBでシェアした人が挙げてる例としては・・・
・在日コリアンに「日本語得意だね!」「いつから日本にいるの」と言う ・LGBTに「私そういう友達ほしかったんだ」「性別なんて関係ないよね」と言う
こういうことって、無自覚に言いがちかもしれない。 しかも、良かれと思って。 でも、悪意がないからって、加害性がないわけじゃない。
アニメでは、マイクロアグレッションを、蚊に刺されることに例えている。 蚊に刺されるのが一度なら、どうってことはない。 でも、どこにいても、何をしていても、蚊はいろんなところから突然現れて悪意なく(むしろこちらを褒めるつもりで)刺していくから、痒みやストレスが蓄積していき、安全な生活を脅かされる。 そこら中に何匹もいる蚊を撃退しようと奮闘していたら、めったに蚊に刺されない人から「たかが蚊で、大げさな」と言われたりする。まるで、蚊に反撃するこちらが悪いかのように。それがまた、さらなるストレスとなり、疎外感や孤独感が増す。
マイクロアグレッションは、悪意がないどころか、良いことを言っているつもりだったりするのが、厄介なところ。 あからさまな差別に比べると、不快感を説明し理解してもらうのも難しい。
無数の、小さな傷つき。
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