月に舞う桜

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2019年06月26日(水) 自殺は隠さなくてもいい

自殺だったということを隠さなくていいと思う。
故人のためにも。
死にたいほど苦しく、つらかったのに、最後の最後まで生きたのだから。
自殺を隠すのは、死にたいほど苦しかった故人の気持ちを「なかったこと」にしてしまうようで、故人に対して気の毒に思う。
自殺は、恥じゃない。

◆「自殺した家族の葬儀」で直面する2つの苦労(2019.6.25 東洋経済ONLINE)
https://toyokeizai.net/articles/-/287789

「葬儀社との打合わせが始まると、遺族はすぐに厳しい判断を迫られます。「故人の葬儀をどう行うか」という問題です。これは言い換えるなら、「自殺であることを隠しきれるか」という問題とも言えます。」
(シェアした記事より引用)


2019年06月25日(火) 福祉書類が障害者を舐めている件

障害福祉サービス申請時の書類、平日どのように過ごしたいかの選択肢に「働きたい」がないのは、障害者を舐めていると思う。




役所が想定している「障害者の代表的な過ごし方」に、「働く」が入っていないんだろう。
(作業所じゃなく一般企業で)働いていて、福祉サービスを利用している障害者だってたくさんいますよ?
他にも、在宅勤務は「家で過ごしたい」に含まれる(ことを想定している)のかしら、いやたぶんそうじゃないだろうな……とか、いろいろモヤる。
役所、いちいち神経逆なでしてくるなあ。


2019年06月22日(土) 冷めていく、心

同じ人が同じようなことを言って、同じように泣いたり怒ったりしても、そのときどきで心動かされるときもあれば気持ちが冷えていくこともある。
それは相手がどうのというんじゃなく、私の精神状態の問題なんだよなあ。

うん、分かってる。
いろんなことに、あんまり心が動かなくなってきてるな。

なんか、特に、人が泣いてるのを見て気持ちがどんどん冷めていくのって、自分の精神状態としてはマズイんじゃないかなあと思ってるんだよね。


2019年06月20日(木) 誕生日だから、おいしいものを。

今日のランチは、パン屋さんのカフェスペースでピザトースト。





さすがパン屋さんだけあって、パンが厚切りだった。しかも、トマト、ズッキーニ、カボチャ、厚切りベーコンなどなど具材が豊富なうえに、お値段リーズナブルでさらに嬉しい。
でも、ランチのリーズナブルさに気を良くして、贅沢なケーキを買ってしまった。
ま、昨日は誕生日だったしな。

とは言え、昨日は昨日で、「誕生日だから」と奮発して重慶飯店の点心セットを買ったのだった。それで「清水の舞台、いや、スカイツリーから飛び降りるつもりで、重慶飯店の点心詰め合わせを買った」とツイートしたら、重慶飯店公式が ”いいね” してくれて、ちょっと恥ずかしい&なんかゴメン!な思いだった……。
そんな点心も、美味しくいただきました。普通の焼売に蝦焼売、椎茸焼売、蝦蒸し餃子にフカヒレ入り餃子!

最近、エンゲル係数高し。


2019年06月19日(水) 遺書(2019年版)

遺言は15歳から有効ということをずいぶん前に知ったときから、毎年誕生日に遺書を書いてみるのもいいかもなと思っていた。思うだけで一度も書いたことがなかったけれど、今年、初めて書いてみる。
(もちろん、ここに書く遺書は法的な効力があるものではないけれど。)

遺書……というか、遺言状で一番重要なのは、たぶんお金のことだろう。だから、お金のことから。

私が死んだとき、預貯金がどれくらい残っているかは分からない。私には配偶者も子どももいないので、預貯金がいくらだとしても、全額をどこかに寄付したい。
具体的に寄付先を決めているわけではない(決めているとしても、ここには書かないが)。

ただ、

・カルトを脱会した人を支援する何か
・障害児を支援する何か

こういう取り組みをおこなっている団体に寄付したいなと、漠然と考えている。
ただし、団体によっては、支援を装ってむしろ被支援者に加害したり搾取したりするところもあるかと思うので、寄付先の選定にあたっては慎重に見極めてほしい(←自分で寄付先を決めとけよ!)。
「障がい者」という表記や、「チャレンジド」「障害は個性」という言葉を使う団体には、あまり寄付したくない。

続いて、葬儀諸々について。
葬儀は絶対に無宗教でお願いします。
葬儀では、Toshlバージョンの『ひこうき雲』を流してください(カバーアルバム『IM A SINGER』に収録されてます)。まあ、空に憧れてはいないんだけど。
棺には、Toshlとのツーショット写真2枚と、2016年にToshlからもらった直筆ハガキを入れてください。そのほか、一緒に処分したいものは入れて燃やしてくれて構いません。

心残りなこと。
極力お金や物を借りない、借りたとしてもすぐ返すを信条に生きてきましたが、万が一、私に貸したものが返ってきていない方がいましたら(ライブチケット代を立て替えたとかね)、私の親が生きているうちは遠慮なく親に請求してください。親も亡くなっている場合は、申し訳ありませんが、香典と思って諦めてください。

愛する人へ。大好きな人たちへ。
私は、あなたがいたから生きてこられました。あなたが一緒にいてくれたこと、私を必要としてくれたこと、あなたの言葉や行動や眼差しに、どれほど救われ、希望をもらい、生かされてきたことか。
どんなに感謝しても、しきれません。
あなたは私の死を悲しみ、私の死後も私を覚えていてくれるかもしれません。それはとてもありがたいことですが、そんなに悲しまなくたって、私を忘れてくれたって、ちっとも構わないんだよ。
あなたが遠い将来、いつか天に召される日まで、幸せに、自由に、楽しく生きていてください。

5月のToshlのディナーショーの帰り、「いま急な心臓発作でバタッと死ねたら幸せだなあ」と思った。Toshlのライブの帰り道ではいつも思うこと。
とてもとても楽しいことや嬉しいことや美味しいものを味わって心満たされているとき、コンセントからプラグを引き抜くように死ぬことができたら、本望です。
だから、もし私が急に死んでしまっても、それが私にとって楽しいことや嬉しいことや美味しい食事のあとだったら、「あいつは幸せだったんだな」と、むしろ喜んでやってください。

それから、みなさん、どうかこの社会の様々な問題や、差別の構造や、マジョリティであることの特権を知ってください。差別の多くは、「善人」「善意の人」が行うものです。どうか、誰もが無意識に誰かに加害してしまう可能性があることを知り、人権意識を高く持っていてください。誰かを、排除しないでください。
私からの、最後にして最大のお願いです。

私を傷つけた人へ。
あなたに、真っ赤な薔薇を贈ります。それが棘を切り落とした美しいだけの花なのか、毒を染み込ませた棘付きの薔薇なのかは、手に取ってからのお楽しみ。

2019年6月19日


2019年06月18日(火) 努力至上主義ってやつ

努力至上主義は苦手。嫌いというより、苦手。
努力至上主義者の言ってることや書いてることを見聞きすると、心がどんどん冷めていくし、こちらのエネルギーを吸い取られる感覚がある。
努力至上主義って、結局はただの精神論だからな。
努力したい人はすればいいし、努力の良さは否定しないけど、「努力は至高!」っていう価値観を広めないでほしい。
そして、他人に向かって「お前も努力すればいい(だけ)じゃん?」って言わないでほしい。

……って書いてて気づいたけど、努力至上主義って、精神論というか、要するに自己責任論の根っこなんだな。


2019年06月17日(月) 「○○は障害じゃない」

「○○は障害じゃない(「障害」だと、治すべきものになるから)」という言説を見るたび、文脈からして言わんとすることはとてもよく分かるのだけど、障害当事者としては「いや、障害も必ずしも治さなきゃいけないわけじゃないよ?」と若干の抵抗感がある。
明確な線引きはできないにしても、病気と障害は違うしなー。


2019年06月15日(土) サスペンスドラマで萎えてしまうこと

サスペンスドラマが好きでよく見るんだけど、例えば事故死か自殺か不明(殺人の可能性はなし)で自殺の動機がないわけじゃないとき、家族をはじめとする周囲が「そんなこと(自殺)するような人じゃない!」と言って、証拠はないけどたぶん事故死だろう……という流れになるやつ、その人が死にたいほど苦しんで命を絶った可能性を全力で排除していることにモヤっとして、ドラマに入り込めなくなる。
それに自殺って、「そんなことする人じゃない!」という文脈で言われるような「そんなこと」じゃないし。
謎解きの過程は緻密で面白いのに、自殺を絶対悪に描いてて最後に主人公が「命を粗末にするな! 何があっても生きろ!」と諭し出すようなのも、結局精神論かぁと萎える。
それならいっそ、謎解きも含めて極度に陳腐なほうが清々しい。

まあ結局、死んだ人はもう何も言えないわけで、生き残った人が生き残った自分たちに都合の良いように解釈するんだよね。
世界は、生者にしか存在しないから。


2019年06月14日(金) 希望とは、絶望を分かち合うこと(by熊谷晋一郎)

私が好きな(日本の)学者で三本の指に入るお一人、東大の熊谷晋一郎先生。

その熊谷先生が

「希望とは(絶望しないことではなく)絶望を分かち合うことである」

と言っていたらしい。
この言葉、いいなあ。名言だわ。
希望の押しつけじゃなく、絶望を肯定していて。

で、「希望とは(絶望しないことではなく)絶望を分かち合うことである」という言葉で、ふと思ったこと。
私はミスチルの曲に希望を感じるのだけど、それって、彼らの音楽が強い希望の光を放っているからと言うより、彼らの音楽に「絶望を分かち合うことの中にある希望」を見ているからかも。絶望を分かち合うことで希望を見出し、外に向かって飛び出て解放されるイメージ。

それに対して、X JAPANは「絶望を分かち合う」と言うより、語り手の個人的な絶望や悲しみを聴き手がそれぞれ勝手に内面化して、勝手にかさぶた引っぺがして、カタルシスを得るイメージ。分かち合うことで外へ解放されるのじゃなく、絶望を見つめて己の内側に入り込んでいくことでむしろ解放される、みたいな。
ここらへんが、私の中でのミスチルとX JAPANの違い。

まあ、最近はX JAPANから心が離れつつあるんだけどさ。

(ちなみに、三本の指に入る好きな学者のあとの二人は、法政の上西充子先生と立命館の立岩真也先生です。)


2019年06月11日(火) 支援の場における不適切な時間の使い方

今日は支援機関で面談だった。
私の近況を聴く前に、自分が話したいことをめっちゃ話してくる担当者。
個人的には興味も共感も持てる話題だったし、その担当者のことは好きだし、プライベートならすごく気が合うんだろうなと思ったけれど、支援者と非支援者の関係、その場の時間の使い方としては不適切と感じる。
被支援者であるはずの私が話を聴く側、つまりケアする側に回っているということだ。それはおかしい。支援されてる気がしない。

ある程度長い時間をともにする場や、被支援者の生活の一部となっている支援の場であれば、そういうのもありだろう。
でも、限られた短い時間の「面談」という場で、情報提供ではなく支援者がしたいだけの話をするのは仕事を逸脱しているし、支援者による被支援者の時間の搾取であると思う。


2019年06月03日(月) 気になる記事など

◆浅田真央さん「ああ、幸せだな」引退して気づいたこと(2019.5.27 朝日新聞DIGITAL)
https://www.asahi.com/articles/ASM5Q3T0SM5QUPQJ005.html?iref=pc_ss_date

強くいなければならない状態は、決して不幸とは言えないかもしれないが、幸せではないよね。
それにしても、これまで数々の「一流成功者」たちが、言い方は違えど同じような心情を語ってきたのに、こういう状況がなかなかなくならない。
それは、頂点を極めるために不可欠な道のりだからというより、一流の人々に過剰に期待し、彼らの苦痛の先にある感動を求め、何かの役割を果たさせようとする私たちの問題ではないかと思う。

「全国各地を巡るアイスショー「浅田真央サンクスツアー」を約1年前に始めて、「ああ、幸せだな」と思えるようになりました。そう感じたのは初めてです。選手のときは、大変だなと思うことが徐々に増えて、幸せだなと思えることがなくなってきてしまっていました。/たくさんの応援やメダルを獲得するのは、うれしいことではありました。でもうれしいは「強い」からこそ得られる。一方で、幸せは「柔らかい」ものじゃないですか。選手のときはそこまで気持ちが柔らかくありませんでした。強くないと自分に負けてしまうので、幸せだと考える暇がありませんでした。/15歳のシニアデビューの頃までは、すごく楽しかったです。シニアに上がってからは、心から楽しいとは思えなかったです。」
(シェアした記事より引用)

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ある種の「期待」は、相手に対する「支配」だ。その「支配」は明確な物理的暴力ではない分、抗いづらく、抗うにあたり周囲の支援も得にくい。だから「期待」される人は孤独に陥り、押しつぶされる。
(もちろん、期待が真に人を励まし、力付けることがあるのは否定しない)

この「期待=支配」の構図は障害者のリハビリにも言えることで、障害者は本人が治りたいと願うのとは別に、家族や社会から治ることを「期待」されてリハビリを受け(させられ)ることがある。
その「期待」は「あなたのため」という顔をしつつ、「あなたは治るべき」との支配的メッセージを発している。

そして「期待」する側は、リハビリを受け(させられ)る障害者当人の身体的・肉体的苦痛や時間的コストを無視するか、低く見積もりがち。
このあたりは立岩真也先生の『不如意の身体』等に言及がある(立岩先生は「支配」という言葉は使っていなかったと思うが)。

●上西充子さん(@mu0283)のツイート
「期待」を伝えることも「不安」を伝えることも「規範」を押し付けることも、どれも自分の都合なのだ。自分の言いたいことだけを言い、自分の求める方向に相手を変えようとしている。それを相手がどう受け止めるかについての想像力を欠いた「期待」は、人を縛り、押しつぶす。
https://twitter.com/mu0283/status/1135368286026194944?s=20

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◆桜田氏「子ども最低3人産んで」前五輪相、少子化問題で発言(2019.5.29 livedoor NEWS)
http://news.livedoor.com/article/detail/16536936/

政治家が「子どもを最低3人は生んで」と言ったやつ、そもそも他人の生殖に(特に国家は)口を挟むべきではない、という基本を忘れてはいけない。
一番の問題は、そこですよ。

「子どもを最低3人産んで」は、たしかに女性への侮辱だし、妊娠・出産をリスクと見なされて入試や就労で差別されたり、保育園に入れずキャリアを諦めなければならなかったりする現状を改善するのが政治の役割だろ、というのはその通り。
その通りなんだけど、何が一番の問題なのかを見誤ってはいけない。

たとえ一切の差別がなくなり、キャリアをめぐる不利益が完全に解消されたとしても、他人に対して子どもを産むとか産まないとか何人産むとか、そういうことをとやかく言ってはいけないんですよ。

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●日本に欠けていると思うもの1位「男女平等」、2位「外交力」 誇れるもの1位は「アニメ」、18歳意識調査(2019.5.30 キャリコネニュース)
https://news.careerconnection.jp/?p=72393

日本に欠けていると思うもの?
そりゃあ、人権意識と人権意識と人権意識と……(以下エンドレス)

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人の心を壊す言葉。(ツイッターより)
(他人のツイートをそのまま紹介するだけですが、ものすごく印象的だったので)

●Nikovさん(@NyoVh7fiap)
人の心を壊すのは簡単で、「無理しないでね」「何かあったら言ってね」と言いながら、「もう無理です、しんどいです」って言ったときに、「大丈夫」「あなたならできる」と励まして突っぱねることで、もう助けを求めなくなる。
https://twitter.com/NyoVh7fiap/status/1134995096040947713?s=20

●大阪名物パチパチ弁護士さん(@obpmb3fN93mQI9i)
もっと簡単な人の心を壊す方法があるで。
同様の状況になったときに
「甘えてたらあかん」
「あんたよりもしんどい人間いくらでもいるんや」
「ネガティブなことばっかりいってたらあかんで」
「幸せやと思わんと」
などと気持ちを否定すること言いまくるんや。
https://twitter.com/obpmb3fN93mQI9i/status/1135015173851238400?s=20

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◆元農水次官「迷惑かけたくないと思った」長男殺害容疑(2019.6.2 朝日新聞DIGITAL)
https://www.asahi.com/articles/ASM6252T4M62UTIL00Q.html?iref=pc_ss_date

元官僚による息子殺害事件に関し、殺された息子さんの生前のツイートをテレビが「こんなツイートを!」的に垂れ流してるけど、被害者の人物像をああいう視点で見せるのは「殺されても仕方なかった」と言っているようで、やめて欲しい。
殺してしまった/殺されてしまったことを肯定しているように見える。
それが一見、加害者への同情からくるものであっても、結局は社会の課題を放棄して「不穏な人間は、迷惑をかける前に家族が”処理”するべき」という家族責任論に行きついてしまうのでは?
あの息子さんも、絶対に殺されてはいけなかった。そこを出発点にしないと、社会は変えられない。
亡くなってから、あんなふうにツイートを紹介するなんて、卑怯だ。


2019年06月02日(日) 埋められない。

どんなに楽しいことがあっても
どんなに嬉しいことがあっても
どんなに美味しいものを食べても
どんなに素晴らしい音楽を聴いて、映画を観て、本を読んでも

悲しみは埋められないし、怒りの記憶は塗り替えられない。

埋められない悲しみの周囲に、楽しいことや嬉しいことや美味しいものや素晴らしい記憶が積み重なれば、悲しみは相対的に小さく見えるのだろうか。

そういうこともあるだろうけれど、悲しみが余計に際立つこともあるでしょう。光が強いほど影も……のように。

みんな、この世でどうやって絶望せずに生きているんだろう。
あるいは、絶望しながら、どうやってこの世で生きているんだろう。

謎。


2019年06月01日(土) 季節のフルーツタルト

昨日の夜は、前職場の同僚と食事に行った。
前にランチで利用して、雰囲気が気に入ったお店。
カルパッチョやパスタ、ポークグリルなど、どれも美味しかった。あと、宮崎県産のトマトが濃厚で甘かった。糖度が普通のトマトの2倍らしい。
そして、デザートは季節のフルーツタルト。
一番上にビワが乗っていて、他にオレンジ、ピンクグレープフルーツ、キウイ、バナナ、ブルーベリー、苺とフルーツ盛りだくさん。タルト生地もアーモンドの風味豊かで、大満足。
最初に注文したガトーショコラが品切れで、それならということで選んだフルーツタルトだったけど、こちらを食べれて大正解だったかもしれない。
店内ではピアノとフルートの生演奏があり、優雅な気持ちで食事できました(月末に演奏会をやってるらしい)。


桜井弓月 |TwitterFacebook


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© 2005 Sakurai Yuzuki